大学祭
新九郎おかみを問いただす
「おかみ、麻美に聞いたんだが、おかみはレズの気でもあるのかい?」
下宿に帰った新九郎はそのまま瑞江さんの居間に上がり込んだ。
瑞江さんには腹芸は通用しないのでストレートに聞いてみる。
「れず?なんのことです?」
瑞江さんは着物を片付ける手もとめず平然と聞き返してきた。
彼女の口調だと、なぜか「れず」とひらがなに聞こえてしまうのが不思議だ。
もしかして、この明治生まれみたいな感覚の瑞江さんには、百合の方が分かりやすかったのかも知れない?そんな風に思える口調だった。
「だって、麻美が風呂でおかみに触られまくられたってぼやいていたぜ」
「おやおや、そんな秘め事まで明かしちまうなんて、やっぱり、あのお嬢さんは新九郎さんに惚れてらっしゃいますね」
「はぐらかすなよ。なんで麻美の身体を触ったりしたんだ?」
「いえね、触りはしましたけど、それは悪い病気でもないかと心配だったからですよ」
「悪い病気?」
「ええ、梅とか、なんやかや、近頃はもっと怖い病気だってありますでしょ?」
「あきれた、初対面の娘を風呂に入れたりするから何かと思えば、性病を調べたっていうのかい?」
「ええ、だって、新九郎さんのお相手をするかもしれないお嬢さんですから。それに隠したって、肌を見て脇や乳に触ればたいていのことは解かりますから」
おいおい、俺だってまだ麻美とは手しか繋いでないんだぞ。
新九郎は心の中で突っ込むが、思わず気になって聞いてしまった。
「それで、麻美はどうだったんだ?」
「何にも、綺麗なお身体でしたよ。いい赤ちゃんが埋めそうな立派な腰付きをしていましたし。胸はちょっと物足りないけど、そもそも生娘なんだから、悪い病気なんて心配ありゃしませんよ」
「生娘って、麻美はしょ、しょ、処女だっていうのか?」
そこまで調べたのかよ?一体どうやって?まったく半端ねえな瑞江さんも。さすがの麻美もそこまでは明かしていなかった。
「まったく新九郎さんも狸囃子じゃあるまいし、はい、あのお嬢さんはまだ男を知らないお身体でしたよ」
「そうか、そうなんだ」
新九郎は意外な思いがした。麻美の性に対する開放的な態度と、今聞かされた事実がちぐはぐに思える。男と女の相性を試すだなんて、あれは麻美の虚勢だったのか?
それとも、もっと別の意味があったのか?
「あ、もうひとつ聞きたいことがあったんだ」
「なんでございます?」
「あんな高価な着物を、麻美にやってしまってよかったのか?なんなら俺が代金を払おうか?」
「かまやしませんよ。あれは海北の旦那の前の御贔屓さんからいただいたものですけど、もうその方もお亡くなりになっていますし、大体、戦前に紡がれた大島には、値段なんてつきゃしませんて、」
「あれって、そんなに高価なものなのか?」
「売れば、新九郎さんのお車、何台か買えると思いますよ」
「おいおい、なんで麻美にそんな高価な着物を着せようなんて思ったんだ?」
「いえ最初はね、綺麗な着物でも着せちまえば、新九郎さんと悪さもいたせなくなるだろうって踏んだんですよ」
「悪さをいたせなくなるって、あ、もしかしておかみは和服でがんじがらめに固めちまえば、おれたちがHできないって、そう思ったのか?」
「ええ、普通の娘さんなら、使える手ですから、けどね」
「けど、なんだ?」
「あのお嬢さん、麻美さんですけど、自分ひとりで着付けでもなんでも出来ちまうんですよ」
「麻美が?」
「なんでも、大学の着付け研究会に通って覚えたとかで」
「ああ、そう言えば着物はあいつの研究テーマだからな。じゃあ、いくら着物を着せても拘束にはならない訳だ」
「ええ、それはもう諦めました。どうせ女の浅知恵ですし。それより、あたしはあんな若い綺麗なお嬢さんが和服を普通に着こなせるのがうれしくなっちまってね」
「それで、あんな高価なものをやっちまった訳か?」
「まあ、あの大島は、どうみても上背のある麻美さんのほうが、小兵のあたしより映えますし、あの紬は旦那の前じゃ絶対着られませんもの、ちょうど良かったんですよ」
「なんでまた?」
