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燭罪  作者: 野乃草 一
偽る名
1/4

ほたる

エブリスタにて投稿中長編現代ファンタジー。

初「なろう」の投稿なため不慣れですが、よろしくお願いします。

高校生活もうすぐ二年目終盤、まだ時折吐息が白い三月。  俺は出会った。

平凡だった色抜けた日常に光が生まれるほどの、世界を変えた人。




高校からの帰り道、駅前の駐輪場でいつものように停めていた自転車の鍵を回す。


  さて、今日の特売の店は...


なんてまるで主婦のように思いながらハンドルを引く。

学生と自転車の草原からコンクリートの道に出た瞬間、思いがけない衝動に自転車が傾いた。

「おっ」

と声を上げる頃には派手な音を立てそれは倒れた。背後から前触れもなく突っ込んできた女性は自転車と並んで道端に膝をついている。

「おいおい、大丈夫か?」

肩で呼吸をする女性に声をかけつつ、

カゴから落ちた自分の荷物はさておき、

女性が落としたであろう財布に手を伸ばす。

長い黒髪の女性は私服ではあるが同じ歳程の顔つきで、同じ様に財布に手を伸ばした。

━━━━━━━その手には黒い手袋。

同時に財布に指が触れると、女性は慌てて

手を引いて立ち上がり、近くに落ちていたオレの財布を...


「待った!それ俺の」


聞こえない程に慌てているのか

財布を拾うと一目散に駆け出した。


「.....。」


突然のことで声を荒げる事も出来ずに呆然とする。女性は全く気づく気配もなく人波に姿を消した。


  嘘だろ


思わずうなだれる。

一週間分の食費が...

果てしなく落ち込む事すら、背後の自転車による渋滞に止められた。


どうする。とりあえず交番に届けるか?

人の流れを塞がぬように道端に自転車を停め、拾った財布を見る。


「いたか?」

顔を上げるとスーツ姿の男が数人集まってひそひそと話している。

「いや、..こっちに逃げたと思うんだが」

「まだ遠くには行ってないはずだ。

駅からも連絡は」

そう言いかけ、男の一人が耳元に手をあてる。一緒にいた男達も同じ仕草をすると駅

目掛けて駆けていった。

怪しげな集団を見送ると我に返り財布を開けてみた。


めっちゃ金持ちだな、羨ましいぞコラ


ところ狭しに並ぶ福沢諭吉の集団に少し腹が立ちながら身元が分かりそうな物がないか探した。   カードが一枚だけ。

ポイントカードでも、保険証でもなく、

IDカードのような物が一枚。

顔写真がさっきの女性。

会社だろうか?住所が割りと近くだったので届けることにした。


ツイてない。でも今晩のメシがかかってる。

さっさと返して、食費を取り返さなければ


勇み足で清水 仙寺(しみず せんじ)は自転車をこぎ始めた。




駅前から徒歩30分位だろうか

住宅地であるにも関わらず人まだらな一画区。目の前には高さ2mほどの塀がずっしりと建っている。


住所だとこの辺なんだけどな..


