あの日をとりもどすために
「いい加減機嫌直せば?人の部屋まで来て不機嫌ばらまくのやめてくれる?」
ルーマが署名していた書類から顔をあげ、ソファで持ち込んだブランケットにくるまっているユウを見た。
「だって、縁談なんて聞いてない。父上のバカ」
「それはもう十二回聞いた。他の台詞はないの」
「黙って話を進めるなんて卑怯だよ」
「その台詞は七回目」
「横暴だわ」
「五回目。君、語彙力少ないんじゃない?」
癇癪を起こして、クッションをソファに叩きつける。
「一番腹立つのは、ルーマだよ!」
「何で僕?」
「ルーマ、兄上から聞いて知ってたんでしょ!それなのに、何も言ってくれなかったもん」
「言っても仕方ないだろ。本決まりの話じゃなかったし。別に今も決まったわけじゃないんでしょ」
「決まっちゃったらどうするの!」
「どうもしない」
「ルーマのバカ!」
ブランケットをソファに放り出し、ユウは立ち上がった。ルーマは何も言わない。そのままユウが部屋を出ても、何も言わなかった。
屋上で冷たい風に吹かれていると、少しだけ気持ちが落ち着いた。気に食わなかったのは、縁談のことだけではない。それを知ったルーマが、反対するどころか平然としていたことである。要は、ルーマに止めて欲しかったのだ。あわよくば、嫉妬したルーマを見たかった。今ならそれがわかるが、当時十五歳だったユウはそこまでの自己分析に至らなかった。ただ、ルーマに八つ当たりしてしまったな、というほろ苦い思いだけ。
「ユウ」
後ろから声がして、驚いて振り返る。そこには腕組みをしたルーマがいた。
「何でここがわかったの?」
驚いて訊くと、彼は呆れたようにため息をついた。
「君は自分の語彙力の少なさと、行動パターンの単純さを自覚した方がいい。拗ねた君が行くのは、たいてい僕の部屋か屋上だろ」
「単純ですみませんね」
そう言うと、彼は軽く肩をすくめてみせた。
「探す場所が限られてて助かるよ」
思わず笑ってしまった。ルーマも僅かに口角をあげ、ユウの隣に来た。
「さっき、ごめんなさい。八つ当たりした」
「八つ当たり、ねぇ」
ルーマは苦笑して、柵にもたれて空を見上げる。
「僕、君の子守りは特殊任務だと思ってやってたんだよね」
いきなりショックな発言をされたので、何事かと思った。何も言えないうちに、ルーマは話を続ける。
「それがいつの間にか、日常になった。君の相手をするの、意外と楽しくてさ」
ルーマの表情はよくわからなかった。
「だから正直、君が嫁に行くのは変な感じがする。でも、いつまでも子どもじゃいられない。君は一応お姫様だしね。見えないけど」
感動的な台詞を自分で台無しにして、ルーマはこちらを向いた。意地悪げな顔をしているかと思いきや、真剣な顔だったのでびっくりしてしまう。ついでに心臓も飛び跳ねた。
「僕は、君がバカみたいに笑って元気でいるならそれでいい」
ルーマはそう言って、にやりと笑った。
「でも、にやにやしすぎてだらしない顔にならないでよ」
ユウはきりりと表情を引き締め、ルーマのお腹に軽くパンチした。
それを避けずに受けてくれたルーマは、いつもより柔らかく笑っていた。
目の前で、カトリとバルトが睨み合いをしている。カトリは眉をつりあげ、バルトは眉をひそめていた。
「ではバルトは、このまま私に皇都へ帰れと仰るのね。人でなしの冷徹人間ですわ」
「違うって言ってんだろ。このままぐいぐいアストレアの中に入っていいのかって聞いてんだよ」
「ばれないように致します」
「ばればれだから止めてるんだよ、俺は!」
「そうでしょうか……?では」
カトリが長い髪をまとめ、バルトの剣に手を伸ばす。彼は慌てて身をひいた。
「待て、それはやめろ」
「あなたがばればれだと仰るから、変装をしようとしているのです」
「髪を切るのはなしだ」
二人の喧嘩を見物しながらパンケーキを切っていると、ロベルトとフェルディが左右から顔を寄せてきた。
「何なのこれ。痴話喧嘩か?」
「バルト殿も素直じゃないですよねぇ。心配だと言えばいいのに」
「それを言うならカトリも鈍いよね」
笑っていると、カトリがため息をついた。
「あれもダメこれもダメ、お母様より厳しいですわね。こういうのを小舅と言うのでしょう?」
突然話をふられ、三人は飛び上がる。フェルディがにこにこと笑って答えた。
「というより、心配性のお父さんですね」
「誰がだ!」
バルトに怒鳴りつけられ、フェルディは肩をすくめた。
一行は、王都近くにある「聖地」に向かうことになっていた。宝珠が発掘された遺跡である。ルーマがそこへ向かう確証はなかったが、他に何のあてもなかったからだ。
王都近くまで行くにあたり、カトリはついて来る気満々だったが、バルトが難色を示した。もしアストレア軍に見つかると面倒なことになると言う。端から見ると、彼はカトリのことを心配して言っているのがわかるのだが、カトリにはそれが伝わっていないようだった。先ほどは「それならバルトは先にシルヴィアに戻ればいいのです」と言い放ち、バルトのこめかみがぴくりと痙攣していた。
