新九郎の許婚現る!
麻美が新九郎の下宿に引っ越してきて何週間か経った土曜日の朝、麻美がいつもより遅い朝食を摂ろうと廊下を渡ってくると、今まで鳴った事がない下宿の共用電話が鳴っているのに気づいた。慌てて走りより受話器を取って応対する。
「もしもし?」
そういえば、この下宿って、なんていう屋号なんだろう?
電話の向こうは中年男性のようだった。なんだか怒ったような口調で話し始める。
「もしもし京極さんか?いったいあんたは、いつまでわしを待たせるつもりなんだ」
「申し訳ありません、どちら様ですか?」
「ああ?京極さんじゃないのか?わしは赤尾と言う。あんたは誰だ?」
「赤尾さん、初めまして、こちらはトキトウといいます。下宿人です」
「下宿人?そんな話は聞いとらんぞ」
「ええと、先日海北の小父様に許可をいただいて越して来たばかりです」
「海北が?また勝手なことをしでかしおって。ああ、あんたじゃ分からん、京極さんを出してくれ」
「京極さん?すいません、そういう方はいませんが」
「いないわけはないだろう?そこの管理人の京極瑞江さんだ」
「ああ、おかみさんの事ですか。おかみさん、京極って名字なんだ」
でもおかみさん、どこにいるんだろう?
そこに、あくびをかみ殺しながら、新九郎が通りかかった。
受話器を持って、困ったような表情を浮かべる麻美に聞く。
「どうした?麻美」
「あ、おはよう。新九郎、ええと、赤尾さんという人からおかみさんに電話なんだけど」
「赤尾が?まったくあの野暮天、おかみは今時分朝風呂だろう。どれ俺が変わろう」
新九郎は気軽に受話器を受け取る。
「赤尾か?俺だ、どうしたこんな朝早く、今日は土曜日だぜ」
「し、新九郎さま?申し訳ございません、まだお休みでしたか?」
「いや、ちょうど起きてきたところだ」
「そうですか?それは、それは、あの、申し訳ございません、京極さんに取り付いていただけませんでしょうか?」
「おかみ?おかみは今時分朝風呂だろう。昨日の晩は海北さんが来ていたから」
「全く新九郎さまがいらっしゃるというのに、あの女にも困ったものだ。では申し訳ございませんが、折り返し電話をくれるように言っていただけますか?」
「ああ、わかった。ところで赤尾、いつも苦労をかけてすまないな」
「と、とんでもございません。私めは浅井家の家令でございますから」
「まあ、大学もあと少しだから卒業まではよろしく頼む。うまくすると嫁さんも連れて帰れるかも知れん」
「は?今なんとおっしゃいました?」
「ああ嫁だよ、俺の嫁さんのことだ」
新九郎は麻美にウインクする。麻美はあっけにとられたような顔で新九郎を見返してくる。
「よ、嫁さんって?新九郎さま、もしかして、もうお千様、もとい、千菊お嬢様とお会いになったので?」
「せんぎく?なんだそりゃ」
「え、あの今、ご内儀が決まるかもとおっしゃいましたので」
「ああ、それはさっき電話を取ってくれた麻美のことだ」
「ちょっと待ってください。新九郎さま、麻美様というのはいったいどこのどなたでございます?」
「麻美か?驚くなよ、鴇島家のご令嬢様だぜ」
令嬢と聞いて、麻美が目を見開き、手をブンブン振って見せる。
それを見て新九郎は嘆息した。全くこいつは、そういう認識が未だにないのか?養女とは言え、あの家屋敷に住んでいたんだ。鴇島家の御令嬢でも十分通るだろう。
「鴇島?ちょっと待ってくださいよ。ええ鴇島家と申しますのは、あの渋谷の鴇島ですか?」
「ああ、さすがに赤尾も知っているか」
新九郎は電話で話しながら、麻美にオーケーとサインを出して見せる。
「そりゃあ、鴇島といえば、明治になってからの成り上がりとは言え、資産数兆円とも言われる家ですし」
「ほう、そこまで知っているなら話は早い。麻美はそこの娘だ。今はこの下宿で一緒に暮らしている」
「い、一緒にって、その麻美さまというのは、一体どこのどなたのご紹介で?」
「俺が紹介した」
「はあ?俺がって、新九郎さまご自身が?」
「ああ、俺が海北の小父さんに紹介して、この頃は日本画のモデルもやっているんだぜ」
「ちょっと待ってください。どうにも話が見えて来ませんのですが」
「まあ、そう気に病むな。今度長浜にも連れて帰るから」
「ですから、お待ちくださいと申しますのに。そもそも新九郎さまには、千菊さまというご両親が決められた御許婚がいらっしゃるのに、なぜ、いきなり鴇島のお嬢様がそこにでてくるのです?」
「だから麻美は俺が見つけた女だ。ちょっと待て、お千だか千菊だが知らんが、許婚だと?そんな話、俺は何も聞いとらんぞ」
「聞いとらんぞって、おっしゃっても、浅井のご両親が伊達家との婚姻を進めていらしたのですが、御存じないのですか?」
「伊達家?奥州の伊達か?」
新九郎は寝耳に水の話だったが、思い当たる節はあった。両親の仙台旅行の目的を思い出したのだ。両親は新九郎の花嫁候補を探すために、仙台の伊達家を訪ねて、そこで震災に合った。ということは震災前にすでに話し合いが進んでいたのか?
