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第8話

 ころころと、ソーダ味の飴が舌の上で転がるたび、しびれた。

 その刺激に脳が反応する為か、私の思考は残念ながら停止するどころか稼働率がいつも以上に上がっている気がする。

 先程の言葉をどんな角度から考えてみても、答えは同じ。実にシンプルなものだ。

 私は、どうしたらいいだろう。いや、そもそも。彼のこれから話す内容が、予想できて怖い。そして、その予想が当たっていれば、なおのこと、怖い。


「……それで。具体的に、話っていうのは」


 少しかすれた自分の声が、情けない。その先は、訊きたくはなかったけれど、先送りにしたって仕方がない。私は無意識に歯を食いしばっていたらしい。

 がり、と音がして、飴玉が口内で砕けた。


「うん、その。仲を取り持ってくれないか、とか極端な話ではなくてさ。ただ、知っておいてもらおっかなーって」


 てっきりあれこれしてほしいという要求がくるのかと思ったら違うらしい。瞳を揺らして、やなぎんをみつめれば、彼は苦笑した。


「俺が嫌がるあかりちゃんに食い下がる理由はそういうことだから。少しでも免罪符にならないかなって思ってさ。野田っちだって、面白がって友達に変な奴が付き纏ってるって思うよりずっといいかなって思って。まあ、ついでにちょっとでも応援してくれたら嬉しいけど」


 えへへ、と笑う彼は、なんと好青年であろう。

 私に、過度な情報を期待することもなく、ただ好きなのだと宣言をして。

 人の気持ちに、鍵をかけることなど、できない。ましてや自分ではなく他人の気持ちを、どうにかしようなどとできるはずがない。そもそも、私にはわからなかった。

 彼の恋が、成就するのか、破れるのか。

 そのどちらが、幸せなのだろう。昴君に、とって。

 あかりは?恋人がいるのだろうか。いないのだろうか。いなかったとして、やなぎんみたいな人間は苦手だと話していた。

 私自身は、どうすればいいのだろう、どうしたいのだろう。

 名残のソーダ味もそのうち完全に口の中から消えた頃、少し遠くから声が聞こえる。


「……野田っち?大丈夫?」

「! あ、ああ。ちょっとびっくり。恋人の有無さえはっきりさせられなくてごめん。役立たずだな」

「いやいやいや!そんな、情報得る為に今だって話してるわけじゃないし!俺個人としても、野田っちと色々話してみたかったんだ」


 混乱する私の頭に、更なる言葉が重なり逆に先程の答えは先延ばしにしようと思えた。現時点で悩んでも仕方がない。悩むにしても、とりあえず帰宅してからでよいだろう。

 切り替えて、私はやなぎんの言葉にどういう意味なのかと問うてみれば、彼はくすくすと笑い声をあげる。

 なぜだろう。なにかを慈しむかのような優しさを感じた。


「昴ってさあ、なんていうのかな。けっこう女関係で色々苦労してるんだよね、あの齢で。変な話、女性不信じゃないけど」


 女性不信。

 それは、昴君自身からも聞いた話だ。私は黙ってやなぎんの話に耳を傾ける。


「まあ、だからかなあ。ほら、俺との噂、知ってるでしょ?昴が俺の事好きでってやつ。野田っちは知ってると思うけどぜーんぶ嘘なわけ。でもそのまま放置してるのは、昴には好都合だからなんだよ」

「好都合……」

「うん。言い寄られるの面倒だからって。まーったく、モテない男たちからしたら嫌味だよねえ。でも、よかった」

「どうして?」

「異性にたいして、っていうか恋愛全般かな。にたいして、冷めてるとこあったから。野田っちみたいな存在が昴にできて幼なじみの俺としては嬉しいかぎりなんですよ」


 へへ、と笑いながら話すやなぎんの、優しい顔。私もついつい、笑顔になる。

 しかし、嘘というのは、どういうことなのだろうか。

 昴君は、ひょっとしてきちんとやなぎんに想いを伝えられていないのだろうか。それとも、やなぎんの言っていることは、真実なのか?

