第25話
なんとか腕の中から逃れようと、手足を動かして抵抗しようとする。しかしそうすることで昴君がますます私を抱く腕に力を込める。ついには右腕のみで拘束されていた身体が彼の左腕まで加わり、腰まわりと胸の少し下の部分に腕を回されてしまった。私の両腕ごと羽交い絞めにされているので、もはや下半身でしか抵抗できないのだけれど、そうすると今度は昴君が足まで使って自由を奪いにかかりそうなのでおとなしくすることにした。
いまさら、井上詩織を気にする必要もないしな。いや、皆に見られているの多少、いや、かなり恥ずかしくはあるけれど。
それぞれを視界に入れると、皆して反応が違う。やなぎんはにやにやしているし、あかりは呆れた顔だし、まーくんはいつも通りの微笑み。
井上詩織は、なんともわかりやすい。はっきりと全身で不快だという雰囲気を発していた。そんな彼女を、冷ややかにみつめる昴君。状況把握にはまだまだ時間がかかりそうである。
「じゃあ、話の続きをしようか」
仕切りなおすかのように言った声の主は、私の頭上から聞こえるから昴君だ。
そんな彼の声にぎくり、と身を震わせて、井上詩織は助けを求めるべくやなぎんへと顔を向けた。縋る様な、媚びるような声で彼の名前を呼ぶ。
奏君、と呼ばれて、やなぎんは微笑むと、一歩、井上さんから距離を取る。
驚きに目を見開く彼女を見れば、やなぎんは堪えきれないとばかりに噴出した。
「まさかあんなのに騙されたと思ってたの?君、今までどれだけ中身からっぽの男を相手にしてきたんだよー」
「悪いけど、僕も奏も君のような手合いには慣れてる」
げらげらと笑い出したやなぎんに、頷く昴君。ええーと。求む、状況説明。
わからないという表情で昴君をしたから覗けば、彼は心得たように頷いた。ああ、綺麗な微笑み。私がずっと、ほしいと思っていたもの。
「君が僕と奏を狙っていたのは知っていたよ。どういう種類の女の子なのかっていうこともね。男を装飾品としか思えない、その飾りをとっかえひっかえするのが大好きな井上詩織さん」
「! な、なに言ってるのよ」
昴君がさらりと放った言葉に動揺を隠せないのか、狼狽して井上詩織が退く。
ああ、なんだ、本当にあばずれだったのか。
そんな彼女に珍しく黒い微笑を向けるのは、やなぎんだ。先程のがすべて演技だったとわかって、騙された自分がとたんに恥ずかしくなった。
本当に、冷静じゃなかったんだな、あのときは。だって、少し考えればわかるのに。彼がそんな男ではないということくらい。
「こんな状況で誤魔化すのはちょーっと無理がありすぎるでしょー。俺ははっきり迫られたし告白もされたし、昴にも同じ事言ったのはこっちでとっくにわかってるんだよ?」
「し、知らない……」
「ふぅん。じゃあ、訊くけど。君の本命ってどっち?僕?それとも奏?」
どうなの、と問いかけると、焦った様子だった井上詩織は何を思ったのか、ついにはわ、と泣き出した。この状況で涙を見せたところでどうにかなるのだろうか。
「私は、不安だっただけなの!昴君は、今も野田さんが好きなんじゃないかって……私、昴君にこっちだけを見て欲しかったの。奏君と仲が良いところをみせれば、少しは嫉妬してくれるんじゃないかって思っただけなの!寂しかったのよ!」
「てことは、本命は昴なわけ?」
「ご、ごめんなさい、奏君……」
潤んだ瞳でみつめれば、たいがいの男はころりといってしまうのかもしれない。しかし、この空間にいる男たちは、どれもたいがいに属さない人々らしい。
ずっと傍観者として沈黙していたまーくんが、静かにへえ、と声をあげた。
「君は、本命がそんなにたくさんいるんだね」
「……っ!?あ、あなた」
「やっと気付いた?そう、一ヶ月程前に俺に告白をしてきたのは確かに君だったね、井上詩織さん」
「ええ、まーくんにまで!!?」
驚きに思わず声を高くすると、あかりが下種ね、と短く呟いた。さっきからいちいち一言がきついです、あかり先生。
「うーん、冷静な君がずいぶんと色々やらかしちゃったみたいね。ま、無理もないよ。僕らの学年は豊作みたいだし?」
「そうそう、一年間は吟味中だったみたいだね。で、的を絞ったのがおよそ5名ほど」
「どう、して……」
笑いながら言う昴君とやなぎんの言葉に、やっと色々と合点がいった。どうやら、彼女は学校中のめぼしい男共をかたっぱしから手に入れようとしていたらしい。多分、普段はもっとうまくやるのだろう。しかし今年は自分の所属する学年で彼女が気に入りの装飾品がずいぶんと多かったらしく、それで色々と無理が生じてしまったらしい。
うん、察するにそんなところだろう。……いや、これでもそんなに馬鹿じゃないんですよ?さすがにやっとわかってきました。
しかし昴君、やなぎん、まーくん全員に声をかけるとは。まあ、目は確かだとは思うがやりすぎだろういくらなんでも。
「つれて歩く男で価値が決まるって本気で思ってるのね、あなた。くだらない、自分自身がメッキで出来てるからそんな発想が生まれるのよ」
「あかりちゃんかっこいい、惚れ直しちゃいそう」
「けっこうよ」
ん?惚れ直す……?
