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第13話

 お弁当も、父親にきちんと話して承諾をもらうまでは堂々と作れないし、忙しいから無理だと思うと告げた。昴君は、苦しい私の話にどこか納得いかなそうな顔もしていたけれど、優しく微笑んでわかった、と言ってくれる。

 今日は帰りも別々で、いよいよ私は彼から物理的に離れる手段を取っているみたいだ。

 みたい、というのは、口から飛び出た言葉の数々に、誰よりも驚いていたのが私自身だったからなのだ。頭の中で彼から離れよう、と思って実行したわけではない。それなのにこんなこと言ってしまったのは、きっと私が彼に別れを告げたくないけれど、一緒にいるのは辛いというわがままな感情を抱いたからに違いなかった。

 そんな、少し破綻してる私の言い訳にも、昴君は優しくうなずくだけで。 

 まあ、そうだよな。

 昴君にとっての私の存在なんて、そんなちっぽけなもんなのだよな。あ、ちょっと落ち込んできた。このままゆるゆると距離を置いたら、私たちは関係ない他人になっちゃうのかな。

 きっと、今の私はものすごく卑怯だ。自然消滅を狙うなんて、いちばん傷付かない遠まわしなやり方。でも、昴君が最後まで優しい人だったとしたならば、この方法はおそらくうまくいくんだろう。

 不自然にならない程度に、徐々に、離れていけば。

 きっとそれで、私たちはさよならになる。


「ただいまーっと」


 誰もいない家の明かりを付けて、誰もいないはずの空間にあいさつをする。

 普段は、慣れてしまっているから感じない寂しさも、今日はなにやら趣が違う。


「……面倒なもんだな」


 苦笑して呟く。

 なんだかなあ。恋をするって、好きなひとができるって、本当に色々と面倒なもんだ。

 せめて、少しでも嘘にならないように、最近さぼってた各部屋の掃除を徹底的にやろう。あ、でも一気にやると途端に暇になって、また妙な考えに傾きそうだしなあ。うん、小分けしてやろう。

 とりあえず今日は、リビング全体の掃除をやる事に決めた。


「今日はなんにするか……お父さんも帰ってくるしなあ」


 出張から帰ってくるといつも和食というか、あっさりしたものを欲しがる傾向にあるからな。今日はそういったメニューにするか。ふむ。

 あれこれと頭の中でメニューを浮かべていれば、部屋に無機質な電子音が鳴り響く。

 驚いて持っていたハンディモップを床に落としてしまったではないか。ふいうちのように考え事しているときに鳴るとはなんと非常識な。

 ぶつぶつと完全にやつあたり気味に愚痴をこぼしつつ、私はダイニングテーブルに置いてあった携帯電話を手に取る。電話だ。着信を知らせる画面が、発信者の名前を表示している。私は思わず固まった。

 昴君だ。

 どうしよう、いや、出るべきなのだろう。電話に出なくなるのは不自然だ。彼が気にしてしまう。

 そうだ、あくまでも自然に距離を保たなければいけないのだから、露骨に避けてはおかしいことになるではないか。

 7回ほど鳴ったベルの音にどぎまぎしながら、私はなんとか受話ボタンを押した。耳に電話を押し当てるのに、なぜこんなに緊張せねばならないのか。


「も、もしもし」

『千絵子さん?ごめんね、今忙しかった?』


 昴君の声が耳元から響いて、私の心臓が不規則に揺れる。

 前はなんにも感じなかったことも、恋というやつのせいで、一喜一憂してしまうらしい。まったく、本当に面倒くさい。

 私は内心ため息を吐きつつも、いいや、と昴君の質問に返事をした。


『あの、今日の話してくれたことなんだけど。放課後しばらく会えないのは仕方ないと思うんだけど、土日はどうかなと思って』


 昴君の言葉に、またも心臓がおかしいくらいに跳ねた。

 ああもう。彼は私の感情を揺さぶる天才だな。

 それってどういう意味なんですか、訊いてもいいですか、理由を。なんでそんなに会いたがるの?昴君、何を考えているんだい。私とあなたは仮の恋人同士だろう。

 君は、確かに仮とか考えたくないなんて言ったけれどもさ。でも気持ちはそうじゃないか。好きだからいっしょにいるんじゃないのだから。友達だから?ただの友達と、そんな頻繁に会ってどうするんだ。学校であれこれと話をすればそれで済むじゃないか。


