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第14話「再登場」

 体育館に出ると、もうすでに試合が始まっているらしく、館内にある闘技場からセコンドの声やギャラリーの歓声が響いていた。

 私は急いで、今、正に、一回戦第一試合をやっているA闘技場へと向かう。本当は二回戦で当たるC闘技場一回戦第六試合の勝者を見たいのだが、試合運行の流れ上仕方なくA闘技場のそばで試合終了を待たなければならない。コロセウムで使える時間には限りがある為、遅刻などは重大な違反となっており、呼び出しのアナウンスをされた選手が十分以内に試合場に来ない場合は不戦敗となってしまう。

 一応、何とか見れないかとC闘技場の方に目を向けるも、CどころかB闘技場すらも人混みのせいで全く見えなかった。

 ギャラリーで混雑する中やっと目的地に到着して、さて第一試合の様子はどうなっているのかとブース内を覗いてみると、すでに試合は終了しているらしく、今、調度勝者がケースに戻る所だった。

「何だ、あの格好は……」

 その姿を見て思わずそう独り言ちる。その勝者は直ぐにケース内に入ってしまったから見られたのはほんの一瞬でしかない。それでも、一目で深く印象に残る位に、その服装は鮮烈かつ魅惑的だった。

 試合時間の表示を見ると、開始からわずか57秒しか経っていなかった。試合の決着が付いた時点で経過時間のカウントは止まるから、1分もかからずに試合が終わった事になる。これは、かなり早い。

 それにしても、非常に尖った格好の第一試合勝者に比して、相方であるセコンドは、小柄な体格で小さな顔に不釣り合いな大きい銀縁眼鏡を掛け、バーコード状に頭の禿げ上がった、見るからに冴えない感じのする中年男性だった。彼は少しくたびれた茶色のスーツを着ていて、表情にも覇気がない。

 勝者側である筈の中年男性は、いかにもおどおどした様子でペコリと頭を下げてから次の参加組と入れ替わる。そうやって会場入りした若い男性のセコンドが「さぁ、出番だ。行くぞ」と声を掛けつつ担いでいたケースを闘技場に下ろす。

 Aブロックにて一回戦第一試合の次に行われるのは一回戦第四試合と決まっていて、一回戦第五試合はBブロック、一回戦第六試合はCブロック、という区分けで試合が行われてゆく。だから並びの結果、鏡甲の一回戦第七試合はA闘技場の三戦目、という事になる。

 私達の出番は次の試合だから、今試合に臨んでいるセコンドの直ぐ斜め後ろに並ぶ。この位置は次戦を待つ人の特等席のようなもので、試合の流れが良く見える上に、試合後の交代も即時行えるから、コロセウム運営も公式に推奨している。

 今、目の前で試合前の打ち合わせを熱心に行っているセコンドは白いタスキを頭に巻いていて、見るからに気合十分といった感じだった。そして彼を見上げてレイピアという細い刺突剣を具合を確かめるように振っているのが『デルタ』とう名の選手だった。

 デルタさんの顔はPG-4型から加わった30番だと思う。少し釣り目でぷっくりとした唇の勝気な少女、といった面持で、しかも赤髪のツインテールに黒を基調としたゴシックロリータファッションと、かなり可愛らしさを意識したコーディネートでまとめられていた。

 今は初期の頃とは違い、服装や髪形の自由度がかなり向上しており、結果としてコロセウム出場選手のドレスアップを徹底的に行う人も増えている、と専門誌の記事にあった。実際に参加してみると、正にその通りだと納得するしかない状況だった。今や紳士達のセンスやこだわりの粋を凝らしたコスチュームはギャラリーの楽しみの一つになっていて、個性的な選手のファッションを見るためだけに来る人も居るらしい。

 デルタさんはレイピア使いか、筋肉比率は速度優先かな、等と心の中で呟きつつ向かいに居る対戦相の方に目を向ける。正対の位置でケースから出て来たのは、黒いセーラー服を着た少し幼くて地味な顔付きの娘だった。組み合わせ表の名前は『仙理せんり』。

 その顔にはうっすらと見覚えがあり、記憶の糸を手繰る。そして、はっと思い出した。彼女の顔はPG-2型の5番にまず間違いない。

 PGドールのフェイスパーツは基本的に後の型に引き継がれる。しかし、あまりにも不人気で廃止されてしまったナンバーが残念ながら存在していた。

 それがPG-2型の5番とPG-3型の12番と19番の三種類の顔だった。

 いや、もしかしたらPG-5型でPG-2型の5番に酷似した顔を設定したのかもしれない。そうでなければ、彼女は確実に旧式のPG-2型という事になる。

 まぁ実際の所は両選手のスペックが公開されるまで分からない。と、考えていた所で、タイミング良く闘技場内のモニターに基本情報と各種数値が映し出された。

 デルタさんの身体はPG-4型で筋肉比率はP筋13%S筋87%と、最近流行りの極端な高速ビルドだった。そして、仙理さんの方は、というと、やはりというか何というか、型式はPG-2型で筋肉はP筋50%S筋50%の基本設定だった。

 PG-2型で設定出来る筋肉比率は初期型故に非常に限定されており、彼女のようなP筋50%S筋50%のバランス重視型の他には、P筋75%S筋25%のパワー重視型、P筋25%S筋75%のスピード重視型の三種類からしか選ぶ事が出来ない。しかも、一度比率を決めてしまうと身体全部を交換しない限り変えられない仕様だった。これは戦闘スタイルに合わせて自在に比率を変えられるPG-4型以降のモデルに対してはかなりのハンディキャップとなってしまう。しかも筋繊維自体の性能も違うから、その差は絶望的といえた。

