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第12話

 結局、掃除機を渡して、少しだるいと嘘を吐いた私は、心配顔する昴君と母を残して、早々に部屋へと引っ込む事にした。

 玄関で見送った昴君の顔はやっぱり綺麗で、そう思う自分がとても哀しい。


「なんでこうなっちゃうんだ……」


 というか。

 単純すぎやしませんか、私。まだ一ヶ月と経過していないはずなのだが。

 始まりは奇妙で、と奇妙の一言で片付けられる話ではないな。自分で言っておいてなんだが。

 好きです、付き合ってください、と。その綺麗な唇がそう動いて、空気を振動させ、彼の透明な声が私の耳に浸透したとき、私は首を傾げた。

 考えてみれば。その時から、彼の何かがひっかかっていたのかもしれない。

 いつからだったのだろう。ただの綺麗が、特別な綺麗にすりかわったのは。

 そろそろ呻り声でも上げてしまいそうな勢いで、寝転がったまま考え込んでいると、部屋の扉を叩く音がする。私は無機質にどうぞ、と告げた。

 ひょこ、と顔を出した母の奈緒子は、今年で47になるはずだが、見た目年齢がどうひいきしてみても30程度にしか見えない。さすがにそれは言い過ぎだろう、と思うが、時折男性から「姉妹ですか?」などと言われて、そのたび母は気を良くしている。

 母は、一般的にかわいらしい女性で、父は、人によってはとても好かれる容姿をしている。なんというのだろうか、一重のすっとした顔だ。

 今流行の若手俳優が好きな人間からすればなんのひっかかりも持たない顔だが、割と中堅の俳優が好きである方々にはたまらない顔であると思われる。

 なぜそんな客観的に分析できるのかといえば、何人かの友人に言われたからである。本当に、女性の評価がはっきりと割れるものだから面白い。

 そんな彼らから生まれた私の顔は、どちらともつかない顔で、ひょっとすると普通よりいくぶん良いかもしれないけれど、個人的にはぎりぎり十人並みに躍り出ている顔つきだと思う。しかし、普段両親を見ているせいで目が肥えているのだ、とあかりにいつか言われたことがある。そうなのかもしれないが、冷静に自身の容姿をはかるのは存外難しいものではなかろうか。

 そもそも、そう発言するあかりだってとても美人なのだ。そう考えると、私はけっこうメンクイってやつなのかもしれなかった。

 顔で友人を選んだつもりは決してないが。


「ちーい」

「なんだね、飼い犬でも呼ぶように」

「うふふ、今日はびっくりしちゃった」


 母の含みのある笑いに、私は目を眇める。ちなみに、起き上がるのは億劫なので寝転んだままだ。なんなら本当にだるい気がしてきた。

 にしても、この顔。何かがひっかかる。


「……母よ」

「はぁい」

「なるほど、私はわかりました」

「千絵ちゃんは相変わらず面白い言葉遣いよねえ」


 うふふ、と微笑みながら、ベッドの上に位置する机からキャスター付きの椅子を引き、私の傍らに座った母は、さらり、と私のおでこにかかる髪を梳く。

 心地よい手触りに、ついまどろみそうになるが、確認しなければならぬことがある。


「昴君の存在、少し前から気付いていたのだね。だから今日、月曜日まで帰らないと私に嘘を吐き、昴君と遭遇できるか賭けたんだ」

「ほぼ確信に近かったのよ?なんだか頻繁に出入りしているみたいだから、毎週末会ってるのかしらなんて思っていたくらい」

「残念。週末に会ったのは今回が初めてだよ」

「そう?まあ、お付き合いして二週間て言っていたものね」

「…………お母さん」

「ん?」

「勝手に、男の子を家に上げたりして、ごめんなさい」


 少しきまりが悪くて、ぼそぼそと私が呟くと、お母さんは目を丸くしてそれからやわらかく微笑んだ。

 酷く優しい笑顔に、なんだか泣きそうになる。


「そうねえ、あまり感心はしないけれど……でも変な子じゃなくてよかったわ。お母さん、一目見て気に入っちゃった。少なくとも、昴君が千絵ちゃんにベタ惚れなのはわかったもの」


 母の言葉に、私は胸がずきりと痛む。歪ませた顔に何を思ったのか、それを見た母は相変わらず優しい顔で笑う。


「別にこれからも、家に上げるなとはお母さんは言わないわ。ただ、お父さんにもきちんと話すのよ」


 あやすように頭を撫でられて、私は不覚にも涙腺がゆるんでしまう。気付けば、言葉は口から飛び出していた。


「……もう、家には呼ばない」

「? 千絵ちゃん」

「もう、二度と、昴君は、家には来ない」


 震える声で話せば、目を丸くする母。けれど事情をすべて吐露するには、あまりにも絡まりすぎていて。なにより、なんとなくだけれど、母や父には言い辛い話だった。

 その心境を察してくれたのか、これ以上なにも話す気はなかった私に、母は一言、そう、と相槌をうつと、椅子から立ち上がった。


「千絵ちゃん、熱が出るかもしれないわ。ゆっくり休むのよ」


 言って、部屋の電気を落とすと、母は部屋をあとにした。

 ぱたん、と扉が閉じる音を耳で確認した途端、私の涙腺は崩壊した。次から次へと、涙が溢れて止まらない。

 もう、私は自分がどうしたいのかわからない。彼に、好きだと告げたら、どうなる?

