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第13話「再集結」

 北川さんとの待ち合わせ場所になっている休憩室は体育館に隣接しており、西側にある本館とは丁度反対側の東側に位置していた。ここは参加オーナーの休憩所として大会運営が借り切っている場所なので扱い的には試合会場内となっている。だから参加登録済み選手の出入りも自由だった。

 私は広い体育館を西から東へと人混みを避けて外周を回りつつ目的地へと向かう。そうしてかなりの遠回りを経て、ようやく休憩室の入り口になっている観音開きのドア前に到着した。扉はベージュ色に塗られた鉄製で、ドアクローザーがかなり固く開けるのに若干苦労してしまった。

 中に入ってみると休憩室とは名ばかりの、相当な広さを持つ部屋だという事が分かる。普段は競技選手の控え室としても利用されているらしく、壁には試合中継を映す為だろうか大型のモニターが備え付けてあり、広大なフロア内にはベンチや自販機の類も充実していた。奥には外に繋がった非常口があり、そこから外に出てしまうと即失格となるので注意する必要がある。

 目当ての黒スーツ姿は他に背広を着た人が居ないから直ぐに見付かった。彼は休憩室の隅にあるベンチでのんびりと缶コーヒーをすすっていた。

「お待たせしました、北山さん」

 私が横から声を掛けると、北山さんは左手を上げて応じてから缶コーヒーを一気に飲み干した。

「いや、私の予想よりも少し早い位だよ。また処理速度が上がったのかな」

「え? そうなんですか」

「ウム。列の長さから見て去年だったら三十分は余計に掛かっていただろうね。確か鏡甲さんのブランクは二年位だったか。東湖君も最初は驚いただろう」

「はい。三年前の県大会予選もそうですが、この前参加した非公式大会のスキャナーともまるで次元が違うので驚きましたよ」

「まぁ、気持ちは分かるよ。私も毎年驚いている位だからね。恐らく公式の中古検査機は今でも引く手数多だから、PGドール社にとっても毎年のアップデートは公式大会の効率化と非公式大会の普及が果たせて一石二鳥、いや、資金面も含めると一石三鳥になるのだろう。さて、と」

 北山さんは言い終わるとベンチから立ち上がり、正面にある自動販売機横の空き缶入れにコーヒー缶を放り込んだ。

「さ、もうそろそろパートナー同士の再会といこうか」

「あ、はい。そうですね」

「実は君達が来る前から秋水にせっつかれていてね。本人曰く、唄に乗せた僕の想いを今こそ聞け、という奴らしいよ」

「………はぁ」

 何故に歌? 秋水さんは昔から突飛な発想をよくしていたけど、少なくともこんなキザな台詞を言うような娘ではなかった気がする。

「ウーム。どうやら東湖君も理解し難いみたいだね。実は私にも秋水が何を言いたいのかさっぱり分からないんだ。恐らく『亀美江きみえ』と見ている昔のアニメに影響を受けているのだろうけど、困った物だよ、全く」

 亀美江というのは北山さんの奥さんの事で、以前コロセウム全国大会で応援に来ている彼女と会った事がある。どこか上品で、おっとりとしていて、優しそうな人だった。

「私としては、もっとしっかり躾けてやりたいのだが。今や妻や娘達の方が秋水を可愛がっている風でね。三人でとにかく甘やかすものだから躾のしようも無いよ」

「まぁ、でも家族の理解があるのはとても良い事だと思いますよ」

「ウム。それもそうなのだが……」

 どこか納得しかねるといった顔で顎に手を当てている北山さんに対して、これ以上は何と言って良いのか分からなくなってしまい、とりあえずは何か別の事をと、ベンチの上に肩に担いでいたケースを置いて戸を少しだけ引いた。

「さぁ、鏡甲。北山さんにご挨拶をしなきゃ。それと、やっと秋水さんと再会出来るよ」

「はい。分かりました龍彦。では」

 駕籠ケースからそっと出てきた鏡甲は選手登録時と同じ、袴に菅傘という出で立ちだった。傘の効果は高くしっかりと顔半分が隠れている。それでも彼女はせわしなく周囲を見回していた。

 ここは休憩室の端で、自販機が前にあるけど周囲に人影はあまり居ない。きっと轟天モデル同士の再会は人の目を引くから、北山さんが気を利かせて休憩室で一番人気の少ない場所を選んだのだろう。

「ほぅ。菅傘か。上手い事考えたね」

 駕籠から出て来た鏡甲を見て、北山さんが関心したように顎を撫でていた。

「あ、いや、これは偶然手元にあったのを緊急手段として使っただけで。でも、予想外に効果が高くて助かりました」

「ウム。まぁ必要な時に持っているのは偶然ではなく、東湖君が常に相方の為の準備を怠っていないからじゃないかな。私はそう思うよ。それにしても鏡甲さんには侍風の袴姿が良く似合っているね。それに比べて……」

 北山さんはそう言って鏡甲の駕籠ケースと正対する形でベンチ上に置かれた自分のケースを見遣る。それは若葉色の壁を基調としたシンプルな造りで外見的に目立つ箇所は窓とドアしか無かった。

 その木目調のドアがゆっくりと開いて、そして、誰も出てこない。どうしたのだろうとドアを覗こうとすると、いきなりギターの音色が耳に飛び込んできた。

「(ボンボンボロロォン)だから今日も僕は歌うのさぁ(ポッピンッ)僕の歌を!(ボンバロンッ)」

 ケースから垂れ流される謎の歌声。そして、難しい顔で天を仰ぐ北山さん。そしてそして、遂に謎の正体が姿を現す。

「(バンバラバンッ)いやぁ、僕は幸せだなぁ(ジャジャンッ)」

 明らかにチューニングの合っていないギターの音と共に現れたのは鏡甲と同じ轟天モデルの可愛らしい金髪少女だった。いや、可愛いという表現は少し間違っているかもしれない。北山さんが求めた幼さと色気の同居という無理難題に対し、かの天才造形師はバランスを崩さない範囲で少しつり気味の目と青い瞳を大きくして幼さを演出し、一方で流し目や上目遣いに色気が出るよう絶妙な形状に仕上げる事で理想通りの回答を示したのだった。他に鼻の高さや唇の厚さも顔の中心となる魅力的な目元に合うように計算ずくで決められている様子で、正に轟天モデルクオリティといえる卓越した仕事だった。