 鏡甲の肢体を永らく務めた最初期型のPG-1型は全く調整の利かない仕様だった事を考えると、PGドールはモデルチェンジを重ねる度に格段の進歩を遂げている事が分かる。技術の進歩自体は歓迎すべき事なのだが、取り残される方の気持ちも分かるだけに何とも複雑な気分になってしまう。

 やはり仙理さんはPG-2型だった。単純に新型を買う予算が無いという可能性もあるが、オーナーが旧式で通している理由は他にも考えられる。それは、PG-5型で設定しようにも、誰かに先を越されていて今までと同じ顔に出来ない、という可能性だった。私も鏡甲の身体を替える時は、オーダーメイドの轟天モデルに同じ顔は存在しないと分かっていても、若干似た顔が先に登録されているのではないかと、胃に穴が空く位の不安を感じていた。もしもそんな悪夢のような事態に陥っていたら、顔を変えるか、旧型で通すしかなくなっていた。

 特にPG-4型までに選択出来る顔はほぼ例外なく直ぐにPG-5型で使われてしまう。大門君のお兄さんみたいに自分でデザイン出来る人はごく少数で、ほとんどの人は馴染みのある顔をそのまま設定するか、出来なければ規定内まで修正するかのどちらかだった。顔の設定は早い者勝ちという決まりだから、他人に先を越されたら現状もう打つ手がない。

 仙理さんのセコンドは真面目そうな青年で、整った身なりから見ても、とてもお金が無いようには見えない。メンテナンスの方にもしっかりとお金と労力を掛けているらしく、彼女の肌やセミロングで切り揃えられた黒髪は新品のように艶が良く、着ているセーラー服にも色落ちや綻びが見られなかった。一目見ただけで、パートナーの愛情が伝わってくる、そんな感じの佇まいだった。

 それに、現に今も、素肌ケア用の筆で優しく丹念に顔の埃をぬぐっている。旧世代人工皮膚用の保護剤は塵や埃が付きやすいから、私も鏡甲によくやっていた。汚れの放置は肌の劣化を招くから、本当に大切にしている人はこういうケアを欠かさない。

 もしも顔を変えたくないから新型に替えないのであれば、よほどPG-2型の5番に強い思い入れがあるのだろう、そんな風に同情していると、顔のケアが終わり、振り返った仙理さんが胸ポケットから黒いフレームの眼鏡を取り出すや、慣れた動作ですっと顔に装着した。

 瞬間、私は目を見張った。文学的な表現でいうと、カーンと冴えわたる、といった感じだろうか。ただ眼鏡を掛けただけなのに、いかにも中学校で図書委員をやっているような、大人しくて引っ込み思案な文学少女、といったイメージの娘に見事な変身を遂げていたのだ。

 オーナーの青年はこの組み合わせに惚れ込んだからこそ、旧式で通してまで顔を変えないのか、と深く納得してしまった。これは彼にとって正に、運命的な発見、という奴なのだろう。

 そんな文学少女の獲物は、波打つ刀身が特徴的な『フラムベルジュ』という名の長剣だった。長さは丁度ロングソードと同じ位。それを盾を使わずに両手持ちで扱うスタイルのようだった。

 首筋の掃除が終わると、彼女はゆっくりと前に進み出て白線の引かれた定位置で立ち止まる。対戦相手はもうすでに白線の前に居て、試合開始を今か今かと待ちわびるようにレイピアを弄っていた。

――――

【それでは、一回戦第四試合、デルタ対仙理、試合始めっ!】

 マイク越しに女性スタッフの声で開始が告げられ、直後、待ってましたとばかりにデルタさんが開始位置から飛び出す。対する仙理さんの方は、逆に一歩も動かずに剣を下段に構えて待ちの体勢を取っていた。もとよりスピードに差があるのだから、これは冷静な判断だと思う。

 女豹のように前傾姿勢でツインテールをなびかせつつ突進するゴスロリ少女。さすがにS筋特化のビルドだけあって、かなりの加速だった。あっと言う間に両者の間隔は縮まり、勢いそのままにレイピアを一直線に突き出す。

 その、電光石火の一撃を、待ち構えていたメガネ少女はフラムベルジュの波型に刺突剣の刀身を絡ませて、腕を返して勢いよく細身の剣を捲き上げた。結果、レイピアは腕を離れて宙を舞い、少し離れた所に落下する。そして上がった波打つ刀身を、今度は敵の頭に向けたて振り下げた。その頭上から迫る剣を、デルタさんは突進の勢いそのままにかい潜った。

 何とか攻撃をかわし、数歩進んで振り返ると、得物を失った相手を遮る形で、仙理さんが地に落ちたレイピアの前に立ち塞がる。

 よし、いいぞ、そのまま勝ち切ってしまえ、と、旧型で通す仙理さんにかつての鏡甲を重ねてしまい、ひそかに心の中で応援してしまう。がんばれ、仙理さん。

 それにしても、油断かスタイルか、デルタさんの単調な攻撃に助けられた、とも思う。フェイント等を一切使わず真っ直ぐに攻めれば、いかに足が速くとも対処が容易だったに違いない。

 以後は有利な立ち位置から動かず、素手のデルタさんが近付く度に剣を振ってけん制する。さすがに相手も慎重になっており、近付いては振られた剣をバックステップでかわしていた。さすがに速度重視だけあって足捌きは軽々としており、どうやら深追いを誘っている様子なのだが、仙理さんの方も相手が得物を取り戻したら性能差で不利になる事は分かっているから、誘導には乗らずにレイピアから離れなかった。

 これは、膠着状態か。試合時間は二十分、その間に決着が着かないと、開始位置で仕切り直してから十分間の延長戦に突入する。そうなればデルタさんの手にレイピアが戻ってしまう。もう同じ手は通用しないだろうから、秒針が進む度に不利になるのは仙理さんの方だった。因みに、延長戦でも決着が着かなかった場合は、準決勝まではセコンド同士のジャンケンで勝敗を決める事になっている。