辺りを見回すも長い塀が続くばかりで住宅らしき表札が見当たらない。

何かの施設か、工場か..入り口があれば聞けもするがそれも見当たらない。

途方に暮れていると、何やら塀の向こうが騒がしくなった。

人の怒鳴り声と大勢の走り回っているような足音。


良かった人がいる。


塀の向こう側へボールを投げ込むように声をかけようと上を見て、それを遮られた。

急に頭上が影を帯び、声が出なかった。

相手も同じらしく、目を見開き口元が動いたが声にならなかった。

━━━塀の上から人が降ってきたのである。

思わず自転車から手を離し、落下してきた人影の腹部に手を回し支えることに成功した。

よく見ると落ちてきた人影は探していたあの少女らしかった。

本日二度目の転倒に自転車が悲鳴を上げる。


良かった、俺の財布。


安堵して、声をかけようと口を開くのもつかの間。少女は自転車も俺も全く気に留めること無く、また走りだし路地裏へと入っていった。

またもや呆然としてしまうと背後から男の声。

「今、女が逃げてこなかったか」

駅前でも見かけた格好の男が息を切らしながら走ってくる。


「あっち行きましたけど」


指差すと礼を言うでもなく耳元に手をあて

ぶつぶつと何か言いながら駆け抜けていった。

とりあえず、自転車を起こしながら男の姿が見えなくなるのを確認すると少女が入っていった路地裏を覗き込む。


「行ったみたいだぞ」


行き止まりに自動販売機と電柱だけが建っている。その物陰から様子を伺うように少女の片目が出てきた。

辺りに耳を傾けながら少女は姿を現し、自分の横を通りすぎようと歩みを早めた。


「ちょい待ち」

少女の右手首を掴んでそれを止める。

  返せよ 俺の財布

そう言おうと口を開いた瞬間、少女は勢いよく手を振り払い 


「触るな!」


強い拒絶。

まるで痴漢にでも間違われたみたいだ。

腹が立つよりなぜだろう、純粋にショックを受けた。

「何..だよ。手首掴んだだけだろ」

「死にたくなかったらわたしに触るな!」

もう一度、強い口調に怒鳴られ立場か無い。

「....悪かったな」

ふてくされたように出た言葉。

それでも謝ったのは少女が耐えられない程の痛みを自分が掴んだ手首に感じているように見えたからだ。

それほど力もいれてなかったが掴まれた手首を仙寺の視線から遮えぎるように胸元で抱く。

本当に...俺が何をしたっていうんだ。

ただ、落とした財布を届けに来ただけだ

ってのに


少女にため息混じりに財布を見せる。

一瞬、少女は何のことかわからない顔をした。

「駅でぶつかったろ、コイツと」

自転車のサドルを二・三度叩くと思い出したようで、小さく あぁ と声を洩らした。

「で、俺の財布をお前が持って行っちまったの」

 あぁ… とまた小さく声が洩れたが少女は動く気配がない。

「いや..だから俺の財布」

「あるわけないだろ」

けろりと少女は言ってのけ、やっと人の顔を見た。


「はぁっ?!」


驚愕の声を上げると少女は両手を少し広げ身体検査でも受けるような仕草をした。

手荷物一つ無く、手術の際に患者が着る薄い服を着ている。

こんな状態であるわけないだろ と

言いたいようだ。

「じゃあ俺の財布は?」

「知るか」

せっかく届けてやったのに冷たく言い放つと少女は横をすり抜けた。

絶望感を味わいながらも、自分の手にまだ

あの財布があることを思い出す。

「おい、この財布」


辺りを素早く見回しながら少女は答えること無く歩いていく。

やり場の無い絶望感と自分の不運を吐き出すように、仙寺は深いため息をつくと自転車に股がり少女の前に出た。


「乗れよ」


何を言っているのか、少女はわからないようだった。

自分でも何をしているのかわからない、ただ

「その格好じゃ目立つし、お前裸足だろ」

逃げるのに必死で気づかなかったのか、足先が赤くなっている。

 あぁ… とまた小さく少女は呟いた。

が、少女はまたまた動かない。


見ず知らずの自分が急に変なことを言い出すので不信がっているのだろうか

「早くしないとさっきの奴

  戻って来ちまうぞ」

そう言っても少女はぴくりともしない。

どうしたものかと悩みながら少女の顔を見ると小さく何か呟いた。

「は? 何?」

聞き取れず耳を近づけると少女は困ったように、言いづらそうに

「..乗ったこと無いんだ」

           小さく呟いた。 



はぁっ?!  

