第三話 レディでガールな彼女
ウィスローム領主夫妻との、会談の日がやってきた。
ディーンの冷たい眼差しに見送られ、俺は領主館の玄関ホールに出て夫妻を出迎えた。夫妻はもう引退間近と言われるほどの高齢だが、かくしゃくとしていて、礼服がしっくりと似合っている。若輩の俺にも、礼を尽くしたあいさつを述べてくれた。こちらも心からの歓迎の意を伝える。
応接室へ案内した。道すがら、夫妻が何かを探すようにあたりに目を走らせ、でも何も言わずに俺に視線を戻して会話を続けた。
俺は内心、ため息をついた。
会談はスムーズに進み、今後もウィスロームとは友好的にやっていけそうだという手ごたえを感じて、俺はひとまずほっとしていた。
しかしとうとう領主館の食堂で、夜の会食のために席に着こうと言う時、ウィスローム領主に穏やかに尋ねられた。
「婚約者殿の姿が見えないようですが、どうなさいました? もしや、体調でも……?」
……そういうことにするしかない、かな。
俺が口を開きかけた時、食堂の入口から、するりと入ってきた人影があった。
「こんばんは! 遅くなって申し訳ありません。チヅ・ハタノです」
チヅが立っていた。
俺は呆然とした。彼女がなぜここに来てくれたのか、そのことにも驚いたけれど、それだけじゃない。
チヅは、モスグリーンの広い襟のついた、白い半袖シャツを着ていた。胸元には、えんじ色の細いリボン。膝丈のスカートは、やはりモスグリーンのプリーツ。
そ、その服装は。
俺が口をパクパクさせている間に、チヅはさっさと近寄って来ると、俺の足を軽く踏んづけた。俺はあわてて、彼女を領主夫妻に紹介した。
「ずいぶんお若い方ですね!」
「可愛らしいなんて言ったら、失礼かしら」
ご夫妻は一気にテンションが上がった様子でチヅを迎え、食事中もニホンについてチヅにあれこれ質問しては、学校制度や娯楽の話などを聞いて感心したり笑い声を上げたりしていた。
会食が終わると、ご夫妻は
「チヅさん、楽しいお話をありがとう。お勉強、頑張って下さいね」
「ジェイド殿が結婚を急がないわけがわかりましたよ。大事にして上げて下さいね」
と口々に言って、客室に引き上げて行った。
俺は後のことをディーンに任せて、チヅを連れて『花嫁の部屋』(予定)に急いだ。
「ち、チヅっ」
ドアを閉めるなり話しかけようとした俺を、チヅは腰に手を当てて睨みながら遮った。
「何で早く言わないのよ、『俺の初外交を成功させるために、珍しもの好きの大御所に会ってくれ』って。ロザラインおばさんに『今日の会食、あんたは出ないの?』って聞かれてびっくりしたわ」
あの生意気そうな瞳が、軽く細められる。
「それはっ。チヅが、夫婦みたいに思われるのを嫌がるんじゃないかと思って……」
「そんなの、色々と手はあるでしょうが。こういう風に」
チヅはちょっとスカートをつまんで、くるりと回って見せた。
「似合う? マテオの妹さんに借りたんだ。こちらの上級学校の、夏の制服」
確かに、制服は万能な礼服(チヅの世界でもそうらしい)なので今日の会食には相応しかったし、チヅは年齢よりも若く見えるのでまったく問題なく似合っている。可愛い。じゃなくてっ。
「が、学生だと思わせるため……!?」
「うん。昼間はこちらの世界のことを勉強して、夜は社会勉強で働いてるって設定ね。まだ学生なら、実質夫婦みたいには見られないと思って。アナイスが『学生でイケる!』って言ってくれたから、思い切ってみました」
お、思い切り良すぎ。
「祭典の時はガングロで、次は制服コスってのもどうかとは思ったんだけどね」
チヅはニホン語で何やらつぶやいている。
いや、それよりも。
「チヅ、ごめん……!」
「え、何?」
「何って、俺のこと嫌になったんじゃ? 自分でも何をしたかわからないなんて、本当に最低だと思うんだけど、俺あの時、礼拝堂で何かやったんだよね!?」
こぶしを握り締めて言うと、チヅは気まずそうに視線をそらせた。
「あ……あの時のことは言わないで」
「そんなのダメだ。また同じことを繰り返して、チヅを傷つけたくない」
「そうじゃないの、そうじゃ……」
あの時のように、チヅは背を向けて下を向いてしまった。細い肩が震えて……。
……え? わ、笑ってる!?