 しかし、その麗しい風貌に絡まっている騒音は、敢えて弦の調節をせずにギターを滅茶苦茶に掻き鳴らすデスメタルのそれに似ていた。地声は綺麗なのに、曲と楽器がこれではもったいない気がする。

「あ、あの、北山さん。これは……」

 私はあまりの訳の分からなさに、助けを求めるように北山さんを見遣る。斯くして当の北山さんは、私に聞かれても困る、とでも言いたげな顔でお手上げのポーズを取っていた。

 しかも変………個性的なのは音楽だけではなく、彼女の服装にもかなりの個性が露出していた。

 顔付き自体は、さすがは轟天氏といえる出来映えで何の問題も無い。しかし、格好の方は、これもビンテージというのだろうか、非常に70年代チックなアイテムで固められていた。しかも、本人の自信に満ちた表情とはうらはらに全然似合っていない。

 秋水さんは白いシャツとそのシャツが袖以外見えなくなる位に胸当てが大きい青のオーバーオール姿で、靴は厚底のブーツを履き、肩からアコースティックギターを担いでいた。彼女の担ぐギターは音量からいってアンプを内臓している本格的な物で、何と言うか、その、この娘には少しもったいない気がする。

 そして髪型はセミロングで切り揃えられた鮮やかな金髪で、ここだけは艶のある顔付きに合っていた。何故だか、全体の印象には既視感があって何だったかと記憶を探ると、大昔のアニメ『さす○いの太陽』に出てくる主人公に服装が酷似していた。彼女達PGドールが映像作品に影響を受けるのは意外に多いらしいから、秋水さんも何かのきっかけがあってこのアニメを視聴したのかもしれない。顔色を見るに、スーツをこよなく愛する北山さんにとってもあまり愉快な状況とは言えないようで、それでも愛娘の求めに応じて服を買い与える辺り、彼も自分の好みを押し付けずにパートナーの意思を尊重する立派な紳士といえた。

 少なくとも昔は珍奇な曲を歌っていなかったし普通の女の子が着るような服を着ていたから、あまりの変貌っぷりに驚いて少々取り乱してしまった。ここは落ち着いて、彼女達の再会を見守るとしよう。

 とにかく、これでようやくライバル同士の再会が叶った。でも秋水さんは今も夢中でギターを掻き鳴らしている。あれほど再戦を望んでいた相手が目の前のベンチに立っているというのに。もしかして鏡甲の事を忘れてしまったのではないか。そんな疑念が頭をよぎる。

「お久しぶりです、北山さん、秋水さん」

 最初に口を開いたのは鏡甲だった。彼女は外に出ても礼を失する事が無いから安心して見ていられる。

「ウム。本当にお久しぶりだね鏡甲さん。そして、復活おめでとう。これでようやく秋水と……」

 北山さんも挨拶を返してから秋水さんを見遣る。しかし、視線の先に居る相棒は未だギターに熱中している様子だった。

「(ジョジョン)誰が何と言っても僕は、僕は秋水、北山秋水だぁ~~(ペピッポパ)」

「こら、秋水。鏡甲さんにちゃんと挨拶を返しなさい」

「(ジャンバル)んぁ? ちょっと今、音楽の神が僕に…………お? おぉぉっ!? き、君はもしや、我が終生のララバイル。キョウコ君じゃないかっ」

「キョウコではなく鏡甲です」

「あれ? そうだっけ? まぁそんな細かい事はどうでも良いんだ。それよりも僕はずっと待っていたんだよ。分かるかい、僕の気持ちが。打倒鏡甲君に燃えてやっと強くなったと思ったら、肝心のラバイルが全国大会に出て来なくなってしまったのだから」

 何だか一方的にまくし立てる秋水さん。気持ちは分からないでもないが、もう少し鏡甲の事情も汲んで欲しいとは思う。元は鏡甲の責任ではなく、鏡甲の顔を変えたくないという僕のわがままが原因なのだから。

「秋水、鏡甲さんにも事情があるんだから、それ位にしなさい」

「むぅ、分かったよ玄ちゃん。僕も少し冷静さを欠いていたようだ」

 北山さんも理不尽な物言いだと感じたのか落ち着いた口調でたしなめる。それを聞いた秋水さんは不機嫌そうに口を曲げつつ不承不承といった感じで反省をしていた。

 ようやく文句も収まり、ほっとして北山さんの方を見ると彼の目尻が若干下がっている事に気付く。その後直ぐに人差し指で眼鏡の位置を直すのと同時に真顔に戻ってしまったが、なるほど視線の先で子供っぽくむくれる秋水さんはとても可愛らしい。たった一瞬の微妙な変化、でもこれだけで北山さんの愛情が十分に伝わってきた。

 そして今までクレームを黙って聞いていた鏡甲が口を開く。

「その節は力及ばず申し訳ありませんでした。ですが、今回こそは全国大会に出場するべく全力で臨む所存です」

「三年も待たせたんだから当然だね。でも、ま、気合の程は伝わったよ。それじゃあ全国の舞台で待っているからね。フフッ」

 と、そっぽを向きながらも余裕の笑み。

「あと、ララバイルやラバイルではなくライバルだと思います。一応」

「なっ、そっ、そそっ、そんな細かい事はどうでも良いんだよ。相変わらず神経質だね、君は」

 鏡甲の何気ない指摘に、今まで余裕綽々だった秋水さんは色を失って狼狽する。

「でも間違いは間違いです」

「分かった。分かったよもう。でもね、味も素っ気も無いライバルって言葉よりもララバイルって何だか素敵な響きがするとは思わないか? 何と言うか、こう、思わず歌詞に入れたくなってしまうような、さ」

「全然分かりません、が、秋水さんがララバイルという表現をいたく気に入っている事は分かりました」

「ふぅ、分かってくれたか。まぁ、そんな所だよ。うん」

 何だか話が噛み合わないどころか変な方向に突き進んだ挙句、結局意味不明のまま力技で落とし所に到達したようだ。秋水さんは間違いを上手くごまかせたと満足気だが、実際はほとんどごまかしになっていない。やはり彼女の感性は独特すぎる。このやり取りによって前々から感じてきた疑念がより濃厚になった。秋水さんはもしや。

「あの、北山さん」

「ん? 何だね」

 私は思い切って積年の疑問をぶつける事にした。

「もしかして秋水さんって『ジーニアスロット』なんじゃないですか?」

 言った瞬間、北山さんの眼鏡がキラリと光る。これは、彼にも思い当たる節があるに違いない。

 因みにジーニアスロットとは、五千に一つ位の確立で生まれる擬似人格プログラムの事で、発想や行動が突飛かつ独特なのが特徴だった。しかもただの変わり者という訳では無く、一つの分野に於いて天才的な閃きを発する事も多く、結果ジーニアスロットと呼ばれるようになった。

