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ユースタスが消えた夏  作者: 弍口 いく


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その6 ペラン公爵家の跡継ぎ問題

 兄は生きていた。

 知らせを聞いた時、アニエーゼの心は躍った。


 失踪してから五年十カ月、大方の人はユースタスが生きている可能性は低いと思っていた。事故にせよ、事件に巻き込まれたにせよ、無事ならば連絡の一つも寄こせるはずだ。それがないと言いうことは、もう死んでいるのではないかと思っていた。


 しかし、彼は生きていた。

 記憶喪失になっていて連絡出来なかったのだと聞いた時は驚いたが、家に戻れば、家族や友人に会えば、きっと記憶も戻るはず。アニエーゼはそう信じてユースタスを迎えた。


 しかしユースタスは一人ではなかった。

 見知らぬ平民の女と子供が一緒だった。そして待ち焦がれた兄は別人のようになっていた。言葉が出なかった。ただ目頭が熱くなる。

 あれは誰?





「今日くらい休んでもよかったのに」

 王立学園に登校したアニエーゼをアイヴァンは気遣った。眠れなかったことが一目でわかる目の下のクマ、覇気のない顔、けだるそうな歩き方、相当なダメージを受けている。


 無理もない、五年十カ月ぶりに戻ってきた最愛の兄が、記憶も無く、すっかり別人のようになっており、感動の再会とならなかったのだ。アニエーゼが兄の帰りをどれほど待ち望んでいたか知っているアイヴァンは、彼女の失望がわかって胸が痛んだ。


「聞きましたわよ、お兄様がお戻りになったのですって」

 その時、廊下で話しかけてきたのは、バーバラ・ブライス伯爵令嬢だった。昨日の今日でよく知っているのもだ、アニエーゼは地獄耳に脱帽した。


「それにしては暗いお顔をなさっているのね」

 金髪を見事な縦ロールにした華やかな令嬢。彼女は淑女科の生徒で、騎士科のアニエーゼと接点はない。しかし、彼女はしょっちゅう絡んでくる。学園内では身分を問わず平等だという建前だが、公爵家のアニエーゼに気安く話しかけるのは如何なものかと周囲は思っていた。


「あなたには関係ないでしょ」

「ユースタス様が我がブライス伯爵領の貧しい農村に住んでいらしたと聞いて、父も私も責任を感じているのですよ。なぜもっと早く保護して差し上げられなかったのかと」

 バーバラは白々しく同情するポーズをとっているが、少しも責任を感じていないことはわかった。


「なんでも、六年近く平民として貧しい生活をなさっていたとか、それに平民の女との間に子供がいるらしいわね。まさか、その女が公爵夫人になるのではありませんよね。子供がいるのでは追い出すわけにもいかないでしょうし、愛人として囲われるのかしら? そんな方に嫁いで来られるご令嬢はお気の毒ですわね。でも戻られた以上、お兄様が公爵家をお継ぎになるのでしょう? スペアだったあなたはお役御免となるのではなくて?」


「そんな言い方は失礼でしょ」

 ジャンヌがスペアと言う言葉に反応して、溜まらず口を挟んだ。

 ブロディ子爵令嬢のジャンヌはブルネットの髪に深い緑の瞳の大人びた感じの少女で、騎士科の同期である。


「でも事実でしょ、公爵家を継がないのなら、女だてらに剣を握らなくて良くなりますよね、淑女科に編入されるのかしら?」


「女だてらに剣、とは、女性騎士を侮辱する発言と取っていいのね」

 ジャンヌはさらにムッとした。

「王妃様の護衛は女性騎士が務めているのよ、皆様選りすぐり精鋭よ、その方たちの前でも言えるのかしらね」


「そ、そんなつもりは……私はアニエーゼ様のこと心配しておりますのよ」

「別にあなたに心配してもらわなくても私は大丈夫よ」

 アニエーゼは大きなお世話だと付け加えたかった。


「人の心配より、自分のことを心配すれば?」

 ジャンヌは勢いを失ったバーバラに反撃と不敵な笑みを浮かべた。

「ブライス伯爵領でユースタス様が発見されたのよ、あなたのお父様の責任問題になるんじゃない?」

「なぜ父が!」


「当時はかなり大規模な捜索が行われたのよ、当然ブライス伯爵にも協力要請が出ていたはず、隣の領地だものね、なのに捜索に手を抜いたと思われても仕方ないんじゃない?」


「そんな! 貧しい村人全員まで把握出来るわけないわよ」

「あら、うちは子爵家だけど同じくらいの領地があるわ、父上は領民すべてを把握しているわよ、貧富の差は関係なく」

「くっ」

 バーバラは言い返せずに歯ぎしりした。


「行きましょ」

 そして取り巻きを引き連れて去っていった。


「大丈夫?」

「え、ええ」

「ほんと、嫌な女ね」

 ジャンヌは、女たちの口論に茫然としていたアイヴァンの背中をバチンと叩いた。

「しっかりしなさいよ、あなたがちゃんと守ってあげなきゃ。だいたい、あの女がなにかとアニエーゼに突っかかるのは、あなたのせいなんだから」


「俺?」

 キョトンとしたアイヴァンにジャンヌはため息を漏らす。

「狙われているの、わからないの? あなたに気があるのは見え見えじゃない」

「でも、俺はアニエーゼと婚約してるんだぞ」


「ああいう我儘女には関係ないのよ、欲しいと思ったらどんな手を使っても手に入れようとする、相手が公爵令嬢でもお構いない、アニエーゼは今迄だって散々絡まれてたし、あなたも言い寄られてたんじゃないの?」


「そう、なのか?」

「まったく、鈍感にも程があるわ」

 バーバラなど眼中になかったアイヴァンは、バーバラによく話しかけられることには気付いていたが、全く気にしていなかった。


「でも、厄介なことになりそうね、来週のあなたの誕生日パーティーは予定通り開催されるの?」

「ええ、もう招待状も送ってあるし、中止や変更の話は聞いていないけど」


「お兄様が失踪して五年以上経ち、ペラン公爵家の跡継ぎの席を開けたままにはできないと、十六歳誕生日を迎えるアニエーゼを正式に跡継ぎにする発表をする予定だったんでしょ、お兄様が戻られたのだから、話は変わって来るんじゃないかしら」

「そうよね、でも、なにも聞いていないのよ」


 昨日の今日でなにも決まっていない。父がどうするつもりなのかアニエーゼにはわからなかったが、嫡男が戻った以上、自分が公爵家を継ぐ必要はなくなるのだ。


 ペラン公爵家を継いで女公爵になるのなら、代々受け継がれている近衛騎士団総司令の役職に就かなければならないと、騎士科に入り努力してきた。しかし、自分は武人向きではないし、人の上に立つ器でない自覚はあったので、肩の荷が下りてホッとした気持ち半分、しかし、別の問題が発生していることにも気付いていた。


「行こうか、授業が始まる」

 アイヴァンに促されて歩き出すアニエーゼ、前を行く彼の背中を見つめた。


 アイヴァンとの婚約は、アニエーゼが公爵家を継ぐ前提で婿入りしてもらうためだ。それが無くなれば、アイヴァンとアニエーゼの婚約は無意味になる。彼はそれに気づいているのだろうか?


 そしてもう一つの問題は、ユースタスに婚約者がいることだ。ジュディスと再会はまだだが、彼女がロザンヌとコリンの存在を知ったらどうなるんだろう。五年十カ月も待ち続けた婚約者が、妻子を伴って戻ったなんて……耐えがたいショックだろうと、アニエーゼは彼女の気持ちを考えると居た堪れなかった。


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