思わず大声で言いそうになり口を開けた、が声にはしなかった。

少女が恥ずかしそうに顔を背けたからだ。

 どこのお嬢様だよ。 なんて思いつつ

溜め息をつく。

「いいから、ここ座れ」

ぶっきらぼうに後ろの荷台を叩くと戸惑いながら少女は腰掛けた。

「ちゃんと掴まってろよ」

乗り方がわからなくて黙っていたのか

痴漢のような扱いを受けただけに「顔上げろよ」


絶対、嫌だ と少女は頭を背に押し付けた。


「何ビビってんだお前、

いいから顔上げろって」


聞こえていないふりの少女を坂の勾配が押し上げる。

制服の背中をより強く引っ張られたかと思うとすぐに弛んだ。

風が少女の髪を舞い上げ、言葉にならない声が小さく聞こえた。

「気持ちいいだろ」

下り坂、緩い角度だがかなり距離があって先がだいぶ下に見える。顔は見えないが、背中にくっついていた感触はない。

怖がってはいないようだ。


「もっと早く」


「落ちんなよ」

思いがけず楽しげな声音。

調子に乗って立ち上がりスビードを上げた。



今度はナンパ男みたいに思われなくて

良かった と心の隅で安堵する。

「掴まるって……」

どこにだよ 少女の言葉を遮って思いっきりペダルを踏み込む。

小さな段差でもあったのか自転車が大きく揺れた。━━━━━━━━ ガタンッ

カゴの中の荷物が跳ねると同時に背中から

小さな悲鳴と温かい衝撃。頭でもぶつけたのかと思ったら制服の背にしがみついていた。

顔も上げられないようだ。

順調にスピードに乗って風が顔を撫でていく。


まだ肌寒い、それでも若草の匂いが春を告げる。  雨露にぬれた草の匂い。



「顔上げろよ」


絶対、嫌だ と少女は頭を背に押し付けた。


「何ビビってんだお前、

いいから顔上げろって」


聞こえていないふりの少女を坂の勾配が押し上げる。

制服の背中をより強く引っ張られたかと思うとすぐに弛んだ。

風が少女の髪を舞い上げ、言葉にならない声が小さく聞こえた。

「気持ちいいだろ」

下り坂、緩い角度だがかなり距離があって先がだいぶ下に見える。顔は見えないが、背中にくっついていた感触はない。

怖がってはいないようだ。


「もっと早く」


「落ちんなよ」

思いがけず楽しげな声音。

調子に乗って立ち上がりスビードを上げた。





   *   *   *


自転車を知らないわけじゃなかった。

なんとなく乗り方も見たことがあり、

知っている。

ただ、移動はほとんどが車で、窓を開けたこともなかったから。

こんなに風を感じたことがなくて

全身を風が巻き上げて

どこか遠くへ運んでくれないかと

少女は祈った。


けれど、坂はやがて終わり暫く走ると一件の家に止まった。

「あ゛ぁ..無駄に体力使った。」

青年は脱力しながら自転車を降りた。

それに倣うと自転車を定位置に運びいれると玄関の鍵を開ける。


辺りを見回す。

公園からの帰りかサッカーボールを持った小学生が友達と駆けていく。

スーパーの袋を下げ、急ぎ足で歩く女性。

季節の変わり目で日が長くなってきていた

夕日も青みがかってきた。


自分だけ取り残された。

暗がりに置き去りにされているように感じた。

「...今更」

自分の影を見つめ呟いた。



「なに突っ立ってんだ、来いよ」