「……あの、ごめん。土日もちょっと、あまり頻繁に会うのはきついんだ。この前体調を崩しちゃったのは、言い方は悪いけれど休日も出かけたりしたからだと思う。家事が忙しいあいだは、家で休んでいたいから。申し訳ないんだけれど」

『……そう』

「その、迷惑なわけでも、嫌だったわけでもないんだ。昴君と過ごした休日はなんというか、とても楽しかったし」


 慌てて言い募れば、わかってるよ、なんて昴君はくすくすと笑う。ああ、なんか耳がすごいくすぐったい。

 どんな顔して、今、彼は笑ってるのだろう。きっと、私の大好きな綺麗な顔なんだろうな。

 ってだから。いかんよ、これじゃあ。いつまでも昴君を好きな気持ちを抱えたままでは、苦いものはいつまでも私の中に居座り続けるじゃないか。

 楽になりたいのだろう、野田千絵子。ならば頑張りたまえ。


『そっか、わかった。じゃあ、また会えるようになったらすぐ教えてね?』

「ん、わかった。電話わざわざありがとう」

『とんでもない。僕が声を聴きたかっただけだもの』


 ぬあ。

 だからなんでそんな殺し文句を言うのだろうね、この男は。罪作りなやつめ!昴君め!君はあれか、スケを思うさまコマす性分なのかい。

 無難に別れのあいさつを告げて、電話を切る。

 大量に出たため息は、一体どんな成分が含まれていたのか。わざわざ考えずともわかることだった。


「あんたたち、落ち着いたのか冷めたのか、どっちなの」

「は!?」


 頬杖を付いて世間話をする目の前のあかりに、私はすっとんきょうな声をあげた。

 まだ教室内に誰もいないとはいえ、そんな通常の大きさで発していい言葉なのだろうか、それは。

 くそう、相変わらず鋭いな。傍から見たってわりと自然だと思っていたのだが。


「落ち着いたんじゃないのかね」

「ふぅん?にしたって、一緒に帰るくらいはしてもいいんじゃないの?放課後に遊ばなくたって」

「それは、そうかもしれないけれども。どうせ方向は反対なんだから、駅まで一緒に行くだけなのだよ?ならあまり意味ないじゃないか。15分程なのだし」

「あんたは良くても、むこうはどうなのかしらね」


 あかりの言葉に少し首を傾げる。

 別段、昴君は困っていないのではなかろうか。だって、学校で会えば会話をするし、避けたりもしていないし。放課後は、まあ、なんとなく、並んで歩いたりしたくはないので、ちょっと足早に帰ったりもしているけれども。

 でも、昴君も特に気にしてはいないようだし。何も言ってこないから、いいんじゃないだろうか。

 我ながら、この作戦はうまくいきそうだ。徐々に前のような、少し遠い関係になりつつあるし、やなぎんは相変わらずあかりを訪ねてはくるけれども、お昼だって四人揃って食べていればそんなに彼を意識しなくて済む。

 やなぎんと楽しそうにする昴君を直視するのは少し辛いけど、綺麗に表情を変化させる彼を見ていると、なんだか段々と潔くあきらめる決心もついてくる。

 やなぎんは、あかりに夢中のようだし、それはそれで、昴君にはせつないかもしれないけれど、私が存在した意味を、見出してほしい欲もあったから、昴君の想いが成就ではなく、今の私のように良い形であきらめる決心ができたなら、と思っていた。

 私の存在、っていうのは、女の子とこの先お付き合いをしてくれたらな、という意味だ。

 昴君と私の始まりの理由は、昴君が女性に対する苦手意識を払拭すること、まあ一応今もそれは続いているわけだが私の中ではもう終わりを告げているわけで一応過去形で語っておく、だったわけだが、つまりは、私が彼の中の女性全般の意識を変えられたきっかけだったのならば、嬉しいじゃないか。

