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千菊を賭けた仕合

 仕合

 先鋒戦は浅井新十郎と遠藤宗信と言う長身の青年の仕合となった。審判には千菊とイストが立った。冷静にあるいは客観的に見れば、剣道の仕合の審判をメイド服の女子二人が行うと言う珍妙な風景だった。

 新九郎はイストの審判について黒川がなにか文句を付けるかと案じたが、彼は何も言わずに受け入れた。イストも分かる人間には分かるような凄まじい気を持った女だ。ただその気は瀧夜とことなり深く秘められていて、イストに攻撃の意図が無い限り、容易に察知できるものではない。黒川も神道無念流の高段者なので、イストの実力を推し量れたのだろう。

 千菊が主審として仕合の開始を宣言する。

「双方、遺恨を残さぬ様一本勝負じゃ、正々堂々と仕合うが良い。始め!」

 新十郎は青眼、宗信は最初から上段に振りかぶった。新十郎は無言で間合いを測りながら、剣先を鶺鴒の尾のように震わせつつ相手の隙を窺う。

 一方の宗信は、上段に振りかぶったまま、凄まじい気合いを繰り返し発してくる。

 二人はお互いの隙を狙いつつ、仕合場を半周してしまった。

 宗信が正面を背にして立った時、なぜか一瞬麻美の方に視線が向いた。そのとたん宗信の動きが止まった。なぜか竹刀がわずかずつ上がり、面金が剥き出しになってしまった。

 新十郎はその隙を見逃さなかった。

「メーン!」

 そう叫びながら竹刀を上段に変化させ、飛び込みながら面打ちを狙う。

 宗信も一瞬遅れて面打ちに来た。

「面―!」

 一瞬相面打ちかと見えたが、新十郎は自分の竹刀をわずかにずらし、宗信の竹刀を跳ね上げた。次の一瞬、新十郎は駆け抜けるように宗信の脇を通り過ぎた。

「ドオー!」

 新十郎の竹刀は、その一瞬に変化して、宗信の右胴を捉えた。

 バシーンと小気味良い音が仕合場に響き渡る。一瞬宗信の動きが止まった。

 見事な抜き胴だった。

 千菊の声が響き渡る。

「胴あり、一本、それまで!」

「あ、浅い、まだまだ」

 宗信が息を荒げてそう言ったが、黒川に押しとどめられた。

「遠藤、引け!」

「は、しかし」

「引くのじゃ、遠藤」

「は…」

「双方、中央に戻って!」

 千菊が威厳を持って新十郎と宗信を呼ぶ。

「胴あり、一本、新十郎の勝ちじゃ!」

 二人は礼を交わし、各々の陣地に戻った。

「新十郎、ようやった。まずは一勝だ」

「はい、兄上、幸運でした」

「何を言う、お前の修行の賜物だろう」

 新九郎は弟を心の底からねぎらった。


「中堅、中央に参りませい!」

 千菊が麗子と阿辻を呼び出す。

 二人は竹刀を下げて中央に向かい、礼ののち蹲踞した。

「双方、遺恨を残さぬ様一本勝負じゃ、正々堂々と仕合うが良い。始め!」

 阿辻は北辰一刀流の流儀通り、青眼に構えた。

 麗子は何を想ったか、八双に構えたまま小走りに阿辻に詰め寄る。

 麗子は駆けよりながら、竹刀を天高く突きあげるようにした。

 阿辻が一瞬、間合いを測りかねて動きを止めた瞬間、麗子はいきなり袈裟がけに竹刀を振りおろしてきた。阿辻は辛くも初太刀を受けたが、麗子の追撃は止まらなかった。

「キィエーイ、キィアアアアアアアアアアアアアアアイ!」

 甲高い異様な気合いが仕合場に響き渡るあいだ、まるで気が狂ったような勢いで、竹刀が繰り返し振り下ろされる。阿辻は竹刀で受けているが、だんだん押され気味になって来た。

