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第17話

 目覚めた瞬間、その顔を探してしまったけれど、軋むベッドの音につられてやってきたのは、当然だけれど保健の先生だった。

 しかし私、どれだけ失神すれば気が済むんだろう。昴君と会ってから毎回のように意識朦朧としてたら危ないじゃないか。いやまあ、病気じゃない事とかでも意識持ってかれてるけれどもさ。いや、そこは考えないようにしようじゃないか。

 阿呆な事をあれこれと思っていれば、心配顔の先生は、先程よりも不安そうな顔をしていた。どうやら、ずっと何か質問していたらしい。私は無言でぼんやりしてしまっていたので、頭でも強く打ち付けたのかと勘違いしたようだ。

 私は、大丈夫です、と慌てて声をあげる。

 保険医である国松(くにまつ)先生は、可愛らしい顔で安堵の息を吐くと、それから普段の彼女らしからぬ表情を見せた。いや、おそらく生徒用の顔から少しだけくだけた表情なのだろう。

 少しいやらしい笑みといえなくもない。あどけない顔なので余計えげつなくうつるのだろうか。さっきから失礼な事を思ってしまっているが。

 とりあえずそんな顔のまま、国松先生は声をあげる。


「それにしても、細身かと思ったら案外すごいのねえ」

「? どういうことですか」


 何をさしているのかわからずに私が首を傾げつつ訊ねると、国松先生はそのかわいい顔には到底似合わない笑みをますます深める。


「佐藤君よ、決まってるでしょう。あなたのことお姫さま抱っこしてここまで連れてきたんだから」


 楽しそうに弾んだ声でそんなことを話す先生に、私は目を丸くする。

 彼が原因で私はこうなってしまったのだし、もちろん置き去りにされてしまったら大変困る。困るけれども、それでも昴君がここまで私を運んで来てくれた事実は意外だった。


「あなた達、喧嘩でもしているの?」

「え?」

「佐藤君、ずいぶんせつなそうな顔であなたをみてたわよ」

「…………」

「あ、そうだわ、野田さん。熱はかっておいてね」


 国松先生がはい、と私に体温計を渡して、私はそれに従う。一応は言われたことだけはやっているけれど、けっこう頭がいっぱいいっぱいである。

 私は、とにかく混乱していた。ぐるぐると、昴君と私の今までが駆け巡っている。自分でだって、感じていないわけではない。

 別れを告げてからの、昴君のあの表情。自惚れだとわかっているけれど、私が彼に向ける表情とすごく似ているのじゃないか、と思ってしまった。でもそれって、昴君が私を好きみたいだ。でも、そんなことはありえない。だって彼は、私の気持ちを知った上で、知らないふりで私を翻弄したのだから。


「ああもう!わからん!」


 私は、思わずがばり、とベッドから起き上がった。と同時に、ぴぴ、と体温計が計測を終えたことを知らせる。国松先生はあまり気にしないお方のようで、先程話したいことをぜんぶ話してしまったからか、私の奇怪な行動にも慌てることなく体温計を取りに来ると、平熱ね、と呟いてデスクに座り仕事を再開しした。なかなかどうして、生徒に人気のある保健医である。

 ていうか平熱?あれ、さっき私、たぶん熱のせいで倒れたと思うんですけど。

 国松先生は多少高いけど37℃までいかないから大丈夫だろうと言っていた。本当だ、平熱だ。びっくり。

 と、今はそうじゃなく。

 ここ数日の私といったら!

 無駄に真剣に悩んでしまって。暗い思考をずるずると引きずって。悲劇のヒロインになったかのように、詩でも詠んでいるかのように心は饒舌ときてる。なんと情けないことであろうか。

 好きじゃないのだ。

 同じ事をずるずると悩み、同じ所をぐるぐると回り、同じ壁の前で立ち往生なんてことは。はっきりさせたい。この、悶々とする心と、決着を付けたい。


「先生、お世話になりました」

「あらもういいの?」

「はい」

「ちょうど間の休み時間だから、今からなら六時間目は出れるわよ」

「じゃあ、出ます」

「本当に大丈夫?今は下がったみたいだけれど、あなた熱で倒れたんでしょう」

「問題ないです、身体もすっきりしてますし」


 腕時計を確認しながら国松先生が言った言葉に、私は頷いて答えた。先生は、少し心配顔をしたけれど、やがて気をつけるのよ、と言ったあと、ふ、と微笑むと、引き出しからごそごそと何かを取り出した。