「ぷっ、ご、ごめ、ああでも笑っちゃう思い出すと! もうホント、悪いのは私なの! 笑うなんて、こちらの人にとって本っ当に失礼なことだと思って言えなかったんだけど、どうしても!」
「???」
どうしていいかわからずに絶句していると、チヅはこちらに向き直った。口元を押さえ、目に涙をためている。
「あは、春の祭典の時に、こっちの風習には度肝を抜かれたけど、まさかこんな伏兵がっ。あ、あのね」
彼女は一つ深呼吸をした。
「礼拝堂で、ジェイドが、お祈りのポーズをしたじゃない?」
「……こう?」
俺はそれをやってみせた。
両手を組んだ状態で、親指と人差し指を真っ直ぐ伸ばす、祈りのポーズ。
チヅはとうとう、お腹を抱えて笑いだした。
「ぶはは! それ『カンチョー』! 小学生の時やった! ね、こっちでは結婚式の時もやっぱり全員でお祈りするんでしょ? 全員で『カンチョー』って、あっはっは、ごめんなさい神様ごめんなさい、でも結婚無理、ていうか結婚『式』が無理!」
笑ったり謝ったりするチヅを前に、俺は呆然とするしかなかったのだった。
……何?『カンチョー』って。
◇ ◇ ◇
マテオに制服を返すというチヅを、俺は『Rosaline’s』の前まで送った。もう夜も遅い時間で、あたりにはほとんど人影がない。虫の声さえ、はっきりと聞こえる。
店の裏口の前で、制服姿のチヅは振り返った。窓から漏れる明かりで、ぼんやりと笑顔が見える。
「それじゃあ、今日はお疲れ様でした、領主さま。明日も頑張って」
「来てくれて、ありがとう」
俺はチヅにお礼を言った。
少し、沈黙が落ちる。このまま別れるのは、何か違う気がした。そして、チヅも同じ気持ちでいるのが、瞳を見つめているだけでわかった。
「仕事してるジェイド、今日初めて見たけど、様になってたよ」
チヅがふわりと笑う。
「良く考えたら、異世界人の私がジェイドのことあっさり信用してるんだもん。きっとあなたには、外交の素質があったんだね」
褒められた俺は勇気を得て、チヅに一歩近づくと、ためらいながらも腕を彼女の身体に回した。チヅは大人しく、俺の胸に身体を預けてきた。何か、ハーブのような香りがする……これが、チヅの香り。
チヅがゆっくりと、見上げた。俺は顔を近づけようとして――。
俺たちは視線を合わせると、同時に笑ってしまった。
「……なんだか、この服装のチヅには、何もできないよ」
「ジェイドがまともな神経の持ち主で、良かったわ」
チヅはその姿勢のまま、ささやいた。
「あれ、そのうち、ちゃんと慣れるからね」
そう言ってチヅはパッと身体を離すと、「おやすみなさーい」と手を振って、ドアの向こうに消えて行った。
俺はふわふわとした足取りで、領主館への帰途に着いた。
出迎えたディーンが、俺の顔を見て何か悟ったらしい。
「進展があったのですね!」
「うん……まあ、チヅが慣れて爆笑しなくなったら、改めてちゃんと結婚を申し込むよ」
「は? 爆笑?」
ディーンは眉間にしわを寄せている。
彼女がこちらの祈りのポーズに慣れるくらい、こちらにいてくれるなら。
その間にきっと、俺を選ばせてみせる。覚悟しておいて、チヅ。
俺は振り向いて、星屑のきらめく夏の夜空に誓った。
【第二章 夏色ユニフォーム 完】