 秋水さんの場合、やはり天才的なのは、断じて音楽の才能などではなく、剣技の才能なのはまず間違いない。彼女の輝かしい実績がそれを証明している。

「ムムッ。やはり東湖君もそう思うか。こんな調子では隠しようもないがね」

「じゃあ、やっぱり」

「ウム。PGドール社のスタッフにもはっきり言われたよ。頭脳プログラム交換に応じて下さい、と」

「そうだったんですか」

「無論、彼等に何と言われようとも応じる気は無いがね」

 北山さんは少し困惑した顔で、それでも断固とした声で事実を語ってくれた。私にも彼の気持ちが痛いほど良く分かる。頭脳プログラム交換とは擬似人格プログラムを上書きするという事で、たとえ記憶を完全にコピーしたとしても、人格の基礎となる重要プログラムを書き換えたら、それは最早別人となってしまう。

 もちろんPGドール社にもユーザーに頭脳プログラム交換を求めるのにはちゃんとした根拠がある。彼等にとってジーニアスロットとは大きなバグを抱えた危険な代物であり、件の道義システムも個体差が大きく確実に動作するかは分からないらしい。もしも人格プログラムの不具合によって事故が起こった場合、PGドール社が責任を取らなければならないから、当然といえば当然といえる要求だった。

 もっとも、事故、といっても人の生死に関わるような物は想定されていない。彼女達PGドールのサイズは人間の五分の一、体重や筋力に関しても最大で十分の一程度にすぎず、これだけ差があればPGドールが人格プログラムの不具合で狂人のように暴れ回ったとしても人間の被害は高が知れている。正に人が素手でキングコングに挑むようなもので、刃物で寝込みでも教われない限りは軽い怪我程度で済んでしまう。前に雑誌で官僚が語っていたように、PGドールはこのサイズだからこそ安全なのだ。

 PGドール絡みの事故に関しては、法的な責任が明確に区分されている。先程も言ったように、擬似人格プログラムの不具合によって起こった事故は製造元に責任があり、違法改造やプログラム書き換えによって起こった事故は所有者の責任となる。PGドール自信が暴力等から自分の身を守る為に相手を傷付けてしまった場合は無罪、そしてこの場合、逆に傷付けられた人間の方が法的制裁を受ける可能性がある。これらはPGドールの記憶を調べれば簡単に分かる事だから事実確認には時間も手間も掛からない。

 だからPGドール社では定期メンテナンスによって発覚したジーニアスロットの頭脳プログラム交換を求め、拒否をするユーザーに対しては「事故の責任は全て自分で取ります」との誓約書を書かせる事で対処をしていた。定期メンテナンスも誓約書の提出も購入契約に明記されている事項だから、ユーザーに拒否する事は出来ない。つまりPGドール社にとっては、人格プログラムの不具合を購入者に伝えて正常なプログラムに交換するまでが責任で、ちゃんと危険を伝えたのだから拒否という判断を下したユーザーには全ての責任を取ってもらう、という事だった。

 別に契約条項に一文を加えれば強制執行も可能ではある。しかし、PGドールの擬似人格に関わる事だけに、最終的な判断を成長を見守ってきたオーナーに委ねるのは彼等なりの誠意と見るべきだろう。この判断は、商品の不具合による事故、という企業イメージ上決して低くないリスクを背負い込むという事なのだから。

 ともあれ、秋水さんの人格プログラム交換を拒否した北山さんの判断は正しいと思う。彼はPGドール社の言う危険性を承知の上で、今の秋水さんを助けたのだった。もしも鏡甲に同じ事態が起きたとしても、きっと私は北山さんと同じ判断をしたに違いない。

「北山さんは本当に秋水さんを大切にしているんですね」

「ウゥム。そう直球で言われるとさすがに照れてしまうよ」

 北山さんはそう言いながら、まんざらでもなさそうな苦笑いを浮かべていた。

「え? 無双一刀流を止めたのですか?」

 こちら側の話題が綺麗に決着した所で、傍らで会話を続けていた鏡甲が驚きの声を上げる。その声があまりにも素っ頓狂だったので、釣られて声の方に目が行ってしまった。

「まぁ、やってはみたが、どうにも肌に合わなくてね。というか、アレじゃダメだ。我流でやった方がマシな位さ、全くね」

「そんな、まさか……そうなの、ですか」

 秋水さんの物言いに、鏡甲は信じられない、といった風で考え込む。秋水さんが師の教えを受けずに、それどころか全否定して頂点まで上り詰めた、という真実は、今の自分は師の教えがあればこそと思っている鏡甲にとって、にわかには信じ難い、どころか、理解不能な事態に違いなかった。

 確か三年前の秋水さんは鏡甲に倣って道場に師事していた筈だが、言葉から察するに、直ぐに見切りを付けて我流に戻した、という所だろうか。本当に無双一刀流が似非流派だったとすれば、鏡甲と違って良師に恵まれなかったのは不運としか言い様がない。でも、何となく、彼女は型にはまるよりも、自己流で自由にやる方が性に合っているような気もする。

 それにしても、我流を貫いて全国優勝を果たすとは、まるで剣豪宮本武蔵のようじゃないか。きっと並外れた天賦の才と一心不乱に打ち込む努力が組み合わさったからこそ、なのだろう。研鑽を重ねた先人の教えを受けない、というのは、海図を持たずに大海原を航海するようなもので、非常な困難な道のりなのは論を待たない。だから鏡甲の信じられないといった態度は無理もない事だと思う。

 つまり結果から見ると、我流で大成した秋水さんには才能があって努力もした、という事になる。一体今の彼女はどれ程の腕前に成長しているのか、鏡甲との実力差を想像すら出来ない状況に歯がゆさを感じていた。

 かつて鏡甲も師匠から、武を極めたいのなら、という思いから分派の立ち上げを勧められた事がある。つまり奥義を収めた愛弟子に対して、次は我流でさらなる研鑽を積むべし、という真意から出た提案なのだが、返ってきた答えは、祥武月影流こそが最強の流派なので必要ありません、だったそうな。全く以って鏡甲らしいといえば鏡甲らしい。