あれ、やなぎん、いつの間に。
私は目を見開いてやなぎんを見れば、やなぎんがぱち、と片目を瞑った。今日はやけにウインクされる日である。
そうか、告白、したんだな。
私はある意味、同志のような思いで、彼と目を合わせて微笑みあった。うまくいくといいのだが。
「千絵子さん、奏とアイコンタクト禁止。僕、けっこう独占欲強いよ、わかってる?」
「へっ!?」
昴君が突然落とした爆弾にびっくりして声をあげると、意味を認識した頭が脳に指令でも送ってしまったのか、みるみる間に顔が赤くなっていくのがわかる。ひょっとすると、耳まで赤くなっていやしないだろうか。
そんな私を、昴君が横からのぞきこんだ。
「あれ、真っ赤。かわいい」
「! んなっ」
何を言ってるんだ!と、怒鳴りたかったけれど声が出ない。とりあえずなんとか彼から距離を置きたいのだが、やっぱり腕の力が強くて身動きがとれない。ああもう。
「ちょっと!いちゃついてんじゃないわよっ!!」
もがく私と、それをからかう昴君の間に発せられた怒鳴り声。それは、こちらをおもいきり睨みつけている井上詩織によるものだった。
もはや、仮面も脱ぎ捨てこちらを憎悪のこもった眼差しで射抜く。私は驚きに目を瞬いた。
頭上からは、呆れのため息。昴君は驚いてはいないらしい。まあ、さっきからの口ぶりでそれはそうか、と納得できたけれど。
「とりあえず、本命は、国立大学に通う年上だっていうのもこっちはわかってるんだよ」
やれやれ、といった様子で話す昴君の言葉に、私も呆れてしまう。まだ他に男がいるのか。
井上詩織は、猫をかぶる必要もないと判断したのか、昴君をおもいきり睨んだ。
「なんなのよ、あんたたち!なんの権限があって」
「なんの権限があって、だと?」
漲る感情は、怒り。
私を抱きながら発せられたそれは、まさしく昴君からつくりあげられたもの。わかっているのに、意外すぎたそれに戸惑いを覚える。
心配になって見上げてみれば、怒りに歪んだその表情に、なぜか胸が高鳴ってしまう。
私は、もはや彼の作る表情ならばなんでもいいのだろうか。だって、今の昴君ですらものすごく綺麗だと思ってしまう自分がいる。
昴君が向けた矛先にある彼女は、その怒りを真正面からあびて、がたがたと震えていた。
「俺のいちばん大切なものを傷つけておいて、よくもんなことが言えたもんだな。わかってんの?あんた。学校中にこの事実ばらまいたら、女子の統率とってたあんたの面子、丸つぶれなんだぜ」
昴君の言葉にはっとなり、何かに気付いたかのように息を呑んだ井上詩織は、悔しそうに唇をかんだ。
「証拠は必要ない。別に、それとなく学校で噂みたいなもんを流せば、あとは面白いくらいに広まっていくだろう。何より忘れてない?僕の叔父がこの学校にいるってこと。いざとなったら教師も味方につけられるんだよ?すっごくえげつないことだって出来ちゃうの」
「! そ、そんな」
くすくすと笑う昴君がどこか恐ろしい。私は不安になって、ぎゅう、と彼の腕を自身の手でぎゅ、と掴んだ。昴君はそんな私をなだめるかのように、抱く腕に少しだけ力を込めてくれた。
「君が、俺や昴と近しい女子を作らないようにそれとなく根回ししてるのも知ってるし、告白してきた女生徒にいじめのようなことをしているってことも、調べてもうわかってるんだよ」
「高校生にもなっておかしいと思ったんだよな。妙に統制の取れた動きにさ。いくら僕と奏が目立つっていっても、徹底しすぎてる。中学みたいにそうそう閉鎖された空間じゃないしね、ここは」
「そそ。なんだかんだ、女の子は他所で彼氏作ったりしているしね」
昴君とやなぎんの言葉が信じられない。目を丸くして固まる私に、井上詩織はなによ、と睨みつけてきた。
「あんただって、良い男好きでしょう?私は人よりもその欲求が強いってだけよ!」
「いや、その開き直り方は意味不明すぎるだろう」
「苦労もしないで良い男はべらして!あんたみたいなのが私はいちばん嫌いなのよ!」
「はあ、それはどうもすいません」
むかつく!と顔を真っ赤にする彼女に、私はこれ以上どうしたらいいのかもわからずに、ただ目を丸くしてみつめるのみ。
なんというか、生き物としてこういう振り切れた人は、どこか嫌いだと言い難い。だってすごく面白いんだ。でも自分と関わってたら色々と苦労するわけか。それはいやだな、やっぱり。
「まあ、君を不幸のどん底に陥れるのがいかに簡単かっていうのは理解できたかな」
「ちなみにさっきの映像で保存してあるからね、いくらでも彼氏のメールに送り付けるとかできるから」
「! や、やめて……」
急に弱気になったところを見ると、どうやら彼女の本命がその彼氏ということに間違いはないようだ。外で複数の男を作るっていうのは、本当に理解できないけれど、震える彼女に少しだけ同情心のようなものが芽生えてしまったのは、事実だった。
「佐藤君に高柳君。君たち、おそらくだけれどバラすつもりはないんだろう?」
まーくんの言葉に、弾かれたように俯き震えていた井上詩織が顔をあげた。昴君は、そんな彼女に頷く。
「君が、この先卒業するまで任せる仕事をまっとうするならば、僕と奏は君についての噂をばらまいたりしないって約束するよ」
「……仕事?」
「野田っちの近辺を守ること」
へ?私?
