記されなかった歴史
歴史書を閉じたユウは、座っていた岩から立ち上がった。そろそろ日も暮れる。家畜を小屋に入れてやって、夕食の支度をしなければ。
本を小脇に抱えて家の方に戻ると、既に放牧していた家畜は小屋のなかにいて、家の煙突からは煙が出ていた。あれ、と思って家に戻る。
「姉様、お帰りなさい。もう少しで捜索隊が出るところでしたわ」
リアがくすくす笑いながら出迎えてくれた。
「ごめん、本が止まらなくて。リア、帰ってたんだ。ごめん、いろいろやって貰って」
「いいえ、私も今帰って来たところです。いろいろやったのは兄様」
リアの視線の先には、暖炉の前のソファで寝そべっているルーマがいた。
「うそっ。牛と山羊の世話も?暖炉に火を入れたのも?」
彼は読んでいた本からこちらへ視線を移した。
「悪い?」
「まさか!びっくりしただけ。ありがとう」
「びっくりしただけって言うのにひっかかりを覚えるんだけど?……あ、そういえば明日ロベルトが来るって言ってたよ」
ルーマがソファから起き上がった。
「そうなの?久しぶりだね」
リアが台所で振り向いた。
「兄様か姉様にご用事でしょうか」
「リアに会いに来るんじゃないの?」
「えっ!?」
「僕もそう思ったけど……」
「もう!からかわないで下さい!」
「からかってないよ」
ルーマとユウの声が重なる。リアは真っ赤になって階段を駆けのぼっていってしまった。
「赤くなっちゃって」
「あんまり首突っ込まないようにね。……それ読んでたの?」
ルーマが顎でユウの持つ歴史書を示した。ユウは笑いながら彼の隣に座り、パラパラページをめくってみせた。
「どんなこと書いてるのかなあって思って。だいぶ違うこと書いてたけど」
「そりゃそうだろ」
ルーマの手が歴史書をひょいと受け取り、その手がふとユウの指にはまる指環に触れた。もう何の魔力も持っていない指環を、ユウはずっと大事にしている。
あの日、ユウはフェルディと共に遺跡の外まで飛ばされた。そこへちょうど、リアを支えたロベルトが出てきた。彼は目を見開き「ユウ、何でここに……?」と絶句した。
「ルーマに飛ばされた……」
そう答え、ユウは再び遺跡のなかへ向かおうとした。その手をロベルトが掴む。
「はなして。私、ルーマのところに行く!絶対死なせない!」
「……俺も行く」
ロベルトが頷く。
フェルディがユウにならび、リアに声をかけた。
「リアさん、力を貸して頂けませんか。空間転移を使うには、私の魔力じゃ足りないので」
「ですが……ルーマ様の言いつけに……」
「大丈夫。あいつ、天の邪鬼だから。来るなって言いながら、実は来て欲しかったりするんだよ」
ロベルトに明るく言われ、リアは躊躇いがちに頷いた。彼女の肩に手を触れ、フェルディが詠唱を始める。あたりが光と風に包まれる。
間に合いますように。
目を閉じて祈る。そして再び目を開けた時、そこには先客がいた。
「カトリ様!」
フェルディが驚いて声をあげる。彼女は振り向いた。傍らのバルトも。二人のすぐ近くにルーマが横たわっている。
「カトリ、何でここに?」
「宝珠がなくなっても、ルーマ殿が消えずに済む方法を探したのです。私が宿に残ったのは、これを作っていたから……」
彼女は掌に小さな球体の何かを載せている。
「魔力の結晶です。宝珠のかわりにこれを核にして、ルーマ殿を生かせるのではないかと思いました。ですが……魔力の波動が違うみたいで……」
「私の魔力だったら?宝珠は私の魔力を吸収していたんだから、私のだったら……」
答えたのはリアだった。
「宝珠は、あなたの力を吸収し、それを独自に変換していました。ですから、変換したあとの魔力ではないと……」
ユウはルーマの傍らに膝をついた。手に触れると、ひんやり冷たくて鳩尾に重いものが落ちてくる。
ルーマの顔が涙で滲んだ。ぽたぽたと地面に滴が落ちる。
「……今、彼はフェルディ殿のかけた魔術を打ち消す術によってこの状態を保っています。早くしないと、このまま消えてしまう……」
