第63話 最悪な人
張り詰めていた空気が、一気に緩んだ。
「なんて様だ、王妃よ」
それがいけなかった。
耳元で声が聞こえたと分かった時には、もう遅かった。
私の首元には銀色のナイフが突き付けられ、強引に立たされる。
「エメシア様!/聖女!!」
誰も、動けなかった。
気配がなかったのだ。
それに彼は意識がなかったはずだ。
だからこの場にいるなんて、信じられない。
――国王、ラコムス・トゥル・アルカディエ。
なぜ彼が、私にナイフを突き付けているのだろうか。
彼は、ジーグ殿下が安全な場所に連れて行ったはずだ。
(ジーグ殿下は!?)
ハッとする。
今この場に、ジーグ殿下の姿はなかった。
よくわからないが、国王が私たちに敵意をみせているのなら、私たちの仲間になったジーグ殿下もふいをつかれている可能性が高い。
無事であるという保障はなかった。
「うっ」
「動くでない聖女よ」
思わず逃れようと体を捩るが、グイっと引っ張られて叶わない。
わずかに見えた顔は、正気を失っているようには見えなかった。
「国王陛下……あなた、なぜ!?」
王妃ですら、驚きで目を見開いている。
それもそのはず。
だって彼は20年以上も、瘴気に犯され続け精神を支配されていたはずなのだから。
それなのに、今、彼はしっかりと立ち上がり、私を人質にしている。
それが表すことは、一つ。
「あなた……操られてなんかいなかったってこと……!?」
ほとんど叫ぶように問えば、耳元で笑う声が聞こえた。
「その通り。確かに、瘴気は普通の人間には効くだろうのぉ。けれど、我はこの国の王。王族の血には、瘴気の毒など効くはずもあるまい? すべてはそなたらを利用してやる為の演技よ」
確かに、「救国の聖女」とともに戦った人の子孫は、瘴気に耐性を持っていると言われていた。
けれど。
ねっとりと語られるソレを否定したい。
だって、それを肯定してしまったら、王であるこの人が、自国を壊す話に乗っていたことになる。
しかも、正気のままで。
「なんの為に……そんなこと」
そうつぶやくと、より一層、笑いを含めた声で語りだした。
「我はな、自分が一番上にいなければ気が済まないのだよ。だから父と兄を殺し、王位についた。だが……この国は神話の国として世界中から一目を置かれていたが、その実、遥か西の帝国の武力には足元にも及ばない。だが邪神の力を意のままに操れればどうだ? あやつもいずれ、膝を折ろうな」
恐ろしく自分勝手なもの言いは、子どものような無邪気さで語られた。
自分が一番でないと、気が済まない。
たったそれだけの為に。
「この国がどうなろうと、構わないというの!?」
そんなことの為に、悲劇を迎えた人がどれだけいるか。
それだけの為に、どれほどの人の心に傷を負わせたか。
信じられない。
こんな人が、国を背負っていただなんて
「勇ましいのぉ、聖女よ。おっと、動くなよ若造ども」
国王が私に気を取られている間に、近寄ろうとしていた人たちを制止する。
首に突き付けられたナイフが、わずかに肉に食い込んだ。
ピリッとした痛みが走る。
少し切れたのだろう。
ジワリと血がにじんでいるのが分かった。
人質に取られていては、仲間たちもうかつに動けない。
緊張状態の中、国王はそのまま玉座へと向かった。
「この城に邪神が封じられていることは突き止めていたようだな。だが、それがどこかまでは分からんかったか」
国王は笑いながら、玉座の上についていた赤い宝石にナイフを向けた。
――ガキン
何かが外れる音がして、玉が転がり落ちる。
埋まっていた玉が消え去りできたくぼみに、何かが見えた。
黒に染まった、何かが……。
「っ!」
その黒い何かが姿を現した瞬間、謁見の間にいた誰しもが息を呑んだ。
禍々しいほどの邪気が膨れ上がり、全身が粟立って仕方がない。
ほんの少しの隙間から見えているだけなのに、圧倒的なプレッシャーをはなっているのだ。
あれは、外に出してはいけないと、ひっきりなしに警鐘が鳴っている。
「封印の在処は、ずっとここにあったのだ。誰しもが見張り続けることができ、なおかつそこにあっても違和感のない場所に、な。玉座こそ、地下にまで届く楔だ! そして今! 封印を解くための贄を用意した!」
そう言って私の血がついたナイフを、玉座に突き刺した。
地面がゆれだす。
なにかが、這い上がってこようとしているのがわかった。