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第9話

 頭がふわふわしてるのはなぜであろう。

 気のせいでなければ、激しい空腹感が私を襲っている。けれども意識を浮上させたくないのは、私がこのあたたかい温もりから自身を引き剥がしたくはないからだろうか。

 とても、心地よい眠り。ああ、でも、どうしよう。


「はらへった……」


 ぶは。

 すぐ傍で激しく空気を吐き出す音が聞こえて、私は目をぱちり、と開く。

 しばらくはぼんやりとしていたけれど、やがてはっきりしてきた感覚に、私は目を見開いた。

 目の前に、昴君の、顔?

 驚きに固まる私を知ってか知らずか、昴君は私を覗き込み、にっこりと微笑んだ。


「おはよう。けっこう長く眠ってたね」

「……え?」

「ああ、おぼえてない?」

「いや、おぼえてるので言わなくていい。今何時ですか」


 即答してさえぎれば、ぶは、と先程聞こえたのと同じ音。ああ、あれは昴君の笑い声だったのですね。

 というか。

 今気付いたけれど、この状態。もしかしなくとも昴君にソファの上で膝枕してもらってる状態ですね。しかもなんか頭をずっと撫でられております。やめてください、心地よいです。


「ええと……19時くらいかな。けっこう眠ってたね」

「なんと!」


 どうりで腹減りなわけである。私の腹が轟音をあげたとて仕方あるまい。

 ゆっくりと身体を起こそうとすると、昴君が素早く背中を支えてくれた。かたじけない。って声には出さないけれどね。こうなった原因はあなたですしね。


「ご飯、簡単なものでいい?食べていくでしょう?」

「え、いいよこんなときまで!」

「どっちにしろ私はお腹減ってるから食べるし」


 ふらり、と面倒なので制服姿のままエプロンを付ける。冷蔵庫を開くと、昨日の残りの肉じゃががある。ふむ。


「昴君、ええと……あったあった。これを、木っ端微塵にしてくれるかい」


 す、と私が台所下の収納からみじん切りを簡単に出来る優れものな機械を取り出すと、昴君は一瞬固まって、え?と戸惑いの声をあげる。


「これは……ええと、コンセントつけて……」

「カッターは装着してから食材を入れてね。じゃないと混ぜられないから」

「は、はい」


 神妙な顔つきで返事をする昴君は、相変わらず料理中はすっかり謙虚な生徒だ。恐らく今までやってこなかっただけで、料理自体は決して下手ではなかろう。

 たまに、なぜか無茶苦茶な味付けをしたり、斬新さばかりを求めて食べ物をおもちゃにするような方はいるけれど、昴君はそれらに該当しない。きちんと基本の調味料を覚えて、どれをどう加えればどのような味になるか。それらを勉強している最中だ。

 今日みたいに料理を楽にする道具はあまり、というかやはり使った事がないのだろう。

 恐る恐る、昨日残った肉じゃがを機械の中に投入していた。その様子はどこか可愛くて、ちょっと笑ってしまいそうになる。


「スイッチはね、こう、蓋をぎゅ、と押し込めば刃が回るようになってるから。お願いします」

「どのくらいやればいい?」

「うーん、みじん切りくらいになればいいかな。やりすぎちゃってもいいよ。食感あまりしなくなるかもしれないけど、まずくはならないし」


 にっこりと微笑んだ私の顔に、わかった、と頷いて、昴君はごくり、と唾を飲み込んだ。

 なんだか、作業中の自分も緊張してくる。

 彼がやっている間に卵をといて、青葱を刻む。本当なら副菜も作りたいところだけど、まだ身体がだるい。私は豆腐とわかめのみそ汁だけ作る事に決めた。

 高速で何かが回転するモーターのような音が響く。たまに何かが詰まったような音。まあ、そのまま肉じゃが細かく粉砕しているわけだから、時々はそうなるであろうな。


「このくらい?」


 何度も押して離してを繰り返しつつ、慎重に肉じゃがを粉微塵にしていった昴君からたずねられる。蓋を開いて中身を確認すれば、うむ、と頷いた。


「いい塩梅。じゃあ昴君にはおみそ汁任そうかな。豆腐とわかめは切っておいたから、はい」


 その言葉に何を思ったのか、昴君はまたも真剣な表情ではい、と答える。なんで料理中はいつもこういった反応なのだろう。まるで自分が鬼教官のように思えてくるではないか。

 真剣な面持ちで小鍋に水を入れ火にかける彼を横目でみつつ、私はフライパンを熱する。本当は、卵って泡立てないほうが良いらしいのだけれど、私はどうしてもふわふわなのが好きなので形が崩れてもとにかくふわふわにしたい人間なのである。

 粉砕した肉じゃがを軽く炒めて、さっとお皿にあげる。刻んだ葱はそのままパラパラとそこに散らす。で、溶き卵で肉じゃがを包む薄焼き卵を作れば完成なんだけど、よく失敗する私はちょっとスクランブルエッグっぽく形を崩して上にのっける。そうすると形を保つ為についつい火を通しすぎかたくなるのを防げるから。どうしてもふわふわ食感がほしいのです!