カトリが悔しそうに呟く。
ユウは、彼の手をぎゅっと握り、目を閉じて嗚咽を堪えた。
ロベルトとフェルディが両隣に来て肩を抱いてくれる。その温もりで少しだけで慰められた。
目を開けると、視界に自分の手が入ってきた。自分の指にはまった、それも。
ーー これ、魔力を使えば僕と連絡がとれるから。君の魔力でも使えるけど、念のため僕の魔力もためてある。
「カトリ、リア……これ、この指環にルーマの魔力が入ってるの!」
「え?」
リアが目を見開いた。
「この魔力で何とかならない?」
ユウが指環を抜き取るなり、カトリとリアが揃って詠唱を始めた。
神様、お願いします。
ルーマを返して下さい。
連れて行かないで下さい。
ルーマがいてくれたら、私もう何も要らないから。
握っていたルーマの手がぴくりと動いた。瞼も微かに痙攣している。
「ルーマ!」
「大丈夫のようですわ」
リアがほっとしたようにユウを見た。
先ほどとは比べ物にならないぐらいの涙が溢れてくる。
「良かったですね、ユウ」
微笑んだカトリに泣きながらすがりつくと、彼女は優しく背中を撫でてくれた。ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でたのは、黙って状況を見守っていたバルトだった。
それからユウはみんなと一緒に、ルーマがリアに用意したランバルド都市同盟の端ーーアストレアとの国境付近ーーにある家へ向かった。
ルーマが目を覚ましたのは、その家に着いた次の日で、最初は自分が生きているのか死んでいるのかもわからず、彼にしては珍しくぽかんとしていた。
泣いてすがるユウを宥めながら、リアから話を聞いたルーマは、複雑な表情でユウの髪を撫でた。
「君のやることは単純なくせに、いつも僕の予想を超えるね……」
そう言うと、感情が振り切れたようにユウの身体を抱き寄せた。
「…………僕は君の傍にいていいの?」
耳元で囁いた声は、初めて聞く不安そうな声だった。
それを打ち消すように、彼に力いっぱい抱きついた。
「いいとか悪いとかじゃない。傍にいて。ずっと一緒にいて。もうどこにも行かないで」
ユウにまわした腕に力をこめ、ルーマが小さく笑った。
「わがままに育てちゃったな」
身体を離したルーマは、魔力のなくなった指環をもう一度はめてくれた。それからユウの頬を両手で包み、そっと唇を重ねた。
「何?重いんだけど」
ルーマがパラパラ歴史書をめくりながら、もたれかかったユウに文句を言った。それに答えずその姿勢でいると、彼の腕が腰を抱いた。もう片方の手が頬に添えられ、そっと唇が重ねられる。
「……不思議だな。……僕の身体は作り物のはずなのに、君といるとそれを忘れる」
「私も、ルーマといると自分が王族だったってこと忘れちゃうよ」
「君はもともとあんまり王族らしくなかっただろ。ああ、でもわがままっぷりはお姫様かな……」
「私がわがままを言うのはルーマにだけだよ」
そう言うと、ルーマは微笑んで僅かに空いていた唇の隙間を埋めた。
彼がユウに体重をかけた時、階上でバタバタと足音が聞こえた。普段ならしないその音に、ユウもルーマも動きを止めて階段の方を見る。
足音がまたして、リアが姿を見せた。何着かのワンピースを抱えている。
「姉様、兄様、明日何を着たら良いかしら」
ルーマは苦笑いを浮かべて身体を起こした。ユウも笑って起き上がる。
「リアは何でも似合うから大丈夫。あとは髪の先をカールさせて、この前彼に貰ったネックレスをつけたら完璧。今から試してみる?」
「ええ」
リアは頬を赤くして、階段をあがっていく。
ルーマが不満げに唸った。
「僕はお腹がすいたんだけど?」
「リアの支度が終わったら。それまで待ってて」
そう言って彼に口付けると、彼の眉間のしわは一本減った。それを確認し、リアのために二階へあがる。この日常があることに、心の底から感謝しながら。