面白いのは、カトリがバルトに命令しないことだった。彼女は彼の主なのだから、彼女が「黙ってついてきなさい」と言えば彼は言うことを聞くーーかもしれない。しかしカトリは、喧嘩ごしにはなってもそういう命令はしなかった。
ユウが二枚目のパンケーキを食べ終わるころ、ようやくバルトが折れた。
「好きにしろ!だが目立つなよ。あと、変なことに首を突っ込むな。好奇心で動くこともやめろ。ふらふらするな。俺の目……手が届く範囲にいろ。わかったか?」
「承知致しましたわ、お父様」
「ふざけんな!」
もはや劇場である。だが、笑えばバルトは確実に怒る。隣で肩を揺らすロベルトを小突き、ユウは最後の一切れをたいらげた。
馬で移動をするとだいぶ時間がかかるので、またフェルディとバルトの魔力を総動員し、空間転移を三回に分けて使い移動した。最後の移動で王都の隣町に行き、そこから遺跡までは馬である。
隣町に着いたのは夕方だった。ユウやカトリは目立つとまずいので、フェルディが記帳している間ユウは宿の入り口近くにいた。手持ちぶさたに掲示物を眺めていると、宿の扉が開いた。すみません、と言って道をあけようとしたユウは、相手の顔を見て唖然とした。えっ、と思わず声をあげてしまう。その声に反応したロベルトとフェルディが目を見開き、次の瞬間にはユウの腕を引いて後ろに庇った。
彼らの肩ごしに、ユウは男の顔を見つめた。
「兄上……」
セオドアは肩をすくめ、妹の前に立ち塞がる二人を見た。
「フェルディ、ロベルト。おまえたち、広義では俺の部下だろう」
「はい。ですが、今俺が守るべきは姫様です」
「私も同じです」
セオドアは困ったように眉をひそめた。
「俺がユウに危害を及ぼすとでも?」
「私たちはもう宝珠の件を知っています。陛下がすべてご存知だということも」
「そうか……」
セオドアは眉をひそめたまま、ユウに視線を戻した。
「……いつか言わなければいけないと思っていた」
「兄上の立場は理解しています」
「変に物わかりよくならないでくれ。立場がない。父上から結界と宝珠の話を聞いて、それから結界を維持するべきか否かをずっと悩み続けて、俺には結論が出せないままずるずる来た。その間にルーマは結論を出しやがったけどな」
ユウはロベルトとフェルディを宥め、セオドアの前に立った。
「兄上、ルーマが宝珠から作られたっていうのは本当?」
「……もうそこまで知っているのか。ルーマを作ったのは父上だ。今年で二十七年目になる。おまえの十歳上だな」
思ったよりも年上だった。二十歳そこそこにしか見えないのに。
「……私、ルーマを止める」
「おまえならそう言うと思った。だが、それは遠からずおまえが死ぬということだ」
「そうすれば、次に呪いが向かうのは兄上ですね」
ユウの言動にも睨んだ目にも、セオドアは怯まなかった。
「そうだな。それは俺も怖い。おまえが死ぬのも嫌だ。都合がいいようだが、結界を作ることができなくなった以上、ルーマに本懐を遂げさせる方がいい」
かっと頭に血がのぼり、思わず右手を振り上げた。それをロベルトが後ろから掴む。はっとして手をおろし、セオドアに向き直る。
「……兄上、私を止めないで頂けますか。兄上と争いたくはありません」
「…………そうだね。俺にはおまえに黙っていた負い目もあるし。おまえの好きにしてみたらいいよ」
セオドアがユウの後ろを顎で示した。
「おまえを止めると言って、おまえの騎士たちと争いたくないしな」
「ありがとうございます」
頭を下げると、セオドアは宿の奥へ目をやった。視線の先は、バルトの背中に庇われるカトリだ。
「シルヴィア皇国のカトリ様とお見受け致します」
ばれた、とユウは身体を緊張させた。
カトリはバルトの影から出、丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりにございます。ご挨拶もなくお邪魔してしまい、申し訳ありません」
「構いません。妹が面倒に巻き込んでしまったようで、申し訳ない」
「いいえ。こちらが勝手に首を突っ込んだのです。友人として、ユウ様を応援したくて」
「……あまり、お父上にご心配をおかけしてはいけませんよ」
カトリはにっこり笑って頷いた。
それにほっとして、兄に向き直る。
「兄上、まさか一人で来たんですか?」
「まさか。外に騎士を待たせている」
「そうですか……。じゃあ、明日早いので……」
ユウはそろそろと兄から離れる。ロベルトとフェルディもセオドアに一礼した。
宿の階段をのぼろうとした時、セオドアがユウを呼んだ。
「……城にルーマを連れて戻って来なさい。待ってるよ」
ユウはにっこり微笑んだ。
「ありがとう、兄上」
ユウが二階にあがるのを見届け、セオドアは出ていこうとする。それをカトリが呼び止めた。