その時玄関の呼び鈴が鳴った。
「赤尾、悪いな、今度は来客のようだ。おかみには電話するように言っておく。その許婚の件は、そちらから断っておいてくれるか?」
「新九郎さま、それはかないませんです」
「なぜだ、まだ話し合いの途中だったのだろう?」
「はい、ご両親の話し合いはまだ終わってはおりませなんだ。ですが」
「ですが、なんだ?」
「お千さま、もとい、千菊さまが滅法乗り気で、昨日の晩にそちらに向かうとおっしゃって」
「なんだって?なぜそれを先に言わん?それじゃあ」
麻美は来客を放ってもおけず、玄関に向かった。
土曜の朝なので、引き戸はまだ施錠したままだった。
「はあい、どちらさまですか?」
解錠し格子戸をガラガラと開けると、可愛らしい少女が一人で立っていた。
麻美は相手を足元から順に見上げていった。
少女は、濃紺のハイソックスにくたびれたコインローファーを履き、どこかの学校の制服らしいチェックのフレアスカートを穿き、白いブラウスの上にエンブレムのついた深緑のブレザーコートを着ていた。少女も無言で長身の麻美を見上げてきた。少女の左肩には通学用だろうか、使い込まれた布製のバッグがあった。
少女は栗色がかった長い髪をストレートのまま肩に垂らした中学生くらいの女の子だった。小顔で整った顔立ちだが、身長は麻美の胸くらいしかない。スカートから伸びた脚はほっそりしているが、なんだか上半身だけ妙に太って見える。
あ、違う、この子、中学生くらいに見えるけど、すごく胸が大きいんだ。大きめのブレザーコートの中で少女の胸がブラウスを高々と突き上げているのを見て麻美はドキドキした。胸についてコンプレックスがある麻美はそう言う事には敏感なのだ。
「お初にお眼にかかる。これは奥州の伊達家の末女、千菊と申す。そなたが京極瑞江殿か?」
少女はその大きな胸に右手を当て、時代がかった重々しい口調で自己紹介した。
しっかりした話しぶりだが、ひどく疲れた様子だ。いったいどうしたのだろう?
「いいえボクはトキトウ麻美といいます。初めまして千菊ちゃん。おかみさんは今お風呂だそうです」
「ほう、京極殿は女だてらに朝風呂とな。伊達なおなごよのう」
可愛い外観にそぐわない、妙に重々しい時代がかった口調だった。
ただし、その声はアニメの声優かなにかのように可愛い。
奥から、電話を切り上げた新九郎が出て来た。
「麻美?もしかしてお千と言うのはそいつか?」
「うぬ、無礼者!伊達家末女に対して、そいつ呼ばわりとは何事じゃ」
「あ、だめだよ。この子、本物のお姫様みたいだ」
麻美が慌ててとりなそうとするが、新九郎は動じない。
「おひいさまって?麻美のボク少女にやっと慣れたと思ったら、今度はお姫様キャラかよ」
新九郎は上がり框に腰掛け、苦笑しながら言った。
「何がお姫様キャラじゃ。無礼者!御主こそ名を名乗れ!」
「俺か?浅井新九郎義友だ」
「なんと、御主が浅井の新九郎殿か?」
少女の態度がいきなり変わった。
「ああ」
新九郎は迷惑そうに首肯する。
「おお、噂にたがわぬ美形じゃ、千はうれしく思うぞ」
うれしく思うぞじゃねえだろ、まったく。
大家の子女っていうのは、麻美と言いい、こいつといい、なんでこういう変なのばかりなんだ?
