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第6話

「なにかな」

「えっ」

「訊きたいことあるんでしょう?僕に」

「あー、ごめん。あからさまに態度出てたかい?うん、あるんだけど訊いたらいいのかわからない」


 並んで歩いてる時に何度もちらちら視線送ってたらそうなりますよね。わかりやすすぎますよね。ええ、ごめんなさい。

 ひとつため息を吐いて、私は昴君にもう一度うかがうような視線を寄越す。それを受けて、昴君は首を傾げて更に優しい笑みを増すばかりだ。訊いていいよ、って合図なのはわかるのだけれど、非常に訊き辛かったのだ。

 それでも、好奇心に負けてしまい、私はためらいつつも口を開いてしまった。


「あーの、ね。奏君って、どんな人なのかなあ、と」

「ああ、なんだ。そんなこと訊き辛そうにしてたの?」


 からからと気持ちよく笑う昴君は、お昼に見せた少し艶のある顔とはまた違う。けれどひとつひとつの表情に魅了されているかのように、私は新しいそれらをのぞけるたびに同じように綺麗であると、心の中で呟いてしまうばかりだ。

 けれど、そこまで笑わなくとも。そもそもなぜ訊き辛いかだなんて、わかっておろうに。

 だってさあ、と口ごもりつつ言う私の頭を、昴君は撫でる。いや、嫌ではないのだけれど、そんな頻繁に頭撫でなくたっていいんですよ?


「別に、あいつのこと訊かれたって落ち込まないよ。そもそも明日には会う事になると思うよ?」

「ああそっか。そうだね。……ねえ」

「うん?」

「あんちゃん、本当に大丈夫なのかい」


 あんちゃんてなに、と噴出しながら言った昴君は、一頻り笑ったあと、真顔になる。


「僕が落ち込んだら、悲しい?」

「? 当たり前でしょうよ」 


 そんな今更な質問の意味がわからん、と眉根を寄せつつ言えば、昴君は満面の笑みで私の腕を掴むと、早足で歩き始める。なんだい急に。見たい番組でもあるのかい。

 首を傾げつつ私が昴君?と名を呼べば、昴君は一度止まって、ぐるん、と少し後ろを歩く私へと振り返った。


「落ち込んだら、なぐさめてくれる?」

「……はあ、まあ」

「じゃあまたキスさせて」

「はい?」

「僕の家でも良いし、千絵子さんの家でも良いよ。なんならその他の場所でも」

「何の話を」


 ぐい、と腕を引っ張られれば、気付けば私は彼の腕の中。これでもかというくらい目を見開く私の耳元で、昴君は囁く。


「千絵子に、いっぱい触れさせて」

「! ちょ、おい」

「早く帰ろう」


 拒否したかったけれど、なんだかんだ押しきられた私はあばずれなのか。ああもう、考えるといちいち落ち込むから嫌だ。

 次の日の、まさか朝に向こうから接触があるとは思わずに、いつものようにぼんやりと教室で席に着いていた私は、視界に昴君の存在が飛び込んできて驚いた。驚いた結果。  

 昨夜の破廉恥なあれこれを思い起こしてしまったわけである。

 顔赤くないだろうか。にっこりと微笑んで手を振る昴君に、私も手を振るけれど、顔は無表情に留まってしまった。


「おはよう、あかりちゃん!」


 声を大きく張り上げ腕が千切れんばかりに振り上げれば、満面の笑みでこちらへ駆け寄ってくる。呼ばれた当の本人はうんざりした顔をしているけれど観念しているのか、逃走するつもりはないらしかった。

 高柳奏。賑々しい彼こそが、昴君の幼なじみにして、彼の想い人。そしてあかりと縁戚になる人だ。

 ちら、ともう一度私の前に座るあかりを見たけれど、呆れた顔でため息を吐いているが、おや。思ったほど嫌でもなさそうだ。

 あかりは、本当に嫌いな人間にはここまで露骨にこっちくんな、っていう雰囲気を出したりしないのだ。きっと、距離をはかっている最中なのだろうな。


「千絵子さん、おはよう」

「おはよう昴君」


 今度こそ微笑んで私は告げる。まだ少し早い時間帯だから人はまばらだ。私たちの隣にあたる席のクラスメイトもまだ登校していない。

 昴君は繊細な動作で、奏君はなんとも豪快な立ち居振る舞いをしつつそれぞれが席に着いた。


「えっと、はじめまして!あかりちゃんのお友達の、千絵子ちゃん」

「あ、こちらこそ初めまして。ええと、奏君」


 奏君は私の名を呼んで頭を下げたので、私もそれにならってお辞儀をする。日本人の礼儀だ。

 しかし無防備な姿を晒していた奏君になんたる仕打ちなのか。何を思ったのか昴君は想い人の頭を思い切り叩いたのだ。何か道具を使って叩いたわけでもないのに、とても耳に心地よい音がした。叩かれた奏君は、とても痛そうではあるけれども。

