奥州伊達の裏勢力
Intermission
翌日麻美は千菊の服と下着を買いに行ったが、なんだが酷いショックを受けて帰って来た。下宿に帰って来た麻美は、新九郎の部屋にやってくると、悄然とした表情で言った。
「千菊ちゃんってあんなに小柄なのにGカップだった」
新九郎は麻美の言っている意味が分からず聞き返した。
「なんだGカップって?」
「ブラジャーのサイズの事だよ」
「麻美、お前いきなりなんの話だ?」
新九郎は麻美のもの言いにビックリして聞き返す。
「あのね、ボクのブラはBかCカップなんだ。つまり下から二番目か三番目なの。Bカップだとだね、してもしなくてもあんまり影響が無いんだけど、千菊ちゃんは違う。新九郎も見ただろう?千菊ちゃんの胸。ボクがオッパイ揺らしても、新九郎を誘惑したりはできないよね?悔しいよ、千菊ちゃんって、あんなに可愛いのに、ボクより胸が5段階大きいってことなんだよ。しかもアンダーバストが小さ過ぎるからブラも特注した方が良いって…」
麻美は目に涙を浮かべて訴えた。
新九郎はやれやれと首を振る。麻美はこの貧乳コンプレックスだけが玉に瑕だ。
ここはなんとか慰めなくてはと思ってしまう。
「その、なんていうんだ、ほらお前の胸はあれだ、美乳と言うやつなんじゃないか?」
「微乳って、新九郎までそんな酷い事いうんだ?」
麻美は綺麗な青い瞳を潤ませ、本気で抗議してくる。上背に似合わぬ可愛い仕草で新九郎の胸をポカポカ叩く。現実には麻美の腕力は半端ではないので、叩かれている新九郎の方は本気で痛いし、息が止まりそうになったりする。新九郎はむせながら言い返す。
「ゲホ、ちょっと待て、なんか勘違いしてるんじゃないか?俺はお前の乳くらいがちょうどいい大きさだと思って、美乳っていったんだが?」
「どうせ、ボクの胸なんか微乳だよ。千菊ちゃんに比べたら、無いも同然だと言うんだろう?でも微乳は酷いじゃないか!僕だって、全く胸がない訳じゃないのに」
「いや?なんかおかしいぞ、俺は褒めてるつもりなんだが?」
「え?新九郎ってオッパイ小さい方が好きなの?」
「いや、小さいのが好きっていうより、麻美のくらいがちょうどいいというか、綺麗だから美乳といったんだが?」
「え?もしかして、美しいオッパイと言う意味で美乳って言ってくれたの?」
「あ?ああ、最初からそう言ったつもりだが?」
「ごめん、ボクは微かなオッパイで微乳だとおもってた~」
「あほか、いくら俺でも麻美の乳が微かだなんておもっとらんわ」
「あはは、ごめ~ん、新九郎。ほら、お詫びにボクの胸触ってもいいよ」
麻美は新九郎の右手をとって、無造作に自分の左胸に導く。
「いや、拙者はそんなつもりで言ったわけではござらん」
新九郎はそうは言ったが、拒否できなかった。
思わず麻美の胸に触れてしまう。
麻美の胸は柔らかかった。
こいつ、相変わらずブラジャーしてないじゃないか。
「どうだい?僕の胸、触り心地はいいだろう」
聞かれて新九郎は、言葉もなく固まってしまった。でも麻美の胸からは手を放せない。
本当だ、こいつ、なんて柔らかい気持ち良い胸をしているんだ。
「新九郎、また話し方が千菊ちゃんみたいになってるよ」
「………」
「これ、お主ら、そこで何を乳繰り合っておるか?」
振り返ると、千菊が例によって、西瓜のような胸の下に腕を組んで立っていた。
「ああ、麻美が相手では、乳繰り合う乳もないか?ククク」
「ひどい、千菊ちゃんまで、ボクを微乳だっていうの?」
麻美はまた泣き出しそうな顔になる。いや多分泣くふりをしているだけだ。新九郎は相手にならずに様子見を決め込む事にした。麻美と千菊がやり合っていれば、とりあえず新九郎に実害が及ぶ心配はないと考えたのだ。
黒脛巾組、千菊を取り戻そうとする
千菊が下宿に押しかけてきた翌週、新九郎の携帯端末が着信を告げた。非通知ではないが、今まで受信したことのない電話番号だ。新九郎はとりあえず電話にでてみた。
「はい、もしもし?」
地の底から響いて来るような陰鬱な声が聞こえてきた。
「浅井新九郎義友殿か?わが姫は息災でござるか?」
「誰だ?あんたは」
「黒脛巾組の黒川と申す」
「くろはばきぐみ?何だそれは」
「伊達の手の者でござる」
慇懃無礼な口のきき方に新九郎の態度が硬化した。こうなってしまうと、ガキ大将だった頃と大差ない態度しかとれなくなってしまう。
