第12話「再出場・選手登録」
「さ、行こうか鏡甲」
「はい。龍彦」
鏡甲は元気良く返事をして駕籠ケースに入る。今日はコロセウム神奈川大会予選の当日。鏡甲の不具合は完全に解消されたようで、新フレームの慣らし運転が終わる頃には「身体の調整は完璧です。早く試合がしたいです」と目を輝かせて語っていた。彼女がここまで自信を取り戻したのなら、最早、完全復活と言っても過言ではない。
「やっとここまで来たね」
「はい。捲土重来、この日が来るのを信じてずっと鍛錬を続けて来ました。後は祥武月影流の武名に恥じない戦いをするだけです」
ケースから自信に満ちた声が返って来る。気丈な物言いに聞こえても、彼女は試合に出られなくなってから長い間先の見えない不安に苛まれてきた筈だ。それだけに、感慨もひとしおなのだろう。
「さ、持ち上げるよ」
「はい」
私は鏡甲の重みを肩で感じながら玄関のドアノブに手を掛けた。
春のコロセウム全国大会は通常ゴールデンウィークの期間に合わせて実施される。だから県大会は予選も含めて四月中旬から下旬にかけて行なわれる事になっていた。
本日は素晴らしい位の快晴。まだ少し肌寒い季節なれど日差しは暖かく、何とも心地良い陽気だった。正に天が鏡甲の新たな門出を祝福しているような気がして、つい不安を忘れて清々しい気分に浸ってしまう。
神奈川大会の予選は総数十五の地区ブロックにてそれぞれ行われる。人口の多い横浜市は四つのブロックに、次いで川崎市が二つのブロックに分かれていて、他は、横須賀三浦地域が横須賀市を中心とした一ブロック、県央地域は相模原市から厚木市までの範囲で三ブロック、大和市と座間市で一ブロック、海老名市と綾瀬市で一ブロックの計五ブロックとなっており、湘南地域は平塚市と藤沢市二つの市を中心とした二ブロック、県西地域は小田原市を中心とした一ブロック、といった具合にしっかりと区分けがされていた。その各ブロック上位二名の者が神奈川県予選トーナメントへの出場権を得るのだ。
どのブロックで参加するかは所有者の現住所によって決まるから、私が引っ越しでもしない限り鏡甲は横浜市第二ブロックからの出場となる。そして肝心の試合は市営スポーツセンターの体育館を貸し切って行なわれる事となっており、会場入り口にて午前七時から受付開始、午前十時から予選開始というタイムテーブルとなっていた。
思い返せば昔はもっと規模が小さくて県大会予選は全部で八つのブロックしか無かった。予選地区の分割数がほぼ倍になっている事から見ても、今までに競技人口がどれだけ増えたかが伺えてしまう。当然、出場者のレベルも相当上がっている筈だ。ただ、悪い話ばかりではない。区分けが細かくなったおかげで、飛毬ちゃんやティラノさん、ポテ子さん等歴戦の強豪とはそれぞれ別の区に分かれたので県大会予選で当たる心配は無くなった。神奈川県大会に出れば対峙する事になるとしても、予選突破の障害が少なくなるのはやはり嬉しい。
長いブランクの間に起きた競技人口増加と新たな区分け。多分今日対戦する子はほとんどが初対面で得意戦法も何も分からない状態で対戦する事になる筈。それでも、鏡甲ならきっと……若干の不安と確信に近い期待、私は肩に担いだ相棒にそんな想いを馳せつつ電車へと乗込んだ。
電車に乗ると直ぐに気付く、乗客の殆どがPGドール用のケースを持っている事に。日曜日の早朝、普段なら乗客もまばらでシートも空いているのだが、今日はシートが満席状態で立っている人も多く、何か車内の空気自体が緊張感を孕んだ重たい物になっている感じがした。PGドール用のケースを持っているからといって全員が県大会予選に出場するとは限らない。それでも、私の目に映るほぼ全てのオーナーが決戦の地に向かう監督の顔付きをしているように思えてならなかった。
