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麻美の秘密

新九郎麻美の養父に会う

 新九郎は麻美を鴇島の家まで送って行く事にした。麻美の下宿の件については、とりあえず海北善綱の許可を取りつけた。善綱が承諾すれば、瑞江さんに否やは無かった。だが、麻美の養父母が許可してくれるかどうかの方が心配だったのだ。

麻美自身は問題ないと言っていたが、彼女は自分自身を孤児出身の養女だからと卑下しすぎるきらいがある。だが新九郎はそうは思わなかった。現実問題として、鴇島のような大家の娘が、家を出ると言うのは容易なことではないはずだ。ここはひとつ、新九郎自身も立ち会って、養父母から正式に許可を取りつけておきたいと思ったのだ。

今回の話はある意味、浅井家の長男が、鴇島家の養女を自分の下宿に引き受けると言う事でもある。鴇島の家がこだわるなら、この際嫁取りを申し入れてしまっても良いとまで思っていた。仲人はまあ後でもいいだろう。新九郎はそこまで覚悟を決めていたのだ。それに、噂の鴇島の当主と奥方にも会ってみたいと言う思いもあった。

 新九郎はメルセデスを鴇島の屋敷の車寄せに止めた。麻美があらかじめ電話を入れておいた御蔭で、すぐにイストが扉を開けて出迎えてくれた。クルマのドアを開け、麻美が降りるのに手を貸している。

 「イスト、喜んで、下宿の方、オーナーの海北さんに許可をもらったよ」

 麻美はクルマを降りるなりイストの両手をとってそう告げた。

 「そう、良かったわね。でもそのお話は自分でお義父さまになさい」

イストはちょっと微笑んだが、少し寂しそうな表情を見せてそう言った。彼女は麻美が家を出るのを歓迎していない様にも見えるが、真っ向から反対してくる様子もない。

 「うん、そうする」

 「新九郎さまもどうぞ。当主がお待ちかねです」

 「はい、お邪魔します」

 新九郎はのっけから反対されるのではないかと、半ば覚悟を決めてきたのに、イストの応対の軽さになんとなく肩すかしをくらった気分だった。彼女はまるで幼い妹でもあるかのように麻美の手をとった。背の高さからすれば、麻美の方がずっと高いのだが、その仕草には長上の姉としての気概が感じられた。

屋敷の薄暗く長い廊下をイストに導かれて進んだ。イストが連れて行ってくれたのは、午後の日差しが明るいサンルームの様な部屋だった。眩しくて、しばらく目が眩んだ。目が慣れてくると、フランス窓の向こうには、薔薇苑が見え、床には大きな黒い犬が寝そべっているのが見えた。

部屋の奥の長テーブルには白いテーブルクロスがかけられ、ピンクの薔薇の花束が飾られていた。これはもしかして俺を歓迎するための装飾なのか?それとも、いつも、こんな感じなのだろうか?そう言えばピンクの薔薇の花言葉は何だったろう?あれこれ訝りながらテーブルに近づいた。

テーブルの奥には若い男が座っていた。男はグレーがかったシルクのガウンをワイシャツの上に無造作に纏い、背もたれの高い椅子に座っていたが、新九郎と麻美が近づくとゆっくり立ち上がった。

「私が当主の定近です。あんたが浅井の新九郎さんかね?」

男は、若々しい外観にそぐわない老人のような物言いでそう言い、新九郎に手を差し出して来た。新九郎も手を伸ばし握手した。定近の手は新九郎の手と変わらないくらい大きかったが、女性の様に柔らかく、そして暖かい手をしていた。

「お初にお目にかかります。浅井新九郎義友です」

「ほう、これは噂にたがわぬ美丈夫だ。麻美が惚れこむのも無理は無い。まあ、おかけなさい」

 麻美と新九郎はイストが引いてくれた椅子に順々に腰を下ろす。部屋の奥から定近、新九郎、麻美とLの字型に並んで座る形になった。

 イストは会釈して部屋を出ると、すぐにもう一人のメイドとワゴンに紅茶と菓子を載せて戻ってきた。純白の茶器に香り高い紅茶が注がれて配られると、定近は身振りでそれを飲むように勧めた。