 その事を分かって居るのか居ないのか、デルタさんは執拗に前進と後退を繰り返していた。しかも、次第に動作が大胆に、接近時の距離が短くなっていく。下がる時も剣先を紙一重でかわし、また身をかがめて懐に飛び込もうとする。それは、追撃をもう一歩、いや、もう半歩進んで振れば確実に届くような間隔だった。

 遂に仙理さんは決断した。デルタさんが後ろに下がって、再度前に出るタイミングに合わせて一歩踏み込むと、振った剣を切り返して二撃目を繰り出した。

 正に流れるような連撃。その振り込まれた波打つ刀身を、相手はまるで四足歩行の獣のように身をかがめてかわす。結果、デルタさんは四つん這いになりながらも何とか地に落ちたレイピアを掴み取り、仙理さんは下げた頭に取り残されたツインテールとお尻の頂上を長剣で切り下げた。

 ここにきてやっと試合が動いた。敵のお尻に剣を当てた仙理さんに若干数のポイントが入ったものの、デルタさんは唯一の獲物を取り戻して力の優位を回復していた。まだ試合は7分しか経過しておらず、残り時間は13分もある。性能差から言って、ポイントの逆転は十分に可能だった。

 ポイントでは優位、でも実質的には明らかな劣勢に立たされても、眼鏡少女の表情は一切変わらず、フラムベルジュをピシリと正眼に構えて相手の出方をじっと待つ。

 対して、ある程度の出血は覚悟していたのだろう、微々たる失点で済んだゴスロリ少女の方は嬉しそうに細身の剣で空を裂いてから、足に力を貯めるように低く構えていた。

 ここにきての仕切り直し。デルタさんもさすがに突っ込むだけの単純な攻撃はもうするまい。と、なれば、身体能力が圧倒的に劣っている仙理さんの勝ち目は薄い。これと似た状況を今まで何度も目にしてきた。技術力でカバー出来る範囲にも限度がある。今の彼女を見ていると、どうしても性能差に苦しんでいた時期の鏡甲と重なってしまうのだった。

 先に動いたのはやはりデルタさんの方だった。

「え?」

 既視感のある光景に思わず声が漏れる。デルタさんは最初と全く同じ戦法で真っ直ぐに突進したのだ。これは、いくらなんでも舐めすぎだと思う。

 ただ、今度は相手の方が違っていた。仙理さんは青眼の構えのまま前方に大きく踏み込んで波打つ長剣で突きを出す。体で作った勢いを剣先に乗せる良い突きだった。しかも、相対距離をしっかりと計っている。

 その狙いすました一撃をデルタさんは半身を捻って間一髪でかわし、すれ違いざま敵の横っ腹に細身剣を食らわせた。これはもしや刺突を読んでいたのか。仙理さんの取ったタイミングが完璧だっただけに、そう考えずには居られなかった。

 もしかしたら、極端な速度重視設定で試合経験を積んだ結果、早さが劣っていて待ち重視の戦法を採らざるを得ない対戦相手には慣れているのかもしれない。

 胴体へのヒットはポイントが高い。結果としてデルタさんには大きなポイントが入った。

 実に見事な逆転劇。これで趨勢はほぼ決したと言っていい。

 ポイント表示がされた直後、さすがに仙理さんは戦法を変えてきた。これは当然の判断で、最早待ちの姿勢を続けていては勝ち目が無かった。今度は積極的に動き、剣を振りながら必死そうに追いすがる。

 だが、当たらない。相手は次元が違う位に優速で、仙理さんが剣を振り上げた時には、肝心の標的はもうすでに間合いの外に下がっていた。事故を恐れているのか、どうやらデルタさんには攻めて試合を決める気は無いようだった。やはり、身体の性能差がありすぎる。このように速度差を利して逃げに徹せられると、もうどうしようもない。

 そんな追い掛けっこを続けている内に刻限が迫り、試合終了間際、仙理さんが投げ付けた剣もあっさりとかわされて完全決着。投げ槍のように真っ直ぐ飛んでいたフラムベルジュが地面に落下するのと同時に終了を告げるブザーが鳴り響いた。

 勝利が確定して、ゴシック少女は長いツインテールを揺らせて嬉しそうに飛び跳ねるとセコンドの許に駆け寄ってゆく。

 そして、気になる仙理さんの方は、気丈にも平静を保って、投げた剣を拾い、相手方に一礼してから身を翻して心配そうに見詰める相方に向けて静かに歩を進めていた。やたら感情を表に出さない武人然とした在り様。ここら辺の所作も鏡甲によく似ている。

 だが、そんな彼女もセコンドに頭を撫でられた途端、保っていた我慢の糸が切れたのか、腰から崩れ落ちるようにへたり込んでしまった。

 力なく肩を震わせる仙理さんを前に、相方はかなり狼狽している様子だった。もしも彼女の身体が最新型だったら大量の涙を流していたに違いない。

 それでも彼が何とかなだめた結果、ゆるゆると立ち上がって、見ていて辛くなる位にうな垂れながらケース内に戻っていった。そのケースにいたわるような感じでセコンドが声を掛けてからそそくさと次の選手と交代する。さすがに第二世代からの愛用者は年季が入っているだけあって、こういう時の気遣いが重要なのをちゃんと心得ている。

 一方、勝った方のデルタさんコンビはというと、未だに二人ではしゃぎまくっていた。難しいのは負けてしまった時で、勝ったならば至極簡単、ただ一緒に喜べば良い。

 本来なら試合が終わったら直ぐに次の組と替わるのがマナーなのだが、このように選手とセコンドが喜びを分かち合う時間ならば多少大目に見るのもまたマナーだった。

 それにしても長い。対戦相手の方はもうとっくに入れ替わっているというのに。私は焦る心を抑えてそれとなく観察した所、彼らの喜びは最高潮に達して引く気配がまるで無かった。このまま黙って待ち続けるのはさすがにまずい。