「あげるわ」

「! ありがとうございます……」

「あら、嫌い?」


 複雑な表情をした私は、渡されたそれが嗜好と合わないからそんな顔をしたのではない。慌てて首を振れば、再度お礼を言って鞄を提げて保健室をあとにした。


「……ペロペロチョコ」


 棒に丸いチョコレートがくっついた、例のあれだ。

 昴君といい、やなぎんといい、どうして先回りして糖分摂取をさせるのか。私はぺりぺりと包装を剥くと、ごみを鞄に突っ込んだ。教室で捨てればいい。

 ぱく、と口の中に入れると、安っぽい味が口いっぱいに広がった。


「おいし」


 安っぽいけど、なつかしい味。なつかしさは、なぜやさしさまで想起させるのだろう。

 信じられないことに、棒付きチョコレートをくわえたまま、私は少し涙してしまった。

 

 教室に戻って、席に着けば、あかりは特別何かを探るでもなく、ただ大丈夫なのか、と訊ねてくるだけて、相変わらずの彼女の優しさが嬉しかった。

 単に、他人に興味ないというのもまあ、あるけれどもね。

 一時間授業を受けて、本日の学業はおわり。一仕事終えたかのような気持ちで息を吐けば、私は鞄を持ってあかりにそれじゃあまた明日、と告げる。あかりは、ひらひらと手を振るだけだった。やっぱり彼女は他人との線引きがしっかりしているひとだ。苦笑して私はうなずいた。


「失恋していないのがいけないんだ」


 そう。先程考えていた事。

 昴君は、確かに色々と卑怯なのかもしれない。なにかは確実に隠しているし、ひょっとすると私のことを馬鹿にしているくらいなのかもしれないし。

 けれどもだ。

 私は、逃げたじゃないか。

 ゆっくりと、時間と共に消滅するのを、待とうとした。

 それが、時には良いこともあるだろう。告げたら誰かが不幸になる想いは、胸にしまっておくべきだ。けれども、私の場合はそんなことはない。

 楽になりたいのだろう。すっきりしたいのだろう。

 ならば、はっきりさせてしまえ。

 先程のチョコレートで、糖分もじゅうぶん。さあ、いざゆかん。と、足を一歩踏み出した所で、私は固まった。

 くるり、と振り返って、教室へと舞い戻る。


「あかり」

「なによ、怖気づいた?」


 にやにやといやな笑いを湛えつつ私に問いかける彼女に、私は渇いた笑いをもらした。


「……昴君て、何組?」


 あかりが呆れを通り越して絶句したのは、いうまでもない。


「昴君」


 仕切りなおしてやってきた、昴君とやなぎんが在籍しているクラスの教室。近くも遠くもない微妙な位置だったのだな。私は出入り口にて彼の名前を呼ぶと、目を丸くした昴君が、声に反応してかたまった。

 なんでそこでかたまる。

 周囲の女子は、ひそひそと何事かを囁いていたが、やがて、ああ、と納得している様子だったので、噂は思惑通りに進行しているらしい。やなぎんとあかりに感謝だ。正確には、ふたりの姉と兄だけれど。

 やなぎんは、微笑みながら大きく手を振っている。私はそれに同じように返す。

 やがて我に返ったのか、昴君はやなぎんを軽く蹴り上げると、って、蹴り上げる?なにしてるんだ、昴君。

 面食らってかたまりつつも、出入り口に立つ私の元へと歩み寄れば、昴君はどうしたの、と首を傾げている。ああ、やっぱり好きだな。綺麗な笑顔だ。


「……ちょっと、話があって。今日用事がないならば付き合ってほしいのだけれども」

「いや、それはいいけど!大丈夫なの?だってさっき」


 昴君は眉を八の字にして、今にも泣き出しそうな顔を私に向ける。こんな顔ははじめてかもしれない。新発見だ。


「ああ、熱は下がったみたいだから」


 私が笑って言うと、昴君はものすごく驚いたのか、目を見開いてかたまってしまった。いや、まあそうですよね。私も自分の回復力に驚いていますとも、ええ。

 でも、今日はまた見たことのない彼を発見できたから、倒れて心配かけてしまったけれど、ちょっと良かったかもしれない、なんて現金なことを考えてしまった。

 新しい彼をみつけるたび、綺麗だと連呼してしまう自身の貧困さに呆れなくもないが、他に私は表現の仕方がわからなかった。とにかく、これがいちばん強い感情として思考に浮かぶから仕様がない。

 もうちょっと眺めていたかったけれど、仕切りなおして私は昴君におうかがいをたててみる。


「じゃあ、部室。で、いい?」


 にっこりと微笑みながら話す私に、昴君は多少の戸惑いを覚えつつも、はい、と緊張した様子で頷いた。なんだか、翻弄されっぱなしだったから、こんな彼を見るのは少し楽しいなあ。

 と、いかん。

 私は別に、彼に復讐したいとか、そういうのじゃない。恨んでいるわけでもないのだし。

 とにかく、告白して、きれいにフラれる。今の私の最重要課題である。

 やなぎんとのあいさつもそこそこに、私と昴君は無言のまま、部室までの廊下を歩いた。気まずい重苦しい空気が流れて、ただでさえ緊張してしまう私はよりいっそうこころがかたまってしまいそうだったけれど、なんとか踏ん張って堪えた。

