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第5話


「まさか、あかりのお兄さんと昴君の幼なじみ……奏君だっけ?のお姉さんが結婚するなんてまたずいぶんとすごい偶然があるものなんだねえ」

「そうだね」


 ほへえ、と妙な声を上げつつ話す私に相槌を打った昴君は、食べている間ずっと誉めてくれていたお弁当を食べ終え、ペットボトルのお茶を一口飲んでいる。ちなみに私は家から持ってきたものを持参している。どうせ弁当用意するから、飲み物も一緒に用意するのはそれほど手間じゃないのだ。

 あかりは何を思ったか、居心地が微妙だから先に戻るわ、と言って少し前に教室へ戻ってしまったので、今はふたりきりである。なんでだろう、さっきまでの変な緊迫感がなくなって、だはー、と長い息を吐き出してしまう。


「ずいぶん緊張してたみたい?」

「わかった?」


 あはは、と苦笑を漏らして再度短く息を吐き、私は話を続けた。


「あかりは鋭い人間だから……彼女に嘘吐くってえらい緊張するんだよねえ。まあ、罪悪感は別としてさ」

「そうだね」


 私の言葉に昴君も首肯する。


「きっと横田さんは、ほとんど信じていないんじゃないかな」


 彼の予想か確信かわからないその口ぶりに、しかし私は完全にそうだろうな、と考えていた。きっと、あかりは何もかも信じていないのだろう。けれど何も指摘しないでいてくれたのは、彼女が私を信用してくれているからだ。心配していないわけでは決してないのだろうに、最後の判断を私に任せて、見守る役に徹すると、きっと無言で約束してくれたのだ。

 友人の気遣いに少し心が温かくなると同時に、先程口にした罪悪感からか、ちくりと胸が痛んだ。

 私がしばらく無言でいると、昴君も黙って正面を向いていたが、やがて私の方へと振り返れば眉尻をきゅ、と下げて、なんとも情けない表情になった。どうしたのだろう。


「……ごめんね」

「? 昴君」

「僕の嘘に付き合わせちゃった」


 その言葉に私は目を丸くして固まる。

 いいよ、と言って笑ってしまえば済んだけれど、私はそうできなかった。だって私は、全然いいよ、と思えていないのだ。そこを曲げて口に出すのは、馬鹿正直かと言われればそうだけれど出来ずに、結局無言で微笑むだけになってしまった。

 決めたのは私で、けれども何がしたいのかわからないという感情はやはり同じで。

 やっぱりやめる、と言うのは簡単なのだけれど、昴君の内情を思えば、どうにもそれは言えなかった。

 もしも自分ならば、と。やはり考えてしまう。

 私ならば、あかりに恋心を抱いてしまうようなものなのだろう。私はそんな感情抱いたことないからわからない。けれどそうなったら、きっと考えても答えは出せずに、いくら大好きな糖分を摂取したところで、私の思考はそれ以上すすまないのだろう。

 想い人に、自身の心を否定されるのは、一体どれ程の苦痛だろうか。

 君は今、傷付いているのかい?なんて、訊けるはずもない。けれど、想像してしまうんだ。ない頭で、考えてしまう。そうなると、私は息が苦しくなって、彼をそこから解放できるのならば、協力したいと願ってしまったのだ。

 綺麗なその顔が、歪み病んでいくのを、どうしたって見たくなかった。

 私のその表情を見て、何を思ったのか、昴君は苦しそうに顔を歪ませた。あれれ、いちばん見たくないとか思っちゃってた表情されちゃった、なんでだろう。

 私は疑問符を浮かべた顔でじっと彼を見つめ返していれば、やがて昴君の右手が私に近付いてきた。

 長くもなく、短くもない。はっきりと黒でもなく、茶でもない。真っ直ぐというほどでもないけれどくせっ毛まではいかない、何もかも中途半端な私の髪。

 彼の手が、さらり、と私のそれに触れると、少しだけ隠していた私の顔をもっとはっきり見る為なのか、少しだけ取って私の耳にかける。

 手が耳に触れた瞬間、くすぐったさに私は肩をほんの少しだけ揺らした。


「……もしも」

「え?」

「もしも、本当に僕が、千絵子さんを好きだって言ったら、どうする?」

「どうって」

「あの時、僕の噂を知らなくて、ただ純粋に告白をされていたら、どうしてた?」


 いちばん最初に、告白されたとき?

