その10 やはり体は覚えているもんだ
ジュディスとアンソニーがブライス伯爵領に来ていたのは、ユースタスの捜索ではない。そこで彼が発見されたのは偶然で、行き違いになってしまったのは不運だった。仕事でここへ来ていなければ、ジュディスは今頃、王都で五年十カ月も待ち続けた婚約者ユースタスと再会できていたはずだった。
「君だけでも戻って、ユースタスに会ってくれば?」
アンソニーはジュディスを気遣ったが、
「ステファン殿下の密令を放り出すわけにはいかないわ」
「殿下だって君たちのことはよく知ってるんだから許してくれるさ」
「私が嫌なの、友人だからと特別扱いされるのは」
アンソニーとジュディスは王立学園時代の同期生。王太子のステファンと王太子妃のシエナ、彼女の双子の兄カミーユや、現在騎士科で教官をしているテッド、妻のレベッカもそうだった。
みんな楽しい学生時代を送っていた。それもユースタスが失踪するまでの話だったが……。
学生時代最後の夏、ユースタスが消えたことにより、楽しかった青春時代の思い出が闇に沈んだ。
ユースタスが自ら姿を消すとは考えられなかったから、事故か事件に巻き込まれたに違いない、無事でいてほしい、生きていてほしいと願いながら、ジュディスは彼の帰りを待った。
大規模な捜索にもかかわらず、行方はわからない。
一カ月、二カ月と経ち、絶望が押し寄せる。
一年、二年が経過して、口にはしないがほとんどの人が諦める。
ペラン公爵夫妻からは、婚約をいったん白紙に戻してはと申し出があった。両親が諦めていないことはわかっていた。ジュディスのために言ってくれたのだとわかっていた。
王立学園を卒業したらすぐに婚姻する予定だったのが、二年も経ち彼女は二十歳になった。貴族令嬢の適齢期としてはギリギリだ。今、婚約を白紙に戻しても好条件の相手が見つかる保証はないが、ペラン公爵家としては出来るだけ協力しようとしていた。
しかしジュディスは首を縦に振らなかった。ペラン公爵夫妻に彼の帰りを待ちたいと頼み込んだ。そして自分でも捜査ができるように、王宮調査室で働くことにした。アンソニーも協力すると言い、同じ部署に願い出た。二人がコンビになれたのは王太子ステファンの計らいである。
それからアッという間に月日は流れた。
ユースタスは生きていた。
しかし、彼には妻子がいた。
納得できるわけがない。
* * *
「大丈夫か? 疲れているようだけど」
「ええ、昨日はよく眠れなくて」
ユースタスが戻ったことを手放しで喜べない者がここにもいる。
翌日は普通に登校したアニエーゼだったが、睡眠不足でボーっとしていた。
「今日の鍛錬は休むか?」
「いいえ、今日はさっそくカミーユ様が稽古を見に来て下さる約束だから」
「あの百年に一人の天才剣士と言われた卒業生が来るのか?」
「聞いたことがあるわ! カミーユ・バートレット様と言えば、前の王太子コーネリアス殿下が乱心して某公爵家のパーティーに傭兵を引き連れて乱入した時、百人切り捨てて今の王太子ステファン殿下をお護りしたって有名な話があるでしょ」
ジャンヌは目を輝かせた。
「そうなのか? そんな事件があったのか」
「その話は盛に盛られた作り話よ、事件は実際にあったらしいけど、そもそも賊は百人もいなかったらしいわ」
「そうなの? でも天才と言うのは本当なんでしょ」
「ええ、それはお父様からも聞いているわ」
「その彼が来るのね、私も手合わせしてもらいたいわ!」
みんなは昨日現れた美女が当人だと気付いていないようだ。
「……彼、なのか?」
アイヴァンは心配したが、現れたカミーユは女装を解いて、髪は長いままだが普通の男性に戻っていた。その姿も爽やかで美しく、生徒たちの目を惹いた。
「やっぱ、剣を握るならドレスじゃ動き辛いでしょ」
「あー、カミーユだ! あの頃のままだ」
テッドは感激してオーバーに涙ぐんだ。
「剣術の鍛錬は続けていたのよ、女装した私って美し過ぎるでしょ、護身のためと運動不足解消のためにね」
とウインクして見せるが、
「言葉遣いは戻らないんだな」
鍛錬を続けていたと言っただけあり、カミーユの腕は衰えていなかった。かつて百年に一人の天才と言われた彼は、肩慣らしに教官のテッドを秒殺した。騎士科の指導者としての面目丸潰れだが、テッドはなぜか嬉し涙を流した。
「あなたそれでも教官なの? 騎士科のレベルが落ちちゃうじゃない」
「だって、俺、嬉しくて、あの頃が戻ったようだ」
「そんな教官は放っておいて、今度は私の相手をしてくださいよ」
アニエーゼにせがまれる。
それからずっと剣がぶつかり合う金属音が高く響いた。
アニエーゼは全然カミーユに敵わない。
「やっぱりレベルが違うのね」
アニエーゼは肩を落とした。
「同じようにお父様から指導を受けたのに」
