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ユースタスが消えた夏  作者: 弍口 いく


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その17 悔やんでも取り返しはつかない

「先ほどは少し言い過ぎたわ、お詫びにお茶でもどうかと思って」

 ジーナはロザンヌをお茶に誘った。それは本来、王太子ステファンを招くために用意したものだったが、彼女が帰ってしまったので、代わりにロザンヌを招いたのだ。


「まあ! ありがとうございます」

 ロザンヌは手放しで喜び、ジーナの向かいに座った。

 ステファンのために用意された菓子類を目にして、ロザンヌは無邪気に目をキラキラさせていた。


「さあ、遠慮なく、このお茶も遠方から取り寄せた最高級品よ」

 美しい陶器に注がれたお茶を勧める。


 ロザンヌが口をつけようとした時、突然現れたユースタスがそれを取り上げた。

「ちょうど喉が渇いていたんだ」

 と飲もうとした。


「ダメ!」

 ジーナが慌てて立ち上がると同時に、扇でカップを叩き落した。


 パリーン! 音を立てて割れるカップ。

 一瞬の沈黙。


 その後、ジーナは珍しく慌てて、

「いえ、そのお茶はあなた苦手だったから、つい」

 ロザンヌは唖然としていたが、ハッとして眉を寄せた。


 ティーカップが割れた場所の芝が変色していることに気付いたロザンヌは愕然とした目をジーナに向けた。

 ジーナは何食わぬ顔で笑みを浮かべた。

「入れ直しましょうね」


 ゾッと背筋が凍りついた。

 あのお茶には毒が? まさか! コリンの食事にも?!

 ロザンヌの頭に恐ろしい考えが巡り、恐怖のあまり固まったまま動けない。

「あ、あの……」


「コリンを一人で置いてきたのか? 戻ろう、きっとお前を捜して泣いているよ」

 ユースタスの言葉に救われたように立ち上がった。

「そ、そうね」

「あら、行ってしまうの?」

 ジーナは残念そうに眉を下げたが、その顔が恐ろしくてロザンヌは顔を背けた。


 そして、逃げるようにその場から離れた。



   *   *   *



 青ざめながら客室へ戻ったロザンヌは、まだ寝込んでいるコリンの様子を見た。

 土色の顔、よく考えてみればただの食べ過ぎとは思えない。


 後から入ってきたユースタスに振り返る。

「あの人、毒を盛ったのね!」

 ユースタスは言葉もなく首を横に振った。


「あたしたちを殺そうとしてるのね!」

 ユースタスに掴みかかる。

「どうかしてるわ! この子はあの人の孫なのよ!」

「あの人が毒を入れた証拠は?」

 ユースタスは冷ややかに言った。


「コリンが証拠よ! あの医者もグルなのね、他の医者に診せて、証拠を突き付けて訴えるわ!」

「どこへ? 公爵家で起きたことはほぼ公爵家内の裁量に任されるのを知らないのか? 使用人やその子供が死んだところで、事件にもならない」

「使用人って、あたしはアンタの妻よ」


「お前はユアンの妻であって、公爵令息ユースタスの妻じゃない、コリンはユアンの息子だけど、ユースタスの息子じゃない、ペラン家の子供じゃない、ただの平民だ」

「そんな屁理屈!」


「ミリーが王都に来るらしい」

「なんですって!」

「お前がしたことはすべてバレてるんだよ」


 ロザンヌは顔色を変えるが、

「あの女、裏切ったのね! で、でも! あたしはアンタの命を救ったのよ! あたしがいなければアンタはここにいないのよ、感謝されるべきなのに!」

「ペラン公爵夫妻はそうは思っていない、お前はユースタスを誘拐した罪人だ」


「誘拐? あたしが罪人……。逮捕されるの? 裁判にかけられるのね、その為にミリーは証人としてやってきたのね」

「裁判を受けさせてもらえればいいんだけどな。公爵家の中で起きた事は当主の裁量で処理されることが多い、平民の女一人くらい簡単に消せるんだ」


「他人事のように言うのね、コリンはアンタの息子なのに」

「何度も言わせるな、コリンは平民ユアンの息子だ、公爵家となんの繋がりもない」

「じゃ、じゃあ、あたしはどうしたらいいの」

「だから村へ帰ろうと言ったのに。元の生活に戻るんだ、ここへ来たのは悪い夢だったんだよ」

「う、ううっ」

 ロザンヌはコリンのベッドに伏して泣き出した。


 絶望……頭の悪いロザンヌにもわかった。今更遅い、もう元の生活には戻れない。あの母親は必ず息子を取り戻そうとするだろう。村に帰っても、たとえどこへ逃げても追手は来る。ユースタスもそれくらいわかっているはずだ。


「なんでこんなことになっちゃったのよ」


 今更悔いても取り返しがつかない。

 もし、あの時、ユースタスを保護したと届けていれば、命を救ったとして謝礼金が貰えただろう。でも、そうしなかった。彼が記憶を失っているのをいいことに、まんまと騙して、十七歳の少年を自分の夫だと嘘をついて自分の元に縛り付けた。夫を事故で亡くして途方に暮れていた時だった。生活していくために働き手が欲しかった。


 そこに現れた容姿端麗で体格も良く、素直そうな性格、自分の言いなりになってくれる優しい少年。彼こそ、寡婦となった可哀そうな自分に神様が遣わしてくれた新しい夫なのだと都合よく解釈し、彼に夫の役割を押し付けてしまった。


 彼が何者か知ろうともしなかった。こんなに高貴な家の御曹司だと知っていれば、身元不明人として届け出たほうが良かった。彼に畑仕事をさせて細々と生活するよりも、はるかに莫大な謝礼金が手に入っただろう。


 悔やんでも取り返しはつかない。

 自分はなんて浅はかだったのだろうと後悔しても遅い。


 しかし、ロザンヌは肝心なことに気付いていなかった。ジーナがなぜ毒を盛るほどにロザンヌを恨んでいるのか。

 その理由はユースタスの五年十カ月を奪ったこと、彼の未来を奪ったこと、その間、多くの人を悲しませたことなのだ。


 ロザンヌはユースタスに悪いことをしたという気持ちに至らず、自分が窮地に立っていることに焦っていた。そして、自分がこの状況から脱する方法がないかだけを考えていた。


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