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金色フェスティバル  作者: 遊森謡子
第二章 夏色ユニフォーム
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第二話 ジェントルでシリアスな領主

 そして、領主館のある一室。

「筆記体……!!!」

 チヅは本を開いた腕を伸ばしたまま、がっくりとテーブルに突っ伏した。

「ひっくり返って、裏返った上に、さらに崩した筆記体! 何たる不親切!」

「うん……俺はかろうじて読むだけ読めるけど、古語だからうまく訳せないんだよね」

 L字ソファーの斜め向かいにいた俺は、彼女の手から本をそっと外し、パラパラとめくってみる。

 こちらの文字は、彼女の世界の文字と似てはいるものの、反転しているうえに上下も逆さまなのだそうだ。


 そこへ、音もなくディーンが近寄ってきて、ガラスのポットから冷茶のお代わりを注ぐ。

「ありがとう、ディーンさん」

 顔を上げてお礼を言ったチヅは、やっと周囲を見回す余裕が出てきたらしい。

「このお部屋、何だか爽やかで落ち着くね。布使いがいいよね」

と、布張りのソファを撫でたり、タペストリーを眺めたりしている。

「これも可愛い」

 クッションカバーをチヅが褒めると、ディーンは玲瓏な顔で上品に微笑んだ。

「こういったものがお好みでしたら、ご希望の柄のをお作りしますよ」

「え? もしかして、ディーンさんの手縫い!?」

「刺しゅうなどもお入れしましょうか」

「スーパー秘書……!!!」

 チヅは瞳をキラキラさせて、ディーンに見とれている。む……早く出ていかないかな。

「それでは、ごゆっくり」

 俺の視線に気づいたのか、やっとディーンは出ていった。


 ドアが閉まるなり、チヅがちょっとこちらに身を寄せた。ドキッとする。

 彼女は手を口元に当て、声をひそめて言った。

「ねえジェイド、もしかしてこの部屋って、『私』の部屋?」

「あ、うん……まあ、そう」

 女性的な調度の数々から、チヅは気づいたらしい。そう、今俺たちがいるのが、ディーンが用意した『領主の花嫁の部屋』だった。

「だよね。わざわざ用意してくれたんだよね。手縫いカバーまでだよ? なんかちょっと、悪いことした気分」

 チヅは自分の膝に肘をついて唸っている。チヅのせいじゃないのにな。でもそんな表情にも見とれてしまう俺は、相当重症だ。

 いつか本当に、彼女がこの部屋の主になったら……と想像してしまう。


 ややして、ノックの音。

「ジェイド様、よろしいですか」

「うん? チヅ、ちょっと待ってて」

 廊下に出ると、ディーンが声を低めて言った。

「ウィスロームの領主さまご夫妻から、確認のご連絡が。変更はないかと」

 ウィスロームはレイフェールの東に位置する地で、古くから親交がある。人の行き来はもちろん、技術協力や物品の売買なども頻繁だ。

 俺が新領主として着任し、ほぼ落ち着いたので、目上のウィスローム領主夫妻を招いて会談の機会を設けてもてなすことになっていた。その日は数日後に迫っている。俺にとっては初めての『外交』だ。

「異世界からの婚約者どのにお会いするのを、楽しみにしているとのことでした」

 うっ……そうだよな、向こうはこちらの風習を知っている。当然結婚するものと思っているのだろう。しかもあちらのご夫妻は、相当な珍しもの好きと来てる。そんな彼らに、異世界からの花嫁を会わせない方がおかしい。