どうやら私の感覚は正しかったようで、会場の最寄り駅でケース持ちの殆どが下車をした。電車を降りた後も人の群れは皆同じ方向に進み、駅の外に出てからも予選会場までの最短距離を進んでいるから、ここにいる全員が県大会出場権を争うライバルという事はまず間違い無い。それにしても、ブロック分けがされたにも関わらず以前より随分と参加人数が増えている気がする。愛好者として同好の士が増えるのは嬉しい反面、いざ試合となると素直に喜べないという、何とも複雑な心境だった。
駅前のコンビニでしっかりと補給物資を確保してから人の流れに続いて駅から十分ほど歩くと試合会場となっている市営スポーツセンターの入り口に到着した。私は好んで運動をする人間ではないから、このスポーツセンターに来るのは今日が初めてだった。見慣れない施設の前で周囲を見回す。これは別に入り口が分からないからやっている訳ではなく、事前に懐かしい知人と連絡を取り合って、今日この予選会場で落ち合う約束をしていたからだ。
約束の時間よりも二十分早く着いてしまったから、どこか参加者の邪魔にならずに待てる場所をと目を走らせている途中で待ち合わせの人物を見付けてしまった。当の相手はこちらよりも先に気付いていたらしく、目線が合うと軽く右手を上げて近寄って来る。彼の名は『北山玄瑞』といい、西川さんと同じく轟天モデルの所有者であり、当然ながらかなりのヘビーユーザーでもあった。
それにしても待ち合わせ時刻よりかなり早く着いた私よりさらに早く相手が来ているとは思わなかった。東京から来ているとはいえ、一体北山さんは何分前に到着したのだろう。感心する位に時間に律儀な人だ。
PGドールをこよなく愛する同好の士であるこの北山さんはとても落ち着いた感じのする人で、年齢は確か三十八歳位だったと思う。背丈は百七十二センチの私よりも高く、同じ長身でも西川さんと違いスラリとした体型で上下黒のスーツを隙無く着こなしていた。髪はオールバックで固めており、顔は彫が深くて目や鼻筋は細く、銀縁の丸眼鏡を掛けている。全体的な雰囲気はやり手のエリートといった風で、実際はというと、外見のイメージ通りの人物だった。
彼はプライベートでも常に生地の良いスーツを着用しており、故にスーツ以外の姿を見た事が無い。これだけ似合っている上に着こなしのセンスもあるのだから愛着が湧くのも当然といえば当然といえる。反対に私は仕事以外でスーツを着る事はなく、今も青い薄手のジャンパーにジーンズという至ってラフな格好だった。
「おはよう東湖君」
「あ、こちらこそおはようございます北山さん」
「こうして直接会うのは随分と久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「はい。私は何とか……でも鏡甲の方は今まで辛かったと思います」
「そうだったね。ウム。でも、待っていた甲斐があって、ようやく身体を最新型にアップグレードして大会に臨む事が出来る、といった所かな」
「えぇ。ようやく、遂にこの時がやって来たという感じですよ」
私の言葉に北山さんは真顔でうなずいている。彼の話し方は常に淡々としていて初対面だと少し冷たい印象を受けるかもしれない。しかし、実際に接していると他人への気遣いを忘れない律儀な人柄だと気付く筈だ。ましてや世間の逆風を物ともせずにPGドール最初期から愛好者を続けているのだから、この人も愛深き紳士だという一点では間違いは無い。
しかも彼は既婚者で左手の薬指にはめられたシルバーリングが光っていた。さらに二児の父でもある。北山家のようにPGドールに理解のある家庭も意外に多く、特に秋水さんの場合は一家のマスコットとして家族全員に可愛がられていた。
「ウム。かつて狂火と恐れられた修羅の復活、実は『秋水』もずっと待っていたんだよ」
「そうだったんですか。でも今は完全に……あっ。言うのを忘れてました。秋水さんの全国優勝、おめでとうございます」