「なんだ?あれは」

 新九郎が麗子の異様な剣技に驚いていると、麻美が小さな声で言った。

「示現流?かな」

「示現流?奴らは神道無念流じゃなかったのか?」

「うーん、千菊ちゃんもさ、あの麗子ちゃんて子が一党だって知らなかったみたいだし」

 その間も、猿叫と呼ばれる示現流独特の気合いが続き、そのあいだ阿辻は一方的に押しまくられていた。

 数十回の打突が繰り返され、一瞬の間隙が開いた。

 阿辻は竹刀の物打ちで辛くも麗子の竹刀を弾き返し、大きく後ろに跳び離れた。

「あ、まずい」

 麻美が阿辻から麗子に視線を移し、小さな声で呟く。

「まずい?」

「阿辻ちゃんが苦手なパターンだ」

「どういう意味だ?」

 そう聞いたが、麗子を見た瞬間、新九郎にも理由が分かった。

 案の定、阿辻の動きが止まり、剣先の鶺鴒の尾が止まり、竹刀が死に体になってしまっている。

 そこに麗子の情け容赦のない袈裟掛けが襲い掛かった。

「キィエーイ」

 グワンと言う嫌な音がして、阿辻は横面を打たれ、その場に崩れ落ちる。

 対する麗子は、両手を膝につき、肩で息をしながら前かがみになって立っていた。

 繰り返しの袈裟がけのせいか、唯一着衣のかわりに玲子の胸を覆っていた胴がずれていた。その胴の隙間から、玲子の白い大きな乳房がのぞいていた。

 新九郎は思わず自分の額を右手で掴んでしまった。

「おいおい、あいつらも色仕掛けかよ」

「新九郎、ボクもオッパイポロリの術、見せた方がいいかな?」

 麻美が真剣な表情で聞いてきたが、なんと答えていいか新九郎には分からなかった。


 仕合場の隅に控えていた瀧夜が、黙って阿辻に駆けよる。そのまま顎を持ち上げて気道を確保して上半身を支えた。千菊は主審の立場をわきまえ、今日は阿辻を助けようとしなかった。意外な事に麗子が自分で動いた。

「ちょっといい?」

 瀧夜から阿辻の身体を受け取り、一瞬で活を入れる。

 阿辻はなんとか意識を取り戻した。

「立てるかしら?」

 麗子が優しいとさえ言えるような口調で聞く。

「はい、なんとか」

「お願い」

 麗子は、駆け寄った瀧夜に阿辻の身体を預ける。

 阿辻は瀧夜の肩につかまり、なんとか立ち上がった。

「双方、中央に!」

 二人が向かい合って立つと、千菊が麗子の方に手を上げた。

「面あり、一本、麗子の勝ちじゃ」

 二人の剣士は、礼をして別れる。


「三本目、大将、出ませい!」

 千菊が威厳を持って麻美と黒川を呼ぶ。相変わらず可愛らしい声音のままだし、メイド服なので、冷静に見れば滑稽な姿だが、その審判ぶりは見事だった。

「ふう、責任重大だね。じゃ行って来る」

 麻美は言うほどプレッシャーを感じさせない軽い調子でそう言うと、二本の竹刀を左手に持って中央に向かう。

 黒川は既に中央に立って麻美を待っていた。彼の道着は、藍染一色の地味なものだが、長年使い込まれたものらしく藍が抜け落ち、道着のあちこちにほころびを繕った跡がある。面金も塗りが剥げ落ち、地金が鈍く光っている。その姿は歴戦の老剣士そのものだった。

 一方の麻美は、例によって真っ赤な胴と面金で、袴と垂は純白だ。いつの間にか道着の袖がちぎられたようになくなり、袖なし羽織のようになってしまっている。

「あいつ、いつのまに」

 新九郎は訝る。さっきまで麻美の道着は普通の筒袖だったはずだ。

 正面で礼を交わす。横から仕合を見ている新九郎には、切り落された道着の肩口から麻美の綺麗な胸が見えてしまっている。

 新九郎は不自由のない方の手でまた顔を覆ったが、今更止める事も出来ない。

「それでは、大将戦じゃ、これで雌雄が決する、双方、正々堂々戦いませい!始め!」

 千菊が可愛いが気迫のこもった声で仕合開始を告げる。

 二人の剣士は、静かに蹲踞から立ち上がり、左右に別れた。

 麻美は二刀の中段構えで右回りに歩き足で回り始める。

 黒川は中段から左上段になった。新九郎はその時になって黒川の竹刀の異様な長さに気付いた。新九郎の竹刀も規定一杯の三尺九寸の長竹刀だが、黒川の竹刀はさらに長いように見える。麻美は気が付いているのだろうか?不安に思って麻美の方を見るが、面金の影になって今は表情が読めない。

 麻美の奴、黒川が二刀流対策で厳流佐々木小次郎なみの長剣を使っているのに気づいているのか?

