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第16話

「ちーちゃんって、佐藤君と付き合ってるの?」


 腰を落ち着かせたのは、写真部の部室。ここは鍵が四六時中解放されているのだが、いいのだろうか。部員であるまーくんは、大丈夫だよ、と柔らかに微笑んでいた。

 文芸同好会よりは幾分か広いものの、ここもそこまでの規模ではない。部員数がぎりぎり部として存続できる人数であるから、扱い的にはそこまで変わらないのである。

 そしてパイプ椅子に向かい合って座り、長机に弁当を広げたところで、冒頭の質問を投げかけられたわけであるが。

 私は一瞬思考がかたまり、全身に緊張が走った。

 強張った全体をほぐしたのは、校庭から響く喧騒だった。

 我が同好会にあてがわれた部屋と決定的に違うのはこれ、窓があることだ。四階であるため不便といえばそうだが、閉塞感と比べればこちらのほうがやはり良いと感じる。豆粒ほどの生徒をながめ、真冬だというのにサッカーやらバスケットやらをする彼らをみつめ、元気だな、と呑気に呟いた。

 それから。

 私は横に向けていた顔を真正面へと戻す。少し真剣な顔をしているまーくんと、目が合った。


「……付き合ってないよ」

「ふうん?でもそういう雰囲気だったじゃない?」

「? 時にまーくんはわからないことを言う」

「わからないのはちーちゃんだよ」


 くすくすと笑うまーくんに、私はますます首を傾げると、次に彼はため息を吐く。それは、誰に向けたものなのか。この場合、やはり私なのだろうか。私の何に呆れたのだ、まーくんは。

 いいかい、と言って、まーくんは自身の瞳を指し示した。私はその仕草につられて、彼の瞳に何かの答えが隠されているのかと思ってじっとその奥を探ろうとする。


「佐藤君の、俺たちをみつめる目。どんな風だったか、覚えている?」


 まーくんの言葉は予想外で、しかし答えの知りたい私は、素直に先程の昴君を反芻してみる。思い出した次の瞬間、怖くなってぶるり、と身震いした。

 私の反応だけでじゅうぶんだったのか、目の前のまーくんが微笑んで頷いた。


「わかったでしょう?完全にあの瞳は俺をほってその男とどこへ行くつもりなんだ、っていう目だったじゃない」

「……だって、でも、昴君とはもう、恋人でもなんでもないのに」

「もう、ってことは、やっぱり付き合っていたんだ?」

「うーん……付き合っていたと、いうか」


 私は、悩んだけれど、まーくんに話す事にした。ただ、体の関係の部分はさすがに省いて。女性というものがどういった生き物なのか。それを知りたくて、時間を共有しているのだと、そんな風に説明する。

 最後まで話終わって、昼食も食べ終えた頃、まーくんは微笑んでいた。

 笑みが強すぎて、少し怖い。


「……馬鹿なことを」

「え?」


 何を言ったのかよく聞こえずに、訊ねると、まーくんはなんでもないよ、と首を振る。


「ちーちゃんは、佐藤君が好きなんだね」

「……うん。だから、傍で見ているのが辛くて、さらに不毛だと思って、終わりにしたんだ」

「賢明だね。流されなかったのはえらい」


 手を伸ばして私の頭を撫でるまーくんに、私は複雑な表情で返した。

 ほめられるようなことをした覚えはまるでない。結局、最後まで彼の面倒を見きれずに投げ出したのは私だし、最初から彼を受け入れなければこんな捻じ曲がった関係は出来上がらなかったはずだ。

 しかしまーくんは、もっともらしく、彼がそんなややこしい提案をしなければ良かった話だ、と指摘する。

 確かに、昴君はややこしいかもしれない。ややこしいし、案外素直ではなくて、私は彼の本音が、いつも薄皮一枚のところで止められてしまっている気がした。きっと、いちばん肝心な部分は、いつもはぐらかして答えてくれなかった。だからこそ、彼の真実を知りたいのにわからなくて、でもわかったらと思うと怖くて、私はあきらめてしまったのだ。