「あの……」

 思い切って声を掛ける。すると。

「あっ、と、すんません。今どきます」

 鉢巻男はハッとしたようにこちらを振り向くと、私の、恐らくは迷惑そうな面を見て、何ともバツが悪そうな苦笑いを浮かべて頭を掻いていた。そして、言った通り、不服気に口を尖らせているデルタさんを半ば強引にケースに戻すや、去り際に軽く頭を下げて逃げるように離れていった。どうやら周囲の迷惑を顧みないような人物ではなく、単に喜びのあまり我を忘れていたみたいだ。

 私は留飲を下げて、空いたばかりのセコンドスペースへと歩を進める。交代までに随分と時間が掛かってしまった。と、なると、当然前方の対戦相手はすでに準備万端かと思いきや、十分な時間があったにもかかわらず選手はまだケースから出てきていなかった。何か問題でもあったのだろうか。

 若干、相手の用意が遅い事に不審を覚えつつも、相手は相手、こちらは気にせず準備を開始する事にしよう。

 ついに、出番だ。悲願だったコロセウム再挑戦。鏡甲の乗った駕籠ケースを闘技場内に降ろすと、否が応にも緊張感が高まってくる。こんな所でつまづく訳にはいかない。決勝戦に駒を進めるまでは負けられない戦いが続く。

「さ、試合会場に着いたよ鏡甲」

「はい。今、参ります」

 私は一呼吸おいて出来るだけ自分の緊張を表に出さないように声を掛ける。セコンドの不安や焦燥は選手にとってはマイナスにしかならないからだ。そして、鏡甲から返ってきた声の調子が普段と変わらない事に安堵しつつ、ケースの引き戸を少し開ける。

 もう何度見た光景だろう、袴姿の鏡甲が駕籠の戸を開けて闘技場へと降り立つ。白地に青い龍をあしらった袴に十文字槍を携え、いかにも威風堂々とした佇まいだった。

 ただ、いつもと違う点が一つあり、未だ頭上に筒傘が乗ったままだった。雲雀さんと交わした約束通り、相手を見てから外すかそのままかの判断をするのだろう。

 その肝心の対戦相手が、全く姿を現さない。これでは用いる武器が分からず、よってアドバイスのし様も無い。まさか、わざと遅らせているのか。もしそうだとしたら、何とも狡い手だと言わざるを得ない。

 では、敵方のセコンドは今何をしているのかというと、懸命そうな顔でタブレットを弄っていた。そして困ったように首を捻っている。多分、非常にカラフルな恰好をしている彼は望む情報を得られなかったに違いない。鏡甲は古豪とはいえブランクが相当長くなってしまった。彼女達も日進月歩で成長しているから古い情報にはあまり意味が無い。彼が二年以内の情報に限定しているのであれば、何も出て来ないのは当然といえた。

 こちらも選手のスペック表示まで何もしないという訳にもいかないので、一応『神奈川県・地方ブロック・前年度・予選・ロレーヌ』と入力して検索してみた所、当然動画や画像の類は出て来ないが「強い」とか「やられた」とか「違反じゃないか」とか「お化けオノ」等の書き込みが散見された。中でも、お化けオノという単語がどうにも引っかかる。そのものズバリ武具の事なのか、はたまた戦法や技の比喩なのか、情報源があまりに曖昧だから判断が付かない。これはもしや、初戦から相当厄介な選手に当たったのではあるまいか。

 やはり、だめだ。元が真偽の定かではないネット上の雑文であり、必要な情報を探す手間と時間に対して、出てくる成果が全く割に合わない。本当に、見ないよりは若干まし、程度の情報源だった。

 そうこうしている内に、試合開始の5分前となり、闘技場のモニターに両者のパーソナルデータが表示される、のとほぼ同時に、ようやく対戦相手がケース内から姿を現した。

「え? な、何だ、あれ……」

 待ちに待ったロレーヌさんの登場。しかし、そのあまりの異様な外見に、本来なら身体データに集中しなければならないのに、それが分かっていても彼女の方に目が行ってしまう。どうやら困惑しているのは私だけではないらしく、周囲からも戸惑いの混ざったどよめきが聞こえていた。

「面妖な」

 鏡甲も私と同じ感想を抱いたようで、ぼそりとそう独り言ちていた。それでもまだ菅傘を外す気配は見せていない。

 ロレーヌさんは艶のある白いロングヘアーを頭から垂らし、白地に胸に沿って赤いラインの入ったレザー生地風のレオタード身に着け、手には白いロンググローブ、腰回りに幅の広い赤色のレザーベルトを巻き、足にはこれまた白地に赤い編み紐のロングブーツを履いていた。

 鏡甲と比べて肌の露出が多い恰好、そして、異様なのは、正にその目立つ素肌の部分だった。

 異常なのは色。彼女の肌は、まるで藍染めのように青かった。血の気が引いた時も肌が青くなるというが、これはそんな青ざめるというような程度の話ではなく、SF小説に出てくる異星人、例えば、かの伝説的な敵役デ〇ラー総統のように、本当の意味で真っ青だった。

 最初に抱いたのは単純な驚き。次に湧いてきたのは、おかしい、どうして、といった類の疑念だった。

 PGドールでは、選べる肌の色に厳格な範囲がある。それは人間の肌と近似する範囲とされていた。つまり、もちろん程度の差はあるが、大雑把に言うと色白か褐色かという選択肢しかないのだ。

 以前からマンガやアニメに出てくるキャラクターを再現したいから、肌の色も自由に設定出来るようにして欲しい、という要望があったにも係わらず、PGドール社は外見の詳細な設定が可能なPG-5型を世に出した後も、人類から逸脱した容貌、体躯、肌の色を許さなかった。