 目を丸くして彼らの行く末を見守っていたけれど、昴君は不機嫌な顔を彼に向けている。なんだ、どうした。


「奏は野田さんって呼びなさい」

「えー?そんな他人行儀なの嫌じゃん、千絵子ちゃんて名前かわいいし。あ、じゃあちーちゃんで」

「馬鹿なの?そんなのもっと駄目に決まってるじゃない」


 なんだか険悪な雰囲気に慌ててしまい、私は2人の会話に割って入る。


「別にかまわんよ?ちーちゃんでもなんでも。私は奏君て呼ばせてもらって良いかね?」

「! 千絵子さんっ」

「おーむしろ呼んで呼んで!俺、下で呼ばれるほうがいいから、あだっ」

「お前調子乗んじゃねえぞ……」


 ゆらり、と彼の後ろに漂う何かが揺れた気がする。というか、あれれ?


「す、昴君?」


 なんだか随分とくだけた物言い……というか、好きな人にそんな感じでいいのですか?多少驚いてまじまじと彼を見つめていると、昴君はにっこりと微笑んだ。


「千絵子さん、千絵子さんも奏の事は下の名前で呼ばないようにしてね」

「……なんでだね?」

「なんででも」


 言い切りに、胸の奥が少し痛んだ。

 そうか、そうだよな。好きな人が、他の子に名前呼ばれるの嫌だし、その逆だって、嫌だよな。私としたことが。そのへんの気遣いをすっかり失念していたようだ。

 私は、小さくわかった、と返答する。

 でも、でもだな。

 なんだか、理不尽さを感じたりはしないかい。

 言ったじゃないか。忘れたい、と。忘れさせてくれ、と。だと言うならば、こんな些細な事で嫉妬してどうする。彼を独占しようとすればするほど、あなたはより苦しくなるのではないのか。

 自分に生まれた今の感情に、名前を付けられるほど私は人間として豊かではなかったけれど、それでも、そのまま従うにはいささか荒れた心は、小さな反抗心を鈍いふりして隠してみせた。

 微笑んで、私は口を開く。


「じゃあ、私はやなぎんと呼ばせてもらおうかね」

「ああ、なるほど!じゃあ俺は野田っちで!」

「おお、かまわないともさ」

「じゃあ改めてよろしく、野田っち」

「こちらこそよろしくね、やなぎん」  

 

 にこにこと微笑み合って、握手を交わす。さあ、これで我々の自己紹介は終わりだ。

 それで、と更に話を続けようとした、が。

 どうしたことか。ものすごい不機嫌オーラをその身に纏いつつ、ゆっくりと昴君が席を立った。まあ、当然か。わざわざ苗字で呼べと言ったのに、親しさを強調するかのようにあだ名を付け合ったのだ。彼を独占したい心が強ければ強いほど、私にたいして苛立つのは無理からぬことである。

 据わった目と低い声。

 呆れたことに、私は表面的にも心の中でもそんな彼に怯えていたのに、初めての表情に、またしても綺麗だ、と無意識下で私の内に過ぎった。

 

「……部室の鍵、どっちかが持っていたりする?」


 響いた声に、どんな意味で心拍数を上げているのか、混乱してわからなくなってくる。

 千絵子さん、と名前を呼ばれて、私は馬鹿正直に持っている、と返答してしまった。 無言で私の鞄を持ち上げ、更に私の腕を昴君は掴む。

 心配顔のあかりと目が合って、私はとっさにへらり、と笑んだ。あかりは少し表情を和らげてくれたけれど、それでもまだ不安そうだった。

 というか、ふたりきりで話をさせてしまうことになるけれど、それはいいんだろうか。

 私はぐいぐいと引っ張られる力強さに、その乱暴さにどこか芯が冷える思いがした。部室の前に着いても、黙って従う事もしたくなくて、足が止まった時点で思い切りその腕を振り払った。

 昴君は一瞬その行動に面食らっていたけれど、すぐに鋭い視線を取り戻せば、鍵は、と短く呟く。


「……持ってない」

「さっき持ってるって言ったでしょ」

「ふたりきりになって、何するの?」


 私の言葉に先程よりも苛立ちが増したのか、無断で私の鞄を開くと、ごそごそと漁りだした。行動に驚いて抗議しようとすると、昴君の手にはもうすでに鍵があった。

 くそ。たいがいああいうのって外側のポケットか中の小さいポケットに入れてあるからな。すぐわかってしまったか。

 私は焦って走り去ろうとしたけれど、やはり彼のが早い。腕を掴まれた状態で開錠され、そのままずるずると部室へ引きずられてしまった。

 かちん、と施錠される音がやけに部屋全体に響く。授業とか、そういうことは当然ながら目の前の男は考えていないのだろうな。


「……何そんなに怒ってるのかわからない」


 私の言葉に、昴君は眉を顰める。半ば無理やり座らされたソファのぎりぎり端っこまで寄ったって、昴君がこちらに近付いてきたら意味はない。わかっていたけれど、本能的にそうしてしまった。