 同性愛者だという可能性を幼なじみに隠しているという可能性だってあるし、一方の言葉だけを信じるのは危険だが……。

 でも、もしやなぎんの言葉が本当だとしたら。昴君は特に男性を好きなわけではないということになる。ということは、私は嘘をつかれていたと結論付けねばなるまい。しかし、女性不信だというのはどうやら本当のようだ。

 考えてみれば、昴君と始めた恋人未満なこの関係はひどく不確かで、曖昧な部分が大きい。まるまる彼の言葉を信じてはいたし、垣間見える表情も、真実だと思えていたけれど……。

 嘘の部分と本当の部分。それはあるのかもしれない。

 そして、まだ彼が話してくれていない秘密……。

 ひょっとしたら、そんな真実が、隠れているのかもしれなくて、私はまたも俯いて考え込んでしまっていた。


「おおーい、野田っちー?大丈夫かー」

「……やなぎん」


 私の顔を覗き込むやなぎんの顔を、私はきっと、情けない顔で見ていたのだろう。目の前の人好きな性格の男は、どうしたの、と優しい声で訊いてくる。多少の困り顔で。

 心がふにゃ、とやわらかくなって、私は気付けば口開いていた。


「昴君にとって、私って、なんなのかな……」


 ぽつ、と呟いた私の言葉に、目を丸くしたやなぎんは、野田っち、と呟きながら私の頭に手を伸ばしてきた。恐らく、頭を撫でようとしてくれただけで、他意はない。しかし、彼の手が私に触れるか触れないかの距離感で、やなぎんの動きはぴたりと止まった。


「何やってるのかな」


 穏やかそうでいて、しかし彼とある程度触れたことのある人間ならばわかる程度の不機嫌さを声色にのせながら、教室の出入り口で腕を組んだ昴君が真っ直ぐにこちらを見て声を上げた。

 顔には、満面の笑みをたたえつつ。

 どうした昴君、もう全体的に怖いぞ。


「昴。生徒会終わったの?」

「……なにしてた」


 にこにこと笑いながら席を立つやなぎんを、今度こそ笑顔を消して昴君が睨みつける。


「あかりちゃんの事を話してただけだって。伝えたほうがいいかなと思って」

「そんなことはどうでもいい。千絵子に触るなって言わなかった?」

「おい、人の恋路をどうでもいいで片付けるなよ」


 あまりの言いように、ふてくされたような顔と声色でやなぎんが言えば、こちらへと歩いてきた昴君がやなぎんを一瞥して低い声をあげる。目線は、そのままやなぎんを見ていてくれたらいいのに、なぜか私に移っていた。鋭い眼光で射抜かれるようにみつめられ、私はびくり、と身体を揺らしてしまう。 


「失恋したらそれはお前の責任だろう。せいぜい頑張れ。……で?話してただけなのになんであんなに距離が近かったの、千絵子さん?」


 しゃがんで、立っていた昴君が私の眼前にその顔を持ってくる。ものすごく近い距離感に戸惑い、私は視線をさまよわせる。


「そ、その、なんで近かったんだろう、ね?」

「……奏」


 空転して思考がまわらない私は、あろうことかやなぎんに助けの意をこめて視線を投げたが、それが、彼が勝手に私に近付いたと解釈したのか、実際そうといえばそうだが語弊がありすぎる表現である、やなぎんを睨みつけ、低い声で彼の名を呼んだ。

 もちろん、予想外だったやなぎんは思い切り焦っている。


「ええ!?ち、違うって!なんか途中、ぼんやりと考え事しだしたみたいだったから心配になって!それこそ具合悪いのかなって思ったからちょっと顔色を見ようと」

「詰めたんだな、距離を」

「そうかもしれないけど」

「奏。言っておくけど二度目はないよ。千絵子に安易に触るな」

「……はい」


 こわ、と呟いて、やなぎんはさっさと教室を出て行った。また明日ね、と私にひとつ微笑んで。

 罪をなすりつけようとしたのは確かに申し訳なかったと思うが、この空気の中で置いていくとは、なんたる所業。やなぎん、戻ってきておくれ!