今も何気なく話し合っている北山さん。実はそのパートナーである秋水さんは今大会のディフェンディングチャンピオンであり、しかもコロセウム全国大会の優勝は春と秋の二大会連続となっている。かつては鏡甲の良きライバルだった彼女も今や現役最強のPGドールとして実績と名声をしっかりと積み重ねていた。仕方の無い事とはいえ、私と鏡甲がPG-5型の登場を待っている間に随分と差を付けられてしまったようだ。
「ウゥム。まぁ、鏡甲さんが出ていないから本人は納得していないがね」
「……え? そうなんですか?」
私は北山さんの言葉が意外で思わず聞き返してしまう。鏡甲はあの革新的なPG-4型が登場してからは全国大会にすら出られなくなっていたのに。
「あぁ。本人はずっと、鏡甲さんは急に全国大会に出なくなった、これじゃ勝ち逃げだと言っていたよ」
「はぁ、なるほど。そう言われてみれば」
言われて思い出した。鏡甲は確かPG-3型までの相手には何とか勝てていた。県大会ですら勝てなくなったのはPG-4型が出てからだから、当時から全国常連だった秋水さんに勝ち逃げと思われても仕方が無い。実際に逃げている訳ではないから少々納得のいかない部分はある。しかし、その不名誉な評価はこれから覆していけば良いのだから、今はそれほど気にする必要は無いとも思っていた。
「秋水には、東湖君の想いや事情を言い聞かせてはいるのだがね。全く一度へそを曲げると人の言う事を聞かなくなるから困るよ」
「いえ、良いんです。勝ち逃げ状態は今大会で解消するつもりですから」
「ウム。気合が入っているようで何より。秋水も復活した鏡甲さんと全国の舞台で対決するのを楽しみにしているからね」
「はい」
全国の舞台で待っている、この物言いはもうすでに全国大会への出場が決まっているからこそ言える台詞だった。
去年の大会から全国大会ベスト8に残った娘はシード選手として地方予選を免除される事になっている。この取り決めは救済処置のような物で、地区大会上位二枠とは別に大会上位者をシード枠とする事で、一つの地区に全国上位の強豪が固まった場合でも、より多くの選手が全国大会に進めるようにしたのだった。
大会の運営はこういう配慮を常に忘れない。彼らに言わせれば、コロセウムはスポーツの競技大会というよりも、むしろより多くの参加者が楽しむ為のイベント、という位置付けらしい。そう聞くとなるほどと納得出来てしまう、運営スタッフは全てユーザーフレンドリーに余念の無いPGドール社の社員でもあるのだから。
「さて、もうそろそろ参加手続き待ちの列が長くなってきたようだ。私は休憩室で待っているから、先に手続きを済ませた方が良いと思うよ」
話に一段落付いた所で北山さんが参加手続きを薦めてくる。聞いてから彼の目線を追ってスポーツセンターの入り口に目を遣ると、列の最後尾が入り口の外にまで伸びていた。しかも駅の方からは続々と人が集まってきている様子で、はっとなった私は慌てて北山さんに「じゃあ、言ってきます」と言い残し、列の最後尾に向けて駆けていった。いやはや相変わらずよく気の付く人で助かった。
私は列の後ろに着くと周囲を見回す。やはり、知った顔は見える範囲内には居なかった。同ブロックの大門君とはすでに会場内で合う約束をしているから、手続きが終わったらメールで連絡しようと思う。
会場となっているスポーツセンターの本館はそれほど大きくないものの、付属している体育館は相当な大きさを誇っており、市の大きなイベントでも使われているらしい。正にコロセウムの舞台とするには最適の場所といえた。
ようやく建物の中に列が進み、本館内の廊下をケースを担いだ男達が牛歩のように進んでゆく。廊下には隣接する形で各種トレーニングマシーンが並んでおり、ぽつぽつと居る利用者がさも不思議そうにこちらを眺めていた。傍から見れば、ムサい男達の集う謎のカルト集団にしか見えないのだろう。そう考えると、何とも居た堪れない気分になってしまう。
そして試合会場となっている体育館の入り口前は、まるで警察の検問のような状況となっていた。そこは折り畳み式の長テーブルが並べられ筋肉量の検査機器が二セット用意されていた。検査機器の他にも非公式会場では見る事の無いゼッケンリングガンが置いてあり、これだけでも今居るのが不正撲滅に燃える公式コロセウムの受付だという事が分かる。