 もしも、彼女が祥武月影流の分派を旗揚げする決意をしたならば、新流派の名称は祥武鏡甲流か鏡甲月影流辺りになるのだろうか。これが親馬鹿という心境か、鏡甲という名が入っただけで妙にしっくり来る流派名に思えてしまう。

「ふむ、まぁ、道場に通わなくても全国優勝出来てしまったんだから結果オーライかな。あっはっはっは(ボンビィンッ)」

 秋水さんは得意気に胸を反らしつつ器用にギターを掻き鳴らす。その様子をどう感じたのか、鏡甲は目をキラキラと輝かせて少し興奮気味に話し始めた。

「我流で全国の頂点に達するとは、秋水さんは凄いです。話を聞いてますます対戦が楽しみになってきました。今日は会えて良かったです」

「うーむ、そう言って貰えるのは嬉しいけど、先ずは全国大会に出場しないとね」

「はい。必ずや同じ舞台に追い付きいてみせます」

「ふふっ、その意気だよ鏡甲君。僕も楽しみに待っているからね(バンバラバンッ)」

 再戦を約束して微笑み合う二人の少女。何だか漫画のようなノリになってきた。こういう熱血感溢れる話の流れも嫌いではない。多分、趣味人である大門君のお兄さんもこの手の話題は大好きだったに違いない。ふと、思い出したようにそう考えていると……。

「あ、いたいた。おーい、東湖さん」

 不意に休憩室の入り口辺りから声がして、振り向くと、そこには大門君が居て嬉しそうに手を振っていた。そして、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべながらこちらに駆け寄って来る。

「いやー、筋肉計量の時間が随分と短くなっていて驚きましたよ。えーと、こちらの方がもしや……」

「そう。この人が北山さんで、この北山さんのパートナーが前回優勝者の秋水さんだよ」

 私は早くも興味津々といった様子の大門君に北山さんを紹介する。確か雲雀さんは秋水さんとはすでに知り合いだと言っていたので、恐らく彼の兄であるケンジ君と北山さんは面識があると考えられる。それらを踏まえた上で今度は北山さんに大門良吾君の紹介を始めようと口を開く。

「えっと、こちらは……」

「初めまして北山さん。自分、大門ケンジの弟の良吾っス」

 私が紹介するまでもなく、再会時の勢いもそのままに少年は自己紹介を済ませてしまった。彼が真っ先に兄の名を出したのは、事前に雲雀さんからある程度話を聞いていて、ケンジ君と北山さんが知己である事を知っていたからに違いない。それにしても、やたらと元気で活動的なのは相変わらずで何だか微笑ましい気分になってくる。そんな大門君に対して、北山さんは記憶の糸を手繰るような表情で顎に手を当てていた。

「えーと、確かケンジ君といえば雲雀さんの、うん、そうか。じゃあ今日は君が雲雀さんの付き添い役なんだね」

「うっス。でも自分、コロセウムにはまだ詳しくないから、付き添いというよりも単なる運び役みたいなモンっス」

「ウム。で、ケンジ君は元気にしているかね。今日は何か他に用事があったのだろうけど」

 ああ、やっぱりそうきたか、と心の中で独り言ちる。話の流れから言って、これは社交辞令といえる問い掛けであり北山さんを責める事は出来ない。

「えっと、ケンジ兄ちゃんはもう居ないっス。だから雲雀姐さんは自分が受け継いだっス」

 少し辛そうに大門君が事情を吐き出し終えると、北山さんは陰のある表情で目を伏せた。年相応の少し拙い表現だったが、ちゃんと北山さんに事実が伝わっているのは彼の悲しげな目付きから見て明らかだった。

「そうだったのか……では兄の分も雲雀さんを大切にしなければいけないね」

「うっス。これからもずっと姐さんに自分の愛を捧げまくるっス」

 そして、暗くなった空気を物ともせずに再び持ち前の元気良さを発揮する大門君。北山さんはそんな少年を見て、ほっとしたような微笑みを浮かべていた。

「じゃあ、姐さんも皆さんにご挨拶っス」

 少年は言うや壁に立て掛けてあるパイプ椅子を持って来て、鏡甲と秋水さんが乗っている二つのベンチに調度丁の字になるようにドッキングさせる。そうしてから直ぐに、そのパイプ椅子の上に肩に担いでいたケースを置いた。

 あれ、おかしい、その時私は異変に気付いた。今までベンチの上で鏡甲と語り合っていた秋水さんの姿が忽然と消えていたのだ。そのせいでベンチの上には取り残された鏡甲が一人で佇んでいる。一体、彼女は何処に消えたのか。答えはいつの間にか戸が閉まっている秋水さんのケースが教えてくれた。

「さて、じゃあ懐かしい面々との再会といきましょうか」

 落ち着いた声と共に椅子上のケースからすっとベンチに降り立ったのは黒いハイヒールと長くて白い足だった。私は露わになった雲雀さんの姿を見て思わずぎょっとする。それは彼女の恰好が息を飲む程に魅惑的だったからだ。

 雲雀さんが身に纏っているのは、全体が漆黒に彩られた、スカート丈が膝下まであるワンピースタイプのフォーマルドレスだった。

 特徴的なのは、胸部や腰回りをふわりと包み込んで肉付きの良さを強調し、腰の部分はタイトに締まって腰の細さを強調している点だった。素人目にも分かる位にスタイルの良さを巧みに引き立てる仕立てとなっており、さらに黒いハイヒールと黒いレース生地のロンググローブという黒で統一されたコーディネートが成熟した色気を持つ雲雀さんによく似合っていた。

 もしかしたら、このドレス一式は大門君が雲雀さんに贈ったのだろうか。服装に無頓着な雲雀さんが自ら選ぶとは考えづらい。やはり、やはり私の直感に間違いはなかったのだ。この少年、確実に只者ではない。

 見れば見るほど手放しで褒められる素晴らしいトータルコーディネート。ただ、唯一不可解なのは雲雀さんが顔を半分隠している点だった。オリーブグリーンの三つ編みロングヘアに乗っかった端に赤いバラの飾りが付いた円筒形の黒い帽子。そこから垂れ下がった黒いレース生地が顔を耳の高さまで隠してしまっていた。

 それに、ビキニアーマーの頃と比べて露出が少なくなっているから分かりづらいが、以前よりもスタイルが良くなっている気がする。それに顎のラインも余計な膨らみが落ちて明らかに形が良くなっていた。私の気のせいでなければ考えられる理由は二通りある。

