【10】慟哭の果てに
――――数日にも及ぶ旅路。御者だ台からは一番に王都の城門が見えてくる。
「長かったな」
「そうだね、アルダ」
これでアイツと会えば旅も終わる。
少し寂しい気もするが……。
「でも帰るまでも旅だからね」
この男はどこまで俺を見透かしているんだか。
「分かってる」
まだまだ旅も折り返し地点だ。
検問の順番を待っていれば途端に騒がしくなる。
「何事だ……?」
武装した集団だ。王都周辺でどこの騎士団が暴れていると言うのか?そして喧騒が俺たちに近付いてくる。
そしてその集団のリーダーと思われる男が姿を現す。ところどころ包帯を巻いているが間違いない。
「山賊勇者め!不当に奪い取った聖女リーリャを返してもらうぞ!」
アンテロが俺に怒りの形相を向ける。
サッと御者台から飛び降りればラーシュも続く。
「不当でも何でもない」
「聖女の乗った馬車を襲ったのはお前たち山賊だろう!」
「馬車ァ?あんなのどう見たって荷馬車だろ。それもリーリャに飯すら与えず、衰弱しきってた。そんなことをしでかしたお前たちにリーリャは渡さない!」
「この山賊勇者め……みなのもの、私は英雄アンテロだ!この勇者は勇者の責務を投げ出し山賊に身を落とした大罪人だ!」
まさか……周囲を味方にこちらを不利な情勢にするつもりか……?恐らく王都に残してきたと思われる部下の騎士たちもそう雄叫びを上げる。
「この傷もこの山賊勇者にやられたのだ!」
思えばヒーラーに治してもらえりゃいいはずの傷だ。コイツは英雄さまで、ポーションにもヒーラーを呼ぶ金にも困らないはずなのに。
――――まるであの時のようだ。
「この傷を治せるのは聖女リーリャだけ。その聖女すらこの山賊勇者は奪い取った!聖女リーリャを返せ!」
そして周囲からも『返せ』『山賊勇者!』と声が上がる。
どうして……何で。あの時突き立てた聖剣と同じ。俺は守りたかっただけなのに。ノエルを、アレクを自由にしたかっただけなのに。周囲の視線は恐怖と憎悪に染まっていく。
「……っ」
やっぱり、嫌だ……。こんな世界は。
「違うよ!」
その時、リーリャの声にハッとする。
「何で出てきた!」
「俺、守る!へーき!」
「一応闇医者監修ヒーラーの奥の手もあるから」
アレクがついているのならとホッとする。レンニの手に握られたおどろおどろしいポーションは……見て見ぬふりをする。
「私は、私の意思でアルダといるの!アルダはアンテロみたいに鞭でぶたないよ!ちゃんとご飯を食べさせてくれて、おやつもくれるよ!旅に必要なこともたくさん教えてくれるの!アンテロなんかとは全然違うの!」
小さな少女の言葉に周囲の風向きが変わる。
『英雄さまが聖女さまを鞭で……?』
『そう言えば出征でお見かけした時ひどく痩せて……』
どよめきが溢れる。
『お前ら知らないのか!辺境の山賊は俺たちの義賊だ!』
『そうだそうだ!やつらがいるから金のない平民も冬が越せるんだ!』
『怨むならケチって税金ばかり上げる貴族にしやがれ!』
「アイツらは……」
「俺らと同じく辺境から来たか、縁の深いものたちだろうね。門の方角的も辺境から来るものが多い」
ラーシュが告げる。
『山賊勇者ァ?結構じゃねえか!』
『山賊勇者なら紛れもなく俺たちの勇者だぜ!』
『英雄が何だ!山賊勇者の方がよっぽど辺境のために戦ってんぞ!』
歓声と拍手が巻き起こる。
「う……うるさいうるさい!悪者は山賊勇者の方だぁっ!」
アンテロが部下たちに突撃を命じる。
「ふざけんなァっ!」
そいつらをラーシュと薙ぎ払いぶっ飛ばす。
「そこまでだ!」
その時アンテロの声にハッとする。そこにはリーリャたちに剣を突き付けるアンテロが立っていた。怪我で戦えないからと弱いものを襲うだと!?