 部室の扉を開いて、私と昴君が足を踏み入れる。扉の閉まる音は、やけに大きく響いて、私の心臓が変な動きをみせた。

 深呼吸をして、私は奥のソファに腰かける。昴君には、向かいに座ってもらうようにお願いした。隣では、あまりにも距離が近すぎる。

 それに何かを感じたのか、昴君は一瞬動きを止め、しかしわかった、と告げて腰を下ろした。寂しそうなその表情は、どんな意味があるというのだろう。

 しばらくその意味を読み解けるかとながめていたが、さっぱりわからず、やがてあきらめた。

 さあ。いよいよだ。

 ごくり、とたまった唾液を嚥下する。すると口の中がひどく渇いてしまって、今すぐにでも自動販売機に走りたくなった。

 そわそわとする私の様子に昴君は心配気な顔をみせる。

 これではいかん。私は姿勢を正した。昴君も、それにならって背筋を伸ばす。


「あーの、さ」

「……ねえ、話って、さっきのことだよね?」


 私が口を開いた瞬間、昴君がフライングのように先に話し出してしまった。少し狼狽したが、とりあえず彼の話に耳を傾けようと首を傾げる。

 さっきの話とは、一体なんぞや。

 頭に疑問符を浮かべる私が気にくわなかったのか、昴君はむ、と眉を顰める。


「だから、まーくんだよ!どこの誰か知らないけど!」

「ああ、まーくん。が、なんだって?」

「あいつが好きになったから、僕と別れたいんでしょ?」

「はあ?なんでそうなるの。まーくんは従兄弟だよ?」


 そういえば、そんなことを言っていたな。というか、それが原因でなにかあんなことになったのだっけ?

 あまり思い出したくない記憶だったので、私はとりあえず深く考えるのをやめた。

 目の前の昴君は、私が先程言った言葉を理解できていないのか、咀嚼するのに時間がかかっているのか、ぽかん、と口を開けたままかたまっている。

 私は、補足説明も必要かとさらに話を進めた。


「兄妹みたいに育ったし、雰囲気が父に似すぎてるし、まーくんのことは家族として好きだけど恋愛対象としてはちょっとみれない。まーくんもいっしょだよ」

「…………じゃあ」

「まあ、好きなひとができたのは、本当だけど」


 暗い雰囲気を背負っていた昴君が、みるみるまにきらきらと輝いた瞳を見せる。けれども私が続けて放った告白に、彼はその大きな瞳をさらに見開いた。

 わかりやすく、傷付いた、という顔をしている。けれど、それがなぜなのか、私にはわからない。

 首を傾げつつ、つづきを話そうとすれば、昴君が言った。


「いやだ」

「え?」

「好きなんだ」


 好き。

 ああ、昴君がやなぎんを?そんなことは言われなくともわかっていますが。

 私がそう告げると、昴君は違う、と声を高くした。今度は、私が驚いて目を見開く。


「俺は、千絵子が好きなんだ!最初に告白したのも、単純に、君が好きだからそう告げただけなんだ!」

「…………は?」

「俺は、ゲイでもなんでもない。異性が好きな男だ。何人かの女と、付き合いの真似事みたいなものもした」


 昴君の告白に、私は思考がついていかずに、かたまったまま彼をただみつめていた。

 綺麗な顔が、真剣に私を射抜いている。それをみるだけで幸せで、別にこういった展開を望んでいるわけではなかった。

 というか、ふられることしか想定していないのだ、こっちは。

 私が大混乱を起こしているのもしらずに、昴君の告白は続く。


「でも、心から欲しいと思ったのは君だけだ。真剣な交際ってやつも、今までしたことがなくて、どう繋ぎとめたらいいのか、わからなかった。なにより、あのまま普通に告げていれば、君は俺をふるだけだったとわかっていたから」

「…………」

「だから、ごめん。こんな面倒な嘘を吐いたんだ。君に、振り向いてほしくて、本当の恋人になりたくて」


 ええと、とりあえず。昴君が異性愛者なのまでは理解しました。あとは、えっと、なんだっけ?

 ええと。


「千絵子さんが、好きだよ。どうか僕と、本当の恋人になってください」


 真剣すぎる双眸が、私を真っ直ぐとみつめている。視線だけで、私の心臓はおかしいくらい高鳴っている。

 どこまでも私を混乱させるこの男は、いま、なんといった?


「好きです、付き合ってください」


 まるで最初からすべてをやり直そうとしているかのように、私と彼が邂逅を果たしたあの日を、昴君は寸分違わず再現してみせた。


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