ここまで外観としゃべりのギャップが大きいと、それだけでもう相手をする気が失せる。
何が深窓の令嬢だ。たんなる世間知らずの変人ばかりじゃないか。
こうなるとボク少女の麻美ですら、ごく普通の女に思えてくるから不思議だ。
「これは失礼いたした。わらわは奥州伊達家の末女、千菊と申す。以後は千とお呼びくだされ」
「お千だか、千菊だか知らないが、今赤尾から電話であんたの事を聞いたばかりだ。だが俺は両親からは何も聞かされていない。あんたを嫁にもらうつもりもない。悪いが帰ってくれないか?」
「なんと、すげない、新九郎殿に嫌われたら、わらわは誰を頼ればいいのじゃ」
新九郎を見上げた千菊の目から、いきなり大粒の涙がこぼれはじめた。
「あん?どういう意味だ」
新九郎は口調こそ変えなかったが、内心の動揺は隠しようも無かった。
やっぱり女の涙は苦手なのだ。
「グ~~」
その時、千菊の腹が豪快に鳴った。
「千菊ちゃん、もしかしておなかすいているの?」
麻美が気を利かせて尋ねる。
「うむ、昨日の晩から何も食しておらぬ」
千菊は涙を拭いながら下を向いて答えた。さすがに恥ずかしいのか頬を赤らめている。
三和土に大粒の涙がいくつも丸い染みを作っていく。
「じゃあ、朝ごはんを食べにおいでよ。ほら、新九郎も朝ご飯まだだろう?」
「飯って?この状況をほったらかして朝飯なんて食えるか」
「おなかが空いていると、どうしても怒りっぽくなるだろう?」
麻美は新九郎が無理に作った怒りの表情などまるで気にかける様子もない。
こいつって、こんなに強気を通せるような女だったのか。新九郎は意外に思った。
「しょうがないな。じゃあ、とりあえず飯でも食いながら話を聞くか」
「そうしよう。ボクがお給仕するからさ」
麻美はにっこり笑って見せると、千菊の手をとり、さりげなく下宿の食堂に案内する。
新九郎も融通は利く方だが、こう言う事態になると麻美の方が慣れているようだ。
初めて会ったばかりの千菊をすぐに受け入れてしまっている。
麻美にとって千菊は新九郎をめぐるライバルとなる相手なのかも知れないのに。
実は千菊は立っているだけでやっとと言うくらい空腹で、その上疲労困憊していた。
麻美は養護院にいた時も、鴇島の屋敷にいた時も、保護されたばかりの子供たちに出会い、何度もその世話を焼いてきた。千菊は涙を見せながらもまだ気丈に振る舞っていたが、目の下には酷い隈があり、洗髪もブラッシングも出来なかったようなゴワゴワの髪をしていた。唇はひび割れ、頬はカサカサに乾いている。長い時間、空腹と緊張に晒され、ろくに睡眠も取っていないに違いない。
鈍い新九郎は、千菊のそう言う悲惨な状態には気づいていないようだ。
千菊姫
茶碗に山盛りのご飯と味噌汁に、炙った紅鮭の切り身とお新香という簡素な朝食を、千菊はむさぼるように食べた。話をする余裕など全くない。さらにご飯を何杯もお代わりする。
生卵を割ってかけ、海苔を載せ、梅干をしゃぶってひたすらご飯を食べ続ける。
新九郎はその様子を見ながら嘆息していた。
一体この小娘のどこがお姫様だ?
ただの飢えた餓鬼じゃないか。
五杯もご飯をおかわりして、千菊はやっと人心地ついたようだった。
麻美はさりげなく千菊に声をかける。
「じゃあ、千菊ちゃん、疲れているかもしれないけど、お風呂にでも入ろうか?僕が背中を流してあげるから」
「うむ、御主、若いのによく気がつくの。では湯殿に案内せい」
「はい、じゃあ、ボクにつかまって」
「おい、麻美、さっきから一体どうしたんだ?そんな餓鬼に付きっ切りで」
新九郎はそんな麻美の態度に軽い嫉妬心を覚え始めていた。
「新九郎、気づいていないのかい?」
麻美にきつい目つきで言われてしまう。飛び切りの美人顔で睨まれると、女に弱い新九郎は妥協せざるを得ない。
「うん?どうしたんだ」
新九郎は折れざると得ない。
「ごめん、新九郎、後で説明するよ」
千菊は麻美に手を引かれて湯殿に向かう。そういえば、何も着替えを持っていかなかった。おかみに何か着替えを用意するように頼んでおこう。そう思って新九郎は湯殿に向かいかけてやめた。麻美はともかく、千菊に覗き疑惑でもかけられたらやっかいだ。
居間で瑞江さんを待つことにする。
母屋の居間で待っていると瑞江さんが帰ってきた。湯上りに襟を抜いた浴衣姿が相変わらず色っぽい。
「ああ、新九郎さん、どうされたんです?また新しいお嬢さんを連れ込んだりして」
いきなり嫌みを言われてしまった。
さすがに、小学生みたいな千菊を気にかけた様子はないようだが、実のところはどうだろう。
「勘弁してくれ。俺はあんな餓鬼を連れ込んだ覚えはないよ」
「おや?じゃあ、さっきのお嬢さんは一体どちら様で?」
「さっき赤尾から電話があった。あとで折り返してくれ。あの娘は伊達千菊と言って、俺の許婚だそうだ」