 きっと昴君は、これからも付き合っていこうと言ってくれるに違いない。何よりも、ついこのあいだ約束したのがそういう条件だったのだから。

 でも。

 そんなものは、ほしくない。

 そんなものは、いらない。

 だって昴君は、私を好きじゃない。私が昴君を好きでも、彼の気持ちは私にない。そんな状態で名ばかりの恋人を続けて、なんになるというのだ?

 好きという気持ちは、きっと溢れて止まらなくなる。そうなったら、今よりもっともっと苦しい。

 私は、それに耐える自信がない。

 傍にいたくないのか、と訊かれたら、それは、隣に立っていたいに決まってる。

 けれども、同時に、やなぎんと仲良く喋る昴君を見なくちゃいけなくて。自分の気持ちを隠して、彼の隣に居れば、いつかは昴君が、私を好きになってくれるかもしれないけれど。

 でもさ、そんなのって、辛いよ。

 だって、わからないもの。君が私を好きになってくれるかなんて。何よりも、もしも好きになったと言ってくれても、私は昴君の言葉を信じられるかがわからない。

 最初の言葉も、嘘から始まった。

 昴君は、優しい。優しいが故に、残酷だ。

 残酷な嘘に、いっしょにつきあってもらうのは、あまりに痛い。

 こころが、きっとそのうち壊れてしまう。

 だから。


「……さよなら」


 私を、君から解放してくれ。君も、私から解放してあげるから。

 昴君。

 女の子のからだに触れるのだから、そのうち、やなぎん以外も好きになれるかもしれないよ。でもそれはきっと、私じゃないね。

 あなたにとって、私はきっと、罪悪感から義務のように大切にしなければいけない女の子のはずだから。そんなのは、おかしいから。

 おかしくなっちゃうから。

 さようならと、言おう。


「おはよう」

「……おはよう。あんた、顔色悪いわよ」


 大丈夫なの?と、眉間に皺を寄せながら言うあかりに、私は問題ない、と首を振った。

 月曜日の朝に開口一番友から言われたせりふに、少し苦笑いを浮かべてしまう。

 教室はまだ人もまばらな時間。相変わらず私もあかりも登校時間が早い。


「ちょっと熱を出して週末寝込んだのだけれどね。すっかり完治したよ。たくさん寝たし」

「そう。あら、風邪なんて珍しい」


 苦笑しつつ、風邪と言うか知恵熱だろうけれどもね、と心の中で呟く。あんまりにも慣れない事を考えたもんだから、脳が許容量を超えてしまったのだろう。


「ねえ、あかり」

「なによ」

「……いや、ごめん、なんでもない」

「? 言いかけてやめるなんて気持ち悪いわね」


 やなぎんのこと、なにか印象は変わったか、と訊こうと思ったけれど、やめた。なんとなく、自分がずるい気がしてしまって。

 訊いたあと、どうするつもりなんだろうか、私は。ひょっとしたら、昴君が失恋するかもしれない事態になったら、とか期待しているのだろうか。

 そうなったら、私は、弱ってる綺麗な昴君をなぐさめて、どうするというのか。

 手篭めにでもする気か。いや、私は女だ。更に言えばどちらかというと私のがされたほうだ。そんな、その、ものすごく無理やりとかではなかったけれど、強引なのにはかわりはなくて、でもなんというか手馴れた感があってなんか昴君てひょっとすると遊び人なのだろうかと疑わなくもない、じゃなくて。

 とにかく。そういう行為はよくない。

 なるべくならば、自分に誇れる恋がしたい。

 思っただけで恥ずかしい。なんだこれは、まさしく青い春というやつではないか。というかうまいこと作るな、昔のひとは。

 よく言ったもんだ、青春だとか思春期だとか。春というのは、そういった不可思議な、なおかつ形容しがたい若い葛藤を端的に表すにはなんとも適した言葉である。


「あら、ちー。出入り口の所に佐藤君いるわよ」


 ぼんやりとどうでもいいことなのか重要な事なのかよくわからないがとにかく考え込んでいると、あかりの口からとんでもない言葉が聞こえてくる。

 気付けば私は、勢い良く席を立っていた。


「! ちょっと私ご不浄」

「は?今時ご不浄って」


 ぽかん、とするあかりを残し、私はちらと昴君が後方の出入り口に立っているのを確認すれば、前の扉から走って教室を飛び出した。廊下も、全速力である。

 途中、叱責するような声が聞こえて、おそらく廊下を走るな、という言葉だったと思うが、そんな場合ではない。私は、とにかく今、昴君から物理的に離れなくてはいけないのだ。