「あら、鏡甲さん、お久しぶりね」

「こちらこそ、お久しぶりです雲雀さん」

 声の質も明らかに変わっている。今の声は落ち着いていて艶のあるハスキーボイスといった所か。

「それで、どう? ちゃんと身体の調整はしてもらった?」

「はい。龍彦のおかげで完全に調整する事が出来ました。今後の対戦では決して失望はさせないとお約束します」

「まぁ、ふふっ、調整済みの鏡甲さん相手にそんな心配はしないわよ」

 今やお互いに好敵手と認め合う二人の挨拶が終わると、次に雲雀さんは周囲を見回して、私と、次に北山さんを順番に見上げた。

「それと、東湖さんと北山さんもお久しぶり」

「あ、お久しぶりです雲雀さん」

「ウム。こうして会うのは久しぶりだね。前に会ったのはもう何年前になるか。それにしても、以前会った時より随分イメージが変わったね。かつての鎧姿も良いけど今の方がより大人びていて似合っていると思うよ」

「あら、そう? ふふっ、男の人にそう言ってもれえると素直に嬉しいわ」

「フム。黒で揃えられたコーディネートも非常に良いね。これは大門君が選んだのかい?」

「うっス。でも実は兄ちゃんのコレクションから選んで仕立て直してもらっただけっスけど」

 やはり大門君のセレクトだったか。私は心の底から納得していた。と、まてよ。

 ドレスの仕立て直し? やはりスタイルの変化は気のせいではなかったようだ。PG-4型の場合、体型はあらかじめ決められた種類の中から選択する方式で、形状や大きさの選択範囲は広いものの、胴体部分は一体型でPG-5型のように細かなサイズ設定やパーツ毎の交換は出来ない。PG-4型、5型共に、筋肉量にはスタイルを崩さない範囲での上限があり、PG-4型でユーザーが自在に決められるのはP筋S筋の筋肉比率だけだった。だからPG-4型で体型を変えるには選択の範囲内で胴体を新調するしかなく、完璧に理想通りとはいかない上に、当然それなりにお金が掛かる。PG-5型を買う為にお金を貯めている大門君がそんな判断をするだろうか。いや、賢明な大門君ならそんな選択はまずしないはず。そうなると、自動的に最後の可能性へと行き着く。ここまで状況証拠がそろったのだから、まず間違いはない。彼は遂に兄の遺志を継いで念願を叶えたのだ。

 さて、最早分かり切った事だけど、ここは本人に確認してみよう。

「あの、ドレスを仕立て直したって事は、雲雀さんの体型が変わったって事だよね。もしかして、それって……」

 すると大門君はさも嬉しそうにはにかんで「うっス。遂に自分、やってしまったっスよ」と興奮した口調で即答した。言い切った時の彼は本当に嬉しそうで、聞いているこっちまで何だか嬉しくなって来る。

「おぉ。やっぱりそうだったんだね。おめでとう」

「いやはや、そう言ってもらえると嬉し恥ずかしって感じっス。のはははは」

「それはつまり、雲雀さんは身体をPG-5型に換装したって事かい?」

「うっス。お年玉とお小遣いを全部貯金してようやく買えたんっスよ」

「それはまた、凄まじく気合と根性が入っているね。まぁ、気持ちは十分に分かるが」

 北山さんは目を細めて納得したようにうんうんと頷く。ただ、私にはまだ確かめたい事が残っていた。

「あ、そういえば、雲雀さんはどうして顔をレースで隠しているの?」

「ウム。それはフォーマルコーディネートだからではないかな?」

 単に着ているのが礼服というだけならばその通り。でも、それだけじゃない事は大門君の困ったような顔が指し示していた。

「あー、それなんスけど、実はわざと顔を隠してるんスよ」

「ん? どうしてそんな事を」

 言って北山さんは首をかしげる。これは当然の疑問だった。

「えーっと、実はですね。兄ちゃんのデザインを元に顔や身体を作ってもらったんっスけど、それからは試合とかに行く先々で轟天モデルと勘違いされて騒ぎが起きるんっスよ」

「だ・か・ら……本気を出すまでは顔を隠しておこうって事にしたの。ま、これはキョウの提案なんだけどね」

 大門君の話を雲雀さんが流れるように引き継ぐ。こういうのを阿吽の呼吸というのだろう。二人の息が合っているのは相変わらずなのだが、それよりも気になったのは、以前よりも彼女の声や仕草の色香が増している事だった。両腕を抱いて柳のように腰をくねらせる姿は、不健全な位に何とも艶かしい。

 それ以上に、轟天モデルと間違われた、という物言いが強烈に私の興味を引いていた。美の極致ともいえる轟天作品と間違われるとは、一体全体、兄のケンジ君による造形とはどれ程の物なのか。うーむ、非常に気になる。

「なるほど。そんな事態に遭遇していたのか。それにしても、あの轟天氏の作品と間違われるとは、これは非常に興味深い」

 北山さんキラリと光る眼鏡をクイと持ち上げて、まるで熱心な研究者のようにつぶやく。彼も私と同じく、かの轟天と同水準の仕事に対して並々ならぬ好奇心を抱いているのだろう。

「あら、うふふ、駄目よ、今はね。私が外で顔を見せるのは強敵相手の時だけって決めてあるんだから」

 言いながら雲雀さんは鏡甲に顔を向ける。それはあたかも、あなたと対戦するまでは素顔を晒しませんよ、と言っているかのようだった。

「では、私も雲雀さんに倣って、強敵と対戦するまではこの傘を被っている事にします」

 鏡甲も負けじと真っ直ぐに応じる。こういうやり取りを見ていると、本当に、ライバルというのは良い物だなと思えてしまう。

 ここで本来ならば気合の程を褒める所なのだろうが、少し考えて私は、ちょっと待った、と声を上げそうになってしまった。鏡甲の菅傘は上方の視界が完全に制限されてしまうから、たとえ相手の実力が劣っていたとしても、広い死角を狙われると対処が困難だろうし、さらに言うと、情報の無い選手を相手に最初からハンデを付けるのも明らかに危険な行為だった。

 でも、それが分かっていても、二人の誓いに水を差す気にはとてもなれなかった。それに、轟天モデルに対するギャラリーの激しい食い付きを出来るだけ避けたい、という思惑もあるだろうから、ここは彼女の判断を信じ、尊重するしかない。