 これは購入者の身勝手で彼女達の身体をモンスターのような醜悪な姿にする事を防ぐ為の、非常に徹底された強固な規制だった。

 つまり、彼女達PGドールの肌を青くする、というのは違法改造以外ではまず考えられないのだ。そんな娘が公式戦に参加出来るはずがない。

 一体これはどういう、という疑問は、モニターに表示された身体データによってあっさりと明らかになった。

 ロレーヌさんのフレーム材質や筋肉比率表示の下、普段は空いている特記欄の所に『アムール2』という文字が堂々と表記されていた。通常は使われない部分だけに、たった五文字の固有名詞が妙に目立っている。

 日本だけでなく、海外にもPGドールに類似した人形を製造しているメーカーがあり、中でもフランスのフォーセット・アムール社は、世界で唯一PGドール社と業務提携を結んで技術提供を受けているメーカーだった。

 元々はパリに本社を置くフランス人形やボードゲーム用フィギュア、業務用ミニチュアを製造している老舗のメーカーで、独自の高い技術を持っている会社だった。そこがドイツの医療機器メーカーを母体としたゲッツェンディーナー社の自動人形に脅威を抱き、同分野で遥か前を先行しているPGドール社との業務提携に踏み切ったらしい。これは決して安くない技術使用料を得られるPGドール社にとっても有益な提携だった。

 よって両社の規格はほとんどが同一、販売時における身元検査の厳格さも同じだった。

 フォーセット・アムール社最初のモデル、アムール1はPG-3型に準拠しており、最新のアムール2はPG-4型準拠となる。さらに規格が同じ事からPGドールからアムール型、アムール型からPGドールへの移転すらも可能と、まるで海を隔てた異母姉妹のような様相だった。

 ただ、世界最高の技術を持つ国内メーカーがある日本で、わざわざ海外メーカーの製品を選ぶ人は、余程の外国好きか、あるいは変わり者か、どちらにしても極少数派であり、日本で唯一アムール型を取り扱っているフォーセット・アムール社の直営販売店は東京に一店舗あるのみだった。

 PGドールからの移転が可能な事と、日本に販売店が存在する事から、アムール型がコロセウムに参加出来るようになったのは丁度今大会からだった。まさか予選一回戦で実際にパリジェンヌと対戦するとは全く考えていなかったから、この事を今の今まですっかり忘れていた。

 以上が専門誌の受け売りながら、アムール2について私の知り得ている情報はこんな所だろう。

 それにしてもアムール型は外見の選択範囲が広い。これはハイファンタジーの下地がある欧州産ならではなのかもしれない。

 メーカーの抱えている造形師の腕が如実に出る顔や身体の出来はというと、さすがに老舗の人形メーカーだけあって技術は確かなようだ。

 ロレーヌさんの顔付きは彫りが深くて、赤い瞳は大きく、フランス人形をそのまま大人にしたような、何とも言えない優雅な容貌をしていた。肢体の方は凹凸がはっきり出ていて筋肉質な、体脂肪の少ないアスリートのような体付きで、何となくアメコミに出てくるヒロインのような印象を受ける。ただ、日本のディフォルメされた美少女スタイルに慣れている私から見て、リアル寄りのラテンな造形にはどうにも違和感を覚えてしまうのだった。

 こうやって外見を眺めていると、彼女の頭からつま先まで、全体像が、青、赤、白のトリコロールカラーで見事にまとめられている事に気付く。そして、セコンドが頭に巻いているバンダナも同じカラーリングで、しかもシャツにはエッフェル塔がプリントされていた。それはもう、全身全霊を以って、自由・博愛・平等の共和国万歳を叫んでいるような、そんな恰好だった。これはもう疑う余地も無く、フランスへの愛故に、アムール以外の選択肢は存在しなかったのだろう。

 コロセウム復帰第一戦の相手がパリジェンヌなのには正直驚いたが、はたと試合開始までの時間が限られている事を思い出し、慌ててモニターのスペック表に目を移す。確かアムール2は筋繊維の能力もPG-4型と同等の筈だ。

 まずロレーヌさんの身長は35センチと鏡甲よりも若干高い程度。そしてフレームの材質は、『アムールポリマー』…………は? えっと、え? 私は聞いた事もない物質名に只々困惑してしまう。一体全体、アムールポリマーとは何なんだ?

 これはフォーセット・アムール社独自の新素材なのだろうか。どうせOEMと大差のないコピー生産とばかり侮っていたが、元から骨格に適した素材技術を持っていのか、フレーム素材に関しては早くも独自展開を始めていた。この情報は専門誌にもネット記事にも全く出ておらず、正に寝耳に水といった風に驚いてしまった。いや、問題はそんな所じゃない。

 ポリマーという位だから合成樹脂の類なのは推測出来るものの、名前だけでは重量や剛性等の特性が全く分からない。これではわざわざ公表する意味が無いじゃないか。

 フランスから来た娘は謎が多い。私は湧き上がる不公平感を堪えつつ、残っている筋肉比率の確認に移る。彼女の筋肉は、P筋が48パーセント、S筋が52パーセントと、ほぼ半々のバランスタイプだった。ロレーヌさんは背丈があり、流行りのスピード重視タイプではない所を見ると、得物も大型なのが予想される。

 試合開始が迫る中、ロレーヌさんは問題の得物をまだ出してこない。当然、ケースは試合開始前に闘技場から撤去されるから、武具等はそれまでに装備しておかなければならない。本来ならもうとっくに用意して開始位置に立っているような時刻。彼らは本当に開始直前になるまで使用武器という重要な情報を出さないつもりらしい。