「お許婚?おやまあ。麻美さんの次は伊達の御姫さまですか。新九郎さんは本当に艶福な若様だこと。それにしても、いつの間にそんなお話が?」
瑞江さんは許嫁と聞いてちょっと驚いた表情で新九郎を見たが、そのまま長火鉢の横に女座りで落ちついてしまった。麻美と言う正妻候補だけでなく、自分と言う妾候補までいるのに、その上許嫁の登場をどうするつもりなのか、興味深げに新九郎の話を聞く風情だ。
「俺の両親が震災の直前に仙台の伊達と話をしていたらしい。俺は何も聞かされていないんだが、今朝いきなり本人がやってきやがった」
「まあ、ご両親がお決めになった御許嫁ですか?でもずいぶんお小さい方でござんすね」
「小さい?幼い、の間違いだろう」
「いいえ、さっき湯殿でご挨拶したときに拝見しましたけど、もう立派な娘さんですよ」
「りっぱな娘さんって?あのタッパでか?麻美の胸くらいしかないじゃないか」
「いいえ、胸の方は麻美さんよりご立派でしたよ。こう、釣鐘のように張り出した立派なお乳をお持ちで。歳のころ十六・七ってとこでござんしょう」
おかみは恥ずかしげもなく千菊の胸の様子を自分の手で描写して見せる。
「あのなりでそんな歳なのか?あの小娘」
「全くそんな事をおっしゃって、新九郎さんと麻美さんの背が高すぎるんですよ。お二人とも六尺近いんですから。あの娘さんだって、あれで五尺はありますよ」
「五尺って百五十センチかよ?小学生の身長だろ?それって。まあそう言う話は後でいいや。とりあえず、麻美と千菊の着替えを出してやってくれ」
「はいはい、まったく、新九郎さんのところには、次から次へと女子衆の出入りが絶えませんねえ。本当に艶福な若様だこと」
「はいは、一回でいいんだろう?おかみ」
「はあい。フフフ」
瑞江さんは艶っぽく笑うと、箪笥から浴衣と帯を二揃い出してきて湯殿に戻った。
新九郎は自分から赤尾に電話をかけて見ることにした。ともかく、この異常事態を早く掌握してしまいたい。
赤尾弁護士は、呼び出し音一回で電話に出てくれた。
「赤尾か?俺だ。千菊っていうのが、さっき来たぞ。ありゃ一体なんだ?まさか小学生じゃあるまいな」
「とんでない、もう立派な娘さんでございますよ。そりゃ新九郎様から見れば背は少しお小さいかもしれませんが、お身体の方は、もうそれはそれは…」
「赤尾、お前もお千は胸がでかいと言いたいのか?」
「は?なにかおっしゃいましたか?」
赤尾が電話の向こうで何か言い淀むのを聞いて新九郎はまた溜め息を吐く。
「いや、いい、それで?」
「千菊さまは仙台の女子高に通われていたのですが、このたびの震災で…」
「震災か、千菊の家も被害にあったのか?」
「はい、千菊さまのお屋敷は七北田川沿いでしたので、跡形もなく」
「津波でやられたか。家族は?」
「学校に行っていらした千菊さまを除いて、未だにどなたも見つかっておりません」
「なんてこった」
思わず新九郎は自分の額を鷲掴みにした。
千菊は俺と同じく震災で両親を亡くしているのか。
しかも千菊の場合は両親のみならず家屋敷から他の家族まで失っているらしい。
「それに千菊さまのお宅があった地域は、再開発の際に、強制的に移転対象となることが決まった地域だそうで」
「それじゃあ、あのお千という娘は、今まで一人きりで暮らしてきたのか?」
あの小学生みたいななりで天涯孤独か。その上頼みの綱の婚約者にすげなくされたのだ。それは凹みもするだろう。同情心から、新九郎は知らないうちに涙声になってしまう。
そんな風に他人の不幸に涙もろいところも、新九郎は大家の若様そのものだ。
「はい、昨日まで被災者用の仮設住宅にお一人でいらしたのですが、私がお会いしてご両親のご遺志をお伝えすると、すぐにでも新九郎さまに会いにいくとおっしゃって」
「おいおい、それじゃ、赤尾がお千を炊きつけたようなものじゃないか」
「面目ございません。ただ、伊達のご親戚衆も今は皆様避難先で凌がれている有様でして、千菊さまも心細いやら、肩身の狭い思いをされるやらで、大変だったのでございましょう」
「それじゃあいつ、一体どうやってここまで来たんだろう?」
「さあ、それが、私めが昨日伺ったときは、日々の暮らしにもお困りのご様子でしたし」
「ああ、とりあえず状況は分かった」
「では、ご両親様のご遺志どおりに、千菊さまをお嫁御様にお迎えくださると?」
「とりあえずそいつは後回しだ」
「そんな、それでは千菊さまがあまりにも」
「赤尾、相手はまだ女子高生だぜ。それも、ひとつ間違えば小学生に間違われかねないようなお子様だ。そんな子供をいきなり嫁にといわれてもどうしようもあるまい。それに今は麻美もいるし」
「では、千菊さまは、どうなさるおつもりで?」