 「今日は家内が不在でね。不調法で申し訳ない」

 「いえ、こちらこそ、急に押しかけまして申し訳ありません」

 「それで、麻美の下宿の件かね?」

 「はい、麻美さんの希望もあり、今日、下宿の持ち主である海北に会ってもらいました」

 「ふむ、こうして新九郎さん自ら見えたという事は、下宿の許可を取りつけに見えたのかな?」

 「はい」

 「いいだろう。麻美ももういい歳だ。いつまでも屋敷に閉じ込めてもおけないし、浅井の若殿と同居なら、こちらからお願いしたいくらいだ」

 定近は自分から麻美の下宿を許可してくれた。新九郎はちょっとあっけに取られてしまった。

 「よろしいのですか?」

 「叔父さま、じゃあ、ボクは新九郎の下宿に行ってもいいんだね」

 「ああ、麻美ももう大人だ。好きにしなさい」

 「「ありがとうございます」」

 麻美と新九郎は思わず声をそろえて礼を言い、それに気が着いて思わず失笑した。

 「新九郎さん、麻美を引き取ってくださるのはいいが、いくつか言っておかなければならない事がある」

 「はい、なんでしょう?」

 新九郎は来たな、と少し身構える。

 「まず、麻美のことだが、妾でもいいから、将来は娶ってくれるとありがたい」

 「はい?」

 新九郎はいきなりの事で、うまく返答が出来ない。

 「麻美は新九郎さんに惚れておるし、当方としても、名家浅井家と繋がりが出来るのは望むところだからな」

「そんな、妾だなんて!俺は麻美を妻に迎えたいと思っています!」

新九郎は思わずそう宣言してしまった。

「そうか。麻美は、こう見えて色々問題のある娘なのだが、それでも構わないのかね?」

「問題とは麻美が孤児だったということですか?そんな事は気にしていません」

「それ以外にも色々あってな」

定近が若々しい顔を少し顰めた。そうするとなぜか定近の顔に老人の様な面影が重なって見えた気がした。

「伺っておいた方がいい事なら、この機会にお話いただけますか?」

新九郎は胸騒ぎを感じたが、この際、問題はすべてクリアにしてしまおうと思った。

隣に黙って座っている麻美を振り返り、無言で頷く。麻美は真剣な表情で頷き返してきた。

「ふむ、君はサムライらしく、少々のことは動じない肝の据わった男のようだな」

「はい、自分ではそのつもりです」

「良かろう。麻美、この際だ、新九郎さんに全部話してしまうが構わないね」

「はい、お願いします」

麻美も真面目な表情で頷く。新九郎も少し身構えた。一体どんな話がでてくるのだろう。

「お聞きおよびとは思うが、麻美は妹の輿莉子がやっている、児童養護施設で育った。彼女が中学を卒業する頃の事だ。輿莉子の強い勧めもあり、子供のない私たちは、麻美を養女に迎える事にした」

「麻美を養女に決めたのは、麻美の身体能力と学業成績が特に優れていた事、さらにこの容姿だ。麻美は当時から人目を惹くような美しい娘だった」

「私たちは麻美の前にも、身寄りのない子供を引き取っては育ててきた。それが娘の時は、しかるべき嫁ぎ先を見つけ、娘たちが幸せに暮らせるように心を砕いてきたつもりだ」

「家内は麻美に礼儀作法と武術を教え、古いサムライの家柄に嫁がせようと考えた」

「変わった考えだと思うかね?家内は君のような古い家柄が好きでね。そう言う家と縁続きになりたいといつも言っていたんだ」

「もっとも麻美に武術を教えたのは、そこにいるイストだったが」

「麻美は高校に進学し、そこで少し変わった友達ができた。その娘は私たちも未だに信じられない様な特殊な存在だった。新九郎さんはどんな娘か想像がつくかね?」

定近は言葉を切って、新九郎の顔をのぞきこんだ。その表情はなんだか悲しそうに見えた。

「いいえ」

「信じてもらえないかも知れないが、その娘は吸血鬼だったのだ」

「吸血鬼?」

「そう、カミーラと呼ばれる、もっとも古い世代の吸血鬼をその娘は取り込んでいたのだ」

「あの、吸血鬼も信じられませんが、それを取り込むと言うのが良く分からないのですが」

「ああ私もそこのところは良く分からん。その娘にはなにか呪術的な罠か何かがかけられていたらしい。かけたのは娘の母方の祖父の神職だか密教僧だとか言われていた。たまたま娘の両親が離婚し、姓が変わったせいで、彼女の姓名がより強力なトラップになってしまったらしい。そのせいで、娘は自分を襲った吸血鬼を取り込んでしまったのだそうだ。すまないが、その件で私が分かっているのはそのくらいだ」