「あの大島、実は海北の旦那の前に、身請け話のあった方にいただいたものなんです。でもそのお話が固まる前に、その方はお亡くなりになってねえ。あの大島はその方の形見ですけど、まさか今の旦那の前で着るわけにはいきませんやね」
新九郎はおかみの言葉の端々に迷いを感じていた。曰く付きの着物とは言え、そんな高価なものを麻美に与えてしまうとは。
瑞江さんは、麻美の味方をしたものか、それとも今までどおり、よその女が新九郎と深い関係になるのを邪魔したものか、迷っているのかも知れない。
麻美、メイド長になる
月末は大学祭だったので、週明けから新九郎たちも大忙しだった。藤野教授率いる文化人類学教室は、大半の院生がフィールドワークに出ずっぱりだった。そこで大学祭では小難しい学術展示を行う代わりに、研究の過程でゼミ生が出会った世界各国の衣装と飲食物で、お客さんをもてなす事がメインになっていた。
ある意味文化人類学の研究対象の一つである異文化を来場者に実体験してもらおうという訳だ。模擬店での参加だが、店の壁にはパネル展示で研究発表資料も掲示する。ウエイトレスやウエイター役の学生は、給仕をしながら、客から質問があればパネルの説明も行う訳だ。
そんな風に模擬店と展示を兼ねて、藤野ゼミは毎年大学祭の間、文化人類学教室の会議室を開放して民族衣装喫茶を開いて来た。しかし民族衣装と言っても、本物は簡単には手に入らないうえ、ものによっては着付けるのも大変だったので、前年までは歴代のゼミ生たちが作ったレプリカが多用されてきた。
時には渋谷の大中で買ってきた、コスプレイまがいのスリットの深いチャイナ服を女子大生が着て、中国茶のサービスをした年もあったと言う。
今年は朗報があった。麻美が鴇島の養父に相談したところ、鴇島家が英国製の什器備品のみならず、茶葉や衣装についても全面協力してくれることになったのだ。当主の鴇島定近氏も同じ藤野教授の文化人類学ゼミ出身ということで、養女の麻美の活動に大々的な支援を申し出てくれた訳だ。
藤野教授はそれを聞いて大変よろこんだ。教授は新九郎を呼び出し、麻美と二人で鴇島家に行き、寄贈品を受け取ってくるように依頼した。
「浅井君、麻美君の御両親が学園祭で使えそうな家具調度や衣服に協力を申し出てくれた。君、申し訳ないが、一緒に寄贈品を受け取ってきてくれないか」
「わかりました。ではクルマを出して一緒に行ってまいります」
さらに教授は大学祭の一週間前から講義をすべて休講にして、その時間をすべて大学祭の準備に充てることにした。
こうして新九郎は大学祭の準備のための荷物運びで、麻美と一緒にメルセデスで鴇等家と大学の間を何度も往復することになった。幸い彼のメルセデスはステーションワゴンだったので、荷物運びにはうってつけだった。それよりなにより、麻美は新九郎以外の学生を養家である鴇島家に連れて行きたがらなかったのだ。
「新九郎、悪いね、こんな裏方みたいな仕事を頼んでしまって」
「いいさ、これは麻美の手柄になることだもんな。それより大学祭の間くらい、他のゼミ生とも、もう少し仲良くしろよ」
「う~ん、前向きの姿勢で善処します」
麻美の答えは、なんだかネガティブなものだった。いきなり変われと言っても、人見知りの激しい麻美のことだ。すぐには無理だろうか。
鴇島家の屋敷の裏手にメルセデスを回すと、前回会ったイストと言う浅黒い肌の小柄なメイドが、多数の若いメイドを差配して荷物の運び出しを手伝ってくれた。麻美に聞くと、そのイストがメイド長だと言うことだった。しかしこの家は、一体何人のメイドがいるのだろう?鴇島家と言うのは、他の使用人は見当たらず、なんだかメイドばかりたくさんいる不思議な家に思えた。
メイドたちは、納戸から猫足のティーテーブルや更紗を張ったチェアやソファなど、高価そうな家具を惜しげもなく出して来てくれた。
さらに新九郎と麻美が家具を運んで何度か往復している間に、ドレープたっぷりのレースのカーテンやら、白磁と銀器のティーセットやら、さらには、立派に額装された油絵や大理石の彫刻までひっぱり出してきてくれた。
「古いものばかりで恐縮ですが、こんなものでも皆さんのお役に立ちますでしょうか?」