「さあ……聖女リーリャ……俺を治せぇっ!」
「ひっ」
リーリャがびくんとなる。
「このっ」
レンニが劇物ポーションを構えるよりも先に力強い拳がアンテロをぶん殴った。
「へぶっ」
「リーリャ、仲間、恐がらすダメ!」
アンテロはアレクの拳になすすべなく地に転がる。
どさくさに紛れてレンニが劇物ポーションも投げつけアンテロが悲鳴を上げ、さすがの部下たちも近付きたがらない。
お前の人望が知れるな。
「ぐ……ぞぅ……俺に、こんなことをして……」
ところどころ皮膚が溶けていると言うのに、アンテロがこちらを睨み付ける。
「てめぇこそ、ただですむとは思うな!」
聖剣を突き付ける。
「ふっ」
アンテロが不敵に笑む。
「お前は平民……俺は貴族。貴族に手を出したお前は……死刑、死刑だァッ」
まだそんなことを言う貴族がこの国にいるのか。
「そのような蛮行は許さない」
響いた声と共に現れた青年にアンテロの表情が凍る。
近衛騎士団を引き連れてやって来たのはダークブロンドにサファイアブルーの瞳を持つ青年だ。そしてその青年と俺の顔を見比べて、アンテロが顔を青くする。
お前は俺を山賊で平民だと愚弄するあまり気が付かなかったとでも言うのか?
ま……王太子の顔をみたことのある地方の平民は稀だから比べられることなどないが。
「それに年下の女の子を守ることは貴族だの平民だの関係なく男として当然のことだろう?ぼくは強い女性も好きだけどね。アルダ」
「……お前の好みは聞いてねえよ、マティ」
「ふふっ、たまには君の好みが聞きたいと思ったんだ」
「どうでもいい」
自分のことすら、分からないのに。
「だ……だからって、聖女は英雄アンテロのものであるはずです!」
アンテロが俺たちの会話を遮って叫ぶ。
「そうそう、それ。勇者が王都に不在だからと、随分と聖女を好き勝手したようだ」
つまりそれは王太子の意思の外で行われたと。この調子じゃ陛下の許可を受けていたかも怪しい。
「聖女が見付かったと報せは受けたが、我先にと飛び付いたのは君だね。その後辺境にまで連れていくとは。ぼくの優秀な部下たちが何があったのかは報告してくれたからね。今さら言い逃れ出きるとは思わないことだ」
「そんな……勇者はいない!王都から……女神さまの与えた使命から逃げたではありませんか!」
「彼はいつだって逃げていないよ」
そんなことはない。俺は逃げて、逃げて、どうしようもない弱い人間だ。
「君はいつだって大切なもののために戦った。少なくとも私の目にはそう映るよ、アルダ」
「マティ」
「……先程から王太子殿下を呼び捨てに、しかも……愛称!?山賊で聖剣泥棒の癖に貴様はっ」
アンテロが俺を指差し睨み付けてくる。
まるでこの目の色に嫉妬しなかったことにしようとしているように。
「聖剣は……その者に持つ資格がなければ握らせない。つまりアルダは聖剣に選ばれた勇者だよ」
「バカな……それが何故山賊にいる!それに……勇者は落ちぶれた没落貴族令息だったと言うではないか!」
コイツはそれを一番言いたかったんだな。俺を平民として自分は貴族……その優越感に浸るために言い出せなかった。たとえお前が爵位を与えられてもこの目の色の意味には遠く及ばない。
「お前は……元平民上がりで爵位をもらったんだったな」
「そ、それがなんだ!私は爵位を与えられるのに相応しい英雄だ!」
「悪いが……俺は貴族令息だったことなんて一度もない」
手続き上、あの男は俺を公爵令息としていた。その方が勇者の功績を自分の家の功績として上乗せできるからだ。
「俺は奴隷だ。ずっとずっと……奴隷として、母や弟を人質に、殺された……」
そんなことをしでかした男が死後、金と名誉のためだけに俺を認知していた。それはどうしようもなく吐き気をもよおした。
「奴隷……奴隷だと!?ハハハハハッ」
「何がおかしい」
「俺を差し置いて勇者などと分不相応なジョブをむしり取った罰だぁっ!」
「罰……そんなもののために、母さんも、ノエルも……」
「アル……、……を貸すな!」
遠くでレンニの声が……した気がする。
「そうだ!だから報いを受けろ!山賊どもも今度こそ皆殺しにしてやる!そして俺が勇者になるんだ!」
「だったら……だったら殺せば良かっただろうがっ!」
誰かの制止を振り切り聖剣を振り上げる。
もう何も聞こえない。
お前はノエルじゃない。
ノエルは……もういない。
だから……。
「ダメ!」
空を抜けるような甲高い声が耳を突き刺す。
「アルダは……アルダは私の自慢の勇者だから!」
「……」
殻が、割れる。あの時聞こえた歓声が蘇る。いや……違う。それは今も。自分を覆っていた何かが唐突に割れて空を映した。
――――ずっと、この目と同じ色が嫌いだった。
空は……こんなに青かったのか。
かつて『お揃いだ』と言ったマティの顔が蘇る。あの時から俺は……とっくに気が付いていなのに、ただひとつの勇気だけが足りなかったんだ。