「どうして、奏とそんな親しくなりたいの?」

「別に、そういうわけでは」

「僕の事は、最初は他人行儀に呼んでたし、口調だってしばらく素で話してなかった」

「だって昴君の好きな人だったら、その、信用できる人だから」

「それだけ?」


 ぐい、と両腕を引っ張られて昴君のほうへと倒れ込む。この学校は一般的な公立高校だが、男子のブレザーにはネクタイがあり、一応は着用が義務付けられている。ほとんどの生徒はしてきていないが。かっちりと制服を着るのは、一部の優等生だ。公立はそうそう校則も厳しくないので、教師もそこまでうるさくない。

 そう、だから、ネクタイを着けるような生徒は、表向きだけかもしれなくとも、優等生、なのである。


「あの、昴君?」


 私は、どうして掴まれた右腕にネクタイをひっかけられているのですか。ひょっとして、拘束されている?

 固まっている間に、昴君は何故か私の右手首と彼の左手首をぐるぐると巻きつけて縛り上げてしまった。どういうことだ、これ。混乱して彼を見ると、びっくりするくらいの無表情がそこにある。


「す、すすす」

「もう一度訊くよ?どうして、奏と親しくなりたいの」

「え?べ、べつに」

「好きなのか、あいつのこと」


 睨むように、挑むように言われた言葉の意味を考えるには、時間がまるで足りなかった。

 固まった無言になった私を見て、それが肯定の意を示していると思ったのだろう。ますます険のある空気を醸しながら、昴君の右手が私の膝小僧をつつ、となぞった。

 びくり、と震えた身体がひどく汚いものに思えて、全て投げ捨ててしまえればいいと思った。けれど彼はやわやわと触るその手をどかしてはくれない。


「あっ……!」


 ついに小さくだけれど声をあげてしまった私を、昴君は軽蔑するかのように笑う。


「僕に触られて、感じてるの?」

「おねが、やめ、て……」

「声、色っぽくなってきてる」

「やあっ!」




 ふいに、耳になにかが触れる。

 昴君の舌だとわかったのは、そろり、と耳朶をなぞられた時だった。

 特に恥ずかしい場所ではないはずなのに、今まで誰かに触れられたことのない部分を、男の人に舐められている。その事実が信じられなくて、私は必死で首を竦めた。


「やあ、おねが、やめてえっ!」

「快楽でもなんでもいい。僕から離れられない身体になっちゃえばいいんだ」

「……っな、んで」

「まだそんなこと言うの?僕よりも奏がいいのに、こんなに反応して」


 その言葉に、私の中で何かが爆発した。


「高柳君に、こんなことされたいわけないじゃん!」

「! …………千絵子」

「す……ばる、く……が、いや、なんでしょお……?」


 嗚咽混じりでなかなか言葉にならないけれど、それでも私の声に反応して、昴君は次に進もうとしちた行為をぴたり、と止めた。

 私は、無言で私を見下ろす彼の顔も見れないくらい、ぼろぼろと涙を零し続けていた。


「昴君は、高柳君が、私に近付くのが、嫌、なん、でしょ」

「……ああ」

「たか、やな、く、が、昴君より、私と仲良くするのが、や、だ、から」

「…………はっ?」


 次に発したことが予想外だったのか、昴君は妙に間抜けな声を上げて、私の頬を拘束されていない右手で包み込む。


「ちょっとまった、千絵子。おまえアレの事が好きなんじゃないのか」

「あれって、どれえ……」

「奏だよ!高柳君!」

「好きでも嫌いでも、ないよおおおお……」

「はあ!?じゃあなんで」

「だって、やなぎんと、仲良くするの嫌がって、そんなに、やなぎんのこと、大切なのかって、思うじゃんよおう……っく……」


 私の言葉に、しばらくぽかん、と口を開けて固まっていた昴君は、やがて我に返ったのか、私を拘束していたネクタイを外すと、短く息を吐き出した。


「……てっきり奏に一目惚れでもしたのかと思った」

「なんでそうなるのさ!意味わからないよ!」

「そっちの思考こそ意味わかんないよ!なんで今更、千絵子さんをあいつから遠ざけたいの?あいつは同性愛者じゃない。僕には可能性なんて万にひとつもないんだ!」


 じゃあ、どうして?どうして私の事を怒ったの。こんな事したの。

 口には出さずに、けれど空気でそれを感じ取ったのだろう。昴君は私を見下ろしながらぽつりと呟いた。


「僕が嫌だったのは、千絵子に奏をとられることじゃなくて、奏に千絵子をとられることだったんだよ」

「…………はあ?」


 ちょっと、自動販売機に行ってきてもいいでしょうか。


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