「ふうん、千菊にも言ったんだが、できればお前さんも標準語で話してくれないか?」
「はて、標準語とな?」
「俺は中学からこっち、ずっと東京で暮らしている。あんたたちに分かるかな?つまり俺は江戸定府の勤番侍の息子みたいなもんだ。だからお前さんのような古くさい言葉遣いだとよく分からん」
「なるほど、それでは、この様な言い方ならよろしいか?」
「まあ、さっきよりはましだな」
「それで、我らが五郎八姫は息災でござるか?」
「ごろはちひめ?誰だそれは」
相手の慇懃無礼な態度に対して新九郎は既に喧嘩腰になりかけていた。
「我らにとっての千菊お嬢様は、五郎八姫と申す」
「おいおい、あいつはあんななりでも女の子だぞ。なんで男みたいな名前で呼ぶんだ」
「五郎八姫というのが、黒脛巾組を率いる姫の名前なのじゃ」
「ふうん、まあ、あの姫様には似合いの名前かもな」
「それで五郎八姫様はご健在なりや?」
「まあな、毎食、飯を五杯も平らげていたから、胃袋は健康なようだ。だが、両親を含め、家族全員を震災で亡くしたのだぞ。気を張って気丈に振る舞っているだけだろう」
「ふむ、それはいたし方あるまい」
「それで何の用だ」
「近々、五郎八姫をお迎えに伺いたい」
「何だと?」
「五郎八姫は我らがお守りいたす」
「何をいまさら。お前ら、今までどこで何をしていやがった?」
「五郎八姫を捜しておった」
「じゃあ、なぜ、お千はずっと独りで避難所暮らしだったんだ?」
「それは、五郎八姫が我らから身を隠しておられたからだ」
「身内なのに避けていたって事か?どういう訳だ」
「五郎八姫はこの震災を機に、我らと手を切ろうとなされたのじゃ」
「すまん、話が全く見えないんだが」
「見えなくて結構」
「ふざけるな。お千は親が勝手に決めた縁とは言え、俺を頼って独りで仙台から東京まで来たんだぞ。それを今更お前の様な正体の分からない怪しげな奴に引き渡せるものか」
「ふむ、では聞こう。五郎八姫がお主のところに留まる事になったのはなぜじゃ?」
「お千がここにいる理由か?」
「ご両親もご兄弟もご家来衆も全て震災で亡くなられた。仙台の家も流された。家があった土地は区画整理でもう住めない。だから身を寄せる当てがない、おそらくは、そういう話だったのであろう?」
「ああ、そのとおりだ」
「おかしいとは思わなんだのか?」
「おかしい?」
「五郎八姫とお主の縁談を決めたのは、お主の御両親と伊達のご当主であろう?」
「直接は聞いていないが、そういう話の様だな」
「では浅井の家と伊達の家格は釣り合うであろうの」
「そりゃ、まあそうだろう」
「そこまで分かっていながら、お主はおかしいとは思わなんだか?これは笑止」
電話の向こうで失笑する気配に新九郎はとうとう切れそうになった。
「何がおかしい?」
「浅井の資産と伊達の資産はどちらが上じゃと思う」
「伊達、だろうな」
「そのとおりだ。伊達の家は浅井のような古いだけの家ではない。先の徳川の御世には百万石のお家柄ぞ。その後も代々殖産につとめておる」
「ふむ、だから?」
「仙台の家屋敷が流れようが、そこに住めなくなろうが、五郎八姫がお主に頼らなければ生きていけないなどと言うのは戯言だということさ」
「なるほど、戯れ言か」
「五郎八姫は、伊達の資産を取り仕切って来た我らの組織と手を切ろうとなさっておる」
「組織だと?」
「おう、我ら黒脛巾組とその一党よ」
「お千が俺を頼ってきた事自体が、そのための狂言だと言うのか?」
「そのとおり」
「なるほどなあ」
「いかがであろう?五郎八姫を返してくださるか?」
「ふん、それこそお断りだ」
「なぜじゃ?」
「考えてもみろ、お千は、お前ら伊達の組織が温存しているであろう、莫大な資産を捨ててでも、お前らと縁を切ろうとしたんだぞ」
「ふうむ」
「身体一つで、危険も省みず、俺を頼って来た」
「それでお主は侠気を出して、五郎八姫を庇うと申されるのか」
「そのとおりだ。俺はお千の意志を優先したいからな」
「では、五郎八姫と夫婦になると申すか?そうであれば我らも異存はない。お主と五郎八姫のお子のひとりが我らの頭首となるだけじゃからな」
「ちょっと待て、俺は千菊を娶るかどうかなんて考えた事もないぞ。そもそも、それとこれとは別問題だろうが」
「ではお主は五郎八姫を迷惑に思っておるのだな?」
「ああ、見ず知らずの、それもまだ高校生の小娘に押しかけ女房にこられて迷惑に思わねえ奴はいねえだろう」