「……っておい」


 気付けば辿り着いたのは、四階にある女子トイレ。我々二年の教室は二階なのに、一体全体どこをどう走ってきたのやら。

 いや、そもそもそういう問題ではない。重要なのは、昨日、さよならすると決めておきながら、話をせねばならない張本人から逃げてしまったという事実である。

 しかもあんなにわかりやすく避けるとは。どういう了見なのだ。

 今から教室に戻って、釈明しなければあらぬ誤解を抱かれる。

 誤解。

 でも、私が昴君から離れたがっているのは事実といえば事実で。いやでもこんなことをすれば昴君は疑問に思うに決まっている。優しい彼を困らす真似は、できればしたくない。


「……も、戻るか」


 心に決めて、恐る恐る来た道を戻る。

 ああ、なんだろうな。なんでこうなんだろう。肝心な所で、根性を見せられないだなんて。こんなに情けない女だったなんて、ちょっと自分にがっかりだ。

 落ち込みつつとぼとぼと教室まで戻ると、クラスには昴君とやなぎんがあかりを囲んで仲良く談笑していた。


「……やなぎん、昴君、おはよう」


 力無くあいさつをすれば、ふたりが微笑んであいさつを返してくれる。しかしやなぎんは元気いっぱいに、昴君は静かに微笑みつつ、であるが。

 何人かのクラスメイトが彼らを囲っているが、その中のひとりが勢い込んで私に声をかけてきた。あまりのことに一瞬仰け反る。


「野田さんと横田さん、どうしてふたりと仲良いのかと思ったら!お兄さんとお姉さんが結婚するんだね!びっくり!」

「え、ああ、そうなんだ。その繋がりで、昴君ともなにかと話すようになって」

「そうだったんだねー。私達、てっきり横田さんと高柳君が付き合い始めたのかと思った」


 その言葉に、違います、と低い声であかりが囁く。不機嫌なのを感じ取ったのか、クラスメイト達は、ご結婚おめでとう、とどうでもいい祝辞を残しつつそそくさと席を離れた。


「……本当、君たちには感謝しないとね」

「別にあなたの為に私の兄も、高柳君のお姉さんも結婚するんじゃないのよ」

「そんなの当然じゃないか」


 苛立ちをそのままに話すあかりと、それをやんわりとかわして微笑む昴君。うーむ、さしずめ虎と龍とでも言ったところか。


「そうだ、千絵子さん、体調大丈夫?」

「えっ、野田っち具合悪いの?」

「いや、週末に寝てすっかりよくなったから。ご心配ありがとう」


 あはは、と笑う私に、昴君はよかった、と微笑む。やなぎんも、元気なのはなによりだよね!と彼らしい豪快さで笑った。


「あの、昴君」

「ん?」

「今日、お弁当作れなかったんだ、ごめん」

「ああ、そんなこと。全然気にしてないよ。購買で済ませるし」

「うん……」


 少し視線をさまよわせる私に何か気付いたのか、昴君は一言出ようか、と告げると、席を立つ。私も慌てて後に続いた。

 ざわつき始めたものの、かえって喧騒があるぶん会話は聞こえにくいだろう。それでも警戒心からか、私は声を低くして秘密の話をするかのように昴君に囁いた。


「しばらく、家に来るのを控えてほしいんだ」

「え?」


 目を丸くする昴君に、私は慌てて首を振る。


「いや!変な意味じゃなくて。父と母もこれから少し帰りが早くなるんだ。お父さんはちょっと厳しい人だから、まず私から話をして一呼吸置いたほうが無難だし……それに、最近ちょっと家事がおろそかになってて。だから、働いてる両親が快適に生活できるように、私もいつも以上に家の中を綺麗に保てたらと思って」

「……そっか。そうだよね、ごめん。いつも僕があがりこんでるから、掃除とかもきちんと出来てないよね」

「あ、いや!迷惑だったわけでは」

「うん、わかってる。でも、謝らせて」

「……うん」

「それと、少し寂しいけど、わかった。しばらく我慢するね」

「ごめん、ね」

「もう、なんで千絵子さんが謝るの」


 いやだって。

 離れたいのは確かだけど、こんな風に言い訳みたいな、本当半分、嘘半分みたいなこと言って。

 勝手に口をついてでる言葉に私は内心、狼狽しっぱなしで。

 けれど、どこかで酷く安堵している自分にも、気付いていた。

 ごめんね、昴君。


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