彼の決断
「腹立つあの狸爺!!」
クッションに拳を叩き込むと、扉の外から「姫様?」と近衛兵が様子を窺う呼びかけをしてきた。護衛という名の見張りである。
「何でもありません!」
怒鳴るように答えると、彼は静かになった。本当に腹が立つ。この軟禁状態に置かれてもう五日目だ。きっとロベルトとフェルディも同じ状態だろう。
ふいに外が騒がしくなった。人が慌ただしく動いている。しかし、ちょっと扉を開けてみると見張りの騎士はちゃんといた。「どちらへ」と聞かれて、むっとする。
「何か騒がしいようだけど、何があったの?」
彼はしれっと「存じません」と答えた。バカにされている気分だ。
扉を閉めたユウは、五日間考えた作戦を実行することにした。
まずは長い髪をまとめ、ドレスの裾を結ぶ。それからそっとバルコニーへの扉を開けて、外に出た。手すりをそろそろと乗り越え、柵の一番下にぶらさがって何とか下の階のバルコニーへおりる。同じようにしてもう一度おりると、もうそこは一階の庭だった。警備の甘さに苦笑しつつ、物陰に隠れて隣の棟へ向かうルートを考えていると、すぐ傍を騎士が通った。
「結界が破られたらしいな」
「ああ、今から斥候を出すらしい」
二人の騎士の会話に、ユウは眉をひそめる。
結界が破られた?だから何だか騒がしいのね。ロベルトとフェルディはどこだろう。
物陰から顔を出そうとしたユウの口を、後ろから誰かが塞いだ。
「んっ!?」
「しーっ。僕だ」
耳元で囁かれた声に、勢いよく振り向く。そこには、くすんだ緑色の瞳があった。
「ル……っ」
「静かに。僕が見つかったらまずいことぐらいわかるでしょ」
そう言いながら、彼はあたりを警戒している。
「どこ行ってたの。大騒ぎだったんだよ」
「だろうね。ちょっと様子を見に来ただけだから、またすぐ行くよ」
「え、そうなの?いったい何してるの?」
「そのうちわかる。君がここでこそこそしてるってことは、マッキンリーとセオドアに捕まってたって理解でいい?」
「さすがルーマ先生。五日間、軟禁状態」
「その方が安全だよ」
ルーマの返事は意外で、思わず彼の顔をまじまじと見てしまう。まるで、別人が帰って来たみたいだ。
ルーマがユウを見下ろした。
「何?」
「あ……ううん。私、ロベルトとフェルディを探しに行こうと思ってたんだけど……」
「ロベルトなら、懲罰房にいるよ。聴取の時要らないことを言ったみたいだね」
「な……出してあげなきゃ!」
「さっき使いを出したから、今ごろフェルディが行ってるよ」
ルーマは淡々と言って、ユウの肩を抱き寄せた。一瞬心臓が飛び跳ねる。何やらルーマが詠唱をして、まばたきした時にはどこかわからない場所にいた。
「…………裏庭?」
「ああ。懲罰房はそこ」
ルーマが指した先には、階段があった。
「ねえ、ルーマは何をしてるの?何で黙って行っちゃったの?」
何気なく聞いたのだが、こちらを向いた彼の瞳を見てはっとした。緑色の瞳は、ものすごく冷たい色を湛えている。
「君にそれを話す義務が僕にあると思う?」
声も冷たかった。
「僕はもうこの国の兵隊じゃないからね。姫様に従う必要もないんだよ」
冷たい指先が、ユウの頬をなぞる。
「ルーマ……?」
「兵団長!」
ユウの震える声に、フェルディの声が重なった。振り向くと、いつの間にかフェルディがロベルトと階段の下にいる。
肩を抱いていたルーマの手がはなれた。
「やあ、無事だったみたいだね」
「しれっと言うんじゃねえよ。こっちの台詞だ。心配しただろうが」
ロベルトが文句を言う。頬に切り傷ができていた。服が剥ぎ取られた上半身にも、小さな傷がたくさんついている。
「君に心配して貰う筋合いはない」
ルーマの声音がいつもと違うことに気づいたらしく、ロベルトとフェルディは怪訝な顔になった。
「僕はもう、この国の敵だよ」
そう言って、ルーマはユウを見た。
「結界を破ったの、誰だと思う?」
口元に笑みが浮かんでいる。
「……………ルーマ、がやったの?」
「正解だよ、お姫様」
ユウは思わず彼のローブを掴んだ。
「な……何で?ルーマ、結界に頼るのはおかしいって言ってて、それはわかるけど、何で、敵って、どうして……」
「言ったよね?もう君の質問に答える義務はないって」
ルーマから殺気を感じた。フェルディが「兵団長!」と叫ぶ。ルーマは嫌そうにそちらを見た。
「物わかりが悪いな。僕はもう、この国の敵だって言っただろ!」
ルーマがユウの胸をとん、と押した。
バランスが崩れる。後ろは階段だ。
「ばいばい、お姫様」
身体が倒れる。
緑色の瞳と一瞬目が合う。
そして彼は、踵を返した。
「ユウ!!」
身体が地面に叩きつけられることはなかった。ロベルトが抱き止めてくれたらしく、呆然としているユウの顔を覗きこむ。
「大丈夫か!?」
「…………あ……うん、平気……ありがとう。ケガ、大丈夫?」
「俺は平気だよ。俺より今はおまえだろ!あの野郎、何考えてやがる」
ぎり、とロベルトが奥歯を噛み締める。そこへ、フェルディが「姫様」と呼びかけた。そのとたん、ロベルトは弾かれたようにユウを階段に座らせ、ものすごい勢いで騎士の礼をとった。
「ご、ご無礼致しました!」
