【前日談】 祭典の開幕
その店の前に立った時、ちょうどドアが開いて、中から若い女性がでてきた。よく日に焼けたその女性は、ため息をつきながら、俺がいることには気づかない様子でとぼとぼと去っていく。
俺が開いたドアから中を覗くと、恰幅のいい中年の女性と目が合った。彼女は頬の肉をたぷたぷと揺らしながら言った。
「店は夕方からだよ。……あれ?」
そして破顔して、座っていた椅子から立ち上がる。
「ジェイドじゃない? まー、大きくなったねぇ!」
「お久しぶりです、ロザラインおばさん。今の人、いいんですか」
俺はちょっと外を振り向く。
「ああ、うん。うちの店に就職希望の子だったんだけどね、手は足りてるから断っちまったのさ。いい子だったから、きっとすぐにいい仕事が見つかるよ」
「……」
俺はおばさんに向き直った。
「あの、実は、俺も同じ用件できたんです」
「え?」
「今日から、祭典が終わるまでの期間でいいんです。雑用でいいから、雇ってもらえませんか?」
「どうしたの、急に。あんた確か、どこか遠いところに留学してたんじゃ」
「俺、ここの領主に着任することになりました」
目を丸くするおばさんに、事情を説明する。前領主であった伯父が、急病で倒れたこと。跡を継ぐはずだった伯父の息子はまだ7歳で、他の候補も様々な事情で領主にはなれず、予想外に俺にお鉢が回ってきたこと。
「予想してなかったので、俺、この街のことを何も知らないまま来てしまいました。小さい頃過ごしただけだし……。それで、少しでもこの街で働けば、空気みたいなものくらいはわかるかと思って。給料なんかはいりません、社会勉強ってことでこっそりと。だめですか?」
「そう、わかった。給料は安いし本当に雑用しかないけど、そういうことなら祭典期間中だけやってもらおうかね」
「ありがとうございます!」
俺はぺこりと頭を下げた。
「ジェイドって、まだ独身だよね?」
急に尋ねられた。
「もちろん、そうですけど……」
「うわ、じゃあ召喚が起こるんじゃないの!? あたしが生きてるうちに召喚が起こるなんて! こりゃあめでたいわ!」
おばさんは大興奮でゆっさゆっさしている。
召喚……か。それも、この街に到着してから聞いた話だった。なんて風習だ。
俺は、今朝見たばかりの彼女の写真を思い浮かべた。
「カツラは? もう用意した?」
「いえ、まだ」
「じゃあこれ!」
がぼっ、と金髪のカツラを被せられた。髪が長くてうっとうしいので、いったん外して適当に一本に編み、もう一度被り直す。おばさんは自分も被りながら、大騒ぎでカウンターの奥の男女に声をかけている。
俺は密かに決意した。
仕事をしながら隙を見て、召喚されてきた女性を探そう。この街のどこかに現れるはずだ。きっと、突然のことに不安で怯えてしまうに違いない。泣いてしまうかもしれない。
新領主の俺が守らなくてどうする!
店の奥からは、ロザラインおばさんが
「はいもしもし、あたしだけど。え? 田舎に帰るから仕事やめる? ちょ、困るわ急に! 祭典で人手がいる時期なんだよっ」
と電話で何やら話す声が聞こえていたけれど、こぶしを握って決意を固めている俺の耳には入らなかった。
そして、威勢よく上がる花火の音とともに、祭典は幕を開けた。
【祭典の開幕 完】