「とりあえず、こっちで転校先でも見つけて学校に通わせるところからだな」
「お住まいはどうなさいます?」
「おいおい、ここは下宿屋だぜ、部屋はいくらでもある」
「なるほど、では、ご遺言のことは別として、千菊さまの当面のお世話は、新九郎さまにお任せしてよろしいでしょうか?」
「ああ、俺は男だから、何ができるでもないが、麻美がもう甲斐甲斐しく世話を焼いているよ。今は飯を食わせて風呂に入れている。おかみもいるから、しばらくは大丈夫だろう」
「それはなによりでございます。ほかに何か、こちらでできることはございますか?」
「とりあえずは金だな。お千の下宿代に学校の入学金に学費、衣装料、食費、あとは小遣い銭か、とりあえず二百万もあれば足りるだろう。取引のある都市銀にお千の名義で口座を作っておいてくれ。金の補充は使った金額分をその都度足せばいいだろう。それと転校に必要な書類一式もすぐ送ってくれ。あとはそうだな、伊達家の家名を維持するのにどのくらいかかるか、ご親戚衆とやらにもそれとなく当たってみてくれ。これも縁というやつだろう。そちらへの手当ても忘れんようにな」
「分かりました。相変わらずの御明察、適切なるご指示を賜り、恐悦至極でございます。この赤尾、御下命どおり誠心誠意勤めさせていただきます」
「ああ、じゃあ、よろしくたのむ」
相変わらず堅苦しい爺さんだ。新九郎はすぐ思いつく範囲で、千菊とその親戚一同に対する対処を赤尾に伝えると、次はおかみに下宿の相談をすることにした。
ちょうど、麻美とおかみが千菊を連れて湯殿から帰ってきたところだった。ただし千菊は麻美にお姫様抱っこされた状態でぐったりしている。
「新九郎、千菊ちゃん、昨日の晩に東北道からヒッチハイクしてここまで来たんだって」
「それであんなに飢えていたのか?」
「それだけじゃないよ。ここまで乗せてくれたトラックの運転手が、千菊ちゃんのおっぱいを横目でじろじろ見てくるんで、昨晩は怖くて一睡もできなかったんだって」
「やれやれ、そのタッパで、その胸かよ。全く無駄ボインだな」
新九郎は麻美に抱かれていても、はっきりと盛り上がりが分かる浴衣の胸を見てため息を吐いた。
そりゃ、そんなチビが、そんな馬鹿でかい胸をしていたら、どんな男でも気になるだろうよ。
新九郎は千菊が無事に下宿にたどり着いた事から、逆に千菊を載せた運転手の方にに同情を覚えてしまった。
「無駄ボインってなんだい?」
麻美が変なところに食いついてくる。
「彼氏もいないのに、つまり見せる男も、触らせる相手もいないのに、お千みたいに無駄に胸がでかい女のことだよ。ちなみに麻美みたいのは無駄美人かもな?」
「うう、新九郎ひどいや、やっぱり千菊ちゃんみたいに、胸が大きい子が好みなんだね」
麻美は無駄美人と言われた事はスルーしたくせに、変なところに絡んでくる。
「おいおい、冗談はよせ。俺はそういう偏った趣味は無いよ」
「ボクも千菊ちゃんみたいな胸ならよかった」
新九郎は、麻美の態度に妙なわざとらしさを感じた。こいつ、俺の興味が千菊に向いたせいで、わざとこんな態度をとっているのか?意外に子供っぽいところもある奴だな。だが、それはそれで可愛い女の嫉妬とも取れる。と言うより、まるでさっきの俺じゃないか。
「麻美、とりあえずそういう話は後回しだ。それより千菊のことだが、ほかになにか聞いたか?」
「ううん、髪を洗っているうちにうつらうつらし始めたんで、何も聞いていない。溺れるといけないから、お風呂はボクが抱いていれた。浴衣はおかみさんに一緒に着せてもらった」
「じゃあ、おかみと二人で、となりに布団を延べてくれ」
「はいはい、とりあえずお嬢様を寝かしてから、お話を伺うことにいたしましょう」
瑞江さんはこう言う事態にも動じた様子がない。麻美も普通に対処している。泡食って慌てふためいているのは新九郎独りのようだった。我ながら情けない。
「じゃあ、千菊ちゃん、見ていてくれる?」
新九郎は無言で頷き、眠ったままの千菊の身体を受け取った。
軽い、まるで子供の体重だ。
麻美とおかみは、てきぱきと隣室に夜具をのべてくれた。布団が敷けるまで、新九郎は千菊の小さな身体を自分の胡坐の上に寝かせておいた。
確かにチビの癖に、妙にでかい胸だ。思わず浴衣の合わせの間からのぞく、深々とした胸の谷間に目がいってしまう。谷間と言うより白くて丸い肉塊が左右からせめぎ合っている感じだ。こういう幼児体型の美少女に巨乳って、そういうのが趣味の奴には垂涎ものなんだろうな、そんな風に思わせる迫力が千菊の胸にはある。
それにしても風呂上りだというのに、香でも使っていたのだろうか?甘くいい匂いが漂ってくる。名前のとおり、たくさんの菊の花が香るような艶かしい匂いだ。
まずい、これはまた今晩おかみに夜伽でもしてもらわないといかんのじゃないか?