「まあ、私は天才だから」
「自分で言う? でも、そうよね、カミーユ様は剣術大会三年連続優勝でしょ、お兄様も一年生で準々決勝まで進まれたと聞いているわ、私もそれを目指しているの」
「うーん、でも二、三年たちとは鍛錬してきた時間も違うし、そんな甘くないわ、無理して怪我でもしたら元も子もないでしょ」
「なにもかも足りてない私は、少しでもお兄様に近付きたくて」
「あなたはユースタスのようにはなれない、なる必要はないのよ」
「女だから?」
「そうは言っていない、あなたにできることを極めればいいのよ」
「もう一本、お願いします!」
アニエーゼは気を取り直して再び剣を構えた。
生徒たちが剣をぶつけ合う音を耳にしたユースタスは懐かしさが込み上げた。
記憶はまだ戻らない、しかし、ここの雰囲気には覚えがある。
ユースタスは少しでも記憶を取り戻すきっかけになればと王立学園を訪れた。記憶のない彼にとっては初めての場所のはずなのに、案内もされずに足が向いたのは騎士科の練習場だった。
「ユースタス!」
目敏く見つけたテッドが駆け寄った、その勢いのまま抱き付いた。
「ユースタス! ほんとに帰って来たんだな! 昨日は行けなかったから、今夜にでも会いに行こうと思っていたんだ、お前から来てくれるなんて!」
ユースタスはテッドに会いに来たわけではなかったが、こんなに会いたがっていてくれた友達がいたことを知って胸が熱くなった。
「ほんと、よく無事で」
既に泣いていたが、さらに涙を流して鼻を啜るテッドの顔はグチャグチャだった。
「一人で来たのか? なにか思い出したのか?」
「いいや、ただ」
手合わせしていたカミーユとアニエーゼに視線をやる。
二人も彼の登場に驚いて手を止めていた。
「ただ? やっぱり何か感じるんだな、学生時代、俺たちはここで汗を流していたんだぞ、お前はいつも放課後、カミーユを付き合わせて暗くなるまで練習してたんだ」
こちらを見ているカミーユの姿が、少年時代の姿とダブる。今はもう二十三歳の大人の男だが、普段女装しているために肌の手入れも欠かさず、体型にも気を遣っているカミーユは、十代の頃と変わらないように見える。
「俺が剣を……」
テッドは戸惑っているユースタスに剣を差し出した。
「幼い頃から鍛錬に励んでいたお前の体は覚えているはずだ」
「そうかな」
ユースタスは恐る恐る剣を手にした。
「構えてみて」
「あ、ああ、こうかな」
「うん、様になってる」
カミーユとユースタスの立ち合いがはじまる。
カミーユはテッドを瞬殺した時とは違い手加減しているものの、ユースタスの剣捌きは素人ではなかった。やはり体は覚えているものだ。
二人の姿を見ながら、テッドはまた号泣していた。
ユースタスの脳裏にも、時折フラッシュバックが浮かんだ。かつて自分はここにいた、ここはかつて自分の居場所だったんだと……。
そう感じた瞬間、隙が出来た。
ユースタスの剣は弾き飛ばされた。
「つぅっ!」
痺れた手を押さえる。
「ゴメン! つい力が入りすぎた」
カミーユは駆け寄った。
「大丈夫?」
「あ、ああ」
苦笑を浮かべならカミーユを見る。
「凄いな君は、俺より小柄なのに」
「力じゃないよ、相手のちょっとした隙を見逃さないだけだ」
「そうか」
「今、集中力が途切れたでしょ? なにか思い出したの?」
「い、いや……ただ、自分がこんなふうに剣を握っていたことが不思議で」
「不思議じゃないよ、いつもこんなふうにしてたのよ、私たちは」
そう言ったカミーユの笑顔が眩しかった。
「ちょっと休憩しましょうか」
二人はベンチに移動した。
「あなたは剣の天才だったのに、なぜ辞めたんだ?」
「神様が意地悪だから逆らいたくなったのよ、私は剣術なんか好きじゃなかった、もともと美しいものや可愛いものが好きで、ドレスを着れる妹が羨ましかったのよ、フフッ、変な奴でしょ」
「別に変じゃないけど」
ユースタスはふと宙を見つめてから、
「じゃあ、なぜ好きでもない剣を?」
「それはあなた、ユースタスの影響よ、無理強いされたわけじゃないけど、幼馴染で一緒にいる時間が長かったから、それとあなたとの修練は楽しかったしね。だからあなたがいなくなった時、剣を握る理由がなくなったのよ」
「そうなのか……」
寂しそうに目を伏せたユースタスを見て、カミーユはなにか引っかかったが、それがなんなのかはわからなかった。
お読みいただきありがとうございます。
「前の王太子コーネリアス殿下が乱心して某公爵家のパーティーに傭兵を引き連れて乱入した時、百人切り捨てて今の王太子ステファン殿下をお護りしたって有名な話があるでしょ」
については、短編『僕はずっと仮面を着け続ける』で書かれていますので、お読みいただければ幸いです。




