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父親の一番の側近の騎士に教えてもらったその道は、生まれたときから王宮に住んでいるこの自分でも知らないものだった。薄暗いなかにも各所に監視の目があり、侵入者を許さない体制が現役で生きている。
エルヴィンにとってはそれらをすり抜けることなど造作もないことだが、並の人間であればひとたまりもない罠である。
厳重に鍵のかかった三つ目の扉を開いたその先、彼のお目当てのものはそこにあった。
窓も無く、隅には蜘蛛の巣が張っている、小さな部屋。灯りは壁にかかった蝋燭一本のみ。部屋の真ん中に、棺が静かに横たわっている。エルヴィンは用意していたランプに灯りをともし、棺にゆっくり近づいた。
真っ黒で何の装飾もないその棺には、これまた厳重な鍵がかかっていた。それも、それまでのように単なる金属の鍵ではなく、王家の血を要求する封印であった。エルヴィンはその白い歯で己の親指の腹をつぷりと噛み、その鍵穴に血を流し込んだ。黒い棺が、彼の血を認める。
エルヴィンはランプを地面に置き、棺の横に膝をたて、重い蓋を乱雑にずらした。
棺のなかを覗いたその瞬間、彼の呼吸は止まった。
中に入っていたのは、ひとりの少女だった。年の頃は、16といったところか。陶器のように白く艶のある肌に、ゆるやかに波打つ金糸の髪。かたく閉ざされた瞳はけぶるようなまつげに覆われ、甘い深紅の唇は、まるで寝息をついているかのように小さく開いていた。国一番の人形師を呼んできても、彼女にはかなわないだろう。そう思わせるほどの圧倒的な美の結晶が、そこにはあった。だが、その表情は決して穏やかなものではなかった。わずかにひそめられた眉はそのまま時をとめ、苦しさを訴えかけている。まるで息をつくかのような唇も、なにか言葉を発そうとしているようにも見えた。幼気に美しく在るその姿は、なぜか哀しみのなかで時を止められている。
「これが、あの『魔女』――?」
エルヴィンは、美しい女も、美術品も、たった19年の人生で飽きるほど見てきている。町の人間100人が一生ぶん見る「美しいもの」を全て合わせても、それをはるかに超えるほどの量を目にしている。基本、彼は美しく整ったものしか目に入れたがらないからだ。そのうえで、彼にとって「美」とは、計測できる数値にすぎなかった。計算しつくされた美しさも、自然の中の美しさも、己はすべてはかることが出来る。だが、そんな彼をもってしても、棺の少女の可憐さは常軌を逸していた。彼の人生で、初めて彼は世界のカタチが変わるのを感じた。彼の秤はたった一人の少女に狂わされた。端的に言えば、彼は完全に心を奪われていたのである。
欲しい。
心の底から強く、強くそう思った。これは本能レベルの欲求である、そうエルヴィンは感じた。
すべてが自分にとって予定調和のこの人生で、彼の脳は初めて狂ったように警告をだしている。彼女は、エルヴィンの人生を狂わせる異分子であると。
興奮状態のエルヴィンは、思わず立ち上がった。その拍子に、足下にあったランプが倒れ、火が消える。小さな部屋は再び壁の蝋燭一本分の頼りない灯りだけになった。
暗くなった部屋で、エルヴィンは自身の頭をかかえた。美しく整えられていた黒髪が、ぐしゃりと彼の手に素直に崩される。どうしようもない体温の上昇に、彼は戸惑いながらも妙な心地よさを感じていた。この高揚感を抑えられない、抑えたくもない。そのうち彼の両手は自分の端正な顔を覆い、目を閉じて、彼女の姿を瞼に見た。
この女が、欲しい。どうしても、欲しい。
冷たいからだを温めるのは自分であってほしい。その色も分からぬ瞳が再び開くとき、最初に映すのは自分であってほしい。彼女の世界が自分だけであってほしい。
彼は、ずらされていた棺の蓋を完全に取り払った。装飾のない黒いその蓋は、最初にずらしたときよりもずっと軽くなっていた。
彼女の全身が目に映る。少し幼さも感じるデザインではあるが、まるで貴族の令嬢のような品のあるドレスを着ている。
エルヴィンは彼女の上半身を抱き起こし、その金糸に自身の指をからませて抱きしめた。見た目は眠っているだけのような柔らかさを持っていたのに、いざ触ってみるとまるで死んでいるかのように、冷たく、硬直している。
だが、エルヴィンは知っている。この少女は人形でも死体でもなんでもなく、ただ「時を止められた」人間であるということを。
彼は少女をいとおしそうに抱きしめながら、ふっと口の端から息をもらした。
「今から、この俺が、おまえの時を動かしてやるよ……『魔女』」