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ユースタスが消えた夏  作者: 弍口 いく


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その25 今、天使が通った

 王宮の広い庭園はかつて遊び場だった。今も風景は変わらない。色とりどりの花が咲き乱れて、微風に紛れて届く甘い香り。しかし、子供の頃はそんな情緒など関係ない、母親たちがお茶をしながら世間話に花を咲かせている間、走り回ったり、木登りしたりと侍女や護衛に冷や汗をかかせたものだ。


 過ぎ去りし日は母親たちが囲んでいたテーブルに、今は自分たちが並んでいる、王立学園時代の仲間たちが揃っていた。

 身重なシエナが中央にドンと陣取り、横にレベッカ、テッドの夫婦。女装していないカミーユとユースタス。


 ステファンはそこへジュディスとアンソニーを案内した。


 卒業して五年の歳月が流れているが、一瞬にしてあの頃に戻ったような錯覚にジュディスは安心する。ユースタスがいても不自然には感じなかった。目が合ってドキッとする、あの頃もそうだった。


 記憶が戻っているユースタスは、アンソニーと共に現れたジュディスを見て、胸がチクリとした。かつては自分の隣にいた彼女が、今はアンソニーの隣に立っているのがとても自然に見える。


 あの頃と変わらず美しい、もう少女のあどけなさは影を潜めて大人の女性の色気が漂う。ほぼ六年ぶりに会う自分を見て、不安そうに揺れる瞳がユースタスの心を惹きつけた。


 しばし茫然としていた二人を見て、アンソニーがそっとジュディスの背中を押した。

 ジュディスが目の前に立つと、ユースタスは演技を始めなければならない。

「あなたがジュディス嬢なのか」

 ユースタスの他人行儀な言葉に、ジュディスはビクッとした。

「ええ、お帰りなさい、ユースタス」


 感涙も抱擁もないぎこちない再会、かつて恋人だった二人の間には気まずい空気しか流れていない。そして、その場にいた全員が沈黙に沈む。


「これって」

 シエナが沈黙を破った。


「昔はよく言ったじゃない、みんなが一斉に口を噤んで、沈黙した時、『あ、今、天使が通った』って」

「今、通ったのよね」

 レベッカが同乗した。


「そんなもの見えなかったけど」

「天使は心の綺麗な人にしか見えないのよ」

 グールド夫妻がじゃれ合うのを横目にシエナは、

「みんなが見ていたら気まずいんじゃない? 二人で話をしてくれば?」

「そうだな、俺たちは邪魔者だな」

 ステファンも図ったように同意して、ジュディスとユースタスの背中を強く押して庭園の奥に送り出した。


 あの大根役者がジュディスを欺けるだろうか? カミーユは心配しながらふとアンソニーを見ると、彼はなんとも言えない切ない笑みを浮かべていた。





「久しぶりに来たけど、この庭は変わらないわね、懐かしいわ。あっ、ゴメンなさい、あなたは覚えていないのよね」

 沈黙に耐えられずにジュディスは口を開いた。


「ああ」

「シエナ妃殿下はね、今でこそ淑女の鑑と言われる王太子妃だけど、子供の頃はお転婆で、男の子たちと駆け回っていたのよ。私はドン臭くてついていけなくて取り残されてたの。心配して引き返してくれたのは、いつもあなただった」


 もちろん覚えている、自分はあの頃からジュディスが好きだったから、いつも気にかけていたことをユースタスは思い出す。初恋だった。


「そうなのですか、俺って優しい奴だったんですね」

「そうよ、ユースタスは思いやりがあって優しくて……」

「でも、そのユースタスはもういない」

「そんなこと」

 目頭が熱くなり言葉に詰まる。


「あなたには申し訳ないと思っています」

「敬語なんてやめて、私たちは婚約者なのよ」

「すみません、でも俺は平民として暮らしていたし、貴族令嬢とどう話いいのかわからないんです」


 再び天使が通る。


 ステファンに仄めかされたものの、自分で確かめるまでは信じたくなかった。幼馴染だったジュディスと過ごした時間は長い、行方不明なっていた年月より遥かに長い時間を婚約者として過ごしてきた。だから、あの時のままの気持ちでいてくれると信じたかった。


 しかし先ほどアンソニーと一緒に現れた瞬間、わかってしまった。ジュディスにとっての五年十カ月は、自分が思っていた以上に長かった、長すぎたのだとユースタスは覚った。


 あの時、駆け寄って、この胸に飛び込んでくれたならしっかり受け止めただろう。涙を流してくれたなら拭ってあげただろう。しかしジュディスはそうしなかった。ただ、不安そうに、どうしていいかわからず助けを求めるようアンソニーを見た。その時にユースタスはハッキリわかったのだ。今、ジュディスが頼る相手はアンソニーなのだと……。


