【3】長い夜の始まり
――――鉄格子の向こうで弟はどんどんと痩せ細っていった。母さんに隠れて俺の分を全てあげた。
それでも日に日に体重は落ちていく。
やがて母さんもいなくなり、それでも弟は鉄格子の向こうだった。いつか……いつか牢から出してやって抱き締めてやりたい。そして普通の兄弟としての日常を……。
勇者として子どもながらに戦場に立たされ、やっとのことで弟の元に帰る日々。普通の日常を夢見て、ただひたすらに戦い血を浴びた。
いつものように、鉄格子の向こうに横たわる弟がいる。だけどその日、どんなに手を伸ばしても届かず、声が枯れるほど呼んでも弟は……瞼を開けなかった。
「……」
何て悪夢だ。しかしリーリャは反対にすやすやと寝息を立てている。他人が寝ている姿が恐い。だがその恐怖とは真逆の聖女の寝顔に何とも言えない気分になる。
「起きたのか?アルダ。お前が寝てる間に、一応診断はしたけど異常なし」
「ああ、分かったよ。レンニ」
俺とは同じくらいの年頃の青年は黒髪に紫の瞳、魔族角に短く尖った耳。
レンニは混魔である。ゆえにここが彼の居場所なのだ。
「完全に加護の影響だろう」
「ああ」
「これから栄養をつければお前みたいに元に戻る」
いつのことを言ってるのやら。でもコイツも……見てきたからな。
「ところで、問題はお前だ。アルダ」
外はもう暗くなっている。
「……スケジュール通りにできなかったからか」
「いいや。どうしても辛い時は休んだっていい。あの子を見守ってやりたければそれでもいい。だが俺は別の心配をしているんだ」
「……心配しなくても俺は平気だ」
「幻覚は?」
「聖剣ならしまってある。もう暫くは見てない」
「不安なことは?」
「……ない」
「お前のことは基本信用することにしてる。だが……今夜は長くなりそうだ」
「何があった」
「アーリヤ姉さんたちが呼んでる」
「分かった」
「薬は飲んでいけ」
「……」
レンニから薬瓶を受け取りぐいっと飲み干す。
「……不味い」
「旨いもんなら帰ってきてからたらふく食え」
「それもそうか」
ここはレンニに任せればいいだろう。急いで外に出れば、緊迫した雰囲気が立ち込めている。
「どうした、アーリヤ姉さん」
「例の英雄さまだよ」
リーリャを汚いと宣い別々に運ばせてきたくせに何だ?
「山賊に拐われた聖女さまを奪還しようって魂胆さ」
「やっぱりアイツら、殺しておけば良かった」
一応身ぐるみ剥いで吊し上げてやったのだが。
「勝手にやったらご主人さまから怒られるよ。緊急時は仕方がないけれど」
「……それは。なら今は、緊急時か」
「まあね。山に火を放とうと遠征隊と押し掛けてきてるよ。聖女さまを素直に返せば見逃すと言ってるけど」
「アイツに返す必要があるか?リーリャはアイツのものじゃない」
勇者が不在だからと、聖女を好き勝手していいわけがあるか。
「よく言った。素直に返すだなんて言ったらぶん殴ってるところだよ」
「ちゃんと世話はする。拾ったのは俺だ」
「それでいい。火なら私の魔法でどうとでもなる」
「分かった」
必要なのは不安定な足場でも駆けられる山賊のマル秘装備だな。
装備を整えていれば、レンニが慌ててやって来る。
「大変だ、アルダ!リーリャをトイレに行かせてたんだけど……いつの間にかいなくて」
「まさか……アイツ」
「聞いていたのかもしれないね」
姉さんのひと言に最悪の事態を想定する。
「俺が探してくる。こっちは頼めるか」
「問題ないさ。アレクも連れていきな。ちゃんと戻っておいで」
「分かった。ちゃんと戻るよ」
引率がもうひとり分増えるか。しかし……苦ではない。
持つのはいつぶりか、布にくるまれた聖剣を取り出し、俺は山を下る。
山に火弓が放たれる。大丈夫だ。姉さんたちがいるから。
麓に集まる騎士たちの姿を捉えれば、背後の草を掻き分ける音に呼び掛ける。
「アレク、アイツらを一掃しろ」
姉さんがいるとはいえ、火弓だの突撃だのされては迷惑だ。
「分かっタ、アルダ」
背後から跳び跳ねて騎士の集団を襲撃したのは華奢だが相当な怪力の持ち主。まだ16歳だと言うのに凄まじい。大斧をふるい騎士たちを薙ぎ倒していく。彼らはその紅い瞳の意味を認識する暇すらない。
その混乱に乗じ、目指す方向へと駆け抜ける。分かるんだよ……勇者ってのは聖女のことが。一度出会ったのなら、もう目を剃らせないほどに。
騎士たちの悲鳴が轟くなか、そのテントだけは不動の騎士たちが守り異様だった。……仲間の悲鳴が響いているのに。
「俺は俺の世界を救うだけだ」
山賊生活で鍛えた早業で騎士どもの息の根を止める。
「もう後悔はしない」
文句は言わせない。これは俺の世界を守るための戦いだ。
バシャリとテントの扉を斬り払えば、中から不快な鞭の音が響く。
「この私に恥をかかせるとは!この孤児が!」
中には立派な身なりの男がいる。
その目の前には椅子に縛り付けられぐったりとして目を開けないリーリャだ。
「何者だ!」
男が俺に気が付きカッと目を吊り上げる。
「山賊か……?この私を誰だと思っている!英雄アンテロさまだぞ!」
「知るものか」
聖剣を構えれば、アンテロが驚愕する。
「それは……聖剣!何故お前のような山賊風情が……っ!それはお前なんぞが持つ代物じゃない!」
アンテロが鞭を投げ捨て自慢の剣を構えて迫ってくる。
「それは私のものだ!」
「ふざけるな!」
聖剣に選ばれたものの意味を、何も分かってない。
「お前は英雄なんかじゃない!」
「何を!?」
剣が重くなる。アンテロの怒りが剣を重くする。
「だからなんだ。俺の剣は折れることはない」
俺が折れない限り、飢えても毒を浴びても……この剣だけは俺の呪いを共に背負ってくれる相棒だから。
「そんなクソみたいな剣が何だ!」
カキンと刀身が弾ける。
「そいつは何を背負ってる。お前が押し付けてるだけだろ!」
聖剣をぶんとぶつければ、負荷がかかった刀破片が粉々に砕け散る。
「どけぇっ!!」
思いっきり振り払ったひと薙ぎに血飛沫が舞い、アンテロがテントを突き破ってぶっ飛ばされる。
「リーリャ!」
急いでリーリャの拘束を解き抱き上げる。
「おい、リーリャ!」
瞼を開けない。あんなにすこやかな寝顔を見せていた少女がうんともすんとも言わないのだ。
また……なのか。俺は……また自分の世界を失うのか。