 少しでも、私を君の心の隅に置いてくれ。そうして、この先、女性を好きになったとき、私との日々を思い出してくれたらいい。

 それで、たったそれっぽっちのことで、私はとてもとても嬉しいな、と思う。

 叶わなくていいから。隣にいれなくていいから。

 忘れてしまってもいいから。時折、都度思い出してくれたら、嬉しいなって。

 こんなことを思う私は、案外、女っぽい部分があったのだな、なんて感心する。いや、自分でそれを言っている時点でどうかとは思うのだが。

 まあ、いいのだ。

 恋をしたことで、私はひとつ、成長できたんじゃないか。自己完結気味なのがなんともいただけないが、案外、弱くなってしまうのも恋なのだと知ったから。


「次はまあまあ頑張ろう……」

「何を?」


 視界に入った綺麗な顔に驚いて、椅子から転げ落ちそうになるかと思った。実際は、多少仰け反ったくらいだったのだけれども。

 まさか、ずっと頭の中で想いを巡らせていた相手が目の前に現れるとは。

 前の席に座るあかりも、ずいぶん早いのね、なんて目を丸くしている。


「千絵子さん、横田さん、おはよう」


 にっこりと微笑んで昴君が発したあいさつを、私達もそれぞれ返す。それが終わると、何を考えているのか。

 昴君が、座っている私の身体を立たせるように左腕を引っ張った。多少強引に腕を掴まれて、私はわけがわからず狼狽する。


「? 昴君」

「ちょっと。部室に行こう、いいかな?」

「う、うん」


 それならば、と鞄を掴んで、私は昴君にひかれて歩き出す。表情をうかがえば、怒っている様子はない。それとも、上手に隠してしまっているのだろうか。わからなくて、私は無言で彼に従うだけだった。

 部室に入れば、当然だが密室で2人きり。簡単に是と頷いてしまったが、本当によかったのだろうか。今更後悔してももう遅いのだけれど。

 ああ、せめてココアを買っておけばよかった。ポケットにチョコか飴なかったろうか。

 そわそわと私が身体をまさぐっていると、昴君がどうしたの、と首を傾げる。私は慌ててなんでもない、と答えて、うながされるまま昴君と並んでソファに腰を下ろした。


「あの、どうしたの?」

「……もうすぐ、二週間になるよ」


 え?なにが?

 質問しようと口を開きかけて、やめた。昴君の顔が、先程とは打って変わって不機嫌に歪められていたからだ。

 しまった。怒ってたのか。でも、何にたいしてなのかは今の私にはまだわからない。


「今日が木曜日。もうすぐ、千絵子さんの申し出を聞き入れて二週間になる」

「あ、ああ、そのこと。それがなにか?」

「なにか、って。僕たち、もう二週間も恋人らしいことしてないんだよ?」


 いつもよりも多少低い声で話されると、なんだか艶っぽくてどきどきするな。とか、呑気に考えてる場合じゃないんだよね。

 でも私は、昴君がなんでそんなに不満顔なのかがちっともわからないんだ。


「別に、学校ではたくさん話しているし、お昼ごはんだっていっしょに食べてるじゃないか」

「そういうことじゃない!僕は、もっと千絵子さんといっしょにいる時間がほしいんだよ!」

「なぜ?」


 私の質問に、心底苛立ったように昴君が眼光を鋭くさせれば、乱暴な仕草で私を彼のほうへと寄せるように引っ張れば、私はバランスを崩して上半身を昴君にあずけるように倒れこんだ。

 ちょっと、この、膝立ちになった状態、不安定なのだけれども。昴君の膝と膝の間に私の左足があって、右足はソファに乗ってる状態だ。見上げる昴君の顔は、なんだか怪しく光ってる。


「……千絵子は、平気なんだ」

「え、なに……!」


 なんとか密着しないように踏ん張ったのに、昴君が背中を思い切り押してきたから、私はぺた、と膝を曲げてしまった。正座しかかってるみたいな態勢は、昴君の太股がクッションになって完全には折り曲げられてない状態になった。しかし、先程よりも恥ずかしいことになっている。


「やっ!」


 唇を塞がれて、私を苛むような昴君の接吻に、久しぶりというのもあってか、気持ちを認識してからはじめての行為だからなのか、多分色々と要素はあったんだろうけど、とにかく。