「あちらもご夫妻でいらっしゃるのですから、できることならチヅさまにお付き合いいただきたいですね……せめて会食は」

 ディーンがちらりと、チヅのいる部屋のドアを見やる。

「チヅ、は……嫌がると思うけど」

「そうですね」

 即答か。

「しかし、それを何とかするのがジェイド様です。こうして館にも遊びに来て下さったのですから、望みがないわけではありません」

「うん……」

「ダメ元で当たってみて下さい」

 ダメ元って。


 でもやはり、望みは薄いかも……領主会談の会食に二人で出たら、いかにも夫婦という感じになるし。それをチヅが受け入れてくれるかどうか。

 とにかく、タイミングを見て切り出してみよう。


 部屋に戻ると、チヅはまたさっきの本とにらめっこしていた。眉間にしわを寄せて本を呼んでいるチヅ……でも本は逆さま。うう、可愛い。

「そろそろ、『鏡』を見に行こうか」

 俺は声をかけた。


 領主館から渡り廊下でつながった建物が、礼拝堂になっていた。建物自体は小さいが、歴史を重ねた荘厳な石造りの建物だ。外は暑いが、ここはひんやりとしている。

「これが『鏡』? 大きな入れ物に見えるけど」

 祭壇の前、腰の高さの台に置かれた器を、チヅがのぞきこむ。よく磨かれた銀色のそれは、チヅの言うとおり足つきのボウルのような形をしていた。

「俺がここに来て、着任することを神に報告する祈りをささげたら、急に中から水が湧いて器が満たされたんだ」

「へぇ……」

「そして祭典の初日の朝、司祭がここに来たら、水が硬い鏡になっていて、チヅの姿が映ってたんだって。しばらく経ったら、鏡はまた水に戻って、器の底に吸い込まれるように消えたそうだよ」

「ふぅん……で、鏡に映った私を写真に撮って、指名手配ポスターにしたのよね」

 そ、そうです。

「どうも私、写真にはいい思い出がないのよね。小学生の頃とかさ、集合写真なんかで『はい、チーズ!』って時に、みんなが揃ってこっちを見てニヤニヤするわけ。チーズチーズうっさいわー! っての」

 チヅはぷりぷりしている。俺はあごに触るふりをして、こっそり忍び笑いした。


 チヅは器のふちにちょっと触れながら、俺に話しかけてきた。

「ジェイドもさぁ、いきなり故郷に呼び戻されて、違う世界の女と結婚なんて聞いて、びっくりしたんじゃない?」

「そ、そりゃあ、ね…」

 でも、年頃の男としては、唯一自分のためにやってくる女性……と聞いて一瞬ときめいてしまったのは、仕方がないと思う。

「最初は、私と立場が似てるな、と思って同情しちゃったよ。でも、さ」

 チヅはゆっくりと、教会の中を見回しながら言った。

「女性はたくさんいるんだから、私を特別視する必要なんてないよ。ジェイドは優しいから、自分のために召喚された女を気にしてくれてるんだろうけど……結婚相手は、ちゃんと選んだほうがいいと思う」


 俺は返事に詰まった。

 これ、は……正式に、振られてる、んだろうか。

 胸のあたりがずしりと重くなる。


 立ちつくす俺に、チヅは微笑みかけた。

「それでも私と結婚したいと思ったら、そこから始めたっていいんじゃない? 私もそうするから」

 俺はハッとした。

 振られたのとは違う……チヅは、同じスタート地点に立とうとしているだけだ。

 召喚した側、された側という関係ではなくて。

「……俺がこの召喚に縛られないようにって、気にしてくれてるんだね。でも……」


 一つ、はっきりさせておかないと。


「俺には、選択肢なんてないんだ」

 言うと、チヅは目を見開いた。

「なに言ってるの? 異世界人との結婚は、強制じゃないんでしょ!?」

「あっ、そういう意味じゃなくて」

 あわてて俺は言う。

「選択肢がないっていうのは……つまり……好きになる人って、選べないよね?」

「え?」

「この人だと思ったら、この人しかいない、ってならない?」

 チヅの頬が、花のつぼみが色づくように染まった。

「俺にとっては、それがチヅなんだ」


 うわ、言ってしまった。

 俺はあわてて祭壇に向き直ると、照れ隠しの勢いで、祈りの姿勢をとって神に祈った。

 チヅを召喚して下さった神よ、どうか彼女が俺に振り向いてくれますように。


 組んでいた手を解いて、チヅの方に向き直ると……彼女は俺に背を向けて、下を向いていた。

「そろそろ戻ろうか。……チヅ?」


「……ごめん。結婚、無理」


「え?」

 一体、どうしてそうなったのか、わからなかった。

 チヅはそのまま急に、俺の顔を見もしないで、外へ走り出して行ってしまった。


 お、俺、何かした? さっきまで、いい雰囲気だったのに。

 一瞬立ち尽くしてしまった俺は、我に返ってあわてて後を追ったけれど、彼女はそのまま領主館を出てしまっていた。

 雨あられと降って来るディーンの小言を聞き流しながら、俺はさっきの出来事の何が悪かったのか、ぐるぐると考え続けていた。


 翌日の夕方も、俺は『Rosaline's』に夕食を食べに行った。チヅは俺を見てニコリとあいさつしてくれたけど、料理を運ぶとサッと俺から離れて行った。

 仕事中の彼女にあまり話しかけるわけにもいかず、その日は俺にも残してきていた仕事があって、俺はすごすごと領主館に帰るしかなかった。

 自分で原因に気づかなくては、と考えに考えた。そうしなくては、チヅに何と言って話しかければいいのかさえ分からない。

 しかし、何も思いつかないまま、数日が過ぎた。

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