メイド長だと言うイストは真面目な顔付きで聞いてきた。本当に寄贈品の価値が分かっていないような口ぶりだった。
「とんでもない、こんな立派な家具や美術品まで提供していただけるなんて、喜んで活用させていただきますよ」
新九郎は、旧家の出なので、それなりにアンティークの目利きができる。正直これはえらい掘り出し物ばかりだと思った。ただし、彼もボンボンなので、売ったらいくらになるという金銭的な感覚はない。メイド長のイストは当主の言伝も伝えてきた。
「家具も食器も絵画も彫刻も、今は使っていないものばかりですので、よろしければそのまま大学に寄贈いたしたいと当主が申しております。お受けいただけますでしょうか?」
「本当ですか?」
「いいよ、新九郎、家にあっても、納戸で埃をかぶっているだけだ。この際、貰えるものはなんでも貰ってしまおう。大学祭が終わったらクラブ室に置いておけばいいし」
麻美の言い分も、養女の癖に妙に豪気なものだった。クラブ室というのは、麻美の年若い伯母が始めた交際相手を斡旋する同好会活動のことだろう。確かに、あのゴシックな部屋なら似合いの家具や什器備品ばかりだと思われた。
いずれにしても新九郎が見る限り、それらの家具や美術品はビクトリア朝時代の本物にしか見えなかった。念のため藤野教授に寄贈された品物を見てもらうことにした。だが教授は現場にやって来るなり苦笑いを浮かべた。
「浅井君、鴇島の家なら何が出てきても驚くにあたらないよ。あそこは明治時代にイギリスから建築資材一式を輸入して建てた屋敷だ。当時の当主が、その時イギリスの家具やら美術品も大量に輸入しているそうだ。本来なら商売にするつもりだったのだろうが、それらがそのままお蔵入りだったわけだな」
「はあ、そう言う曰く付きの品物ですか」
「ところで、鴇島の当主や奥さんには会ったかね?」
「いえ、今回の寄贈品は、すべてメイド長のイストさんという人が差配してくれました」
「ああ、イストさんか、懐かしいな。機会があったら、今回の件も含めて、鴇島家にはお礼かたがた、一度ごあいさつに伺いたいところだな」
教授はなぜか、少しさびしそうにそう言った。いずれにしても、教授の眼からみても鴇島家からの寄贈品は「本物」に見えたのだろう。
「新九郎、これも持って行ってくれ。たのむ」
何往復かしたあとで、麻美がたくさんの衣装を持ち出してきた。
「今度はなんだ?衣装か?」
「うん、メイドさんの衣装だ。これはイストに手伝ってもらったボクの手作りだよ」
麻美は鴇島の家のメイドたちが着ていたのと同じ、ビクトリア朝風のゴージャスなメイド服もたくさん持ち出してきた。プロの仕立屋が縫製したとしか思えない出来栄えだった。どのくらい手伝ってもらったのか不明だが、麻美は裁縫もできる女らしい。結局メイド服一式も新九郎がメルセデスで運ぶことになった。
まるで古道具屋と貸し衣装屋を一辺にに開業したような忙しさだった。だが麻美とこういう仕事をするのは楽しかった。なにより麻美が、単に才色兼備なだけでなく、ちょっとした事にも良く気の付く、とても働き者の女であることが分かったからだ。
新九郎は嬉しくなった。浅井のような地方地主の奥方は、麻美のような働き者でなければ務まらないからだ。これでもう少し愛想が良い女なら申し分ないのだが。
そんな風に今年はビクトリア朝の家具や茶器に加え、メイドの衣装までそろったので、大学祭の出店は、グレートブリテン風で統一する事になった。さらに教授の発案で、午前と午後で異なる内容の伝統的なイギリス風喫茶サービスをやってみようということになった。
新九郎自身は、最初は荷物運びや裏方だけで、喫茶店の営業には参加するつもりなどなかった。しかし今回の功労者のはずの麻美が、まったくリーダーシップを取ろうとしないため、次第に準備作業が混乱してきた。
「麻美、今回の家具調度やメイド服やらは、全部お前の実家からの寄贈品だ。だから、お前が先頭切って動かないとだめじゃないか」
そういう新九郎に麻美は手を合わせて拝むような仕草をみせた。
「ボクはそういうの苦手なんだ。新九郎の方が得意そうだからお願いできないかな?」
