始まり
私と兄は義兄妹だった。
私が17歳の時に、12歳も年上の兄が唐突にできたのだ。
別に戸惑いはしなかった。兄は優しそうな人だったし、自分が年上だからといった態度も見せず、私と友達になりたいのだと言った。
そんなちょっと変わった兄と元々変わっていた私は、すぐに仲良くなった。
兄に元々好意を抱いていた私は、口先では「お兄ちゃん」と呼んでいても、心の中では違う感情が渦巻いていたことを知っていた。
だが、気付かないフリをしていた。
気付いてはいけないとわかっていたからだ。
兄は私を「御影」と呼び捨てていた。私もそれを特に気にしたことはなかった。
私の名前は変わっている。今聞いただけでも気付いた人は気付いただろう。
私の名前の御影の由来は、御影石から来ている。
変わった両親を持った私は自分自身が変り者になっただけでなく、名前まで変わった名前にされてしまったのだ。
ずいぶん前に借金とりに追われ、消息不明となった父が何故か御影石が一番好きだったのだそうだ。
母曰く、「今も生きてるかはわからないけど、何でかあの人、御影石が好きだったのよねぇ、それに、御影ってなんかかわいいでしょ?響きが。だから外見がどうでも、心や性格がかわいい子に育ってくれたらなぁって思ったの。」だそうだ。“今も生きてるかはわからないけど”とはなんともいい加減だし、余計だと思ったが何も言わなかった。
この名前が私はあまり好きではなかった。だが、兄が唐突に「御影って……御影石?」と聞いてきたことから全ては始まった気がする。
兄は私の名前を「いいね、俺、石とか好きだよ。一番好きなのは黒曜石だけど……でも御影のおかげで御影石も好きになったよ。」と言って笑った事から少しだけ自分の名前が好きになれた。
兄にの名前は、克彦普通の名前で「つまらない」と苦笑していた。
私が普通の名前の方がよかったと嘆いたら兄は、苦笑したまま、「これ、俺の名前じゃないから。」と言った。最初は意味がわからなくて「どうゆうこと?」と聞いたら兄は語ってくれた。―――彼の過去を。
彼は、小さい頃母親から虐待を受けていた。
母親は酷いアルコール中毒で、酔っ払っては彼を叱りとばし、事あるごとに殴った。
また、事あるごとに「お前なんか生まなきゃよかった。あたしが望んだんじゃない!勝手にできたんだ!別れた男そっくりな顔しやがって!」とも言われたらしい。
小学校に入り、しばらくすると「名前の由来を聞いてきなさい」という宿題が出て、彼は母親に聞いたのだそうだ。
その時に母親は笑いながら、「ああ、それね、名前考えるの面倒だったから手続きするときに名札があるでしょ?アレ見て同じ名前を書いたのよ、受付にいたお兄さんの名前をね。」と言ったのだそうだ。
それからしばらくすると、母親は育児放棄して夜まで遊びほおけるようになる。
ただでさえ母子家庭の援助を受けて生活も一杯一杯だったのに母親が遊べば金もなくなる。
やがて母親は彼を保護施設に「養っていけないから」と押しつけて自分はふらりとどこかに消えたのだそうだ。彼曰く、「自分は男のもとへと行って、俺が邪魔になって捨てたんだと思う。」だそうだ。
保護施設に入って数年後、彼は優しそうな夫妻の養子となった。彼は誰にも心を開けなかったが、やがてその優しき夫妻の愛に包まれ、少しずつ他者にも心を開くようになった。
そしてその母は、病気で死んでしまったらしい。元々子宮癌で子宮を摘出してしまっていたため子供ができなかったのだそうだ。その時、別の場所にも散ったと思われる癌が頭にもみつかったのだそうだ。病弱と不幸が重なり、父子家庭のまま彼は育った。
そのようにして今に至らしい。
彼の境遇は、両親に愛されて育った私とはあまりにも違いすぎた。悲惨で、暗くて、でもその過去を乗り越えてきた強く、優しい人だと思った。だが彼はその言葉を否定する。
「俺が弱いだけだよ。強くなんかない。」
「俺はいい人なんかじゃないし、最低な奴だよ。」
「御影が俺を優しいというなら、それは俺が御影を気に入ってるだけだよ。」
「俺は、エゴイストだし、嘘つきだよ。」
「本当の嘘つきは嘘はめったにつかないんだ。」
全部、私は違うと思った。
お兄ちゃんは、魅力的な人間だし、いい人であり、優しい人だった。
自分が良いと思ったこと、好きだと思うことを言葉にして伝えてくれる。
ある時に「お兄ちゃんのこと、好きになっちゃうかも。」と半分冗談で言ったら、「俺はダメだよ。好きにならないほうが良い。悪い人間だから。御影を傷つけたくないんだ。」と真顔で返された。
本当に悪い人間なら黙っていい人そうなふりして近づいてきて私なんて捕食されそうなものだけど。自分の悪いところなんか言わないし、私にそんな注意もしないはずだと抗議した。彼はただ苦笑して、「御影はどうしても俺をいい人にしたいみたいだね。」と言った。
違う、違うのに、私は思ったことを言ってるだけなのに。言葉がうまく伝わらないまま、私がわかったのは「この人を好きになってはいけないんだ」と言うことだけだった。
私が彼と兄妹として結び付けているのは、ただそれだけだった。
この人を好きになったらこの人に迷惑がかかる。この人が苦しむ。兄は「俺はどうでもいいし傷つかないよ。俺じゃなくて御影が傷つくの。」と言うけれど、私に話してくれた元彼女の話から、お兄ちゃんがどれだけ傷ついたのかも、今も複雑な気分でいることも知っている。
きっと私が彼を好きだと言えば彼も答えてくれる。だけどその分だけ彼は自分の中に傷をため込んでしまう。
だから私は絶対にこの人を好きになってはいけないのだ。