【9】私の居場所
――――そこは、見たこともない世界だった。いや、嫌と言うほどに知っているのに違う。牢の外の世界。
「もう大丈夫だ。君のことは私が守ろう」
目の前には銀髪紅眼の屈強な戦士がいる。
「ずっとここにいなさい」
優しい手が俺の頭を撫でる。
「もしよければ、私の養子になるか」
――――ある日、男はそう述べた。
※※※
それが、更なる悪夢の始まり。
「……」
「また寝ていたのか?アルダ」
馬の蹄の音、カタカタと揺れる御者台、頭を預けていた肩の主は。
「……ラーシュ」
「中で休んでいてもいい」
「嫌だ……」
狭い箱の中は……俺には。
「ま、それにはレンニも消極的だ。家の中は平気なんだけどね」
「それでもできるだけ、あそこは広く造られてる」
そうしなきゃ、まともに寝食もできない。なのにいつも寝られるのは狭い箱の中と同じ少しでも狭く感じる部屋の隅。
「旅の空はどうだい?」
「……」
「遮る壁もない。天井もない」
「……自由だな」
あの時とは違う。仮初めの自由とは。
「でも俺は……」
「うん?」
「時々何処へ行けばいいのか分からなくなる」
広すぎて、方向を見失う。いや、向かう先は王都だ。分かってる。
「脚だけがふらふらと、何処に向かうのかわからなくなる」
「それでも道標ならもうあるんじゃないかな?」
「……」
分からないはずなどないのだ。
やがて検問が見えてくる。順番待ちをして、検問で身分証を見せる。これを使うのも久々だな。ラーシュと同じくそれを見せれば、検問官がえらく緊張した面持ちとなる。
「任務の途中でいらっしゃいましたか」
「そう言うところだ」
ここで俺が山賊もやっていると言えば懐疑の目を向けられるだろうか?いや、それも潜入捜査だとか思われるだろうか?
取り留めて馬車の中を確認されることもなく検問を突破する。
「便利なもんだな。今日この時ほど感謝したことはない」
「こらこら、他のことでも感謝しなよ。俺たちのご主人さまだよ?」
「……お前は」
そう言い切るには何となく違うような気するする。
「うん?」
「何でもない」
確証などどこにもないのだから、のらりくらりと躱されるに決まってる。
街に入れば早速宿探し。馬車を預けられる宿を見付ければ、馬車の格納などはアレクとラーシュに任せ、俺はレンニとリーリャと晩飯の買い出しに出る。
「旅装は大きすぎたり寒すぎたりしないか?」
事前に合わせてきたとはいえ実際に動いてみると違うこともある。
「平気だよ!それに……ここは山よりも暖かいの……?」
「そうだな。普通は山の方が寒くて、辺境伯領に近付くほど寒くなる」
「うん。あのね、王都を出たらどんどん寒くなって、ふるふると震えるけどここでも山でも平気だったよ」
「ああ、これからはそんなことはないから、寒くなったらすぐに言うんだ」
「うん!」
「それじゃ、まずは屋台通りにでも……」
晩飯の買い出しならあそこだろう。
歩を進めようとした時だった。
「何でこんなところにいるんだ……」
「あれは聖女だ!」
誰かが指を指してくる。
咄嗟にリーリャを背に庇えば、そこには身なりのいい帯剣した男たちがいる。
「何だ、お前らは」
「口の利き方に気を付けろ!平民無勢が!」
「俺たちは英雄アンテロさまの遠征隊に任じられた由緒あるエリート騎士だぞ!」
つまりはどこぞの貴族のボンボンか?
「それが何だ。もし本当にそうならお前たちは何故こんなところにいる?辺境にいるはずではないのか」
アンテロ以外の騎士たちは辺境伯騎士団が連行していったはずだ。
「ふんっ、俺たちは由緒ある家柄だ!あのような野蛮な土地に行けるか!」
辺境伯家も公爵家に連なる由緒ある家柄なんだが。
「つまり遠征隊に名前だけ置いておいてこんなところで高見の見物をしていたのか」
「う……うるさい!俺たちにはそれが許されてるんだ!」
辺境伯騎士団じゃ決して許されないぞ。
「それよりもとっくにこの街に到着しているはずのアンテロさまが一向に帰ってこられない!」
アンテロは未だ行方不明……いや、コイツらに逐一知らせてやるほどの価値がなかったのかもしれないが。
「なのに聖女が何故ここにいる!」
「聖女を寄越せ!我々自らアンテロさまに献上してやる!」
まるで悪役さながらだな。
「さあ聖女さま!そのような野蛮な連中といずに、我々と!」
あからさまに不快な笑みを向けてくる。リーリャを名前ですら呼ばずに自分たちの手柄にでもする気か。
「させるかよ」
「どけ!愚民が!聖女は貴族の我々と来るに相応しい!」
「お前ら……っ」
どこまでも自分勝手な……っ!
「やめて!」
リーリャ?
「私は……自分の居場所は自分で決める!私の居場所はアルダの隣だから!」
この子は……想像以上に強い子だ。こんな俺にはもったいないほどなのに。俺の隣を選んでくれるのか。
「そ……そんなこと許されない」
「あなたさまにはアンテロさまが……英雄さまこそが相応しい……」
「関係ないもん!アルダはアルダだもん!」
「やはり平民の孤児は頭が悪い!」
「こちらが下手に出ていれば好き勝手言いやがって。貴族の言うことが聞けないのか!?この汚ならしい平民の孤児がっ!」
「……えっ」
急に態度が豹変した2人にリーリャが身をすくませ、咄嗟にレンニが庇うように下がらせる。
「少なくともこんなところで油売ってる騎士もどきよりは汚くない。リーリャは……まっすぐで純粋な、本物の聖女だ」
ギリと睨み聖剣を鞘から抜き取れば男たちの表情が変わる。
「まさか……聖剣?そんなはずは……」
「あれはアンテロさまのもののはず!」
「違ぇよ。コイツは俺のもんだ。ずっとずっと……勇者であることを押し付けてくる、逃げても逃げても追ってくるとんでもないストーカー野郎」
さらには俺が決して逃れられない幻覚すら見せてくる。
「……けどな。だから俺は、聖剣といるんだ」
……たったひとつの生かされる意味でもあるから。
「戦場に立つ度胸もねえ腑抜けどもがぁっ!俺たちの邪魔をするなあぁぁぁっ!!」
聖剣を薙ぎ払い、男どもをぶっ飛ばす。血は出してない。子どもの前だし、街中だ。しかし骨の何本かは確実に折れているだろう。ハッ、知ったことか。
聖剣を鞘に納めれば、いつの間にか周囲から歓声と拍手が溢れる。
どこからか『勇者さま』と叫ぶ声が響く。俺は逃げた臆病な勇者なのに。
「アルダ……!」
リーリャがガバッと俺に抱き付いてくる。
その温もりと、高揚感が伝わってくるのは周囲の拍手や歓声のせいもあるだろうか。
――――俺はこんな世界を、知らなかった。
見ようとしたことがなかったんだ。