「ちーちゃんは、この機会に彼を客観的にみつめる必要があるんじゃないかな」

「客観的に……みつめる?」

「ほら、たとえば。なぜ佐藤君は、俺とちーちゃんを睨んでたんだと思う?」

「……お昼をいっしょにとるはずだったのに約束を反故にしたから?」


 私の言葉に、まるでナンセンス、といわんばかりにまーくんが首を振る。彼の背景からはやれやれ、という文字が見えそうなくらいわかりやすい身振りである。

 いや。

 自分でもこの答えはないよなあ、って思うのだけれどもね?だって他になにがあるのだろうか。

 もっと予想外な何かなのだろうか。


「……まーくんが好みのタイプだったのかな」

「……いや、うん、いいけど。彼はそんな浮気性なの?」


 呆れを通り越して戸惑いすら見せているまーくん。いや、わかってるってば、これもないよね。

 それでも一応、まーくんの言葉に答える。


「わからないけど、やなぎんの話では軽いお付き合いを幾度もしているようだった。昴君自身、いっしょに過ごすことには慣れているみたいだったし」

「軽薄な男だと、ちーちゃんは思うの?」


 私は、無言で首を振る。

 そもそも、そんな風に移り気であるならば、昴君が時折見せるあのせつなそうな、何かに耐えるような表情は、見せないと思う。きっと、傷付いているから、あの綺麗な顔を歪ませるのだ。

 私は、わかる。

 恋を知って、今、わかったのだ。あの意味が。

 昴君には、大切な存在がある。そして、叶わない想いを少なからず抱いている。私はそれが、やなぎんに対するものだろうと思っているから、だからこそ、辛い。

 叶わないのだと、私もまた、痛感してしまうから。

 またひとつ、整理してみると彼の中を知れた。そうか、あの顔は、そういう意味で、間違っていない。きっと。


「わからないのは、私なんだよ」

「? ちーちゃん」


 呟いた言葉に、まーくんは首を傾げる。


「私の存在って、昴君にとってどれほどの大きさなんだろうって、ずっと考えてるけれど、わからない」

「……それは、むずかしい問答だね」

「きっと、そんなに小さいものではないと、思うんだ。希望的観測でもあるかもしれないけれどさ。でも、彼にとって、私は逃げ道なのかもしれないから」

「逃げ道?」

「昴君、言ってた。やなぎんは異性としか恋愛できない男であるから、万に一つの可能性もないって。だから、疲れたって。忘れさせてほしいって」


 頬杖を付いて、無意識に外の景色を眺める。

 冬の空は、空気が澄んでいて、とても綺麗だ。

 気付く。

 私はまだ、昴君以外のものを綺麗だと思えるのだと。こうやって、私のなかの気持ちは、少しずつ消化されていくのだろうか。いつか、特別じゃない、綺麗という言葉を、彼にむかって放てるのだろうか。

 私がぼんやりと眺めている窓の外を、まーくんも同じように見やる。ふたりでしばらく青空と流れる雲をみて、やがてどちらからともなく立ち上がった。


「まーくん、ありがとうね」

「俺は何もしてないよ」

「ううん、色々助けてもらった。うれしかったよ」

「ふふ。ちーちゃん、近付きすぎたら、色々見えないかもしれないけれど、ちょっと離れたら、きっとわかるよ」

「ああ……さっきの、話の続き」


 客観的に、というやつだよな。それが冷静にできればいいのだけれども。

 むう、と眉間に皺を寄せれば、まーくんは声をあげて笑いつつ、私の頭を撫でてくる。

 まーくんの手はあたたかくて、心地よい。けれど、どきどきしない。

 人のこころというのは、不思議なものだ、と、改めて感じた瞬間であった。


 自動販売機でココアを買いたくなり、教室へとむかうまーくんとわかれた。

 昼休みもあと10分ほどで予鈴が鳴ってしまうから、急がなくては。

 少し早足で階段を下りようと足を踏み出した時、一瞬だがたちくらみのようなものが起こり、身体が僅かながら傾いだ。


「? どうしたんだろ……」


 ひょっとすると風邪を引いたか、はたまた知恵熱でも出たのだろうか。考えたら、ここ最近ずっと考え事ばかりしている。普段あまり使わない脳みそを思いのほか酷使していたのかもしれなく、私はそんな自分に苦笑してしまう。