「ムゥ。残念だが今は対戦を待つしかないようだ。それにしても、君は兄さんに似ているね。ケンジ君もそういう仕掛けがっ大好きな人だったよ」

「うス。正直、自分は兄ちゃんの影響を受けてるだけっスけど、そう言ってもらえるとやっぱり嬉しいっス」

 そう言いながら大門君は嬉しそうに頭を掻いていた。こういう仕草を見ていると、本当に純朴な年相応の少年なのだなと感心してしまう。

「あ、そういえば……」

 ふと思い出したのか、雲雀さんは何かを探すように首を振る。恐らく探しているのは彼女が来るのと同時に煙のように姿を消した現チャンピオンであろう。

「あの、北山さん。パートナーの秋水さんが見当たらないのだけど。今日は久し振りに会えると思って楽しみにしていたのだけど……」

 指摘されてようやく秋水さんの雲隠れに気付いたのか、北山さんが慌てたように「ムムッ。確かに。これは失礼した。こら秋水。雲雀さんが折角会いに来てくれたのだから、出てきてちゃんと挨拶しなさい」と少し呆れた声で言った。

 果たして秋水さん専用ケースがガタリと震え、中からさも不服そうな声が漏れてきた。

「まぁ、これは、その、何というか、今正に脳内にビンビン新曲の歌詞が降ってきてだね、ナイスフレーズを逃すまいとデスクに向かって詩作に耽っていた所なのだよ、うん。……う、嘘じゃないよ、本当だよ……」

「全く、そんな事は後でも出来るだろう」

「あ、いやいや。今を逃すともう思い浮かばないような気がするし……」

「あら、そうなの。まぁ、あの妙ちきりんな歌を聞かなくて済むなら、別に良いのだけど」

 するとさらにケースが激しく揺れる。

「ミミミ、ミョウ・チクリン!? そそ、そ、そう聞こえるのは君に歌のセンスが無いからじゃないか。自分の貧しい感性を棚に上げて、酷い出鱈目な評価を、吹聴、駄目絶対だよ君ィィィィィ~~~」

「ま、可哀そうだからそういう事にしといてあげるわ」

「な、何たる屈辱。ぐぬぬぬぬぬぅぅぅぅぅ」

 いつの間にかケースの揺れが収まり、中から漏れ聞こえてきたのは怪談もかくやといった恨めし気な声だった。然して、それは起こった。

「僕の歌を聞けぇぇぇい!(ズババンッ)」

 突如としてケースのドアが勢い良く開け放たれ、中から自称さすらいのミュージシャンが弾丸のように飛び出してきた。そのあまりにも唐突な出来事に私は口を半開きにして固まってしまう。鏡甲を含めて周囲の人もほぼ同じような表情だった。本当に彼女の行動は予測不能で全く読めない。

「僕は決めたぞ。斯くなる上は、僕渾身の新作を君に聞かせてあげよう。この曲を聞けばいかに音楽センスが皆無の君でも、僕の楽曲の素晴らしさを理解出来る筈さ」

「あ、いや、私は別に聞きたくもな……」

「では行くよっ!」

 いきなり一方的にまくして立てるや、ギターに手を掛け、これは必然と云わんばかりに一瞬の躊躇もなく、秋水・オン・ザ・パイプ椅子ステージが幕を開ける。

「(パラッパラッパ)ララルァ~ルラルラ、ルルルんルン、トーテムポールとのキスは甘酸っぱい蜜の味。

 あれ? 一体どの首とすれば……はっ、そうなのさ、僕の碧眼は真実を射抜く。

 君は知っているか? 気が付いているか? かつてない神秘の秘密。

 日本語の『懊悩おうのう』を英訳すると『OH NO』ってなる。

 これって凄いぜ、大発見だぜ、ホーリーシッ、ホーリーシッ(ギョギョーン)」

 驚天動地の大熱唱が終わり、秋水さんがやり切った充実の表情で「センキュー」と言いながら天井を指差す。

 私はそっと右を見て、左を見る。ステージの周囲は痛い位の沈黙に包まれていた。みんなどう反応して良いのか分からないのだろう。

 因みに懊悩とは確か深く思い悩むといった意味だったと思う。同義語といえるのは苦悩あたりだろうか。ここまで考えて、ふと、懊悩という言葉とOH NO(オゥ、ノー)と言って頭を抱えている外国人の姿が見事に重なってしまった。これは、もしや、そんな、まさか……。

「いや、これって、大体合っているんじゃ」

「何を言っているんだ。そんな事ある訳…………ほ、本当だ、大体合っている」

 正に驚愕の事実。全くの意味不明と思われていた歌詞に、こんなにも深い真意(?)が隠されていたとは。その事に気付いた私と北山さんはお互いに無言で見開いた目を向け合っていた。本当に秋水さんの感性は油断がならない。

「いやー、歌詞はさっぱり分からないっスけど、凄くロックな感じっスね」

「秋水さんの歌に賭ける気合の程は見せて戴きました。これは私も見習わないといけません」

「全く、秋水は相変わらずね」

 ようやく自分の中で歌の評価を定めた人から感想を告げてゆく。とりあえず歌詞の意味については理解不能と割り切って、有り余る勢いの元気や熱意を好意的に評価しているといった様子だった。

「んん? ヒバだけ随分と反応が薄いじゃないか。別に魂の感じるままに、いくらでも褒めちぎってくれても良いのだよ」

 ヒバとは雲雀さんの事だろう。

「あら、まあ。本当に容赦無く正確な評価をしても良いの?」

「あ、いや、ちょ、ちょっと待った。そそ、そんなに細かい評価は、別に、求めていないよ、僕は。うん」

 いかにも不服そうに口をとがらせる秋水さんに対して、雲雀さんは口元に微笑を浮かべていた。目元が隠れているせいで全体の表情は分からないが、何とも楽し気に見える。

 ともあれ、これで一応は再会の挨拶も終わり、後は対戦表が出るのを待つだけかな、と考えていると、丁度良くこれからトーナメントを公開します、というアナウンスが流れた。

「おっ、いよいよっスね。どうか決勝まで鏡甲さんと当たりませんようにっ」

 大門君は目を固くつむり、休憩室の壁面に備え付けられた大型のモニターに向かって合掌した手を擦り合わせながら懸命に拝んでいた。

「うん。こちらも、どうか決勝まで雲雀さんと当たりませんように」

 私も大門君と全く同じ気持ちだった。でもこれは雲雀さん相手には絶対に勝てないから、という後ろ向きな理由ではない。

 県大会に出場出来るのは上位二名だから、お互いが決勝戦の前に対戦してしまうと、どちらか片方しか県大会に進む権利を得られくなってしまう。一応、準決勝まで進めば三位決定戦は行われるが、三位になっても県大会に出られないから全く意味が無かった。