受付前で列になっている参加希望者とは別に観戦目的の人々がすんなりと体育館に入ってゆく。計量後は会場から出られない選手とは違って単なるギャラリーであれば会場への出入りは自由だ。恐らく偵察に来た北山さんもすでに体育館に隣接している休憩室で私達の手続きが済むのを待っているに違いない。
それにしても各検査機器の処理が早い。以前参加した地方大会のそれとは大違いだった。人の多さから見て順番が来るまで一時間は掛かると覚悟していたのに、実際は三分の一の二十分程で順番が来てしまった。大会でしか使わない検査機器までアップデートしているとは思わなかった。本当にこの会社は徹頭徹尾全てにおいて抜かりが無い。
「コロセウム参加希望ですか?」
「はい。そうです」
「では出場選手の筋肉を計量しますので、選手を検査機の中に」
「分かりました」
青いスタッフ用のシャツを着た受付の女性に促されて、ケースに声を掛ける。
「鏡甲、筋肉量の検査だよ。出ておいで」
「えぇと……ちょっと待って下さい龍彦」
「ん?」
私は咄嗟に違和感を覚える。いつもなら威勢良く返事をして直ぐに出てくる筈なのに。この期に及んでどうして躊躇うのだろうか。
「お待たせしました」
そう言って堂々と出てきた鏡甲はごく一部だけいつもと格好が違っていた。彼女の身体はいつもの袴姿なのだが、なぜか頭部に白い三角頭巾を被っていたのだ。
「あの、鏡甲、その頭は?」
「はい。この前は不覚をとったので対策してみました」
そう行って白頭巾は堂々と胸を張る。一体何の対策なのか、と考えてみると、そういえば復帰戦に選んだ大会で計量の際、飢えた野獣のようなギャラリーに取り囲まれた経験があったのを思い出した。驚いた事に彼女は自らの発想で対策を講じたのだ。これも頭脳ユニットが新型に変わった影響だろうか。
私は迷う、問題に対して独自の発想で対処した事を褒めるべきなのか、それとも、その非常識な格好を止めなさいと注意するべきなのだろうか。どちらも正解で、どちらも間違っている気がする。うーむ、一体どうすれば。
「あの……」
スタッフの方も困惑した様子で鏡甲を見ている。選手の服装に関しては硬い棘や刃が付いていない限りは自由で、顔の隠れるマスクや兜に関しても特に禁止はされていない。だからスタッフはあからさまに人相だけを隠して不審者のような格好をしている鏡甲に注意が出来ずにいるのだ。
手製の三角マスクは白い紙製でカッター等を使わずに千切って作ったのか形が少々いびつだった。素材は明らかにメモ紙とセロハンテープの二つ。どちらもテーブルの上に常備してあるから確保は容易だった。
それにしても、どうしてこんなデザインになってしまったのか。これではまるでKKKだ。もしアメリカの公共施設でこんな格好をすればトラブルは避けられないだろう。無意識でやっているのだろうけど、この子は何て恐ろしい事を……。
えーっと、考えろ私。何か他に見栄えが良くて顔を隠せるようなグッズは持っていないだろうか。そういえば外出先で彼女が雨に濡れないようにと和傘を買っておいたのを思い出した。傘であれば上手く使えば顔位は隠せる。いや、まてよ。そして、流れるように最適解へと連鎖していく思考。そうだ、確か和傘を買うよりももっと以前に両手が使える上に雨除けにもなる菅傘を買ってあった筈だ。あの時代劇によく出てくる、傘と帽子を合体させたような雨具ならば違和感無く顔を隠す事が出来る。
あれなら袴姿に合うし顔も上半分が良い感じに隠れる。これしかない。幸いこれら外出用の品々は『鏡甲とお出かけバッグ』の中に漏れなく入っているから探せば直ぐに見付かる。
あった。大分前に買った物だからかなり奥の方に隠れていたが、バックの中を引っ掻き回して可及的速やかに捜索し発見次第に取り出した。
