託された指環
婚約披露パーティーが終われば、次はすぐに婚儀である。とは言っても、婚約パーティーから半年は経過しているのだが、準備に終われて忙しくしていたため、気分的にはすぐだった。
ドレスは何色がいい、髪型は、と盛り上がる侍女たちと引き換えに、ユウの気分はどんどん下がっていく。
ルイーズとは婚約パーティーからも何度か顔を合わせたが、彼女の“自分の見せ方”を知っていて、それを実践してくるところが妙に目についた。そしてそれにころりとひっかかるセオドアにも苛つく。
しかし時は残酷で、婚礼の日がやってきた。式も宴も恙無く進み、誰か婚礼をぶち壊してくれないかというユウの他人頼みな願いが実現されることもなく、セオドアとルイーズは夫婦になった。
「お嫁に行きたい。行きたくないけど」
式から七日後、ぽつりと呟いたユウの言葉に書類に署名していたルーマの手が止まった。
外は嵐だ。近頃、天候があまり落ち着かない。
「頭に虫でもわいた?」
「あの嫂と一緒に暮らすぐらいなら政略結婚の道具になって城を出たい。……と、魔がさすこともあるのよ」
ソファにうつぶせになってぼやくユウのもとに、呆れたようなため息をついたルーマが来た。空いたスペースに座り、「何がそんなに嫌なわけ」と聞く。
「兄上がでれでれと彼女に操作されちゃってるのを見るのが嫌。あの人、何をどう言えば自分の望みが叶うか知ってるの」
「君はちょっとそういうのを学んだ方がいいんじゃない?」
うつ伏せになった姿勢から顔をあげて彼を睨むと、彼は頭を掴んで無理矢理顔を伏せさせた。
「男の人にはわからないかもね、そういうの。あの人と一緒にいると疲れる……」
「まさか。彼女が腹黒いことなんて、端から見てればすぐわかるよ。むしろ君の感覚はまともだと思うけど。僕も一度だけ話したけど、何だか居心地が悪かったよ」
意外にもルーマはそう言った。
「そうなの?じゃあルーマ、どうにかしてよ」
「無理」
あっさりと答え、ルーマはぽんぽんとあやすようにユウの頭を軽く叩いた。
「ま、頑張りなよ。陛下が彼女にふらふらなら君がしっかりしないと」
珍しく、ユウを宥めるような優しい声音だった。頭を撫でられるのなんて随分久しぶりで、思わず顔が赤くなる。有り難いことに、顔を伏せていたからルーマには気付かれなかった。
「我が国には他国にはない結界という素晴らしいものがあるのです。他国が防衛に割く人員や費用でもっと経済を活性化させるべきですわ」
ルイーズの会議での発言に、議員たちがうんうんと頷いている。
ユウは会議に出る必要はない。会議場に来たのは、セオドアが忘れた書類を届けるためだ。議題が変わる時にでも渡そうと議場の後ろで大人しく待機することにしたのである。
だいたい義姉上だって会議に出る必要はないのに。でしゃばり。
嫂の姿に苛々しつつ、話が途切れたのを見計らって兄のもとへ行く。軍の関係者の席にルーマの姿が見えて、会議が終わったら嫂のでしゃばりについて愚痴を言おうと決める。
どうせなら会議が終わったらすぐ捕まえてやろうと思って、議場の扉近くにある階段に座って待つことにした。
会議はまもなく終わって、人が議場から吐き出されてきた。セオドアの姿が見えて、小言を言われる前に慌てて隠れる。
「陛下」
馴染みのある声が兄を引き止めた。
「さっきの会議の話、もう一度考えた方がいい」
ルーマが険しい顔をしてセオドアに対峙している。
「結界は不確実なものだ。それに依存するのは間違ってる」
「結界は百年以上我が国を守ってきた」
「歴史の問題じゃない。宝珠は魔力の塊だ。使いこなせもしないのに、何でそれが永久に使えるとわかるわけ?」
「確かに俺に魔力はない。そのためにおまえたち魔術師がいるんだろう」
「その魔術師が、結界が弱まっているという報告をしただろ」
「あれは一過性のものだ。以前にもあったが回復したと資料にある」
「なぜ弱まったかもわからないのに?経済の発展というエサに踊らされて判断を誤らないで欲しいね」
セオドアがぴくりと身体を震わせた。
「身の程をわきまえろ、ルーマ。おまえは父上のおかげでここにいる。……父上はおまえに礼儀作法は教えなかったようだな」
「礼儀作法に則れば考えを改めてくれるわけ?違うだろ。君たちは何度同じ過ちを繰り返すつもり?」
「黙れ!土人形に愚弄される謂れはない!」
ついにセオドアが激昂して怒鳴った。隠れているユウも、まわりの人々も驚いてそちらを見る。
赤い顔のセオドアとは対照的に、ルーマは冷静沈着だった。
「土人形にもわかることがなぜオウサマにわからないかな」
ルーマの声は冷たかった。
「もう一度言うよ。結界は弱まっている。結界に依存するのはやめるべきだ」
「それだけ言うのならおまえが調査に行けばいい」
セオドアは総意ってルーマを押し退けた。
兄のそんな態度も、ルーマの悔しげな顔も初めて見る。兄が言った土人形の意味もわからない。わかったのは、昔の無邪気に優しい兄はもういなくて、兄と幼なじみは違う考え方を持っているということだけだった。
魔術兵団の遠征は本決まりとなり、遠征の前日に、ユウは彼の執務室へ行った。忙しくて会えないかと思いきや彼は部屋にいて、ユウを見るとちょっと笑った。
「荷造り手伝ってくれるの?残念だけど、僕ほとんど荷物ないよ」