そんな危ない想像をしながら千菊の寝顔を眺めていると、隣室との境から、腰に手を当てた麻美がこちらを見下ろしているのに気づいた。
「新九郎?だめだよ、安心して寝ている女の子にエロい妄想なんかしてちゃ」
「ちょっと待て。してねえよ、妄想なんか。俺はロリコンじゃねえもん」
新九郎はわざと乱暴に言い返したが、麻美の言葉に動揺を覚えたのも確かだった。
クスクス笑いを堪える麻美に手伝ってもらい、スヤスヤ眠る千菊の身体を夜具にそっと横たえた。千菊は疲れ切っていたらしく、全く目を覚ます気配がない。
新九郎は襖を閉め、赤尾綱近から聞いた話をおかみと麻美に順を追って説明した。二人は神妙な様子で聞いていたが、下宿の話になるとおかみのほうが首を捻った。
「だから、仙台の伊達が、なんとか家を盛り返すまでになって、お千が新しい屋敷で暮らせるようになるまででいいんだ。おかみ、それまでお千をここにおいてやってもいいだろう?」
「でも、新九郎さん、千菊さんは新九郎さんのお嫁さんになることだけを心の支えに、一人でここまでやって来たんですよ。それを棚上げにして、下宿だけさせておいてもいいもんですかねえ」
「ボクは別に構わないよ。千菊ちゃん可愛いし、ボクは年下の子の面倒みるのにも慣れてるし」
麻美は孤児院暮らしの経験からか、そう気軽に言ってくれた。確かに麻美が千菊を扱う手際は子育てに慣れた母親か年上の姉みたいだった。麻美に任せておけば、当面は問題無い様にも思える。だがおかみの言うとおり千菊の気持ちも考慮しなくてはならないだろう。
「分かった、とりあえず、お千が自分から起きてきて、普通に話せるようになったら、もう一度相談することにしよう。
「ええ、こちらで勝手に決めちまうより、そのほうがようございましょう」
「ボクもそれでいいよ、なんだったら、鴇島の家に頼んでもいいし」
「お千のほうを鴇島の家に住まわせるというのか?」
「うん、鴇島の家も、ずいぶん震災孤児を受け入れているし、養子縁組が決まるまで、たくさんの子供を預かっていたこともあるんだよ」
「そうか、なるほど、その手もあるな」
新九郎はビクトリア朝の貴族の屋敷のように、たくさんの部屋が並ぶ鴇島の広壮な屋敷を思い出していた。そういえば麻美がこっちに来てしまったから、あのアールデコ調の瀟洒な別棟も空いているのではないか?いずれにしても、伊達の娘なら、あっちの方が好みだろう。麻美にとっても、俺にとっても、そのほうが好都合かもしれない。
千菊、新九郎を誘惑する
新九郎は千菊の移り香が身体にまとわりついているようで妙に気になった。名前からの思い込みかもしれないが、やはり千菊の体臭は馥郁たる菊の香りに似ている気がした。それで自分も朝風呂を使ってさっぱりしようと思った。例によって烏の行水で風呂から上がり自分の寝室に戻ると、あきれたことに千菊本人がベッドの上にいた。浴衣のままチョコンと正座して新九郎を待っていた様だ。
さっきの疲れきった寝顔は演技だったのか?
「新九郎殿、面倒をかけて相すまぬ」
千菊はベッドの上で三つ指ついて深々と頭を下げた。
「お千、お前寝てたんじゃなかったのかよ?まあ、今回のことはいいよ。俺も言い過ぎた」
「そうはいかん。わらわも新九郎殿の嫁になる身じゃ。本来なら仲人を立ててから伺うのが筋であったろう」
「だから、その話については、俺はなにも聞かされていないんだってば」
「そんなことはあるまい。赤尾殿は存じておったぞ」
「赤尾が?」
「うむ」
「いずれにしても、俺は見ず知らずの、それもお千みたいな子供から、いきなり嫁にしろと言われて、はい、そうですか、と受け入れるほど人間ができちゃいない」
「これ、新九郎殿、それなら安心するがよい、わらわはもう子供ではないぞよ」
「どういう意味だ」
「成人はまだじゃが、ちゃんと月の物もあるし、法的にも結婚できる年齢に達しておる」
「ふざけるな。そんななりで、結婚なんてできる訳ないだろ」
「それでは、これならどうじゃ?新九郎殿」
千菊はベッドの上で膝立ちになり、帯をほどき浴衣の前をはだけ、両の手で自分の胸を持ち上げながら言う。
「殿方は、オナゴのこういう姿に惹かれるのであろう?」
生でみる千菊の胸はすごい迫力だった。胸の谷間どころではない。まるで大人の女のでかい尻が、小さな千菊の胸にくっついているようにさえ見える。千菊は自分の胸が男にどう見えるかよく分かっている様だった。巧妙に乳房を揺らし、持ち上げ、握り締め、そのたびに悩ましげな声まで上げ、新九郎に自分のもっとも魅力的な部分を見せ付け様とする。
小学生みたいなほっそりした少女の身体に、成熟仕切った女の乳房がついている様は、一種異様な迫力があった。だが、幸か不幸か新九郎の嗜好には合わない。
「いや、悪いけど、そういうの、俺の趣味じゃないから」
新九郎は食い入るように千菊の胸を見ていたくせに、急に視線をそらして言う。