「鏡甲。えー、コホン。顔を隠すのなら、こっちの方が良いと思うよ」
私はさりげない仕草でパッケージに入ったままの菅傘を三角頭巾の前に差し出す。確信があった、これならきっと鏡甲も気に入ってくれる筈。
「あ、龍彦。それは……」
案の定、鏡甲は手をわなわなと震わせてパッケージに近づいてゆく。私の作戦は見事に成功したようだ。
「さ、どうする」
「これは、侍が頭に被る雨具。龍彦はこの時の為に用意していたのですか?」
「ん? いや、ちょっと前に外出先で鏡甲が雨に濡れないように買ってあった物だよ」
「そうだったのですか。でも、私の作った黒幕代官頭巾よりずっと良いです」
「くろまく……あぁ、なるほどね」
合点がいった。どうやら鏡甲は時代劇等で悪徳代官が顔を隠す時に使う頭巾を真似て作ったようだ。あらかた大河ドラマを見ている時にでも閃いたのだろうけど、実際に出来上がったのが似ても似つかぬ品だったので言われるまで気付かなかった。
「今使っても良いのですか」
「もちろん。鏡甲の為に買った物なんだから」
私は颯爽と断言して、早速パッケージ裏の厚紙を剥がす。そうして円錐を煎餅のように潰したような形の編傘を透明ケースから取り出した。
「さ、どうぞ」
鏡甲の前に菅傘と図解付きの裏紙を手の平に乗せてすっと進呈する。パッケージ裏の厚紙には分かりやすく絵で取り付け方が解説されているので、これさえ見れば菅傘の装着も簡単に出来るだろう。私の手だとあご紐を結ぶ事が困難なのでこういう配慮はありがたい。
「ありがとうございます、龍彦。では、遠慮なく」
彼女はいびつな両穴から覗く瞳を輝かせて菅傘と解説図を掴むと、一目散に駕籠ケースへと戻ってゆく。私は後ろで待っている人に「すいません。もう少しで計量始めますから」と謝ってから、しばらく待っていると。
「龍彦。お待たせしました」
自信に満ちた声と共に姿を見せた鏡甲は頭にしっかりと菅傘を被っていた。やはり当初の見立て通り侍風の格好にマッチしている上に、肝心の顔部分は上半分が調度良く隠れている。うん、咄嗟に考えた策にしては上出来な結果だと思う。
「龍彦、どうですか?」
「うん。さっきよりも袴に合っていて良いと思うよ。それに、ちゃんと顔は隠れていし」
「そう、ですか。良かったです」
私の返答に対して、鏡甲はほっとしたような声を漏らす。そしてキョロキョロと周囲を見回して餓狼の群れが殺到してこないのを確認すると、緊張から上がっていた肩を下げて駕籠ケースの戸を閉めた。
「さ、後ろの人が待っているから、早く計量を終わらせないと」
「そうでした。では直ぐに」
言うや筋肉計量器に向かう女侍。そして、今まで黙して待っていた受付スタッフも直ぐに対応してくれた。
「では鏡甲さん。まずはこの検査機に入って下さい」
「はい」
早速鏡甲は受付の指示に従って検査機の中に入り、私は計量が終わるまでの間に参加申請書へ必要事項を記入してゆく。幸いコロセウムの参加申請は購入時のような身分証明を必要としないから時間はそれほど掛からないで済む。
書類への記入も全て終わり、後は相棒の計量が終わるのをじっと待つ。本当に筋肉計量機のスキャンスピードは大幅に向上しており、S筋に続いてP筋も終わりそうになっていた。でも、これが終わっても公式大会の場合はもう一手間あるから、出場登録完了まではもう少し待つ必要がある。
「はい。これで筋肉スキャンは終了です。次にゼッケンリングを付けますので両手を出して下さい」
「えっと、両手ですね。分かりました」
女性スタッフの指示を受けて、鏡甲は素直に両手を伸ばして前方に差し出す。その伸ばされた腕をスタッフはやんわりと掴み、何やら銃のような形をした白い機械を近付けていった。そして銃口付近から照射されたレーザーポインターの赤い光が調度手首の中央に移動した所で、パシュという空気音と共に彼女の手首に87という数字の刻まれた腕輪が取り付けられた。その腕輪は紺色で白いゼッケン番号以外に装飾と呼べる物は無く、デザイン的にはドーナツに近い只の輪だった。