 じっと見つめる彼の視線がなんともいえなくて視線をさまよわせつつも、私はなんとか口を開く。


「……断ってた、と、思うけど」


 だって、理由がない。

 もしも昴君が本当に私を好きだと言ってくれるならば、私も同じ気持ちを持っていない限り応えてはいけない。人として、それは守らなければならないことだと、思う。

 その答えに、昴君は苦笑して、ため息を吐く。なぜ、そんな悲しそうに笑うんだい。わかんないよ、昴君。

 気付けば眉間に皺を寄せて考え込んでいた私は、持参していた紅茶を一口飲み込めば、ちなみにこだわりが特にないのでなんの種類かはわからないがでかでかと缶に紅茶と書いていたパックになったものを購入している、なんとなく頭の中が冴えた気がした。少量だが甘味も入っている。


「……でも」

「! 千絵子さん」


 静かにつぶやくように声をあげた私を、まじまじとみつめてくる昴君の顔を、私もじっと見つめ返した。


「……今だったら、どうかな」

「え」

「断っていたかもしれないけれど……でも、そのあとたとえば、私の存在を抹消されてしまったら、悲しいと思う」

「…………」

「廊下ですれ違っても、挨拶どころか目も合わせてくれなくなって。気が付いたら小さく手を振ってくれたりとか。名前呼んでくれたりとか。そんなのが、なんもなくなったら、いやかなあ」

「千絵子さん」

「あれなんかもう友だち気取り?やだねえ、こんな図々しい奴じゃないはずなんだけど。ごめんよう、なんかきもち悪いねははは」

「千絵子」


 あれ?

 言葉を遮られたと思ったら、なんか気付いたら。

 抱きしめられてます?


「……昴君?」

「なんなのもう……超かわいい」

「え?いやあの、す」


 名前を呼ぼうとしたら、頬に唇が触れた。それに驚いて言葉を切れば、次に降りてきたのは唇へのキスだった。

 キス、ではない。

 でました。これは、接吻です。

 息が苦しい。どうしたらいいのかわからない。じたばたしていると、昴君が唇を離して微笑んだ。


「鼻で呼吸すればいいんだよ」


 くすくすと微笑みながらそう耳元で囁く。ちょっと、くすぐったいですが!

 というか多分そうだろうなとわかってるし苦しいからいくらかそうしてるんだけど足りないんだよ結局!口を塞がれるってこれほど苦しいのだね!


「それより、あの、なんで?」

「? なんでって」


 息が整って、普通に喋れるようになった私の質問に、昴君はわからない、といった風情でこてん、と首を傾げる。やめてください、可愛いです。


「だって、どうしてキスしたの?必要ないんじゃないの?だってキスはもう大丈夫そうってわかった、ん、でしょ?」

「……千絵子」

「へっ」


 私の言葉がお気に召さないのか。わからないけれどやれやれ、といった感じでため息を吐きつつ首を振る昴君。なんなのですか、一体。


「僕は言ったでしょう。名実共に恋人のような行為がしたいって」

「……言った、けど」

「それはただ身体を触れ合わせるって意味じゃないよ!かわいいって言ってるのだって本心だし、抱きしめたいって思った時じゃなきゃ、僕はそういう行動に出ないよ」


 ええー?それって……なんか、よくわからない。普通の恋人とそれだとどう違うのか?

 私が混乱しているのがわかったのだろう。苦笑して私の頭をゆっくりと撫でる昴君は、とても優しく微笑んでいた。

 ああ、また。

 彼のこういった表情のひとつで、世界は止まる。時間が流れなくなる。


「ねえ、別れるって前提で考えるのやめない?」


 そんな中、彼の発した言葉の意味を理解するのに多少時間がかかってしまった。

 数秒遅れて反応すれば、狼狽して一歩ずり、と後退する。

 しかし、そんな私の腕を、彼がしっかりと握った。ますます狼狽した私は、ふるふると数回首を振る。


「だって、でも」

「お願い、千絵子さん。僕と恋愛の練習しよう。女の子とちゃんと付き合った事って、今までないんだ。だから、最初の相手は千絵子さんがいい」

「だから、練習なんでしょう?」

「ゴールは、別れじゃないよ。いいじゃないか、たとえばこのまま付き合っても。どちらかが他の人間を好きになりでもしたら話は別だけど。僕は、いいかげん実らない恋にも疲れたんだ。卑怯だって言われてもかまわない。忘れさせて、千絵子さん」

「昴君」

「千絵子さんの存在で、僕の奏への気持ちを全部忘れさせてよ」


 なんだそれ。

 ええと。ええと?