「なんと、真か?新九郎殿はかように大きな乳は好みではないのか?」
「む、胸がでかいのは嫌いじゃねえけど、お前のは行きすぎだ。アンバランスなんだよ」
「あんばらんすとな?」
千菊は整った顔立ちで、それなりに可愛らしいが、顔の輪郭からして幼女のような童顔だ。眼が大きい割りに口元はちんまりしていて、まるで博多人形の様に見える。身長はおかみの見立てで五尺くらいというから百五十センチくらいしかないのだろう。その小学校高学年くらいの身体に、異様にでかい胸だけが目立つ。まるでロリコン変態アニメの主人公のようだ。
それに千菊自身の体臭なのだろう。たくさんの菊が薫るような、甘く重い香りが新九郎の寝間にも満ちてくる。
新九郎は自分の中に異様な衝動が湧き起こるのを感じていた。
やばい、これ以上こいつと二人きりでいると、その気がないのに、なにかしでかしてしまいそうだ。
「お前のその面と上背を考えろ。まるでロリコンアニメの主人公じゃないか」
新九郎はわざと口にだしてののしることで、千菊を牽制しようとした。
「ろりこんあにめとな?ふむ、新九郎殿はそういうのがお好みか」
千菊はベッドの上に正座して腕を組み、小首をかしげる。ただしは腕が短いのか、胸が大き過ぎるのか、腕組みは乳房の下だった。意図しているのかいないのか、腕で乳房を持ち上げる様になり、とんでもない姿になってしまっている。巨大な胸に湯上りの栗色の髪が垂れかかり、そこだけ見れば扇情的なことこの上ない。
「なんで、お前がしゃべると、なんでも平仮名に聞こえるんだ?というか、その時代がかった話し方も止めてくれ、お千は自分ではいいと思っているんだろうが、俺は、お前みたいな子供っぽい女も、古臭い話し方をする女もだめなんだ。学芸会で子供が時代劇をやっている様にしか聞こえないぜ」
「では、こういうのはどうじゃ」
「うん?」
「千菊、新九郎兄様にそんな風に言われると悲しくなっちゃう」
プロのアニメ声優みたいな可愛い声色でそういい、千菊は拳を顔の横で可愛く握って身悶えて見せた。その動きに連れ、また巨大な胸がタフタフと揺れる。
演技だと分かっていても、新九郎は心臓を鷲掴みにされたような気分になった。
「やめろ!俺には妹属性も近親相姦願望もねえ」
「新九郎は、ほんに困った殿方じゃのう。では、どういうのが好みなのじゃ?もしかして、麻美のようにツルペタのボク少女が好みなのか?」
「なんだと?」
「新九郎?ボクのおっぱい嫌いなのかい?ボクはかなしいな」
あきれたことに、今度は麻美そっくりなアルトの声音と口調でそう言ってみせた。
こいつ、一体どういう奴なんだ?まるで本物の声優みたいだ。
「ふざけるな!ボクなんて名乗る女は麻美だけで十分だ。お千は一体何をどうしたいんだ」
「言ったでしょう。あたしはあなたのお嫁さんになりに来たの」
今度は、年齢相応の声で幼い色気を滲ませつつそう言った。
だが、あまりに声の質が可愛らしすぎるのでそのセリフには背徳的な匂いがする。
「それも止めてくれ、それならさっきの時代劇みたいなしゃべりのほうがまだましだ。そもそもお千は何のためにここに来たんだ?」
「何のため?」
「そうだ、お千は親が勝手に決めた縁談に疑問を持ったりしないのか?」
「疑問?なぜそなたと夫婦になることに疑問を持つ?むしろ新九郎殿に伺いたい。奥州の伊達との婚儀は浅井の家にとって、望むべきものではないのか?」
「悪い、少なくとも、今の俺はそういうのは望んでいない。それより、その浴衣をなんとかしろ」
千菊はさっきから新九郎のベッドに正座して、乳房の下に細い腕を組んだ姿勢のままで話し続けていた。千菊が何か言うたびに青白く見える巨大な双球が浴衣の合わせ目でフルフルと震え、新九郎は眼のやり場に困ってしまう。
「新九郎?入るよ」
廊下に面した引き戸の向こうから麻美の声がする。
「あ、麻美か?」
「うん、千菊ちゃん、いなくなっちゃんたんだけど、こっちに来てない?」
麻美は新九郎が制止する間もなく、寝室の襖を開けてしまった。
「あれ?うわっ!千菊ちゃん?新九郎?一体そこで何してるの?」
麻美は後ずさり、今にも逃げ出しそうな様子を見せる。
「なんでもない、おいこら、何もしてないって、麻美!待て!逃げるな」
「逃げるなって、ボク、お邪魔じゃない?」
「お邪魔じゃない、お邪魔じゃない!いいから入って来てくれ!」
「う、うん、いいのかい?」
麻美は素直に寝室に入り、襖を閉める。
千菊はあからさまに嫌な顔をしたが、新九郎は麻美の登場で救われた思いだった。
「麻美、この際だ、千菊の前でお前と俺の関係をはっきりさせておこう」
「うん、いいよ、ボクは新九郎の三号さん候補だ」
「ちょっと待て、なんだ三号さんって」
「ええと、おかみさんが二号さんになる予定だっていうから、ボクはその次で三号さん!」