 今度は少し慎重に、一階の自動販売機まで歩く。階段を踏み外したら、それこそ洒落にならない。平坦な道になったところで財布の中身をちらりと覗き見しながら、小銭がちょうどあることを確認すれば、私は俯いていた顔を上げた。

 目的地はすぐ目の前。あと数歩進めば、糖分が摂取できる。

 だというのに、私の足はこれ以上進んではならない、と強制的にその動きを止めた。脳が、本体へと危険信号を送ったのだ。


「……ココアでも買いに来た?」


 にっこりと微笑む昴君は、男性だというのに実に艶やかな表情を作ってみせる。あまりに整いすぎたその美しさに反応したのか、私の背中に一筋の電流が走った。

 その身震いは、決して恐怖からではなかったが、どうやら昴君は状況的に私が竦んでいると判断したらしい。まあ、間違ってはいないだろう。だって、私は無意識下で彼にこれ以上近付くのは危険だと思ったのだから。

 昴君は、くつ、と今までにない皮肉じみた表情で笑うと、ゆっくりとこちらに向かってくる。

 あ。

 だめだ、なんでかわからないけれど、怖いや。

 たら、と額から滑り落ちた汗に、私はやっぱり怖がってるんじゃないか、と脳内で自分に言ってみる。いやしかしだね、これはつい数秒前の昴君の腹に一物あるかのような笑顔をみたからじゃないのかね、いやいやしかし元々どこか怖がっていたからこそ歩みを止めたのじゃいやいやいや今はそんなことどうでも。

 そう、考えている場合じゃなかった。

 がし、とつかまれた私の左手首。昴君の右手が、食い込んでぴりりと痛みが走った。それに反応して顔を歪ませると、昴君がますます笑みを深くした。


「もっともらしいことを言って。本当の事を隠すだなんて、ずいぶんじゃないか」


 いつもより数段低い声音ではなたれた言葉。その意味がわからずに、私は困った顔で彼をみつめる。昴君は、苛立ったように舌打ちしてみせた。

 こんなに露骨な彼を、はじめてみる。一体、どうしてここまで怒っているのだろうか。


「まーくん、だっけ?幼なじみなんだってね」


 幼なじみ?まあ、昔から仲良くしている人間だという意味では間違っていないけれど。私は、まあ、と小さく返答する。


「彼のこと、好きになったんでしょう?僕と付き合ってて、自分の本当の気持ちにでも気付いた?だとしたら、僕はとんだピエロだね」


 さっきから何を言ってるんだろう、この男は。

 確かに、まーくんは私にとって大切な存在である。しかし、従兄弟というのは、案外、近すぎる距離であると、あくまでも私達個人の意見であるが、そう感じているところがあるし、周りもそれで納得してくれる事が多いから、やはり多かれ少なかれ、そんな風に育つ関係に該当するのではなかろうか。

私とまーくんは、割と幼い頃からそういった対象としてお互いを排除している傾向にある。

 そもそも、兄妹のように近く育って、父と似た雰囲気を持つ彼を、どうして私が恋愛対象として見れるのだろう。お風呂に入ったこともあるし、高校生になってから並んで寝た記憶だってある。もちろん、何も事件は起きていない。