結局、何をどこに配置するのかさえ、下級生の間で意見が複数出て大もめになる有様だった。
見かねた藤野教授の指示もあり、新九郎が現場の指揮も担当することになった。
新九郎自身は店舗運営どころか、飲食店のアルバイトさえ経験がなかったが、実際に現場に立つと、なぜか全体像を見通し、素早く的確な指示を出せることが分かった。
それは地方豪族と言う古くからの支配者の家系に生まれた彼自身に生得的に備わった能力と、幼時より両親や祖父母から一族の長になるべく教育されてきた結果が融合したものだったのかも知れない。
途中からとは言え、上級生の新九郎が強力なリーダーシップを発揮した事で、文化人類学のゼミ生とプレゼミ生たちは一致協力して作業に当たれる様になった。
手初めは、寄贈されたカーテンを部室棟のコインランドリーで洗濯して、会議室の窓の暗幕と掛け替える作業からだった。
「カーテンは洗濯したら、乾燥機に入れずに、金具をつけ直し、しわを伸ばしてカーテンボックスからいきなり下げていい。半日もすれば乾くから」
新九郎の指示は乱暴に聞こえたが、後になってみると正解だったことが分かった。指示に従わずに乾燥機にかけたレースのカーテンは、見るも無残に縮んで使えなくなってしまったからだ。反対に新九郎の指示通り、窓でそのまま乾燥させた分は全て無事だった。
「テーブルの配置は、盆を持った人間が余裕を持ってすれ違えるようにしてくれ。盆は基本的に左手で持つ、右手で茶器を差し出すためだ。今回は英国式だから中央通路は左側通行厳守だ。ただし通路からサービスできるテーブルの間は、椅子を引いた状態で、人一人うしろを通れればいい」
新九郎が割り出した動線に従って、中央にサービスのための広い通路を設け、その左右にテーブルや椅子を一見ランダムに配置し、同じく新九郎の感覚で壁に絵画や展示パネルをかけ、コーナーには彫刻を飾っていった。
新九郎は飾り付けが一通り済むと、当日ウエイトレスをやる女子大生を集めて説明を始めた。
「この部屋は上座がはっきりしないので、入口から遠い側を一律上席とする。教授とかVIPが来たら、俺が席に案内する。テーブルでは俺が最初に椅子を引いた席を上席と考えて、そこからサービスしてくれ。椅子には左から入ってもらって、左から出てもらう。それとレディファースト厳守だ。年長の女性から座り、次に他の女性客、次に年長の男性あとは年齢順に席に着いてもらうようする。いいな?」
「「「はい!」」」
「ハンドバックは基本的に椅子の左側に置いてもらう。預かって構わない荷物はクロークで預かる。サービスも基本的に右から行うから、右側が空いている方がやりやすいはずだ」
「「「はい!」」」
「写真撮影は室内では他の客の邪魔になるから一律禁止にする。だが写真を撮られても構わないと思う者は、休憩時間に適宜展示室の方で応対してくれ。これもトラブルが起こるようなら俺が対応する。それでいいな?」
「「「はい!」」」
ウエイトレス役の女子大生たちは新九郎をほれぼれと見上げながら何度も返事を繰り返した。幼時より事あるごとに両親とともに来訪者の接待に明け暮れた新九郎は、テーブルマナーや客の接待の仕方まで熟知していた。それが今回の大学祭の出し物では幸いしたのだった。
できあった喫茶室を藤野教授に検分してもらったが、これでほぼ完璧だと太鼓判をくれた。唯一足りないのは、寄木細工の床と毛足の長いカーペットだというが、これは即席ではどうしようもなかった。
こうした什器備品を美しく機能的に配置する感性も、普段から高級な家具や美術品に囲まれて暮らし、そういうものが日常にある暮らしを経験していないと、簡単には身につかないのかも知れない。実際に飾り付けが終わってみると、高い天井とアーチのある窓を持つ大学の古い建屋の造りとあいまって、文化人類学教室の会議室は時代がかったいい感じの英国風喫茶室に仕上がっていった。
同時に顧客の出入りや給仕の動きまで計算しつくされたかのような、効率の良い空間はお客だけでなく、サービスを行う学生にも好評だった。