「挨拶に来ただけだよ。師匠のご出陣だから」
持っていたあるものをルーマに握らせると、彼は怪訝な顔をしてそれを摘まんだ。
「何、これ」
「お守り」
ユウが緑色の糸を編み込んだ腕輪を、ルーマはしげしげと眺めた。
改めて眺められると緊張する。恋人でもないのに、出陣する男にお守りを渡すなんて非常識だったかもしれない。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「君、意外と器用だったんだね」
「それ、ちょっと失礼……」
言いかけたユウを制すように、ルーマがユウの手をとった。すっと指に何かをはめられて、何かと思えば指環だった。
「これ、魔力を使えば僕と連絡がとれるから。君の魔力でも使えるけど、念のため僕の魔力もためてある。何かあったら連絡して。助けに来るから」
どきんとしつつ頷くと、ルーマが剣呑に目を細めた。
「下らないことで連絡してこないでよ。そんな暇じゃないんだから。あくまで緊急時だからね」
「わかってるよ……」
ちょっとときめいたのに、すぐに台無しにする。
ユウは少し膨れて頷いたが、ルーマが少しでも自分のことを考えてくれたのは嬉しかった。
ルーマが遠征に出て十五日、セオドアの誕生祭が開かれた。ここ数日は大雨が続いていたが、この日は雨があがった。ルイーズは「神の思し召し」などと言ったが、ユウに言わせればたまたまである。
相変わらず、ドレスがなんだ髪型がなんだと侍女たちが大騒ぎして当日の衣装が決まった。
議場での一件を見て以来、ユウはセオドアと距離を置いていた。その憂鬱な気分のままパーティーに出席するので、ますます腰が重い。
王族の席に座っているのは相変わらず退屈で、手持ちぶさたに貴族の挨拶を聞いていると、出席していたロベルトと目が合った。彼は悪戯っぽく小さく舌を出してみせ、それが面白くてユウは微笑んでしまった。貴族は自分の話が面白かったのだと思ったらしく、調子に乗ってべらべら話を続けてしまった。思い上がりも甚だしい。
それから解放されたあと、ユウはまた場の雰囲気が緩むのを見計らって椅子から立ち上がった。
広間からこっそり抜け出してバルコニーへ出ると、「ダメですよ、姫様が護衛もつけずに」と声をかけられた。振り返ると、ロベルトだ。
「護衛がついたんじゃ気晴らしにならないでしょ?」
「まあね。でも、ルーマが心配してましたよ。姫様、あんまり姫様らしくされないから」
バルコニーの手すりにもたれ、ユウは苦笑した。
「それ、ルーマの言ったことを正確に言うとどうなるの?」
「……『あのじゃじゃ馬、軟禁した方がいいんじゃないか』と」
「やっぱりね。でもその方があの人らしいかな」
そう言うと、ロベルトがにやりと笑った。
「寂しいですか」
「別に?家庭教師からの逃亡先がなくなったのはちょっと痛いけど」
「二人とも素直じゃないですね。あいつも姫様のことが心配で仕方ないくせに、心配なのかって聞くとこの国の将来を憂いてるだけだとか言うんですよ」
「……それは本音かもね」
そんなことないですよ、とロベルトは楽しそうに笑う。そのルーマにはない快活さが気になって、ユウは彼と話し込む体勢に入った。
「ねえ、ルーマとは何で知り合ったの?どうやって友達になったの?」
「ええー?聞きますか、それ」
「聞く聞く。興味あるもん」
身を乗り出すと、ロベルトはちょっと遠くを見るような目をした。
「初めて会ったのは俺が入団した時だから……十五の時かな?十年前です」
「私より古い付き合いなのね」
「妬かないで下さいよ」
「妬いてないよ。彼、どんなだった?」
「ピリピリしてて近づき難かったですよ。今よりだいぶ。この世のすべてが憎いって顔してましたね」
ロベルトの答えに、ユウはちょっと驚いた。計算が正しければ、ロベルトと出会った二年後にルーマはユウと出会うのだが、当時彼がそこまで荒んでいた印象はない。
それを言うと、ロベルトは頷いた。
「そうですね。それから一年ぐらいでちょっと落ち着いた気がします。姫様とお知り合いになってからは、ますます丸くなりましたし」
「丸くなったにしては口が悪かったけどね」
「それも否定はしませんけど。でも一時期の荒み様からすれば随分と落ち着きましたよ。あれは何だったのかなあ」
「それってルーマがいくつの時?というか、彼今いくつなの?」
「あれ、姫様もご存知ないないんですね。じゃあきっと誰も知らないですよ、あいつの歳。俺と……私と同じぐらいかと思うんですけどね」
「そうなんだ……」
一度、ルーマに歳を聞いたことがある。その時は軽く流されたが、その時彼はどこか痛いような顔をした。幼心に聞いてはいけないことを聞いた気がして、それ以来その話題は避けてきた。歳がいくつでも、ルーマはルーマだったから。
「ところで姫様、顔が青いですけどどこか具合でも?」
突然ロベルトに気遣わしげに言われ、ユウはぽかんとした。
「え?平気よ」
「本当ですか?」
「うん。何だろ。コルセットがきつくて血がまわってないのかなぁ」
腹部から腰回りを気にするユウをロベルトは心配そうに見つめる。
「天候も不安定ですから、体調を崩されたのでは……」
大丈夫だよ、と手を振って安心させたが、その数日後にユウは食堂でひっくり返った。