 私は、前よりももっと反応を示してしまったのだ。


「前よりもなんだか反応が良いみたい?」


 昴君の言葉に、私はかっと熱が灯ったかのように顔を赤らめる。

 耳元で囁かれて、そのまま耳全体をなぞられ、食まれる。背筋がぞくぞくするのを感じつつ、私が仰け反れば、昴君は離れる私の身体を抱きこむように、不安定だった体勢を変えようと膝立ちになっていた私の背中を引き寄せ、倒れこませればそのまま彼の上に座り込む形を取らされる。その間も、耳やうなじを触る動きは止まらない。

 なにをされているのかよくわからずに、されるがままになっていた。


「僕は、寂しかったよ、触れられない間」

「す、ばるく」

「そんな風に、潤んだ瞳で僕を見るくせに」


 心はくれないの。

 囁かれていた、その言葉に、私は反応を示せなかった。この時、自分の意識がどこにあるかも分からない状態だったからだ。でももし、このとき、私がきちんと彼の言葉を認識していたら、何か違ったのだろうか。あとから考えたって、それはただの後悔にしかならないけれど。


「ねえ、千絵子。今度は、いつ会える?学校外でも会いたいって、わがままかな?そんなことないよね?恋人なんだから」

「そ、れは……」

「僕の事、嫌いになった?」

「! そんなことあるわけ」

「じゃあ」

「あっ……す、昴君!」


 耳を撫でられながら、昴君がうなじへと唇を寄せる。その行為にぞくぞくと背中が粟立って、あられもない声を上げそうになる。


「ねえ、二週間前に言ったことは、そもそも本当のことなんだよね?」

「あっ!」

「答えないと、これ以上のことをしちゃうよ?」

「!?」


 言葉に、反応を示してしまった身体が、怖い。

 自分で自分が、なくなってしまいそうで、怖い。

 いやだ、やめて。

 必死になって、昴君の言葉に答えようと頭を動かす。


「嘘じゃな…っ!」


 昴君の愛撫から逃れようと必死に身体を捩って、答える。涙があふれてきて、もう彼の顔が良く見えない。

 大好きな、綺麗な顔が。


「それじゃあ、いつになったらまた会えるようになるの?」

「そ、れは、な、んで?」

「どういう意味?」


 私がまともに受け答えできないとわかったからか、昴君の動きが止まった。私は呼吸を整える暇もなく、なんとかまた行為が再開されるより早く答えようと口を開いた。


「昴君と、私は、恋人かもしれないけど、恋人じゃない。好きって気持ちがない。なのに、どうして、会いたいとか、寂しいとか、そんなこと、言うの?」

「……つまりそれって、千絵子さんは僕と会いたくないってこと」

「そうじゃなくて、私は昴君がどういうつもりなのかわからないだけ!好きなんでしょう?やなぎんのこと。それに、これだけ私に触れるようになったんだし、私はもう必要ない!」

「! 本物の恋人になろうって言わなかった」

「そんなの、無理。わかってるんでしょう?昴君にだって」

「……は?」

「……もう、いいじゃないか」


 眉間に皺を寄せたまま、半ば固まったかのように動きを止めた彼を見て、私はだるい身体をなんとか叱咤して身なりを整える。

 決して早くもなく、むしろのろのろとした動きだったけれど、それでも昴君が待ったをかけることはなかった。ただ、呆然としている。


「やっぱり、こんなの駄目だったんだ」

「! 千絵子」

「やめよう。もう、昴君は女の子を克服した。これから先、好きになるのが異性でも、同性でも、私は応援する。だから、友達でいいじゃないか」

「とも、だち?」

「……それじゃあ、私は行くから。ちょっと、保健室に行って、寝てくる。昴君、申し訳ないけれど、あかりに適当に言っておいておくれ」

「千絵子、ちょっと待って」


 近付こうとする昴君を、私は無言で腕を前にあげて制す。

 昴君は、少し傷付いたように瞳を揺らした。


「頼む。後生だから、ここを踏み越えて、私に君を軽蔑させないでくれ」


 目を丸くして息を呑む彼に、私は苦笑してうなずいた。


「恋人気分というのも、なかなか貴重な体験だった。ありがとう」


 動かない昴君が少し心配だったけれど、私はそのまま部室をあとにする。

 さよならは、結局言葉にできなかった。往生際が案外悪いな、私も。

 苦笑しつつ、私はふらつく足取りで一階を目指した。保健室ではなく、帰宅してしまおう。そう心の中で考えながら。


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