 黒川が左上段に構えると、麻美は長刀右上段、小刀中段に変わった。

 含み気合いとともに、黒川が渾身の一撃で麻美の面を襲う。麻美はそれを小刀で受け、素早く長刀で面を狙ったが、黒川の竹刀の方が長いため、間合い遠すぎ面打ちが届かず空振りに終わった。

 黒川は正眼に戻ると、また含み気合いを発し、長刀を繰り出すように麻美の左小手を狙った、麻美は身体を左に開いて、それを器用に交わし、黒川の伸びきった小手を打とうとした。しかし、これも空振りだった。

 麻美はやっと黒川の竹刀の異常な長さに気づいたようだった。

 黒川は間合いを取り直し、下段に構える。麻美は左右の竹刀を下げ、有構無構と呼ばれる二天一流の独特の構えに変化した。

 黒川は麻美の構えを諦念によるものと勘違いしたのか、あるいは誘いと考えたのか、下段から一気に長竹刀を摺り上げるようにして、気合いとともに一気に突きに転じた。

 竹刀の長さが長いほど、上背があるほど、突きは有利になる。

 新九郎は一瞬麻美がやられたと思った。

 しかし麻美の動きは新九郎の予想を大きく超えていた。

 麻美は黒川の突きに対していきなり身体を開き、長竹刀をやり過ごした。

 黒川は麻美の一瞬の変化に戸惑ったが、竹刀を変化させ、麻美の横面を狙う。しかし黒川の竹刀は麻美の長刀に遮られてしまった。

 バシンと派手な音がしたが、竹刀同士が打ちあわされた音だった。

 麻美は黒川が態勢を立て直そうとしたわずかな隙に、彼が長竹刀をふるえない間合いに踏み込んでいた。そのまま左手の小刀を勢いよく突きだしながら、力強く左足を踏み出す。

 麻美の小刀の強力無非な突きが、黒川の胸当てに激突した。

「お突きー!」

 麻美の良く通るアルトの声が仕合場に響き渡った瞬間、黒川の身体が後ろに吹っ飛んだ。そのまま空中を飛びフローリングの床を滑って、背後の羽目板にぶつかってやっと止まった。


 千菊は麻美に打ち倒され、床に崩れ落ちたままの黒川に駆け寄った。

 それから丁寧に面を脱がすと、片膝ついて黒川の胡麻塩頭を自分の胸に抱きしめた。

「黒川、よう戦った。大事ないか?」

「せ、千菊さま」

  黒川は、意識をとりもどすと、その場で床に這いつくばってしまった。

「よい、黒川、もう何も言うな!」

  千菊は、這いつくばった黒川を抱き起こし、優しく背中を撫でさすってやった。

  新九郎には、黒川の背中が震えているように見えた。

  あの海千山千に思えた黒川が泣いている?

「中央に戻れ、お主の負けじゃが、決まりはつけねばならん」

「は…」

 黒川は麻美が待つ中央に戻った。負けはしたが、姿勢を正し千菊の判定を聞く。

「突きあり一本、勝者、麻美!」

 両者は礼をして別れた。

 黒川と麻美の勝負は、素早い打突の押収だったとは言え、まるで剣道形のように美しい立ち合いだった。


 麻美は大将戦で黒川を打ち負かした。麻美の剣道着の袖を切り落とすという奇策もあったが、実際の仕合は、そんな事に左右されない、正当な剣道の仕合に見えた。

 結果として黒川の神道無念流は、麻美の二天一流に敗退した事になる。黒川自身は負けはしたが、その表情には悔しさは見られなかった。むしろ自分の長年の望みが叶ったとでもいうような満足気な様子で正面に一礼すると、そのまま仕合場を去っていった。


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