声をあげてやなぎんと昴君を交互に見れば、ふたりはそうだよ、と頷いた。
「僕と千絵子の距離が近付けば、少なからず千絵子がなんらかの矢面に立つ事は避けられない。けれど、女子のリーダーである君が、そういうことはしちゃいけない、という方向に持ち込めばそれらもなくなる」
「野田っちがなんらかの被害に遭わないかぎり、俺らは君についての話を全部忘れるって誓うよ」
「ふざけないでよ、なんで私が!」
「全部、台無しにするの?くだらないプライドと引き換えに」
そのプライドすら、失ってしまえば抱くこともできなくなるのに。
静かな声で昴君が告げると、井上詩織は抵抗していた瞳の炎をふ、と消した。
「あ、ちなみに君が手引きしたわけじゃなくとも、なんらかの被害が千絵子に及べば僕はあなたのことを許さないからそのつもりでね」
「はあ!?いくらなんでも理不尽じゃないの!」
「君がしたことによって千絵子が負った傷への代償だと思えば安いものだろう。できるできないじゃない。やらなくちゃいけないんだよ、井上さん。君に選択肢は、ないんだ」
従うしかないという事実に、井上詩織はようやく思い至ったらしい。
力無くうなだれて、お願いだから彼にだけは言わないで、約束は守るから、と告げる彼女に、やっぱりどこかしら同情めいた感情を抱いてしまうのは、仕方ないのではなかろうか。
悲壮感漂う綺麗な井上詩織さんに、満面の笑みで最後通告をくだした昴君を、私は心底おそろしいと思ったのでありました。
井上詩織が帰ったあと、なぜか流れで生徒会室のソファに座り、私と昴君とやなぎんとあかり、そしてまーくんは事の顛末をそれぞれ確認しあっていた。
とにかくいちばん疑問だらけなのは私のはずだ。先程から質問を繰り返している。
「まーくん、知ってたの?」
「ん?いや、ふたりが何かやっているっぽいなってところくらいかな」
「……そういえば、君と奏、ひょっとしなくとも交流があるんじゃないの」
目を眇めて彼らをみつめる昴君に、まーくんは肩を竦めた。
「ばれちゃった?もちろん事情はなにも聞いていなかったけれど。お仕置きの効果がどうなっているのかとか、身近な人に聞きたくて、高柳君に応援を頼んだんだ」
「今日ここに呼び出したの正解だったろ?わかりやすくていーじゃん」
「奏、おまえなあ」
「ごめんね、野田っち。今まで忙しく井上のまわりを嗅ぎまわってたから、昴とあの女の関係、誤解させちゃったんだよね」
「いやその」
蓋を開けてみればどうやら、昴君とやなぎんと急激に仲良くなった私が、次なるターゲットにされかけていたらしい。すんでの所で井上詩織がいじめではなく、私と昴君に距離をとらせる方法を選んだから、それで慌てて攻める必要がなくなったらしい。慎重に証拠固めをし、今日を迎えようという流れになったらしかった。
あかりがターゲットにされない理由は、なとなくわかるな。敵に回したら相当怖いタイプだし、なにより外に本命がいるって言葉にある程度は捨て置いていいだろう、と彼女みずから判断したのかもしれない。
「……でもだったら、昴君が私に事情を話してくれてもよかったんじゃないか。そうしたら、私だって近付かないようにしたし」
なにより、あの夜あんな涙は流さなかったのに。
「……それについては、僕も謝りたいっていうのはあるんだけど、それ以上に。訊きたいことがあるんだけど」
困ったような昴君の表情に、私は首を傾げる。
「? なに」
「千絵子さん。いつから高木君と付き合ってるの?」
隣に腰かける昴君から、はっきりと低い不機嫌な声音で問いかけられ、私は思わず固まった。
あの、今度こそ自動販売機にココアを買いに行かせていただいてもよろしいでしょうか。