 だから、私も、どうか鏡甲と雲雀さんの両方が決勝まで進めるような組み合わせを、と一心に祈念する。恐らく、心根の優しい大門君も私と同じ理由で祈っているのだろう。

 そして。

「あ、来た。来たっスよ」

 すぐ横から、少し興奮したような声が響く。

 待つ事十数秒、真っ暗だったモニターに白い光が灯り、白地に黒い線でトーナメントと選手名が表示された。

「えーっと、鏡甲は、っと」

 私はそうつぶやきながら、壁の大画面に目を凝らす。県大会地区予選のトーナメント表は横に倒れた大きな山が羽を広げた蝶のように左右対称で並んでおり、二つの山頂から伸びているたった一本の線で繋がっていた。

 向かって左側の山がAブロック、右側がBブロックとなっており、同じブロックにさえ入らなければ決勝まで当たる事は無い。まずは左上、Aブロックの選手名を上から確認してゆく。

 幸い、鏡甲の名は直ぐに見付かった。場所はA-15、一回戦第七試合だった。そして、肝心の雲雀さんはというと。

「よしっ」

 思わず声と共に拳を固く握る。Aブロックに雲雀さんの名は無かった。これで雲雀さんと県大会出場権を賭けて争わなくて済む。

「やった。やったっス。これで決勝まで鏡甲さんと当たらないっスよ」

 お互いの位置を確認した大門君も無邪気に喜んでいた。あのアダルティックに尖った趣味嗜好に比して、こういう所は年相応に見える。

「決勝まで勝ち上がらなければ雲雀さんと対戦出来ないのですか。これは決勝まで絶対に負けられないですね」

 組み合わせを確認後すかさず鏡甲が口をへの字に曲げて決意を表明する。それを見て雲雀さんは何故か少しばつが悪そうに苦笑いを浮かべていた。

「あー、でもね、もし決勝まで本気を出さずに勝ち残れたら、決勝でも本気を出す気は無いわよ」

「え? そうなの、ですか……」

 鏡甲は、意外そうな、残念そうな顔をしているが、考えてみれば当然の事で、決勝戦まで勝ち進んだ時点で県大会への出場が確定しているのだから、勝っても負けても良い試合で県大会で当たるかもしれない相手にわざわざ手の内をさらす必要は全く無い。鏡甲にとっては残念な事だろうけど、勝ち進んでいけばいつか機会は来るだろう。

「ごめんなさいね。私にはどうしても勝ちたい相手が居るの。だからそいつと当たるまでは出来るだけ色々と温存しておきたいのよ」

「その、どうしても勝ちたい相手、というのはもちろん僕の事だよね」

 正に自信満々といった風で、仁王立ちの秋水さんが立てた親指をクイクイと自分に向けていた。

「はぇ? まぁ、えっと、ね、秋水にももちろん勝ちたいけど、どうしてもって程じゃないわ。私が本当に勝ちたいのは、あのバッタ女よ」

「あぁ、あいつか……なるほどね」

 バッタ女? 一体誰の事だろう。秋水さんは妙に納得したような顔で、雲雀さんは口元を微妙に歪めていた。これは相当な因縁があるに違いない。

 それにしても、やはり雲雀さんは前の対戦では本気を出していたかったようだ。彼女は完全に全国大会を見据えていて、その為の準備も怠りが無い様子だった。一体全体、どれ程の秘密兵器を内に抱えているのやら。

「事情は承知しました。戦略ならば是非もない事。では、その場合、奥の手を使わない範囲の全力で相手をしてくれますか」

「それはもちろん。約束するわ」

「はい」

 こうして強者同士の話し合いが成立した所で。

「ウム。組み合わせも確認したし、挨拶も済んだ事だし、もうそろそろ出発するかな」

「あぁ、早速試合会場に行くんですね」

「いや、違うよ。ちょっとこれから千葉の松戸ブロックと柏ブロックに行く予定なんだ。ちょっと見ておきたい選手が居てね」

「ええっ? 北山さんもう帰っちゃうんっスか? 何だか残念っス」

「じ、じゃあ鏡甲や雲雀さんの試合は見ていかないんですか」

 思わず我ながら素っ頓狂な声で尋ねてしまった。今まですっかり北山さんは復活した鏡甲を偵察しに来たとばかり思いこんでいたから。

「ウム。正直二人の情報は既に持っているし、実力的に見て間違いなく全国まで上がってくると確信しているからね」

「うス。じゃあ今度は全国の大舞台で再会っス」

 大門君は納得したような笑顔。私も北山さんの高評価は素直に嬉しいと思う。しかし。

「ありがとうございます。全国を見ている北山さんにそう言ってもらえると自信になります」

 しかし私にはどうしても確認したい事があった。

「で、あの、松戸や柏にはそんなに強い選手が居るんですか?」

 最後は不安のあまり絞り出すような声になってしまった。こんな事態は今まで十分に予想してきた筈なのに、実際に偵察を他の選手に優先されると、どうしても対象がどれ程の実力か気になってしまう。

 鏡甲の出場停止後、選手全体のレベルは格段に向上している。だから、もうすでに鏡甲は多数の選手に追い抜かれているのではないか。そんな不安が今の今までパートナーの出場停止が続いていた私には厳然としてあった。ネットや専門誌である程度の情報には接しているものの、生の体験が皆無な現状は残念ながら島流し状態に近い。

 そして、質問を受けた北山さんは小難しい顔をして「ウーム。松戸の方は、強い、というより、厄介、といった感じかな。柏の方は、強いといっても、噂の域を出ていない不確定な情報しかないんだけどね」と漏らすように話した。何故か松戸の話をする時、彼の顔に若干嫌悪のような感情が浮かんでいた。一体、全国制覇を果たしたセコンドの云う、厄介な相手、というのは、どんな選手なのだろう。

「そうだったんですか。北山さんがわざわざ見に行く位だから、どれ程の強豪かとつい不安になってしまって」

「ウム。気持ちは分かるよ。今まで何年も休止状態だったのだからね」

「それにしても全国大会で優勝してるのに、全く油断が無いっスね。感心するっス」

「ウーム。ディフェンディングチャンピオンも実は辛いんだよ。最近は無名選手の急成長も多いから、少しでも情報を集めて初対戦の相手に備えないと序盤で足元をすくわれかねないからね。今回も県大会は静岡を見に行く予定だから、千葉には地区予選の段階で見に行かないといけないんだよ」