「鏡甲。どうやら相手は試合開始直前になるまで武器を出さない気らしいね」

「姑息、ですね……」

「どうする? 傘を外すなら今の内だよ」

「いえ。外さずに戦います」

「な、いや、まだ対戦相手の得物が分からないのに大丈夫?」

「はい」

 そう自身ありげに答えて、こくりと頷く。そんなやりとりの直後、ようやくロレーヌさんが自身のケースへと入っていった。

「やっとか」

 思わず苛立たし気につぶやく。ここまで露骨な武器隠しをされては、こんな態度も致し方ないだろう。鏡甲の言うように、ルールの盲点を利用した、何とも姑息な手を使う相手だ。

 果たして、ケースから伸びてきたのは、巨大なハンマーの、釘抜きの部分がツルハシ状になっているような武器。確か、これは。私は大急ぎで記憶をたどる。嫌な予感と焦燥感に急かされながら掘り出したのは『ルッツェルン』という巨大な打撃武器の名だった。

 まずいぞ、これは。一目見た時に浮かんだ不安が見事に的中してしまった。ルッツェルンの主な戦法は重量を生かした上からの叩き付け。上方の視界が皆無な菅傘との相性は最悪だった。

 は、早く、鏡甲に今直ぐ傘を外すように伝えなければ。

「鏡甲、直ぐに傘を外すんだ。あれは、ルッツェルンという上から叩き付ける武器で、傘をしたままだと攻撃が見えなくなる」

 私は大急ぎでまくし立てる。対して、鏡甲の反応は。

「龍彦、忠告ありがとうございます。ですが、前に言った通り、このままで大丈夫です」

「え? でも……」

 あまりにも意外な返答に、しばし絶句してしまう。大事な復帰初戦、確実に勝てるよう手を尽くすべきなのに。でも、やはり、鏡甲の試合なのだから、彼女のやりたいようにやらせてあげたい、とも思う。今の私にとってより重要なのは、やはり後者の方だった。

 黙って見守る。私の心は決まった。それにしても、こちらの心配とは裏腹に、自信に満ちた鏡甲の佇まいはとても印象的だった。この光景には見覚えがある。かつて彼女が狂火と呼ばれていた頃の、揺るぎない自信に裏打ちされた威風堂々とした立ち姿。最早、余計な口出しは無用だろう。全国を制覇した大兵法者が戻って来たのだから。

「龍彦。あれを」

「ん?」

 鏡甲が正面の敵方を指差して言う。指の先ではロレーヌさんがルッツェルンに追加の柄を差し込んでいた。長い、ルッツェルンはただでさえ柄の長い武器なのに、これでは長槍よりも長くなってしまう。恐らくそのままだとケースに入らないから二分割にしたのだろうけど、それにしてもこんな長大な武器をまともに扱えるのだろうか。間合いが恐ろしく広いのは分かるが、運用上どうなのだろう。

「あれが大丈夫だと判断した理由です」

「なるほど。あれだけ長いと、さすがに色々と無理があるだろうからね」

 鏡甲は相手の事を良く見ていた。私は彼女が決して奢っている訳ではない事に安堵しつつ、この判断に至った理由を考える。改造ルッツェルンの間合いは広いが、内側に入ってしまえば攻撃は届かなくなる。見た所、接近戦用の予備装備も見当たらない。問題は上方からの攻撃は全く見えない、という所だから、まず緒戦はとにかく動き回って狙いを逸らし、近付いてから突くなり薙ぐなりすれば良い。こうして冷静に考えてみると、ルッツェルンという武器は戦法が単調かつ大雑把で、対処は容易に思えてくる。相手が直前まで得物を晒さなかったのは、敵にゆっくり対策方を考える暇を与えたくない、という思惑が働いた為だろう。

――試合開始三十秒前です――

 闘技場内にアナウンスが流れる。この段階が来たらケースを闘技場の外に出さなければならない。これはルールで正式に決められている事だった。

 私と対戦相手、お互いに慌ててケースを外に出す。普段ならもっと早く出しているのだが、ぎりぎりまで菅傘を仕舞う場合に備えていたから遅れてしまった。

 引き上げたケースを肩に担いで、よし、準備万端整った。

「鏡甲。頑張って」

「はい。今日は、雲雀さんと当たるまで負ける訳にはいきません。必勝の信念で臨みます」

――――

【それでは、一回戦第七試合、ロレーヌ対鏡甲、試合始めっ!】

 初戦の幕開けは非常に静かなものだった。お互いに開始の合図を聞いても動かず、すっと武器を構える。

 ロレーヌさんは鏡甲の十文字槍よりも遥かに長大な戦槌を上段へ振りかぶるように構えて、慎重そうにすり足でにじり寄る。長身のラテン娘が巨大な武具を構える姿は、やはり威圧感がある。今の鏡甲は菅傘の影に大きな死角を抱えているから、相手も間違いなくそこを突いてくるだろう。しかも手に持つ戦槌は弱点に致命打を与えるのに最適な武器だった。

 振り上げたルッツェルンの間合いに入る前に、ロレーヌさんは足を止めた。敵との距離が近付いても、鏡甲は右半身を下げた基本姿勢のまま微動だにしない。んん? 彼女の戦法は私の予想と大分違う。派手な立ち回りで撹乱しないと、視覚の外から狙いすました打撃が襲ってくるというのに。

 相手が攻撃範囲に入る直前に近付くのを止めたのは、ロレーヌさんもまた、鏡甲がどう出るか伺っているのだろう。もし不用意に近付けば、容赦のない打ち下ろしが頭上を襲うに違いない。だが、鏡甲の方は動く気配すら全く見せない。完全に静の構えだった。

 あからさまな弱点があるのに、予想以上の慎重さで様子を伺っていたロレーヌさんも、動く気配の無い鏡甲を前に、遂に意を決して、大きく前に踏み込むのと同時に上段の戦槌を猛烈な勢いで振り下ろした。