玄関の戸を片手で押し広げ青年がタオルを投げた。胸元で両手にとまるように落ち着いたタオルはほのかに暖かかった。

「足、拭いてから入れよ。掃除すんの大変なんだからな」

そう言うと青年はさっさと家の奥に行ってしまう。

完全に彼のペースに流され玄関に入った。

段差に腰をかけ足を拭く。

なりふりかまわず逃げたから足の皮が擦れ、赤くなっていた。じんじんと今更痛みに気がついて、小刻みに震えるほど冷えきっていた。

        けれど

人の気配がない家の静寂と玄関の磨りガラスからこほれる夕日の残り香。  

急に緊張の糸が切れて、少女は倒れ込むように眠りについてしまった。


   *   *   *


しっかし、どうしたものか。


我ながら自分の行動に呆れながら冷蔵庫を開ける。

財布を届けに行っただけなのに、

どうしてこうなってしまったのか

中身の食材を確認し、月並みにチャーハンと即決する。

まあ...何とかなるだろ。

色々考えるのも面倒臭くなって、飲み物だけ取って閉めた。

ペットボトルの水をグラスに注ぐのも面倒になってそのまま口に流し込む。


「ただいまぁって、..仙兄ぃぃぃ!?」


玄関が開いたと思ったら弟の叫び声。

やれやれ、今度は何だ。

ぐったりと重たくなった体を労るでもなく、玄関を覗き込む。

(ほこら)どうした」

「どうしたもこうしたも、この人どうしたの」

驚いて学生鞄を思わず両腕で抱え、弟は言う。玄関では手術着に裸足で倒れ込んでいる少女。

「あぁ~..寝ちまってるな」

「寝ちまってるなって、何処の病院から誘拐して来たのさ」

「はぁ?」

「とりあえず、風邪引いちゃうからそっち連れていって」

弟に最もなことを言われ仕方なく少女を抱き上げる。また痴漢扱いされないよう速やかにソファに運ぶ。


「..父さん」


胸元で少女が小さく呟いた。

慌ててソファに寝かせると少女の目から涙が伝い落ちた。

「.....。」

ただ静かに、少女の肩にタオルケットをかける。


「で、誰なのその人」


部屋から着替えを持ってきて祠が言う。

「さあ」

「さぁって...。仙兄、

猫や犬拾ってきたんじゃないんだからさ」

驚きというより呆れて弟が言う。

「この辺で一番でかい病院にいるんだから

聞けばわかるだろ」

その声に少女は目を覚ました。

体を起こして部屋を見回す。

「あ、起きた。

どうも、弟の祠と申します。

この度は兄が大変ご迷惑を」

笑顔で話しかける弟にすかさずツッコミを入れる。

「誰が迷惑だ。むしろ迷惑被ったのはこっち。財布は無くなるわ、自転車はキズだらけだわ、食費ねぇから買い物にも行けないわ」

「は?何、財布無くしたの」

「コイツに持ってかれて行方不明」

顎で少女を差すと溜め息をつき台所へ向かう。

祠は少女の前に着替えを置くと

「オレのお古で申し訳ないけど、良かったらそっち洗面所」

玄関の向かい側のドアを指差した。

礼を言うでもなく、少女は着替えに手を伸ばす。その両手は黒い手袋で被われている。

不思議そうに見つめると少女は視線から逃げるように洗面所へ駆けていった。



「で、食費無くしたからチャーハン……」


自分の着替えを済ませ台所へ向かうと、制服の上にエプロンをつけた3つ歳上の兄がフライパンを振っている。

「しょうがねぇだろ、文句言うなら食うな」