「はあ」

「カミーラというのは、十字教における堕天使ルシファーの分御魂でもあるそうだ」

「ルシファーの分け御魂?それは誰からの情報ですか?」

「うむ、当然の疑問だな。祐天寺という、精神科医が麻美に教えてくれたそうだ」

「祐天寺?東横線の駅にある?」

「祐天寺は江戸時代に徳川家の庇護をうけた祐天という僧侶にちなんで建てられた実在の寺のことだ」

「思い出しました。祐天上人と言う僧侶は、たしか綱吉の生類憐みの令の行きすぎをいさめたと言われる浄土宗の高僧でしたね」

「ほう、それは初耳だな。実際のところ祐天は憑き物落としの得意な僧侶だったらしい。その祐天寺と言う医者は祐天上人の生まれ変わりだと自称している。そして自分でもエクソシズムをやっている」

「江戸時代の僧の生まれ変わりでエクソシストと言う事ですか?」

新九郎は少しついていけない物を感じていた。

もしかすると麻美の養父は、思いこみの強い性格なのか、それともなにかの妄想に取り憑かれているのか?

「ああ、バチカンからも公認されているらしい。さらに宮内庁も認める陰陽博士だそうだ。すこし脱線しすぎたようだ。この件はそのくらいで良いかね?」

「はい、ありがとうございます」

新九郎は定近の話を聞くだけは聞いてしまおうと決めた。この人も自分みたいに妄想癖があるのだろうか?鴇島のようなとんでもない大金持ちには、しばしばそう言うスピリチュアルな考えの持ち主がいるものだ。そして、その現実離れした感覚が、しばしば莫大な富を引き寄せたりするものなのだ。

「ある時麻美は誘拐された。我が家の資産に目を付けた、外国のプロの誘拐集団の仕業だと思われたが、主犯は当家に私怨を持つ人間だった。私たちは自力で麻美を取り戻したが、麻美は大けがを負った」

「大けが?」

「麻美の背には、今でもその時の傷跡が残っている。失礼な事を聞くが、君はもう麻美を抱いたかね?」

「いえ、そう言う事はまだ。でも麻美の背中は見たことはあります」

「そうか、麻美の背には、北斗七星の形に並んだ黒子があっただろう?」

「はい」

「あの黒子は、麻美が負った大けがの跡なのだ」

「怪我の跡が黒子になったのですか?」

「そうだ、私たちは自力で誘拐犯から麻美を取り戻した。だが、自暴自棄になった誘拐犯の一人が麻美の背にナイフで大けがを負わせたんだ」

「でも麻美の背には、黒子以外、目立つような傷跡は有りませんでしたが」

「それは麻美の友人の吸血鬼が助けてくれたからだ」

「吸血鬼が麻美を助けた?」

「そうだ、その娘の現世での名は、たしか梓と言った。発見された時、麻美は背中からナイフでめった刺しにされ、腎臓や肺に達するような大けがを負っていた。出血も酷かった。そのままでは、何をしても助からなかっただろう」

「その梓と言う娘は麻美の大怪我を見た途端、自分の両腕の動脈を咬み裂き、吸血鬼の血を麻美の背の傷に大量に注ぎ込んだのだ」

「血液を注いだ?それで麻美は助かったのですか?」

「ああ、奇跡的に命は取り留めた。吸血鬼の血には、怪我を直す機能があるのだそうだ。ただしあまりに大量の吸血鬼の血を取り込んだためか、麻美にも後遺症が残ってしまった」