 

「……って昴君。一応言っておくけれども、君それは味噌を入れすぎじゃないのかね」

「え、そうなの?」


 お玉めいっぱいに味噌を掬った彼を見て多少狼狽したが、慌てて止めるには今私は忙しい。うむ、まずはひとつ、卵が完成した。

 お皿に盛りつつ、そうだよ、と声をあげる。


「そもそもだし入れなさいよ。ほれ、ここに和風だしがあるでしょう。粉だからといって馬鹿にしちゃいかんよ。無論、きちんとだしをとるほうが美味しいがこれだって日々食すのにはじゅうぶん」

「わかったから、とりあえず手順教えてほしいんだけど」


 む。話をさえぎられた。

 そういえばあまり詳細を話さずよろしく、と言ってそのまま彼に渡してしまったが、みそ汁くらいいくらなんでも作れるであろうというのは私の中の常識であり、彼にとっては常識ではない。

 その事実をすっかり忘れ、私はちらと彼が持つ鍋の中身を見やる。もうすでに具材がぷかりと浮かんでいるではないか。なんと。手順がめちゃくちゃである。

 豆腐はどのタイミングでもまあ問題はない、私は沸騰する前に味噌溶かしてその後入れる派であるが、が、しかしわかめは別である。火を通しすぎるとてろん、と力をなくしたわかめが猛威をふるい、みそ汁ならぬ美味しい青汁になってしまう。


「もっときちんと教えればよかったね、ごめん」


 言って、私は次に作る時にはわかめは最後に入れるようにしてくれと説明し、手順を教える。まあ、多少てろんとしてしまっても豆腐とわかめのみそ汁はそうそう不味くはならない。辛くなってしまったらお湯を足せばいい。ということで、適量も教え、再度彼にうながす。

 緊張した面持ちで完成させたのはなんの変哲もない、それこそ小さい子でも作れるような一品ではあったが、最終的にちょうどいい塩加減のみそ汁が出来上がって、昴君は大変うれしそうであった。

 そんな彼の顔を見ていると、ほんわか温かい何かが流れ込んでくるのはなぜだろう。首を傾げながらも、次には出来上がったオムレツとみそ汁を早く食べたくてそればかりに意識がいった。やはり空腹はいかん。


「千絵子さん、また色々料理教えてね」

「かまわないけど。どうしてそんなに料理作りたいの?」

「将来的に千絵子さんと結婚できる確率が増えるから」

「は!?」


 驚いて昴君が洗って更に拭いてくれた食器を棚にしまうコップを落としてしまった。

 食器棚はダイニングテーブルのすぐ近くなので、幸い床に落ちて割る事態は避けられたが、冗談にびっくりするなんて情けない。


「大丈夫?」

「あ、はははは」


 何を誤魔化しているのかわからない笑いに、昴君は不思議そうに首を傾げた。


「ねえ、千絵子さん。今度、ご両親にあいさつさせてくれないかな」

「! 昴君」


 晩ごはんを食べ終わり、時刻は21時をまわったところ。そろそろ帰ろうとソファから立ち上がった昴君に、駅まで送ると言ったが家の前まででいいと断られた。彼とわかれてから我が家までの私の帰り道が心配なのだそうだ。