「あなたはずっと俺を待っていてくれたんですよね、でも、幻滅したでしょ、ここにいる俺はあなたが愛したユースタスじゃない」

「そんなことないわ、今はまだ戻ったばかりで混乱しているでしょうけど、慣れれば元のあなたに戻るはずだわ」


「戻れませんよ、失ってしまった五年十カ月をなかったことには出来ないんです、きっとジュディス嬢もそうでしょ、六年近くも経てば人は変わる、心も変わる」

「そんなことない! 私の気持ちは変わっていないわ」

 それは嘘だ! ユースタスは心の中で叫んだ。


「本当に? じゃあ、なぜすぐに会いに来てくれなかったんですか?」

 意地悪な言い方だ、でも自分の気持ちに蓋をしようとしている彼女に気付かせなければならないとユースタスは決意していた。


「それは仕事で」

 ジュディスの目が泳ぐ。


「そうですか? 俺はすぐに戻らないことがあなたの気持ちを表しているんだと思いました。俺をまだ想っていてくれるなら、なにを置いてもすぐに戻ったはずだ」

「……意地悪なことを言うのね」

「ユースタスならそんなことは言わなかったですか?」


「今の俺はあなたが知っているユースタスじゃない、五年十カ月平民ユアンとして暮らしていた男です。ユアンにはロザンヌと言う妻がいて、コリンと言う息子がいる」

「やめて!」

「認めたくないでしょうけど、それが今の俺です」


 そう……ジュディスは認めたくなかった。

 ユースタスは他の女と関係をもって子供も作った。他の女を抱いたのかと思うとジュディスは嫌悪感が込み上げた。目の前にいるのは学生時代の彼ではなく、二十三歳になった男性だ、女性経験があって当然だ。でも、大人の階段を共に上るのは自分だと信じていたジュディスには、それが不可抗力だったとしても受け入れることが出来ない。


「ユースタスを愛していたのよ、愛していたの、私は……」

 自分はあの日から時を止めてしまっているのに、彼はさっさと違う道を歩いていたのだ。


「すみません、傷つけるつもりはなかったのですが、現実なので」

「あなたが謝ることないわ、すべて承知していることだから、それに彼女は出て行ったのでしょ?」

「でも、コリンがいる、あなたはそんな俺を受け入れることは出来ないでしょ?」


 ユースタスはジュディスが潔癖なことを知っている。真っ直ぐで、純粋で、一途に自分を愛してくれた彼女を知っている。浮気なんて絶対許されないだろうと覚悟していた。まあ、自分もジュディス一筋だから他の女に目を移すことはない、一生彼女だけを大切にしていくつもりだった。ユースタスも彼女を深く愛していた。


 記憶を失っていた間の不可抗力だと、彼女は自分を受け入れようとするだろう。しかし、彼女の胸に刺さった棘は一生抜けない。そんな思いを抱えながら自分と一緒にいて、ジュディスが幸せになれるとは思えなかった。


「婚約は解消しましょう。いいえ、俺の有責で破棄してください。それがあなたのためだと思う。もう、解放されてもいいのですよ」

「…………」


「俺はこの先もあなたのことを思い出せる気がしないし、思い出したとしても、もう昔のユースタスには戻れません。ユースタスは死んだんです、ここにいるのはユアンと言う別人だ。俺たちの道はもう分かれてしまった、それはあなたにもわかっているはずだ」


 こんなはずじゃなかった。ユースタスが戻るのを待ち続けていたはずだった。実家フォンテイン侯爵家の家族からは、事あるごとに仕事を辞めるように言われながらも、仕事を続けて彼を捜した。


 そしてやっと見つかったのに……。


 六年近くの年月が流れ、彼が変わっているだろうことは覚悟していた。それでも、彼がどうなっていようと、元の二人に戻れると信じていた。でも実際は変わってしまった彼を受け入れられない。自分はなんて心の狭い女なのだろうと自己嫌悪に陥る。


 いいや、それだけではないことにジュディスは気付いていた。

 ユースタスが見つかった時、すぐに考えたのは、この仕事を続ける理由が無くなってしまう、仕事を辞めればアンソニーと会うこともなくなるだろうと言うことだった。この五年、いつも隣にいてくれたのはアンソニーだから。


 彼の存在がいつの間にか自分の中で大きくなっていたことを認めるのが怖かった。

 今はユースタスと話をしているのに、アンソニーのことを考えている自分は不誠実だと思いながらも、止められない。


 傍にいてほしいのはアンソニーだ。そう気づいた時、余計に自分を許せなくなった。

 ジュディスの目から涙が零れた。


「あなたは今、自分がどんな顔をしているかわかりますか? 俺と再会してからずっとだ、とても辛そうな顔ですよ。そんな顔をしたあなたと一緒にいても、俺たちは幸せになれません」


 自分にはもうジュディスを心からの笑顔にしてあげることは出来ない。彼女の辛そうな顔を見て、もうジュディスの愛を取り戻すことは出来ないのだとユースタスは覚った。


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