「鬼だよね、ただでさえ頭使ってカロリー消費してんのに、受験生にチャーハンで我慢しろって。それでも兄貴?家計やりくり下手なんじゃない?」

「お前の小遣いひいたろか」

苛立って言い返すと弟は尚も人を鬼呼ばわりした。

乱暴にチャーハンを盛り付けた皿をカウンターに置くと、静かに少女がリビング入り口から除く込んでいる。


「お、ぴったり」


声を上げた祠は来月から中学三年、身長は170cm程。男物なのでパーカーはぶかぶかだがジーンズ丈は丁度良かったようだ。

「丁度出来たから一緒食うか」

そう言うと祠がダイニングテーブルへ運んでいく。

一皿取り残された分を少女が見ているので

「それは(すずり)さんのだから。」

と、祠が言った。

「兄貴の分。帰る時間あてになんねぇから」

と付け足した。


少女が大人しく空いた席に着くと二人揃って手を合わせ「いただきます」と食べ始めた。

「...いただきます」

小さく手を合わせるとぎこちなくスプーンでチャーハンを口に運ぶ少女に祠が笑いかける。

「お口に合うかわかりませんが」

「お前が言うな」

美味しいとも不味いとも言わない少女は不自然な程顔を合わさず少しずつ食べている。


「で、名前何て言うの? 歳は?」


成り行きで家に連れて来てしまった兄の代わりに弟が何気なく問う。

「 ほ 」


「ほ?」

答えるつもりが無かったのか、思わず出た音に少し戸惑いながら交互に二人の顔を見た。

「...ほたる。 17 」

「仙兄と同い年か。高校は?」

この調子で身元を聞き出そうとしていた祠だったが、ほたるはもう答えなかった。

ささやかな夕食を食べ終え、二人が手を合わせるとほたるもそれに倣った。

丁度その時、物音と共に玄関から人が歩いて来た。

「あ、お帰り硯さん」

「ただーいま」

不機嫌そうに上着を脱ぎながらリビングに入ってきては車の鍵を壁掛けに掛けた。

「おや、お客さんがいる」

眼鏡を一度外し、掛け直すとじっとほたるの顔を見て挨拶した。

「こいつらの保護者の硯です。初めまして」

歳は30代ほど、身長が仙寺と祠の中間の男に軽く頭を下げたものの、黙ったままのほたる。代わりに向かい側に座る祠が紹介した。

「名前はほたるさんで、17歳だって。」

「ほたる...ちゃんね」

腑に落ちない顔をしながら名前を繰り返し、ほたるを見返した。

前髪も長く、頭から腰近くまで伸びた長い黒髪、整った顔の色は悪く、鋭い目つきも疲れているように見えた。病院で会ったのかもしれないと思い納得したが、ふと、テーブルの下に隠すように組んだ両手に視線が止まった。


「どうかした?」


祠が不思議そうな顔で聞いたが、硯は答える代わりに振り向き、カウンターに置かれた夕飯に目を向けた。

「で、何でチャーハン」

視線の先にはそそくさと食器を洗っている次男坊。

「買い物行けなかったんだって」

「ふーん...」

背後から近づく足音。洗うものがなくなり、仙寺は恐る恐る肩越しに振り向き兄を見た。


「せ・ん・じ・く~ん?」


振り返るより先に肩から腕が回り


「昨日しっかり食費渡したよな、久々に早く帰るからってリクエストもしたなぁ」


首をホールド。

「ちょ、待て待て!」

苦しそうに、プロレス技をかけてくる兄の腕を叩く。



「気にしなくていいよ。

 いつもああやってじゃれてるから」


祠はにっこりと笑い、ほたるに言った。

「それよりご家族は?