 なんともいえない女の子扱いに、体がうずうずしてしまう。そういえば前もそうだったな。恋人というのは、こういうものなのか。ああ、頬が赤くなっていないだろうか。


「それで、いいかな?さっきの話。彼氏として僕のこと、紹介してくれる?」

「え、あ、ああ!いいよ!」


 ぼんやりと考え事をしていたせいか、咄嗟につい是と返答してしまう。

 てちょっとまった。


「よかった。それじゃあ、また月曜日に」


 微笑んで、昴君が玄関扉を開く。閉じられたその音が耳に届いた時、固まっていた思考がようやくほどけた。

 いや、ちょっと。確かに、少し前思ったさ。昴君のこと、両親に言うべきだと。けれどそれは、その。彼氏です、とか、そういうことではなく。


「そもそもだね、両親に恋人ができたって報告するってのはだよ」


 無意識に私の手は冷蔵庫を開く。取り出したのは一枚の板チョコである。

 包丁とまな板を用意し、チョコレートの包みを剥がした。

 ざく、とチョコに刃が突き刺さる音が響く。


「そういう、なんだ、その、あれだ」


 ざくざくと音が響いて、気付けばチョコレートは綺麗に砕かれていた。

 再度冷蔵庫を開き、牛乳を取り出す。閉めた音が若干勢いがあったのは、今の私が極端に力加減がへたになったからだ。


「公認の、仲って言うと変な、あれだけれども!あれなのか!」


 鍋に牛乳を注ぎ、火をつける。換気扇も忘れずにまわした。火加減は弱火。


「あああもう!どういうこった!!」


 ついでにみつけた香り付け用に買ったブランデーの小瓶も取り出して、たらす。ざざざ、と刻んだチョコレートを勢い良く流し込んだ。


「昴君は!私と恋人なんじゃなかろうて!仮って付くはずじゃないのか!」


 ぐるぐるとかきまぜる。泡だて器を使っているからか、がしゃがしゃと音が鳴ってうるさい。


「あああああもう!わからんわからんわからーん!」


 かち、とスイッチを押して火を止めれば、用意していたマグカップに出来上がった液体を注ぎ込んだ。簡単な後片付けを済ませれば、火傷しそうなほど熱いホットチョコレートは飲み頃の温かさだ。

 ソファに座って、一口啜る。

 ほう、と自身の口から吐息がもれた。


「……本当に、これから先も付き合いを継続させるつもりなの?」


 だとしたら、私は、君を。

 過ぎった言葉の意味に気が付いて、私は身体を硬直させる。

 今、何を思ったのだ、私は。いかん、糖分を多量に摂取しすぎたか!焦りつつ中身を飲み干したマグカップを洗ってから、私は風呂に入る準備をしようとリビングをあとにした。


 次の日の朝、起こされた原因は誰かからの着信によるものだった。

 まだ開いていない目をそのままに、必死で身体を動かせば、ベッドの先にある机へと手を伸ばす。がちゃん。おっと、いかん、電話が落ちた。

 落下した携帯電話を拾い上げ、私は薄目で通話ボタンを押した。


「……どちらさまですか」

『画面に表示されてるでしょう』


 くすくすと笑いながら言われて、私はそういえばそうか、と気が付いた。

 いったん耳から携帯電話を離し、表示されている着信者の名前を確認する。そこには「佐藤昴」とあった。

 あれ?


「……もしかしなくとも昴君」

『そうだね、おはよう。まだ寝てた?意外だなあ、休日も起きるの早いのかと思ってた』

「私はものすごく寝るのが好きだからね、休日は12時間寝てもかまわないくらいだ」

『それ、寝すぎじゃないかな。もう11時だけど、昨日は何時に寝たの?』


 昴君の言葉に、まだ半分ぼんやりしている頭で考える。昨日?昨日はー、何時だったろう。


「あーと……飲んでから風呂入って、髪乾かしつつ洗濯機まわして干して……ああ、日付変更後くらいかな」

『……もう12時間近く寝てるじゃない』

「そうだね、特に問題ない」

『……うん、まあいいや。ね、今日ひま?』


 暇かと問われて、暇ですよと答えるのもどこか癪だが、私は本当に予定がないので暇だと答えると、昴君が電話口でじゃあさ、と続ける。


『外で会わない?ちょうどお昼時だし。ごはんいっしょに食べようよ』

「……支度に恐らく30分はかかるが」

『逆に30分で終わるのすごいよ。一時間とか言われるのかと』

「一時間も自分に時間をかけるほど私は人間ができていない」

『寝起きも面白いね千絵子さん』


 声をあげて笑われたところで、やっと意識が本当に覚醒してきた。

 あれ、ひょっとしてこれは、休日に遊ぼうと誘われたのかな。


『じゃあ、一時間後にY駅で待ちあわせしよう。それでいい?』

「え、あ、ああ。大丈夫、だけれども」

『ふふ、初デートだね。あんまり焦って支度しないようにね、僕は待ったって怒らないから』


 それじゃあ、と言って電話が切れる。

 私は呆然と電話をみつめていたが、数秒後にはやがて意識を取り戻した。昨日の玄関先といい、なにやら昴君は隙をついて狙っているように思えてならない。

 というか。


「……デートって、普通ならばどういう格好で行くのさ」


 呟いた声の調子は、自分で発したわけであるがあまりにも情けなかった。


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