「……千絵子さんも。これはお仕置きが必要かな?」


 にっこりと微笑んだ彼の言葉に、私は首を傾げる。しかし、呆ける時間はなかった。

 強制的に腕を掴んで私を立ち上がらせると、昴君は無言で私を引っ張り歩きはじめる。無言の圧力が怖い。


「千絵子さん、ご両親、週末は出張だって言ってたね」

「ん?あ、ああ。父は昨日から、母は今日からだけど」

「帰りは?」

「ええーと、ふたりとも月曜だけど……?」


 昨日そんな話を確かしたけれど、今どうしてそんなことを言うのだろうか。わからなくて私は首を傾げる。ちなみに今日は金曜日である。そういえば、昴君のお弁当を作らなくてもいいんだ。家事は少し楽になるけれど、ちょっと寂しいのはなぜだろう。ひとりの食事が増えるからだろうか。

 考えている間にも、昴君は歩を進めていく。とりあえず、我が家に向かっているというのは間違いないみたいである。


「あの、す、昴君」

「なに?」

「苛々してるのはお腹が減っているから」

「千絵子と一緒にしないでくれる?」


 にっこりと微笑んで浴びせられた言葉は辛辣である。呼び捨てにも、だいぶ馴れてきた。

 しかし一週間程経過して思うのだが、彼は物腰が柔らかいのと今とどちらが本来の彼なのだろう。とりあえず怖い。

 話しかけると墓穴を掘りそうなので、私は家までの道程、固く口を閉ざしていた。


「千絵子さん。言ったよね、必要以上に仲良くするなって」

「? 言ったっけ」

「要約するとそういう事を僕は言ったでしょう」


 呆れたような声をあげながら、昴君はため息を吐く。リビングのソファで、まず私が着替える為に二階へあがろうとしたのだけれど、昴君に止められてしまったので、仕方なく制服のまま隣り合って座っている。

 しかし今更であるが、親が居ぬ間に彼氏を連れ込むとはなんというあばずれなのだろうか。親は、そういうことに特別きびしいわけでもないようだが、隠れて何かするのを嫌うし、昴君の存在は近いうちに話さなければならないかもしれない。


「……昴君」

「何?……っていうか、僕の話をちゃんと聞いてくれてた?」

「いや、そもそも昴君はどういうつもりなのかよおわからん。まさかやなぎんに嫉妬してるわけでもないでしょうに。やなぎんが私に触ると何か不都合でも」

「そうだよ」

「え?」

「だから、そうだってば」


 ぽかん、と私が口を開いて彼をみつめていると、昴君は獰猛な肉食獣のような双眸で、私を射抜く。

 彼の唇が、私に咬みつく前に、囁いた。


「たとえ奏であろうと、俺の千絵子に俺以外の男が触れるなんてゆるさない」

「む……!?」


 塞がれた唇の熱さに、激しさに、私は驚いた。

 呼吸さえも奪うようなその行為に、頭がくらくらする。唇を開く前に強引に舌をねじこまれ、性急に吸われる。根っこからもぎとられてしまうかと思ったくらい、執拗な責めだった。

 ぴちゃ、といやらしい水音が耳に届くと、羞恥と同時に快楽が身体全体に流れ込むようで、そんな自分が嫌だと思う半面、こんな風に私を誘う昴君を詰りたくなる。もちろん、そんな感情が一時過ぎるだけで、私は結局はこういった事を許してしまっているんだと思うのだけれど。


 しばらく、私がいっぱいいっぱいになるまで、昴君はあれやこれやをお仕置きと称して私に施した。しかし後半から、これはどういった意味合いがあるのだろうか、と問いたくなるものまであって、そんな彼を少し責めるように見つめれば、にっこりと微笑んで昴君は言う。


「千絵子は今、誰の恋人なのかな?」


 不服ではあるけれど、仮をなるべくなくそう、という彼の言葉にうなずいたのは事実で、私はそれもわかっているから不承不承でも昴君だ、と答えてみせる。昴君はその言葉に満足そうではあったけれど、私の態度が気に入らないのか、続行、と言ってお仕置きなるものを再開した。

 やがて脳が正常に機能しなくなり、わけのわからない疲労感が襲ってくると、遠くからそれでいいんだよ、と声が響いてくる。

 一体、何が良いというのだろう。

 意識は朦朧としているし、目の前に誰がいるのかもだんだんわからなくなってきて、今ここで私に触れているのは誰なのだっけ、と考えてしまう。

 思考が空転してくると、しかしすかさず昴君が僕を見て、と言うから、かろうじて私は忘れずに済んでいる状態なのだけれど。


「それでいい。僕だけを見て、認識して」


 今、君に触れているのは誰。

 昴君。

 小さく、呟くように、返答する。昴君はにっこりと微笑む。 

 ああ、そろそろ限界みたいだ。意識が遠のいてくる。


「……千絵子さん、君は僕の恋人なんだ。いいこだから、忘れちゃだめだよ」


 微笑む彼の声に、無意識にゆっくりと頷いて、私はそのまま意識を手放した。


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