「後遺症?」

「後遺症と言う言い方は違うかも知れんな。そうだな、麻美にはいくつか変化が起こった」

「どんな変化です?」

「麻美も部分的にだが、吸血鬼の体質が現れ始めたのだ」

「吸血鬼の体質って?血を吸うと言うことですか」

「いや、幸いにして、その性質は現れなかった」

「ではどういう?」

「まず、瞳が青くなった」

「え?麻美の瞳の色は生まれつきではないのですか?」

「ああ、元は普通に茶色い瞳だった。おそらく梓の瞳の色が血液を通じて伝わったのだろう。梓は金髪碧眼の娘だったからな」

「そんな事があるのでしょうか?それ以外にはなにが?」

「身体能力がさらに高くなった。君は麻美が何か運動するのを見たことがあるかね?」

「はい、体育祭の時バスケの試合で麻美さんの活躍を見ています。じゃあ、あの驚異的なプレイは吸血鬼の体質のせいだと?」

「バスケットボールは養女として引き取る前から麻美が続けていたから、まあ、半分くらいだろうな。だが基礎体力が底上げされているのは間違いない」

「そうですか」

「それに麻美は、おそらく不老不死だ」

「はあ?」

「まあ、これはもっと年月が経ってみなければはっきりせんが、麻美は高校の時に大けがして梓に助けてもらって以来、成長が止まり、親の目から見ても、それ以来全く変わっていないように見える。不老不死は大げさかも知れんが、怪我の治りも異常に早いレベルだ」

「他には何か?」

「麻美は男女を問わず、魅了することができる」

「魅了?」

「吸血鬼が獲物となる人間を虜にする能力だそうだ。ただし麻美の場合はそれで何か悪さをする訳ではないが」

なんてこった…

新九郎は思わず麻美を振り返った。

テーブルの下で両の拳を強く握りしめてしまう。

麻美は視線を逸らす事なく、新九郎を見返してきた。そして軽く肩をすくめて見せた。

新九郎と出会った頃の麻美が妙に控えめだったのは、彼女の出自と、この異常な過去のせいだったのか?

この女こそ、俺の女房に相応しい、と新九郎が考えた麻美は、孤児と言うだけでなく、吸血鬼の血も取り込んでいると言う。それが本当なら、麻美はある意味化けものの一種なのかも知れない。これはどう考えたらいいのだろう?

新九郎は麻美の美しい顔を見つめながら独りで考え始めた。

彼自身は麻美に惚れこんでいるので、今さらネガティブな感情はそれほど湧いてこなかった。

吸血鬼と言ったって、麻美は夜な夜な獲物を探して徘徊する訳でも、他人の血を吸う訳でもない。怪我の治りが異様に早く、おそらくは長命で老けにくい体質なのだろう。

むしろあの身体能力や高い知性は魅力的だ。麻美が俺の子を産んでくれたら、麻美の能力は俺の子にも伝わるのではないだろうか?

新九郎は麻美に惚れてしまっているので、吸血鬼の話が本当だとしても悪い事には思えなくなってきた。彼は元々肝の据わった性分で、少々のことでは驚かない性格だったのだ。

しかもガキ大将として地元で君臨してきた頃から、他人をその能力と経験で公平に評価する習慣が身に着いている。それが自分に得か、損かで割り切る進取の気風に富んだ近江武士の考え方が染みついているのだ。そう言う新九郎にとって、麻美の性質は自分にとっても得な事ばかりで、なんの問題もないように思えてきた。

ふむ、吸血鬼の話も悪い事ばかりではない。仮に今の話が本当だとしても、俺には利する事ばかりではないか。よし、俺は決めたぞ!

「分かりました。では麻美には私の下宿に来てもらいます。ゆくゆくは私の正妻になって欲しいと思っています」

新九郎が爽やかな笑顔でそう返すと、定近は頷いて見せはしたが、少し驚いた様子を見せた。

「今の話を聞いて、疑いもなく、迷いもせず、即断できるとはさすがだな。どうか麻美をよろしく頼む」

鴇島定近は、この若者なら、麻美の事を託するに足ると考えてくれたようだった。


こうして下宿の持ち主の海北と、麻美の養父鴇島定近の許可を得て、麻美の下宿が決まった。下宿の契約内容は善綱が描いた麻美の絵姿に書き込まれて、麻美の部屋に額装して飾ってあった。下宿の条件は、時々でいいから、善綱のモデルになること。それだけだった。下宿の費用一切は善綱が持つことになった。麻美は最初この条件を辞退しようとしたが、新九郎の口添えもあって素直に受けることになった。


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