麻美は明るい声でそう宣言する。
「お前、一体どういうつもりだ、それは?」
「うむうむ」
千菊がわが意を得たりと、得意顔でうなずく。それに連れて、またでかい胸がタフタフ揺れる。麻美もその胸に眼を奪われた様だ。
「さっきもお風呂で思ったけど、本当にすごいね、そのオッパイ。一体どうやったら、そんなに大きくなるの?」
麻美はため息混じりに聞く。本気で羨ましそうだ。
「ほれ、新九郎、麻美の方がよほどわきまえておるではないか」
「わきまえておるって、いったいなんの事だ」
「三号というのは、二番目の室、つまりは側室のことであろう?」
「ちょっと待て、俺たちはまだ、そんなこと何も決めてないぞ」
「だが、この家のおかみ、瑞江殿が二号、最初の側室だと麻美も申しておるぞ」
「いや、それは…」
新九郎は瑞江さんのことについては否定できない。彼女とはすでに肉体関係があるし、本来の旦那である海北さんからも、暗に妾でも良いから、と後事を託されているからだ。つまり瑞江さんの二号さんはほぼ確定している。彼は両親の厳しいしつけのせいで、たとえ色事のようなことであっても、既成事実については嘘をつけない性格なのだ。
「つまり、おぬしは、すでに二人の側室を設けてはおるが、正妻の座はまだ定まっておらぬということじゃろう?それなら伊達の末女であるわらわを迎えれば、そなたの正室にぴったりではないか」
「ぴったりって言われても、いや、それは、なんか、違うだろう」
新九郎は慌てて否定するが、そういわれると反駁の仕方を思いつけない。
「違う?なにが違うのじゃ」
「新九郎?千菊ちゃんの言うとおりだと思うよ。僕は別に三号でもいいんだけど」
麻美は麻美でそんな事を真顔で言ったりする。
「麻美、悪い、話がややこしくなるから、お前はちょっと黙っていてくれ」
「新九郎、よい、近こうまいれ。これも亡くなった先代のお導きであろう」
千菊は尊大な口振りのまま、あごを引き上目遣いに新九郎を見つめて艶やかに微笑んだ。
大きな瞳の中に、強い光が灯った様に見えた。
また重く甘い菊の香りが満ちてくる。
麻美も同じ香りを嗅いだのか、一瞬息を呑む気配がした。
千菊が放った蠱惑に女ながらに魅かれそうになったらしい。
新九郎はもっと深刻な状態だった。ふらふらとベッドの上に膝立ちになった千菊に近づく。
千菊は腕組みを解き、細い腕を伸ばして新九郎を抱き寄せようとする。
新九郎も男らしいごつい腕を伸ばした。
だが二人の指先が触れ合う直前に千菊はベッドの上で崩れ落ちた。
そのまま新九郎の腕の中に倒れこむ。
新九郎に寄りかかるように倒れた千菊は、新九郎の左の二の腕に顎をのせて、すぐに寝息を立て始めた。どうやら、激しい睡魔と闘いながら、やっとのことで新九郎と渡り合っていたらしい。
よくみると、伏せられた長い睫毛の下に、ひどい隈ができている。
半裸の美少女の身体を抱き上げながら、新九郎はため息をつき麻美を振り返った。
麻美はすばやく千菊の浴衣の乱れを直し、新九郎のベッドの上掛けの下に千菊の小さな身体を滑り込ませた。その様子は、子供の世話をする若い母のようでも、あるいは幼い妹を寝かしつける姉のようでもあった。いずれにしても、今の新九郎にとって、一番頼りになる女は麻美に違いない。
その麻美は新九郎を振り返り、なんともいえない微妙な笑顔を向けてきた。
麻美自身も、さっき千菊が放った蠱惑に惹かれてしまった事に戸惑っている様子だった。
新九郎は肩をすくめると、麻美を促して自分の寝室からでた。千菊も、さすがにもう一度起きだして悪戯をする体力はないはずだ。だが彼女の一途な求愛を回避するには、しばらくは麻美と一緒にいるのが一番だろう。いや逆に麻美を千菊に貼り付けておいたほうが効果的か?
それだと新九郎が麻美と過ごす時間は減ってしまうが、今はそんな事を言っている場合ではなさそうだ。いずれにしても、千菊の問題のうまい落とし所を見つけ出さなくてはならないだろう。
「麻美、頼みがある。明日は千菊を連れて、適当なところで着替えを買ってやってくれんか?」
「うん、それは良いけど、千菊ちゃんの事、どうするつもり?」
「今はまだうまい方法が思いつかん。なんせ話が急だったからな。だがお千も少し落ち着けば、俺の嫁になるだけが、自分の道ではない事を悟るだろう。なにせ伊達本家の跡取はあ奴独りだ。お千が嫁に行ってしまえば、伊達家も困るはずだ。だからと言って俺は婿に行く気はさらさらないしの」
「うん、でも千菊ちゃんの事はなるべく早く方向を決めたほうが良いと思うよ」
「うむ?それはなぜかや」
「だって、新九郎ったら、もうすっかり千菊ちゃんの口ぶりが伝染ってるもの」
「なんと、それは真か?」
「ほら、言っているそばから、まあ笑い事じゃないよね。頑張って、浅井の若殿」
麻美はそう言うと、新九郎の頬に優しくキスしてくれた。