麻美は鴇島の屋敷からアッサム、ウバ、ダージリン、アールグレイなどの茶葉をたくさん持ってきて、白磁の綺麗な茶器で薫り高い紅茶を入れてみせた。さらに大学祭の前日には鴇島家のメイド長であるイストとその配下の瀧夜を連れてきて、料理の仕方からメイドの立ち居振る舞いまで本格的な指導まで行わせた。特にスカートの両縁を摘まんで、美しくドレープを見せて行う挨拶は、ウエイトレス役の女子大生たちに大好評だった。
入念な準備の結果、文化人類学ゼミの模擬店は、午前中はブレックファストメニューの硬く焼いたトーストに卵料理とハムやソーセージの付け合せ、午後はアフタヌーンティとして、紅茶とビスケット・スコーン・ケーキ・サンドイッチなどを提供できるようになった。
料理の方も全てそろいのメイド服を着た女子学生たちの手で顧客から見える即席の厨房で料理されたので、こちらも来客に好評を博した。
新九郎は、麻美が自分で夜なべして仕立てたというモーニングコート一式を持ってきたので、付き合いで執事役をやることになった。新九郎も麻美が和装の研究をしているのは知っていたが、まさか紳士物のモーニングコートやシルクのシャツまで仕立てることができるとは思ってもみなかった。モーニングコートは手縫いでアスコットタイと同じ柄のポケットチーフまで揃っていた。その英国生地のモーニングコートも、ウェストコートもシルクのシャツもコールズボンも織柄のアスコットタイも、どれも新九郎にぴったりだった。新九郎は不思議に思って麻美に訊ねた。
「麻美、一体いつ俺の服の採寸なんてしたんだ?」
「採寸?ううん、やってないよ」
「じゃあ、どうしてこのモーニングコートやズボンは俺にぴったりなんだ」
「ああ、そのこと?体育祭の時に新九郎に抱きついただろう。あの時の感覚で型紙を起こしたんだ」
「はあ?まったくお前には、いろんな意味で驚かされるな」
「ボクだって御裁縫くらいできるさ。施設では年下の子たちの服も縫っていたからね」
新九郎はなるほどと感心した。麻美が持っているさまざまな特技は、そう言う過去の経験も生かされての事だったわけだ。
大学祭当日、麻美は新九郎の指示でメイド長を演じることになった。この役はスーパーモデル並みの長身とスタイルを持ち、飛びぬけた美貌の麻美にうってつけの役どころだった。
麻美は長い黒髪を三つ編みにしてから高く結い上げ、甘いアルトの声で「お帰りなさいませ、御主人さま」と青い瞳でにっこり笑って男性客を出迎えた。たいていの男性客はこれだけでメロメロになり、たちまちリピーターの山を築く事になってしまった。
主に女性客を受け持った新九郎の執事ぶりも好評だった。本人は意識していなかったが、新九郎は生まれついての殿様顔だったし、幼少時から当主となるべく、家令に的確に命令を下せるように訓育されてきた。そのおかげで麻美を上回る長身に加え、自然に身についた綺麗な立ち姿と、的確に指示を下す姿は伝統的なバトラーそのものに見えたのだった。
大学祭の初日は、麻美に依頼されたイストと、調理担当の瀧夜と言うメイドが現場に入り、メイドの立ち居振る舞いと調理の一切合切を、懇切丁寧に実地で手伝ってくれた。
特に浅黒い肌をもつ小柄なメイド長は、なんでも知っていた。料理、茶葉の管理、食器の配置、テーブルクロスの替え方、その立ち居振る舞いは、まさにビクトリア朝から抜け出してきたメイドそのもののように見えた。
イストや瀧夜のおかげで民族衣装喫茶の運営は初日から順調に軌道に乗っていった。
大学祭の間、文化人類学教室は、ビクトリア朝の英国そのものの雰囲気が味わえる本格的な喫茶室として、複数のメディアやTVニュースに繰り返し取り上げられ、文化人類学教室の前には、順番待ちの長蛇の列ができた。
外から見れば、大学で堂々とメイド喫茶を開店したようなものだから、話題性にも事欠かなかったのだろう。しかも一歩踏み入れると、内部はビクトリア朝の貴族のカントリーハウスそのものだったのだ。これでは受けないはずは無かった。
美男美女の執事とメイド長を演じ、英国風喫茶店を盛り上げた新九郎と麻美は、自然にカップルとみなされるようになった。それまで同性の友達さえいなかった麻美は、たちまちゼミの人気者になってしまった。