「では、邪魔だと放り出せば良いではないか」
「そうはいくか」
「浅井の若殿よ、新九郎と申したな」
「ああ」
「道理の分からぬ若殿じゃな」
「道理が分からんのはお前らのほうだろう」
「なぜ、邪魔にしておきながら、五郎八姫を庇おうとするのじゃ?」
「別にお千自身が邪魔な訳じゃない。俺は親の決めた縁談、お前らのような旧弊な輩に、お千が翻弄されるのが可哀想だと言っているんだ」
「なぜ、それほど五郎八姫の自由意志に固執なさる?」
「俺自身が同じ事で悩んできたからさ。今も悩んでいる。その張本人がお千なんだ。だからお千が望むなら、俺がお千をそういうしがらみから自由にしてやりたい」
「なんとも子供じみた正義感じゃのう。よかろう、浅井新九郎どの、後悔めさるなよ」
捨て台詞を残し、暗い声の主、黒川と名乗る男はそのまま通話を切った。新九郎は舌打ちをして携帯を睨みつけた。
新九郎襲われる
黒川の電話を受けてからというものの、新九郎は二度にわたり襲撃を受けることになった。
一度目は電話の翌日の夕方だった。大学からの帰り道でいきなり闇討ちを受けたのだ。
日本刀を持った小柄な刺客が、駐車場への道の途中にある路地に潜んでいた。
新九郎が通り過ぎると、大上段に振りかぶった日本刀が背後から襲ってきた。
新九郎は殺気を感じた瞬間、とっさに前に転がって太刀筋をかわした。
日本刀は空を切り、マンホールの蓋にぶつかり火花を散らした。
新九郎は全力疾走して逃げ出し、クルマに駈けこんで急発進させた。
しかしヘッドライトに浮かび上がっていた賊の影は、近づく間もなく消え失せていた。
二度目は麻美と昼食を食べに出た帰りに銃撃を受けた。
賊は大学の向かいの歩道を歩いていた新九郎を、斜め上のビルから消音機付きの銃器で狙撃してきたのだ。
飛来する弾丸ではいくら新九郎でも避けようがなかったろう。
だがこの時は、一緒にいた麻美が守ってくれた。
彼女は軽くなんどかジャンプしながら、新九郎の斜め上から飛来した五発の弾丸を、事もあろうに次々と掴みとって見せたのだ。新九郎は最初麻美が何をやったのか、すぐには分からなかった。だが五発目の弾丸が麻美の左手の人差指と親指の間に捉えられ、しばらく高速で回転しているのが見えた。麻美の指先の肉が焦げる嫌な匂いがした。
「麻美!それは一体なんだ?」
麻美は新九郎の問いには答えず、右手で掴み取った弾丸を、無造作に飛んで来た方向に投げ返した。マンションのテラスでライフルの弾倉を入れ替えていた狙撃者は、麻美が投げ返した弾丸でライフルを破壊されて逃げ出した。麻美が投げ返した弾丸の一発はマンションの窓ガラスを粉々に砕き、テラスのコンクリートに大きなヒビを入れてしまった。
「化け物めが!」
それが、逃げ出す前に賊が発した唯一の言葉だった。
麻美は賊が逃げたのを確認すると、新九郎を振り返ってちょっと頬を膨らませてみせた。
「化け物って言い方は無いよね。いきなり鉄砲で撃って来た癖に」
麻美は腰に手を当て、賊が逃げ出した辺りを睨み、珍しく怒気を含んだ口ぶりで言った。
「あ、麻美、お前今何をやった?まさか弾丸を掴み取ったのか?」
新九郎はやっとくぐもった発砲音が自分を狙撃してきた銃声だと気付いた。さらに目にもとまらぬ動きで、次々と弾丸を掴み取って見せた麻美に度肝を抜かれていた。
「うん?隠れて鉄砲で撃ってきたから、弾を掴んで投げ返してやっただけだよ」
麻美は投げ返さずにいた鉄砲の弾を新九郎に見せてくれた。
「いや、投げ返してやっただけだよって?一体どうやって、そんな事が」
「あ、ああ、そうか、弾を手掴みにしたのはまずかったね。警察が来るといけないから逃げようか?」
「あ?え?いや、なんで俺たちが逃げるんだ」
「うん、ボクが新九郎を庇って代わりに撃たれれば良かったんだけど…」
「いや、待てよ、それこそ良くはないだろ?そんな事って」
「うん、でもさ、ボクは銀の弾丸でもない限り、鉄砲で撃たれたくらいでは死にはしないから」
「ううん」
新九郎はそれ以上麻美と話していると、神経がおかしくなりそうな気分だった。彼は麻美に手を引かれるままに、道路を渡って逃げ出した。
「新九郎、今の狙撃って、新九郎を狙ったものだよね」
駈けながら麻美が聞いてくる。
「もしかして、千菊ちゃんの関係者かな」
「ああ、たぶんな」
新九郎は麻美の勘の良さにも驚いたが、彼女が全く冷静なままなのにも驚いていた。




