その11 きっとすべて元通りになるわ
ユースタスはアニエーゼ、カミーユと一緒に帰宅した。
カミーユは最初ホテルに滞在するつもりでいたが、ユースタスが戻ったあの日から、ペラン公爵夫妻に頼まれて滞在していた。ユースタスの扱いに苦慮していた夫妻が、かつての親友で、家族よりも長い時間を共に過ごしたカミーユがいれば、記憶を取り戻すきっかけになると考えたからだ。
馬車の中ではぎこちなかった兄妹だったが、ぽつりぽつりと言葉を交わした。生きていてくれて嬉しかったとか、ずっと待っていた、戻ってくれて歓迎しているとか、再会したあの日、言えなかったことをアニエーゼはやっと言えた。
馬車から降りる笑顔の三人を二階の窓から見かけたロザンヌは胸がざわついた。
彼の記憶が完全に戻ったらどうしよう、自分は捨てられてしまうのではないかと不安に苛まれた。
「母ちゃん、お腹すいたね」
ドレスにしがみつきながら見上げるコリンを抱き上げて、
「大丈夫、この子がいるんだもの、アンタは父ちゃんの子供だものね」
ギュッと抱きしめた。
朝と昼の食事は部屋に運ばれたが、夕食はロザンヌとコリンも同席を許された。
ユースタスはロザンヌと目を合わせなかった。今まで疑いもしていなかった彼女が嘘をついて自分を縛っていたことを知ったからだ。
彼女は自分の五年十カ月を奪って、夫と偽りあの村で働かせていたのだ。ロザンヌが正直に届けていれば、自分はもっと早くここに戻れた。ちゃんと治療を受けて、記憶だって取り戻せていたかも知れなかったのだ。
しかし、瀕死の自分を救ってくれたのもロザンヌだ。彼女がいなければ戻るどころか命を落としていだろう。彼女を憎むことは出来ない、それにコリンもいる。自分はこれからどうすればいいのかわからなかった。
「今日は学園へ行ってきたのでしょ」
公爵夫人ジーナが声を弾ませた。この五年十カ月間ずっと塞ぎ込んで、精神が不安定だったジーナだったが、最愛の息子との再会で怖いくらいハイテンションが続いている。
「ええ」
「それで、何か思い出した?」
「…………」
ユースタスの手が止まるを見て、ジーナは眉を下げた。
「でも、お兄様は凄かったんですよ、ちゃんとカミーユ様の相手が出来たんですから」
「まあっ、カミーユが相手をしてくれたの?」
「剣を持つなんて!」
ロザンヌは思わず割り込んだ。ユアンとして農民の生活をしていたユースタスに剣は無縁のモノ、手にしたことはないのだ。
「そんな危ないことはしないで、怪我でもしたらどうするのよ」
会話を邪魔されたジーナは、キッと刺すような視線を向けながら、わざと音を立ててナイフを皿に置いた。
「ユースタスは幼い頃から鍛錬に励んでいたのよ、そういう基礎はちゃんと体が覚えているものでしょ、テーブルマナーも完璧だしね。あなたとは違います」
ジーナの冷たい声に室内の温度が急降下した。
困ったアニエーゼは努めて明るい声で、
「お兄様はカミーユ様と対等に打ち合ってらしたわ」
「カミーユも長らく剣など握っていなかったでしょうけど、学生時代は天才と言われた腕前だしね」
「いいえ、鍛錬は続けていますよ」
「そうよ、グールド教官を瞬殺したのよ」
「情けない教官だな」
それまで黙っていたジェラルドが眉をひそめた。
「テッドの大振りは変わりませんから、力業は私のような技巧派には通用しませんよ」
「ユースタスは使い物になりそうなのか?」
「ええ、すぐに勘は取り戻せるでしょう」
「俺に剣術が出来るなんて思ってもいませんでしたが、体が勝手に動くものですね」
「そうか……」
視線を落として考え込んだジェラルドを見て、ジーナは嬉しそうに、
「これで我が家も安泰ですわね、やはり我が公爵家は嫡男が継ぐべきですから。アニエーゼには無理をさせたけど、あなたもホッとしたでしょ。ここでの生活を続ければ記憶も戻るはず、きっとすべて元通りになるわ、昔のように」
嬉しそうに微笑んでいるのはジーナだけで、他の者は複雑な苦笑を浮かべていた。
ジェラルドはまだユースタスを跡継ぎに戻すべきか決めかねていた。彼が戻ってまだ二日、簡単に記憶が戻る様子はないし、なにより、この数年、アニエーゼが努力している姿を見てきた。
アニエーゼも同じ、兄が戻り、継嗣の座に戻ることに異論はないものの、そうなれば自分の立場はガラッと変わる。そして、アイヴァンとの関係も変わってしまうかも知れない。
一番焦ったのはロザンヌだ、シーナが口にした〝元通り〟の中に自分が入っていないことを自覚しているからだ。『私はどうなるのよ!』と叫びそうになりロザンヌは唇を噛んだ。
その時、
「ゴホッ!!」
突然、コリンが嘔吐した。
苦しそうに喉元を押さえながら、椅子から転げ落ちた。
「コリン!!」
ロザンヌとユースタスは慌ててコリンの傍に屈みこんだ。コリンは食べ物をすべて吐き戻して、真っ青な顔で額に汗しながらゼイゼイと苦しい息をしている。
「どうしたんだ!」
「あらあら、貴族の食事は平民の体に合わなかったのかしら」
ジーナは蔑んだ目を向けながらおっとりした口調で言う。
カミーユはすぐに、
「侍医を呼んで」
執事に指示を出した。本来は主人がするものだが、冷ややかに見ているだけのペラン夫妻にその気がないことを察したのだ。
カミーユの脳裏に嫌な考えが浮かんだ。
「とりあえず、部屋に運びましょう」




