聞きたかった声
身体からどんどん力が抜けていく。
それを感じながら、ルーマは青い空を見上げた。
やっと終わる。
これで解放できる。
ユウーー……。
思い返せば、意外と悪くない人生だった。
この身を呪ったことも、作られたことを恨んだこともあった。まわりの人間がすべて憎かった時期もあった。
ユウに魔術を教えるよう言われた時は、面倒だと思った。しかし、反抗するのも煩わしく、適当にあしらうことにした。いつもの調子で接すれば、泣いて離れていくと思った。ところが、実際のユウは予想を大きく裏切った。まったく姫らしくないし、嫌みを言えば言い返す。挙げ句の果てに、ルーマをお茶に誘った。一度など、彼女の父に向かって彼女は頭がおかしいのかと言ってしまったほどである。
嫌みを言っても、適当にあしらっても、ユウはルーマから離れなかった。それどころか、どんどんルーマになついてきた。
気がつくと、ユウが傍にいることが当たり前になっていた。
そしてさらに気がつくと、ユウの笑顔を見るたびに凝り固まっていた憎しみや恨みや呪いが少しずつなくなっていた。まるで、春になって雪が溶けていくように。それは、嫌なものではなかった。気持ちのいいものだった。
もともと宝珠で結界を作ることには反対だった。宝珠についてよくわかっていないことは、宝珠から作られた自分が一番よくわかっている。だから何度も進言した。
そして視察に行った時、社人から秘密裏に話を聞き、本当のことを知った。宝珠は魔力の塊で自ら魔力を生成することはできないため、魔力が足りなくなると他人のーー現在はユウのーー魔力を吸収していることを。そして最後には、彼女の生命力まで奪ってしまうことを。
自分が存在しているが故に、一番大切な人の命が危なくなる。こんな皮肉があるだろうか。事実を知った時は、驚愕や失望を通り越して笑いたくなった。
もちろん、最初は行動を起こすか否か迷った。王都に帰ってから、何か良い方法はないか必死に探した。しかし、何も見つからなかった。
その間、ユウは何度も部屋を訪ねてきた。いつものようににこにこ笑いながら。
コーヒーを飲んだ。他愛もない話をした。
そうしているうちに迷いは消えた。ぐずぐずしているうちに、ユウに何かあっては遅い。それに、ルーマが魔術を使うことを拒否したり、変な態度をとったりすると、下手をすればルーマは殺され、宝珠から別の魔術師が創られるかもしれない。そうすると、その魔術師によってユウの力は吸収されてしまうかもしれない。
それは嫌だ。
城を出る前の日、ばれたら怒られることをした。夜中にユウの部屋へ行ったのだ。彼女はよく眠っていて、無垢な寝顔は昔から変わっていなかった。この寝顔も、今日で見納めだ。
毛布をかけ直してやり、髪をはらって額にそっと口づけた。
いつまでも眺めていたかったが、そうすると触れたくなる。離したくなくなる。決心が鈍る。
そんな気持ちがわき上がる自分に、思わず苦笑した。
僕は人形だ。人形のくせに、何を葛藤している?
わき上がる感情を抑えつけ、踵を返した。そしてそのまま、城を出た。
宝珠を壊すためには力が必要だった。宝珠が発動する防護の術とそれを壊す術を使うことで、宝珠と自らの魔力が減り、ユウに何かあっては困る。そう思っていた時、リアと出会った。彼女にはすべて話した。そのうえで、契約を結んだ。ことが成ったあかつきには、彼女に平穏な生活を約束する。そのかわり、それまでは駒となって動いて欲しいと。
強大な魔力ゆえに、孤独で暗い道を歩んできたのだろう。彼女にとって、自分は絶対の存在で拠り所のようだった。彼女は、ルーマが死ねば一緒に死んでしまうような危うさを持っていた。だから、彼女にも現れればいいと思った。ルーマにとってのユウのように、一緒に死ぬのではなく一緒に生きていきたいと思える存在が。もう自分は、ユウと生きていくことはできないけれど。
ユウは、自分がいなくなったら泣くだろう。その時は、ロベルトとフェルディがいてくれる。
悲しみから立ち直ったら、また前を向いて生きていく。自分のいない世界で。誰かと肩を並べて生きていく。自分の手の届かないところで。
それでもいいと思ったはずなのに。彼女が笑顔で生きていけるなら、傍にいなくてもいいと思ったはずなのに。
ユウーー……。
「ルーマ!!」
そうだ。その声が、もう一度聞きたかったんだ。
ゆっくり振り返ると、肩で息をするユウがフェルディと並んで立っていた。
「よくここがわかったね」
「わかるよ。ルーマの行動パターンも案外単純だから」
昔言ったような台詞をそのまま返され、ルーマは口元に笑みを浮かべた。
フェルディが詠唱を始めている。宝珠を壊す術を打ち消そうとしているようだ。
「フェルディ、もう無駄だからやめたら」
「諦めません。やれることをやるんです。姫様にそう教わりました」
フェルディが歯を食いしばって答える。
膝から力が抜けた。
ユウが弾かれたように駆け寄り、膝をついたルーマを抱き止める。思わずその身体を抱き締めると、ユウも背中に手をまわしてきた。
「ごめん。辛い思いをさせた」
ユウはルーマの肩に顔を埋めたまま、首を横に振った。
「私のためにしてくれたんでしょ」
「結局は自分のためだよ」
ユウが顔をあげた。
「お願い。やめて。一緒にいて。いかないで」
そっとその頬に手を添える。
「これでいいんだ。君はもう僕がいなくても平気だから、大丈夫」
「勝手に決めないで!ルーマがいなきゃダメ。ルーマがいなきゃ生きていけない!」
こんな時なのに、悪戯心が疼いた。
「どうして?」
そう聞くと、ユウは涙目できゅっと睨んできた。
「ルーマが好きだから。知ってるくせに」
口角をあげ、ユウの額に軽く口づける。
そろそろだ。
そっとユウの身体をはなし、残りほとんどなくなった魔力を使いきる覚悟で詠唱をする。
気づいたフェルディが怒鳴った。
「兵団長、やめて下さい!」
「フェルディ、君は良い部下だったよ。ロベルトにもよろしく伝えて。お姫様のこと、頼んだよ」
ユウがはっとしてルーマを見た。何が起きているのかわかったのかもしれない。
彼女の顔を見て、微笑んだ。
「ユウ、幸せになって。君の笑った顔、好きだったよ」
ユウの目が見開かれた。
そして、彼女はフェルディと一緒に目の前から消えた。ルーマが使った空間転移によって。
力をすべて使いきったルーマは、そのまま地面に倒れこんだ。もうまもなく、宝珠が壊れて自分は消える。
空が青かった。
その空に、白い昼の月が浮かんでいた。