心配してるんじゃない?」

二人の様子を見ていたほたるは俯いて押し黙る。


硯の腕が緩み、仙寺は抜け出すと兄に事のあらすじを話した。

「てことで、抜け出して来た病院とか知らねぇの?」

兄に耳打ちするが硯は答えない。




「とりあえず連絡だけでもしておかないと」


祠は優しく諭そうとするが、ほたるはきつく唇を噛んだ。



その時、硯の携帯がなった。

「はい清水です」

話しながらも出かける準備をする。

硯は大学病院の医者で日常茶飯事なのだと祠が説明する。

仙寺は溜め息をつきながらテーブルを拭き始めた。

「どういうつもりだったか知らねぇけど、

あんま親とか心配かけんなよ」

「...うるさい」

怒ったのか服の上から胸元にある何かを掴んでほたるは立ち上がった。

  どこ行くんだよ  そう声をかけようとして今度は家の固定電話が鳴った。

祠がそれを耳にあて、振り向き声を荒げる。


「じいちゃん倒れたって!」


その声を聞いて、硯は電話先に患者の名前を確認した。

それは紛れもなく、祖父の名だった。


ほたるを家に残し、三人は病院へ急いだ。

両親を事故でなくして以来、兄弟を息子のように可愛がり育ててくれた祖父は、ベットの上で心電図をつけ眠っている。



「しっかりしろよ、じいちゃん」


祠が悲痛に祖父の体を揺すった。

反応は無い。担当した医師によれば駅の

トイレに倒れていたところを発見されたが、

すでに心停止していたという。

救命の医者は手術中、研修医しか残っておらず心筋梗塞の恐れから外科医の硯に連絡が

来たのだという。

血栓はすぐに抜けたのか心臓は再び動き出したが、意識が戻らない。

どれくらい倒れていたのか、82歳という高齢もあってもう目を覚ますことは叶わないだろう。

硯は静かに弟達に説明した。


「オレ嫌だよ。じいちゃんと釣り行く約束してんだもん」

「祠」

すぐ隣に立っていた仙寺が弟の肩に手を乗せる。  甲高いブザーの音に心電図のランプが赤に点灯しだした。

慌てて硯がナースコールを押し、心臓マッサージを始める。


「じいちゃんっ、じいちゃん!」

困惑するし、駆け寄ろうとする祠の肩を仙寺が抑えた。


何も言えなかった。

祠みたいに死ぬなって叫びたいのに。

兄貴が言うように歳を考えればしょうがないっていうこともわかってる。

どうすることも出来ない事だって・・・  分かってる。


騒がしく看護婦やら救命医が入ってきても

状況は何も変わらなくて、祠が落ち着くまで硯は心臓マッサージを続けた。

5分経ったか、10分経ったか...

集まっていた職員も部屋を去って、一人ずっとマッサージを続ける硯から汗が雫となって何度も落ちる。

これだけやっても駄目だったんだ

もう無理なんだって言ってるようだ。

きっと兄貴は俺と祠が もういい と言う

まで、ずっと続けるだろう。


「祠、じいさんに言いたいことねぇのかよ」


ポツンと仙寺は呟いた。

「もう子供(ガキ)じゃねえんだ。

ちゃんと伝えて別れようぜ」

仙寺がそう言い祖父の元へ行くと硯はマッサージを止めた。

玉のような汗を腕で拭うと大きく乱れた呼吸を整える。


「...ありがとな、じいさん」


祖父の顔を今一度じっくりと見る。

昔はよく叱られ、怒鳴りつけられ、恐ろしい顔だっと思った。しかし今横たわるその顔は

皺だらけ、白髪だらけ、威厳はあるが

優しい顔をしていた。祠も泣き出しそうな目をしながら別れの言葉を伝え、三人は一度、病室を出た。

仙寺と祠は建物内のコンビニへ飲み物を買いに行き、硯はスタッフルームに報告を入れ

自分の机に腰を下ろした。

体全体で大きく息をする。

うなだれたまま思わず額に手をあてた。


気を遣って職員は誰もいなかった。

泣くような歳じゃない。

人の死に困惑するようなことももう無い。

どこかで線引きをしてしまうようになった。

仕方の無い事だ。何にでも限界はある。

   それでも....

「やっぱりもの悲しくなるものだよな..」

天井を仰ぐ。

故人がふよふよ浮きながら様子を見に来ていそうな気がしたからだ。

気を取り直すようにもう一度静かに息を吐く。━━━━━━と、廊下を人影が通りすぎて行った。

見覚えがある。  少女のようだった。

静かに立ち上がり、入り口から通路を覗き込む。しかし、そこにはもう人影らしきものは無かった。


「...ほたる..ちゃん?」


呟くとほぼ同時にナースコール。

祖父の部屋からだった。


祠と仙寺が待つ病室に看護士と駆け込む。

思わず看護士は悲鳴を上げた。

ベットから体を起こし、

目を丸くしているのはまぎれもなく数分前に別れをすました相手。


「何事だ。大きい声出して」


懐かしい祖父の声。


死んだはずの祖父が生き返っていた。






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