 聞いているだけで気の遠くなるようなタイトな行動予定だった。名残惜しいけど、今日わざわざ挨拶に来てくれただけでもありがたいと思わなければならない、か。

「静岡ですか。あそこは相変わらずレベルが高いんですね」

「ウム」

 静岡といえば、土地柄か鏡甲の現役時代から高い技量を持つ選手が多かった。どうやら、それは今も変わらないらしい。もちろん一番選手層が厚いのは東京都で、他には、愛知県も激戦区として知られている。

「では、秋水、もうそろそろ」

「合点。遂に出立の刻か。では、少々歌い足りないけど、ここでしばしのお別れだね」

「はい。次こそは全国の舞台で会えるように力を尽くします。どうか待っていて下さい」

「私も久々に会えてとても楽しかったわ。またね」

「おぉ、そうだ。次に会う時までに、かつてない程に斬新かつ、アナルフィフスショックな新曲を作っておくよ。今度こそは、天地を揺るがす大傑作と認めさせてみせるさ」

「あ、いや、私は別に聞きたくもな……」

「じゃあ、またねっ。アデュー」

 また言いたい事を一方的に言って、言い終わるや颯爽とケースに戻ってしまった。しかも言語感覚が特殊で、相変わらず発言の意味が分かりづらい。アナルフィフスショックという表現も全くの意味不明で、もしかするとアナフィキラシーショックと言いたかったのかもしれないが、そうだとしても用法が全然違う。いや、急激なアレルギー反応という意味では、だいたい合っているのでは?……いやいや、それはさすがに考えすぎか。

「では、もう行く事にするよ」

 北山さんはケースを担ぐと、私達をスッと見渡す。

「今日は復帰した鏡甲の戦いっぷりを見て貰って、現在の全国レベルと比較してどうなのか意見を聞きたかったのですが、少し残念です」

「すまないね。まぁ、鏡甲さんと雲雀さんは今でも間違いなく全国レベルの選手だから、直ぐに全国の舞台で再会する事になると思うよ」

「全国の舞台……。そう、ですよね。私も鏡甲ならきっと返り咲けると信じています」

 私は確信を込めて言った。ただ、鏡甲とはいえ、確実に登れるような楽な道のりでは決してない、という事も十分に理解している。地方ブロック予選から県大会に進めるのは二名。そして、地方から強豪の集う県大会から全国に進めるのもたったの二名。最終目標である頂はまだまだ遥か高く遠い。

 ともあれ、全国レベルを知悉した人物からのお墨付きはとても大きな励みになる。決して社交辞令で適当な事を言う人ではないと分かっているから尚更だった。

「では、ふさわしい舞台での再会を楽しみにしているよ」

「はい」

「うっス」

 短く挨拶を交わし、出口に向かって遠ざかる黒いスーツの背中を見送った。

「それにしても、個性的というか、物凄くソウルフルな娘だったっスね」

 北山さんの姿が見えなくなってから、大門君がしみじみとそう漏らす。私も全くの同意見だった。

「突飛な言動は相変わらずだけど、以前会った時はギターを担いでいなかったし、特に変わった服装でもなかったんだけどね」

「そうだったんスか。でも秋水さん、素が可愛いから地味なツナギ姿でも映えるっスよ。それに、何だか、次に会う時は逆にこっちが驚くほど似合う恰好をしてくるような気がするっス」

「え? そうかなぁ……」

 私は大門君の意外な予想に首をひねる。でも彼は妙に勘が鋭い所があるから、もしかしたらもしかする、かもしれない。

「さて、鏡甲の試合は第七試合だし、直ぐに準備しないと」

 雑談もそこそこに、私は気持ちを切り替えて大会に集中する。鏡甲の初戦に当たる一回戦第七試合は、七番目といっても複数のブースで試合が行われるから、順番は直ぐに来てしまう。

 体育館には闘技場が六つあり、各闘技場はAからFまでのアルファベットで区分されていた。そしてA闘技場からC闘技場までがAブロック、D闘技場からF闘技場までがBブロックの試合場として使われる。

 Aブロックの三闘技場には順番に試合が割り振られているから、A闘技場第一試合、B闘技場第二試合、C闘技場第三試合、といった風にAブロックでは一回戦第三試合までが最初の試合になっていた。

 だからA闘技場で行われるAブロック一回戦第七試合に出る鏡甲は、一回戦の第四試合が終ったら直ぐに闘技場に入らないといけない。因みに雲雀さんはBブロック一回戦最後の第十八試合なので試合開始時間までには大分余裕がある。

「はい、龍彦。ではケースに戻ります」

 鏡甲の方も待ってましたとばかりに即座に応じる。一見して、程良い緊張感で気合も十分といった感じだ。

 私は彼女がケースに戻るのを確認すると、忘れずに持ち上げるよと告げてから駕籠ケースを担ぐ。

「自分らも、鏡甲さんの応援に行きたいんっスけど、申し訳ないっス。二回戦以降に当たる選手を見ておきたいから、Bブロックに張り付く事になるっス」

 大門君は本当に申し訳なさそうに頭を掻いている。雲雀さんの一回戦開始は大分遅いから、それまでは決勝までの障害になるBブロックの選手を偵察するというのは当然の判断だった。

「まずは決勝まで勝ち上がるのが最優先だからね。私達もAブロックで当たる可能性のある選手は見ておきたいし、お互い油断なく決勝を目指そう」

 私は気にする必要は無いよと笑う。

「うっス。じゃあ、午前中の試合が終ったら連絡するっスから、みんなで昼飯を食いながら報告会っス」

「うん。了解」

「鏡甲さん、頑張ってね。お互い様だけど、私と当たる前に負けちゃダメよ」

「はい。必ずや」

「ありがとう。じゃあ行ってくるよ」

「うっス」

 好敵手同士の掛け合いも終わり、私は試合会場に向かう。さて、コロセウム再挑戦を果たした鏡甲と最初に当たる相手はどんな娘なのだろうか。確か『ロレーヌ』という名前だったか。まさか雲雀さんのような全国レベルの選手が地方ブロックで他にも居るとは思えないが、情報量が絶無に近い現状では、どうしても一抹の不安は拭えなかった。

 ようやく頂点まで続く高く長い階段の、最初の一段目を上る所まで来た。準備や調整も今日までに出来る限りこなして来た。後は、鏡甲の実力を信じて支援するのみだった。


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