 直上からツルハシのように鋭利な先端が鏡甲に迫る。それは傘の死角を突いた、鏡甲にとっては全く見えない箇所からの攻撃だった。まさか、こんな所で……そんな絶望感が脳裏によぎった直後、戦槌の先端が、勢い良く、地面を叩いた。

 別に狙いが外れた訳ではない。そこは正に鏡甲が直前まで立っていた場所だった。そして、肝心の鏡甲はどこに居るのかというと、地を蹴って打撃位置の斜め前に身を躱し、打ち下ろされたルッツェルンの柄を槍の柄で押さえ付けていた。彼女は、素早く無駄のない動きで、しかも間一髪の絶妙なタイミングで、戦槌の内側という最適な立ち位置を確保していた。

 一体、見えない所からの打撃をどうやって、そんな疑念に囚われている内に、鏡甲はそのまま相手の武器を押さえ付けている槍の柄を滑らせてロレーヌさんへと迫ってゆく。さすがに鏡甲も長大なルッツェルンの弱点を見抜いているらしく、間合いの内側に潜り込むや、敵が体を引いて振り回すのを槍で抑えつつ急速に間合いを詰めていく。

 目を覆いたくなるような危機的状況から一転、敵の攻撃が届かない圧倒的に有利な位置から敵を追い詰める鏡甲。狂火の頃を彷彿とさせる矢継ぎ早の攻勢には一分の隙も見当たらない。ここまま決めてしまうか。

 相手が成す術も無い内に、遂に槍の間合いまで接近した鏡甲は、勢いを殺さずにルッツエルンから離した槍で突きを繰り出す。あまりにも長い戦槌で両手がふさがっているロレーヌさんが至近に迫った一撃を回避するには、得物を手放して距離を取る以外に方法は無い。だが、武器を失ってしまえば、勝ち目そのものも失ってしまう。

 その、勝ち目を失う行為を、ロレーヌさんは躊躇なく行った。間合いが外れて役に立たなくなった主武器をあっさりと放り捨て、迫り来る槍の穂先を腰から抜いた何かで上に弾いた。

 あれは、ダガーか? ロレーヌさんがどこからともなく取り出したのは幅広い両刃を持つ短刀だった。周到に接近戦用の武器を用意するのは分かるが、それをわざわざ隠していたのは、まんまと接近戦に持ち込んで油断した相手の不意を突く為か。本当に油断がならない曲者だ。

 対して槍を弾かれた鏡甲は、驚いた様子もなくすぐさま急所を突き直す。それを、さらにもう一振り、背中からダガーを抜いて両刀になったロレーヌさんが、身を屈め、槍の柄を両手の短剣で挟んで押し上げた。どうやら得物は背中に隠していたらしい。雲雀さんのツヴァイハンダーのような変形武器かとも思ったが、違った。あの不自然に大きい腰ベルトは短剣二本を保持する為の物だったか。さらに、その背中を腰まで伸びた白いロングヘアーが覆い隠していた。一見派手な三色姿にここまで入念に秘密が隠されていようとは。

 ロレーヌさんは低い姿勢のまま、ダガーを滑らせて内側に潜り込もうとする。これは先程までと全く逆で、今度はロレーヌさんの方が槍の攻撃範囲よりも内に入って、短剣の間合いまで接近するつもりのようだ。

 その危険な思惑を、鏡甲は大きくバックステップをしながら相手の足を払う事で回避、一応の距離を取った。敵方も無理矢理追撃するような事はせずに、まるで同調するように足元への攻撃をバックジャンプでかわして槍の届かない距離に移動する。結果、すわ近接戦かと思われた両者の距離は随分と空いてくれた。もしこのまま接近されていたらどうなった事か、とにかく仕切り直しに持って行けたのは良かった。

 お互いに間合いの外で対峙する二人。さて、次に動くのは多分、接近戦に持ち込みたいロレーヌさんの方だろう。鏡甲の方は試合開始時と全く同じ待ちの姿勢。で、ロレーヌさんの方は、直ぐに突進すると思いきや、未だ二刀流でダガーを構えたまま動く気配を見せていなかった。

 地に放った主武器を取りに行く事もなく、双剣を構えていたロレーヌさんが、不意に脱力してだらりと両手を下げる。そして、さも挑発するかのように棒立ちの姿勢でたたずんでいた。これを見てある漫画のワンシーンを思い出す。よもやノーガード戦法だとでも言うつもりだろうか。

 これほど相手を小馬鹿にした態度もないが、恐らく鏡甲は挑発に乗らないだろう。背中越しだから表情は見えなくとも、静かに槍を構えている姿勢から全く動じていない事が手に取るようにうかがえる。

 それでも、このままでは埒が開かないと判じたのか、相手の出方を見つつすり足でにじり寄ってゆく。構えた槍を敵に向けたまま、左足を前に滑らせ、次いで右足を追随させる。慎重そうに、ゆっくりと近付く。

 その、左足を前に出すのと、全く同じタイミングで、不意に、敵手が、だらりと下げた両手のダガーを、腕だけをしならせて、ヒュとアンダースローで投げ付けてきた。もしもこれが、付け焼刃の思い付きなら真っ直ぐに飛ぶ筈がない。しかし、実際には、二本の短剣は真っ直ぐに獲物へと向かっていた。

 しかも、それだけでは終わらず、飛んでいくダガーを追うように、ロレーヌさんが前傾姿勢で飛び出していた。そして右肩ごしに背中へと手を伸ばす。まだ隠し武器を持っているのか。しかも、速い。確かロレーヌさんの筋肉比率はバランスタイプだった筈だ。

