【12】迷子の勇者
――――ボロボロだった。12歳の時にノエルを喪い、死ぬしかないと思った。それから1年間、何度も何度も手首を切り、首筋を切った。
しかし死ねなかった。それでも戦って、血を浴びて。
勇者だから食べずとも死なないのだと、食料は全て遠征騎士のもの。
そんな状態でついに気絶しようとした時、目の前には紅い瞳があった。
「もう大丈夫だ。君のことは私が守ろう」
男はアルトゥール・アーシア。辺境を預かる辺境伯だった。アルトゥールが用意してくれた馬車の中に乗れない俺を騎士が御者台の自分の膝に乗せてくれたのを覚えている。
そうして辺境伯邸に着いた俺をアルトゥールは優しく撫でた。
「ずっとここにいなさい」
優しい手が俺の頭を撫でる。その日から俺は辺境伯家でスィーリや騎士、辺境伯家の人々と暮らした。
ちゃんとした服を着て、ご飯を食べて飢えることもない。やみくもに剣を振るうのではなくしっかりと型を叩き込まれた。
アルトゥールは辺境一の戦士だった。誰よりも強くて格好いい。辺境屈指の勇猛果敢な戦士。スィーリと共にその背中を追い掛けた。
「もしよければ、私の養子になるか」
――――ある日、アルトゥールはそう言った。
スィーリは弟ができると喜んだ。
けれど俺には気になることがあった。夜な夜な聞こえる獣の声。屋敷の連中に聞いても誰もが気のせいだと言う。けど、ある日。
悲痛な獣の声が呼んでいる気がしたのだ。
「……のえる」
そんな気がしてしまった。夜中、こっそりと声の元へ向かう。その時、誰かが隠し扉を開き地下の階段を下っていく。
食事を運んでいるのか……?その人物が中から出てきて扉を閉め、夜闇が静まり返れば……俺は先程見た順序で隠し扉を開く。
「のえる……ノエル……」
階段を下る度に声が鮮明になっていく。
「そこに……いるのか?なあ……ノエル!」
はやる足が地下へと踏み込む。
そこには牢がある。
「……っ」
強烈にフラッシュバックするのはノエルが目を開けなくなったあの鉄格子の先。
「ノエル!ノエル!」
鉄格子に手を掛け叫べば、檻の中で何かが蠢く。
その目は紅く光る。
「……ぎゃぁ……ぎぎ……あ?」
言葉にならない声が地下室にこだまする。
「アァァァアァァァッ!!!」
信じていたのに。信じてもいいと思ったのに。何が養子にだ。何が弟だ。
俺の弟を閉じ込めて……こんな、檻の中にっ。
気が付いた時には聖剣を鞘から抜いていた。
「うわぁぁぁぁぁっ!!!」
半狂乱になりながら地下室を飛び出す。
「アルダ!?こんなところで何をしている!」
目の前にはアルトゥールと数人の騎士たち。隠し扉が空いたままになっていたからか俺の悲鳴のせいか。
「はは……あはは……っ」
けど……もう構わない。
「俺のノエルを帰せ!帰せ帰せ帰せ!」
勇者の剣は多少型がめちゃくちゃでも攻撃が入る。それこそが補正。こんなに怨んでいた勇者の特性に身を預けることになろうとは。
けど……。
「アァァァァァッ!!!」
それでも俺はノエルを……っ。
ぷすりと刺し込まれたものをよく覚えていない。肉の感触だ。目の前でアルトゥールが膝を付く。
「閣下!すぐに治療を!」
「アルダ!大人しくするんだ!」
戦々恐々とする辺境伯邸にも目を向けず俺は剣を振るい、血を浴びる。
「アアァアァァ――――――ッ!!!」
そして騎士たちを払いのけ、ヒーラーの治療を受けようとするアルトゥールに襲い掛かる。
「どくんだお前たち!」
「ダメです閣下!」
ヒーラーの悲鳴、強引にヒーラーを押し退けアルトゥールが庇おうとする。構わない構わない構わない。今度は……お前の心臓を……っ。
「死ねエエエエエェッ」
どうしてこうしなかった。もっと早くこうしなかった。そうすればノエルも母さんも自由にできたのに。アイツらを全員、殺してやればよかった。俺が死ねないのなら……。
「お前らがあァァァァッ」
振り下ろされる剣。しかしその腕を鋼のように強靭な何かに止められる。
「……の、える」
「ぎゅぅ……」
言葉にならない声で鳴くそれは、ノエルじゃ……ない。あの牢の中の紅い瞳にアッシュブラウンの髪。年齢はノエルが生きていれば同じくらいだ。
「……アレク」
アルトゥールが彼の本来の名を呼ぶ。
「キャア、ぁ」
獣の声が、もうやめろと言っているように剣の柄が手から滑り落ちる。
次の瞬間どっと身体中の力が抜け落ちる。どこかで誰かが頭を撫でている。これは……誰の、手だ。
「……アレクを出したのはお前か、ラーシュ」
「それが必要だと確信したからですよ。辺境伯、この2人は、離しちゃいけないんだ」
遠くでアルトゥールとラーシュがしゃべってる。
「出会ってしまったから……」
「分かった。2人を……お前に預ける」
「ええ、お任せを」
虚ろな意識を取り戻した俺はアレクの手を引きながらラーシュに導かれアーリヤ姉さんのところに引き取られたんだ。
※※※
そこから、ずっと山賊として生きてきた。
「ずいぶんと重い話になっちまったな」
「ううん。あのね、アレク言ってたよ」
「アレクが……何て?」
「あのね、アルダは泣き虫だから自分が側にいてあげるんだって」
「……」
初めて聞く、アレクの俺への気持ちだった。
「はは……泣き虫か。カッコ悪いな」
「カッコ悪くなんてないよ。悲しい時は泣かないといけないんだよ。そうしないと、ずっと悲しいままなんだよ」
「……」
ずっと悲しいまま、か。
「リーリャ、少しだけ寄り道していこう。レンニもこれくらいなら許してくれるはずだ」
「どこへ行くの?」
「すぐに見えてくる」
見えてきたのは小高い丘。そこには大きな石碑を中心に多くの石碑が並んでいる。
辺境伯領で命を落とした全てのものたちを悼む石碑、そして……。
アルトゥールとマティによってここに埋葬されたのは。
ファミリーネームを持たぬ2人分の石碑だ。
「ノエル……母さん」
前にここに来た時、俺はどんな顔をしていたろうか。泣いたら負けてしまうと思ってた。生きることが辛くて、それでも死ねなくて。そんな顔をしていたかもしれない。
自然にこぼれた涙に、背中をさする手はどれも温かい。今まで見てこなかった辺境伯領の空と、大地と、風の感触が妙に心地よい。