「ちょっと自動販売機」

「別にココアとか買いに行かなくてもいいでしょ」


 彼の言葉に、ぴくり、と反応する。立ち上がりかけた私の肩をつかんで留まらせるとは。こやつ。


「なぜわかったのかね」

「糖分、でしょ。いいじゃない難しく考えなくたって。僕らは確かに仮の恋人かもしれないけど、いつか仮の部分がなくなる可能性だってあるわけでしょ?」

「……昴君は、私のこと好きじゃないでしょうに」

「少しでも好意がなきゃ、一緒になんていたくないよ」

「ふーむ……」


 眉間に皺を寄せつつ考え込む私に、にやり、と笑ってみせた彼の顔は、今までにない表情だった。

 私の身体を引き寄せると、何を思ったのか私と共にどさ、とソファに倒れこむ。

 所謂、押し倒されている状態になった。


「きっと、他の女の子だったら触れられないのかもしれない」

「え?え、いやいやちょっと!」


 言われた意味を把握する前に、昴君の手が私の身体をまさぐろうとする。


「昴君、ちょっと、やめて!」

「やだ」


 その言葉に衝撃を覚えて目を見開く。昴君をうかがえば、真剣なその瞳と真正面から向き合ってしまって、私はどんどん怖くなってしまう。

 今は、彼の手が私の腕を力強くおさえこんでいた。


「おねがい、やめて」


 かすれたような声で呟いて、もう一度彼をみつめる。すると、昴君の瞳が揺らいだ。 

 ……なんなのさ。その哀しそうな顔は、なんでなのさ。


「……じゃあ、お願い。約束しよ?」

「…………やく、そく」

「さっきの話。僕たちは、お互いに外に好きな人が出来ない限り、恋人同士」

「でも」

「僕は、千絵子を道具として扱いたいんじゃないんだ。こんな風に、押さえ込んで、こんな行為だけを繰り返されるのなんて、嫌でしょう?」


 昴君は、言って、纏め上げた私の腕を解放すれば、ひとつ息を吐き出した。わからないけれど、どことなく自分自身に呆れているかのようなため息だ。

 先程の乱暴な行為とは打って変わって、昴君は壊れ物に触るかのようにゆっくりと私の身体に触れた。それでも、さっきの記憶が残っているからか、私はついついびくり、と震えてしまう。


「……ごめん、怖かったよね。ごめん」


 ごめんね、と謝罪の言葉を繰り返されながら、彼がゆっくりと私の頭を撫でる。掴まれていた手首が少し赤くなっているのを確認すると、昴君は私の手を取って赤くなった箇所に唇を寄せた。

 触れるだけのそれは何度も施され、その優しい行為にますます涙が出てくる。


「昴君、私は、なんか、駄目だった?」


 私の涙混じりの声に、昴君は静かに首を振ると、起きれる?と言って私の背中に腕を回すと、ゆっくりとソファに座らせてくれた。押し倒された相手に起こされるとはこれいかに。

 涙がたまった情けない顔の私に困った顔を向けながら、昴君は私の眦に口付けた。なんですかね、今日は皮膚接触が多いですね。


「泣かないで」

「泣かせないで」


 反射で返した私の言葉に目を見開けば、昴君はごもっとも、と呟いて項垂れた。その様子に多少は溜飲が下がる思いがすれば、私は小さく微笑む。

 その表情に、昴君がやっと安心したかのように微笑を返した。


「泣かせたかったわけじゃないんだよ。ただね、さっきも言ったけれど、僕は千絵子さんを道具にしたいわけじゃないんだ」

「私は別に道具じゃないよ」

「でも、僕となるべく学校で関わらないようにしようって思ってたでしょう」


 え。


「それだけじゃない。こうやって他愛もない話をしたり、お昼を食べたり放課後の時間や休日の時間を一緒に過ごそうとか、そういうことだってする必要がないって思っていたんじゃない?」


 え。え。

 ちょっとまて、なぜ知っている。


「わかるよ、反応見てればそのくらい。今日、教室に来たときだって心底不思議そうな顔してたし、横田さんの前であまり一緒にいるとこ見られたくないんだなって思ったもの」

「……そうだけれどもさ。そのほうが色々と都合が良いんじゃないのかい」

「だから。最初、確かに僕はいつか別れるって言ったよ、それはごめん。でもね、僕も、終わりを想定して関係を築こうと思ったら、やっぱり寂しいって思うんだ。千絵子さんがそう思ってくれたように。だから、仮とかそうじゃないとか、あまり考えすぎるのやめようって思ったんだ」

「昴君」


 ぽかん、と間抜けな顔で見つめる私に微笑んで、昴君はふわりと笑めば、一瞬だけ触れる程度のキスを、私の唇に落とした。

 な、ふいうちは、恥ずかしい!

 真っ赤になった私の顔に、微笑んで彼が可愛い、と告げる。だからそれも恥ずかしいのだが。


「僕たちは、まだ恋人って堂々と言えない関係だと確かに思う。でも、いつか終わるんじゃなく、ここから始まるって考えられないかな」

「……はじまる、ですか」

「うん。やっている行為は本当の恋人となんら変わらないんだし。行為に気持ちが追いつくように、これからゆっくりと、お互いを知っていかない?」

「昴君は、それでいいの?」

「もちろん。良くなかったらこんなこと言わないよ。千絵子さんは?」


 気持ちが追いつくまで、仮の恋人。なんだかとてもややこしい話だ。


「ちょっと」

「自販機はいいから」


 ちっ。なぜわかる。

 私はひとつ息を吐き出せば、覚悟するかのように、頷いた。


「わかった。そっちのほうが、ずっと健康的だもんね。うむ、どんとこーい」

「……最後の宣言がよくわかんないけど」


 ふふ、と笑って、昴君は右手を差し出した。


「これから改めて、よろしくお願いします、千絵子」

「! よ、ろしく。す、昴」


 私はされた行為を真似しただけなのに、呼び捨てにされた昴君は、目を見開いてなぜか頬を染め上げた。



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