 もしかすると、上半身をパワー重視、下半身をスピード重視に調整してあるのだろうか。試合前に公表されるのは身体全体の筋肉比率だから、部位毎に極端なチューニングをされていても対戦相手には分からない。これを敢えて全体的な比率がバランスタイプになるように設定したのだとすれば、システムの弱点を突いた巧妙な仕掛けと断じざるを得ない。

 正確に、かつ真っ直ぐに飛来する二本の短剣。それを疾風の勢いで追随する青肌のフランス娘。これは、まずいぞ。向かってくるダガーを叩き落とすなり、横にかわすなりしている内に、相手の接近を許してしまう。もしそうなったら、勢いに乗って懐に飛び込んだ敵から致命打を食らいかねない。ここは、身に迫る双剣をポイントを失うのを覚悟してぎりぎりでかわし、突進してくる敵本体を迎え撃つのが最も勝算の高い選択だと思う。が、助言の類はもう間に合わない。ここは鏡甲の判断を信じて手に汗を握るしかなかった。

 果たして、鏡甲の取った迎撃法は、向かって左の短剣を槍で外に弾きながら、半身をずらして右の短剣をかわしつつ、最後に十文字槍を弧を描いて切り返し、突進してくるロレーヌさんの胸に正確無比な突きを繰り出す、という流れるような立ち回りだった。つまり、三つの動作を同時進行で行い、終には隙を一切見せずに必殺の一撃を急所に叩き込んだのだった。この、円のを描くように払いながら突く、という動きには見覚えがある。確か、これは『飛龍突き(ひりゅうづき)』という名の技だ。槍の軌道が、とぐろを巻いて空を舞う飛龍の姿に似ているからこの名が付いたとか。それに以前見た時よりも技の速度が格段に上がっている。筋肉の性能が飛躍的に増大しているのだから当然といば当然だが、よもや高速で飛来する投擲武器にまで対応出来てしまうとは。鏡甲の使う技の中でも、この、美しい軌道を描く飛龍突きは特に印象に残っている。彼女が師匠から会得した他の技も、今後の戦いで適宜使っていくのだろう。

 胸の中心、心臓への刺突により、即刻勝負あり、試合終了となった。相手のロレーヌさんは背中からショートソードを抜いた姿勢のまま、何が起こったのか分からないといった表情で胸に刺さって波状にひしゃげている軟質樹脂製の穂先を見詰めていた。直ぐに試合終了を告げるブザーが鳴り響き、鏡甲はそれを聞いて得物を引くと、槍を立てて一礼してからくるりと踵を返してセコンドである私の許へと帰ってくる。その歩みは堂々としていて威厳のようなものが滲み出ていた。もう、狂火完全復活と断言しても何ら間違いは無い。本当に最高の勝ち方だった。

「やったな鏡甲。まずは初戦突破、おめでとう」

「ありがとうございます、龍彦。なかなかの曲者でしたが、何とか勝ててほっとしています」

 これは、多分謙遜だろう。言葉とは裏腹に、表情は自信と充実感に溢れていた。こんな鏡甲を見るのは本当に久しぶりだ。

 彼女の言うように、初戦の対戦相手、ロレーヌさんは、正に曲者という表現が当てはまる選手だった。あの寒色をした肌の色といい、何というか、綺麗な花には毒がある、という言葉がピッタリと当てはまる様な対戦相手だった。

「言う通り、色々と厄介な相手だったね。これから当たるのも情報の無い選手ばかりだから、今日一日、気を引き締めていこう」

「はい」

 気合のこもった返事をする鏡甲。そして直ぐに、少しはにかんだ様子で上目遣いに。

「あ、それと、何というか、やはりコロセウムは良いですね。辛い時期もありましたが、闘技場での試合は、本当に楽しいです」

 言い終わって、花の咲いたような笑顔を見せる。清楚で、無垢な、汚れを知らない、最高の笑み。目の当たりにした私は一瞬、胸が詰まるような想いで、呼吸さえ忘れてしまった。最新の身体はこんなにも表情が豊かなのか、感情表現の幅が狭い旧型では出来なかったのだろう、一瞬で心が奪われる程の笑顔を見るのは今日が初めてだった。

 彼女の言う「辛い時期」原因は全て私にある。ずっと、本当にずっと、容姿を変えたくない、という私のわがままで鏡甲には我慢を強いてきた。その事にたとえようもない罪悪感を抱き続けていた。長期にわたる、罪と苦悩、これら全てがようやく報われた、許されたのだ、と、鏡甲の純粋な笑みが、何よりも雄弁に物語っていた。

 全ては地道に貯蓄を続けた成果、と胸を張りたい所だが、私一人の力など微々たるもので、ほとんどがPG-5型を世に出したPGドール社のおかげと言うのが正解だろう。それに加えて、鏡甲に至高の美貌を授けてくれた轟天氏にも、改めて感謝の念が込み上げてくる。心が洗われるような体験をもたらした両者には、心の底からありがとうと言いたい。

「あの、龍彦?」

 あまりの光景の我を失っていた為だろう。鏡甲が心配そうに私を見上げていた。おっと、これはいかん、彼女に余計な心配をさせてしまったようだ。

「あ、ごめん。鏡甲の笑顔があまりにも可愛いかったものだから、つい、ね」

 つい漏れる本音。それを聞いた鏡甲は。

「……あ、ありがとう、ございます……で、では、ケースに戻りますね」

 顔を真っ赤にしてうつむいたまま、勝利の余韻を残す事無く、そそくさと駕籠ケースに戻ってしまう鏡甲。相変わらず思い立ったら直ぐに行動する所は変わらない。久々でも忘れず試合終了と同時にケースを移動しておいて良かった。

 鏡甲が撤収準備を終えてから、頭上からの攻撃をどうやって見抜いたのかを聞き忘れていた事に気付く。それは、まぁ、後でも良いかと思い直してケースを持ち上げた。


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