フェルディが呆れたような目でロベルトを見ている。
ユウは固まったロベルトを宥めた。
「いいのいいの。丁重に扱われる方が私は嫌だから」
「すみません、ルーマのおかげでつい頭に血がのぼって」
「そうよ、ルーマよ」
ユウは膝の上で手を握り締めた。
「変だったよね、ルーマ」
「しかし、本当に結界を破ったとなると大罪です。どうやって破ったかはわかりませんが……」
フェルディが眉をひそめている。
「止めなきゃ」
そう言うと、ロベルトとフェルディをぎょっとしたようにこちらを見た。
「止める?」
「ルーマ、最後泣きそうだったもん」
「泣きそう……?ですが、姫様……」
言いかけたフェルディをロベルトが遮った。
「そういえば、あんたはどうして俺を出してくれたん……ですか?上からの命令じゃないでしょう?」
「鳩が来たんです。兵団長の使い鳩が。その鳩は、私にあなたを出すように伝言して、鍵に変身しました」
「ほら、やっぱり変だよ。敵だって言いながら、ロベルトを助けたってことでしょ」
そう言って、ユウは少し考えた。ルーマの真意が知りたい。それならーー……。
借りるね、と言ってロベルトの剣を抜くと、彼は慌てたようだった。
「姫様、何……を……」
胸の下まであった髪をひとまとめにして、ざっくりと肩のあたりで切り落とす。ロベルトとフェルディは呆気にとられてそれを見ている。
「ありがと、ロベルト。私、ちょっと出かける」
「はああ!?」
ロベルトが遠慮のない声をあげた。
「ルーマが何でこんなことしてるか知りたいの。だからお願い。見逃して。ね」
「……わかってねえなあ、姫様」
ロベルトが短くなった髪に少しだけ触れた。
「あんたが行くなら俺も行くよ。ルーマがいない間あんたのこと守らねえと、あいつが帰って来た時何言われるか」
「私も参りますよ、姫様」
ロベルトの傍らにフェルディが立った。
「彼一人では心配です。兵団長の真意も知りたいですし」
「でも二人とも、仕事は……?」
ロベルトは頭の後ろで手を組んだ。
「俺、懲罰房に入れられた時点で隊長は罷免されてるし……」
フェルディは腕を組んで首を傾げる。
「今度はそれを逃がした私が懲罰房入りですかね」
要は気にしなくていいらしい。
「わかった。ありがとう、二人とも」
そう言うと、二人は頼もしく笑って頷いた。
そのあと、三人はすぐに城を出た。ユウもロベルトも、出歩いているのを見咎められれば面倒なことになる。ひとまず城下の宿に移動した。
「買って来たぞ!」
部屋の扉が乱暴に開いて、ロベルトが入ってきた。途端に目が真ん丸になる。
「げっ、何やって……るんですか」
「見てわかりませんか?髪を切っているんですよ、姫様の」
ハサミを片手に、フェルディがしれっと答える。ユウは彼の前に大人しく座らされていた。
「髪ならさっき姫様がご自分で切ったでしょう」
「それを整えてるんですよ。姫様、随分ざっくりと切られましたからね」
フェルディは器用にハサミを操り、伸ばしていた前髪も切ってくれた。鏡を見ると、もはや別人である。
「服、これでよろしいですか?」
ロベルトが買ってきた荷物を漁り、頼んでいた服をーー注文したのはフェルディだがーーを出してくれた。質素なワンピースが一着と、動きやすそうなシャツやスカートが出てくる。
「ありがとう、ロベルト」
シャツとスカートにバスルームで着替えると、もうどこから見ても王女には見えなくなった。
「よし、完璧。じゃあこれから二人とも、私のこと姫様って呼ばないでね。話し方も普通にして」
「いいのか?」
すぐに馴染めそうなロベルトを、フェルディがじろりと睨んだ。
「そうしてくれると嬉しいな。もともと、王女扱いされるのあんまり好きじゃないし。二人の方が年上だし、何なら私ががへりくだった方が……」
「それはやめて下さい」
フェルディが即座に反対した。
「確かに、我々ももう騎士団の者ではないし……君も私に敬語を使う必要はないですよ、ロベルト」
「それはどうも……」
もともと口調が崩れている自覚があるからか、ロベルトは決まり悪そうに頷いた。
「さてと。今後のことなんだけど……ルーマの部屋にあった本は置いて来ちゃったよね?」
そう言うと、フェルディはにやりと笑って持っていた荷物のなかから四冊の本を出した。
「お任せを。こちらが兵団長の本、こちらは城の図書室から借りてきたものです」
「さすがフェルディ。いつの間に?」
「実はロベルトのおかげだったりします」
「え、俺?」
ロベルトがぽかんとする。
「聴取の時にロベルトが要らないことを言って連行されたでしょ。私、一人にされたので、その隙にちょろまかしてきました」
「ああ、そういうこと」
ロベルトは面白くなさそうに天井を仰いだ。
膝の上に本を広げ、ぱらぱらめくる。 「どこのページが抜けているか調べてみる。また明日報告するね」
「何言ってるんだよ、俺も手伝う」
「私も」
結局、ユウとロベルトが抜けているページを見つけ、フェルディがそのページの内容をメモしていくことになった。
途中、フェルディが夕食の買い出しに抜けて、ピザを買って来てくれた。
それを食べてから、暗い灯りのなかで作業を続ける。
ページをめくる音だけが部屋に響いていた。