 昴君は、そういった背景をまったく知らないのだろうか。あかりから、どういった風にまーくんの話を聞いたのかはわからないが、さすがにありえない誤解である。

 早々に否定したほうがよいだろう。まーくんにも色々と迷惑がかかる。


「あのね、昴君。まーくんとは」

「うるさい」

「! え」

「そんな風に他の男を呼ぶな!」


 激昂したように叫ぶ彼に驚いてかたまれば、次には柔らかいなにかが触れた。

 唇の感触だと気付くまでに、それほど時間はかからなかった。複雑であるが、昴君によって馴らされた体は、それを十二分に覚えていたのだ。


「ん……っふ」


 苦しくて少し開いた唇の隙間を、奪うように昴君が埋める。無遠慮に割り込んだ舌は、最後にした接吻のときよりも熱かった。

 やがて響く水音に、理性が崩壊しそうになる。やめて、と。身体を押して否定の意思を伝えても、正直な本能は彼を求めているのだから、まるで説得力がない。

 なかなかきちんとした抵抗ができずに、昴君の舌に、唇に、翻弄される。


「……淫乱」

「!」

「他に、好きな男がいるくせに、俺で反応してる」


 浅い呼吸を繰り返し、涙を眦に溜め、彼をみつめれば、実に冷ややかにこちらを見下ろしていた。

 瞬間、私のこころは凍りつく。

 今、まちがいではなければ、昴君に軽蔑されたのだ。私は、女として、彼に、侮辱された。

 事実が突き刺さると同時に、冷たい彼の手が私の頬に触れる。

 たまらず身震いすれば、ほら、と昴君は小さく笑いつつ、耳元で囁いた。


「キスだけで、そんな反応するくせに。まーくんにも同じような顔をするの?」

「や、おねが、やあっ!」

「大声を上げると、誰か来るかもよ?見られてもいいの?」


 酷い言葉の数々に、私は大粒の涙をこぼす。

 どうして、昴君。そんな、酷いことばかり、言うの。

 これ以上、私を抉るような事を言わないで。どうしてなの、何がそんなにあなたの怒りに触れたの。

 わからなくて、涙を溜めた目で彼を見れば、ぞっとするくらい冷ややかな顔で私を見下ろしていた。綺麗なその顔を、今は視界に留めることすら望まない。

 だんだんとぼんやりしてきた頭の芯を意識しながらも、口角を歪に曲げた彼の顔を認識すれば、私はまた悲しくなった。


「ねえ。教えてあげようか?まーくんに、千絵子は首が弱いんですよって」

「ひど……い」


 悲鳴に近い嬌声をあげながら、なんとか呟いた一言。それに反応した昴君は、一瞬動きを止めた。


「……どこにも、行かないで」

「え……?」


 昴君の言葉に、私は逸らしていた視線を向ければ、真っ直ぐに彼の瞳をみつめる。

 涙こそ流していなかったけれど、はっきりとわかった。

 今、彼は泣いているのだと。


「はなれていっちゃ、嫌だ。最初から、卑怯だってわかってた。間違ってるってわかってた!」

「昴君……?」

「でも、しょうがないじゃないか。どうしたって手に入れたかったんだよ、千絵子を!」


 何を、言って、るの?

 昴君。

 昴君、昴君、昴君。

 おねがい、あなたの思ってることを、全部聞かせて。

 なんだっていいんだ、どんな些細なことだってかまわないから。

 君の、隠していたほんとうを、教えてよ。


「千絵子……やだ、別れるなんて、言わないで」

「え……?」


 お願い、どこにもいかないから。逃げたりなんてしないから。


「千絵子、好きだ。俺以外のところへ行くなんて、許さない。いかせない」

「昴君……?」


 泣かないで。そんな苦しそうな顔をしないで。させているのは、私なの?ねえ、昴君。

 なぐさめたくて。泣く必要なんてないんだよ、と伝えたくて。手を伸ばしたいのに。

 

「……千絵子さん」


 あなたにとって、私は、どんな存在なの?


「…………好きなんだ」


 きつく抱きしめられても、夢の中をたゆたう私には、そのぬくもりをはっきりと感じることができない。

 不自然に荒くなった私の呼吸に気付いたのか、先程まで冷静さを失っていた昴君が、驚愕に目を見開いた。


「千絵子!?」


 焦ったような声に名前を呼ばれて、 朦朧とする意識の中、大丈夫だよ、とだけでも伝えたくて、私は微笑んでみせる。

 何度も名前を呼ばれながら、昴君にとって私がどんな存在なのか頑張って考えてみたけれど、やっぱりわからなかった。

 ねえ、心配してくれるの?

 もしそうだとしたら、ちょっと嬉しいんだけどなあ。




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