「これで手続きは全て終了しました。これ以降会場から出ると失格となってしまうので注意して下さい」
「はい。承知してます。あと、忙しい中、無駄な時間を使って申し訳ありませんでした」
「あ、いえいえ」
鏡甲はお詫びを告げて軽く頭を下げると踵を返してケースに戻ってゆく。こういう風に選手が謝るのは珍しいのか、スタッフは関心したような顔で彼女を見送っ後、直ぐに次の参加希望者への応対に移っていった。やはりここまでしっかりと礼儀作法を身に付けている娘は少ないのだろう。私が指導した訳ではないけど、こういう事があると何とも誇らしい気分になってしまう。
駕籠ケースに戻る鏡甲の両手に刺青のように貼られたゼッケン。これこそは不正撲滅に燃える大会運営の切り札ともいえるシステムだった。
このゼッケンリングは両手首に装着する事によってPGドールの位置確認システムと自動でリンクし、もし選手が会場の外に出た場合は直ちに運営のパソコンに不正発覚の警報を送るという機能を有していた。さらに腕の筋肉量や通電を常時モニターして、筋肉量が増えたり手への通電が切れた場合にも運営に警報が伝わるようになっている。
正に完璧な違反防止用システムで、このゼッケンリングを騙すのはほとんど不可能といえた。もちろんこの最新システム一式は管理を徹底する為にコロセウム大会運営しか所持していない。だから付けるのも外すのも、専用の機械を持っている運営にしか行なえなかった。
長い行列待ちの末にようやく参加手続きも終わり、私は駕籠ケースを担いで会場となっている体育館の中へ。
バスケやバレーのコートが余裕で四つ入る広大な体育館には六つの試合用ブースが設けられていて、その周囲では早くも観戦者達が各々陣取っていた。公式の全国大会ともなると地区ブロック予選からして地方の非公式大会とは規模が違っていた。青シャツに白ズボン姿のスタッフが多数配置されていて、参加者や観戦者達が語り合う雑多な声が高い天井に反響して空間全体を喧騒に包んでいた。
とりあえずざっと周囲を見回して大門君一行が居ないかを確かめる。どうやら、この体育館にはまだ来ていないようだった。私はメールで大門君に只今試合場到着と打ってみると、直ぐに『プチ寝坊。今は列の真ん中位也』という返信があった。仕方が無いので、それでは休憩室で前回優勝者と話しているので、そこで落ち合いましょう、と送ると今度は電話の方に着信が来た。
「あー、もしもし、東湖さんっスか? えっと、その人なら姐さんも知っているみたいっスよ。その人って北山さんっスよね?」
「うん。そうだよ」
「姐さんも早く秋水さんをいじり……話したいって行ってるっス。休憩室っスね。手続きが終わり次第向かうっス」
「了解。じゃあ四人で待ってるから」
「うっス」
始まった時と同じく何とも慌ただしい感じで通話が終了し、ほぅと一息ついてからのんびり休憩室に向かう。
そういえば雲雀さんと秋水さんはかねてからの知り合いらしい。これは別に彼女の実力と実績からいえば不思議な事ではなかった。
私は以前、専門誌のバックナンバーを紐解いて、雲雀という名がコロセウム全国大会の出場者に含まれているか調べた事がある。結果は去年の春と秋は共に全国大会出場無し。そして、記録を二年前にまで遡ると神奈川代表の雲雀という選手が春はベスト16、秋はベスト4まで進出という立派な戦績を残していた。
この雲雀という選手がこの前鏡甲に勝った実力者と同一なのはまず間違いないだろう。去年の春大会は前年度秋にベスト4まで残っているから神奈川県予選は免除される筈なのに出場が無かった。という事は、雲雀さんが何某かの事情によって全国大会出場を辞退したとう線が一番濃厚だと考えられる。
大門君との会話を思い出すに、身内の不幸による混乱もあったのだろう。実際の所は本人に話を聞かないと分からないが、やはり軽々しく聞けるような話題ではないので相手が話すまではそっとしておこうと思う。