幽霊についての考察
「幽霊っていないと思う」
「何を藪から棒に…幽霊?いるかもしれないじゃん」
「いや、いたら恐いからいない」
「何の根拠もなしか…しかも恐いからって…」
____幽霊を怖がるなんて、ずいぶんらしくない。
「人間てさー終わりがあるから生きていられると思うんだよね」
「うん?」
「生きものはいつか死ぬだろ?だから安心して生きられると思うんだ。だって、終わりがないまま、ゴールも見えないまま、ずっと生きているっていうのは苦難以外の何物でもない。いつか死っていうやすらぎが手に入ると確信しているからこそ、生きていられる」
「でも…でも死ぬのは恐いよ?」
「それでも、それでも永遠を生きるよりはずっといい」
死にたがっているわけではないとわかっているけれど、時々、彼は生きていたくないんじゃないかと思ってしまう。
「俺は今、生きているだろ?そして考えている、何かを思って、思考している」
「たまにそれが苦しくなるんだよ」
彼は、昔からよくわからないことで悩む人だった。
ある日1日中ずっと何かを考えて考えて考えて、夕方やっと口を開いたかと思えば、
「ここに、時を止めることのできる機械があると仮定する。それを使用している本人以外の時が止まる。使用しているやつは、動くことができる。機械を解除すればまた世界は動きだす。」
「つまりは周囲の時は止まっているのに、そいつの時は止まっていないんだ。1秒でも使用すれば、それだけ解除した時に周囲との時間の流れに差が表れる。ズレが生じる。」
「で、ここからが本題だ。時を止めたままでもそいつの時間はどんどん流れていく、つまりは年をとる。時が止まったままの世界でそいつが老衰でも心臓発作でもいいがとにかく機械を解除しないまま死んだ。時は止まったままだ。世界はどうなる?」
「時間という概念は対象があって成り立つ。時間を時間と意識する者がいて初めて時間は時間になる」
「止まった世界は時間の流れがない」
「しかし止まるという現象は時間の上に成り立つはずだ。使用者が生きているうちはいい。そいつが時間を意識する。でも死んでしまったらどうなる?腐敗して風化するという時の流れはあるかもしれない。しかしいつか消滅する。その時、世界はどうなるんだ?永遠という概念も成り立たなくなるのに、永久に止まり続けるのか?」
なんてくだらないことを延々と考えているのだろう、と呆れに近い感嘆さえ覚えた。だいたい、ありもしない機械を使った仮定をそんなに小難しく考える必要なんてまったくないのに。
ほかにもありがちな「卵が先か、鶏が先か」で本当に倒れるほど悩んでいるのを見たときは呆れ返ってものも言えなかった。
しかし、彼も好きで考えているのではないらしい。
無の境地、というものを知らない彼の脳は、彼に常に思考することを要求するのだそうだ。
どんなささいな疑問さえ、見逃すことを許してくれない。気になって気になって、知らず知らずに深く考え続けてしまう。
そして、起きているうち、いや夢まで思考に侵されるという苦痛は、想像以上に彼から生きる気力を奪っていったのだろう。
だから、彼はこんなにも生きることに執着しないのだろうか。
_____夢さえ見ない永遠の眠りに焦がれるのだろうか。
「幽霊がいるってことは魂もあるだろう。死後の世界も存在するかもしれない。たとえば周囲に認められなかった恋人たちが心中したとする。それはあの世で結ばれたいって気持ちがあったからだ。でも死後の世界でまた会うことができたとしても、一つ忘れていることがある」
「なに?」
「死後の世界、あの世にはそいつらの先祖や先に逝った知り合いたちがいるってことさ。あの世でも反対されたら逃げ場はもうどこにもない」
「うーそういえばそうね」
「あの世に行かずに浮遊霊や地縛霊になったとしても、ずっとずっとそのままでいるってことは辛いよ。死んでからも重荷を背負っている。終わらない日常を繰り返し続けるのは辛い。辛いと意識するのが辛い」
「人間関係に疲れて、でもがんばって、やっと終わったと思ったらまた死んだ後にも世界がある。しかも輪廻転生がなければ今度は永遠だ。転生するとしたら終わらない輪をまた永遠に繰り返し続ける。だとしたら、いつ、休めるんだ?本当に安らげるのはいつだろう」
「だから俺は幽霊が恐い。その存在が恐いんじゃなくて、存在するっていう事実があったら恐いんだ」
彼はたぶん何も考えなくていい時間が欲しいんだと思う。全部を忘れてなくしても、たとえ自分が消滅してもそれを望むんだ。
永遠の終わりこそ、彼が最も願うもの。
ならば永遠の続きを示唆する幽霊の存在はとても恐いに違いない。
_____でも、それでも
「でもさ、でも生きることは楽しいよ?たった百年じゃ、足りないよ」
わたしは彼を見つめながら言った。
わたしの考えはきっとどうしようもなく無責任なエゴなのだろう。
それでも。
「美しいものはどんどん生まれてくる、今この瞬間にも。まだ世界中の本を読み切ってない、美味しいものも食べきっていない。行ったことがない場所ばかりだし、見たことがないものもたくさんある。綺麗な歌ももっと聞きたいし、大きな声で歌いたい。猫を撫でるのは気持ちがいいし、お昼寝やひなたぼっこも大好きだよ。それに―――」
言葉にならないこの想いを、どうやって彼に伝えよう
幽霊のことなんて、死んでから考えればいい。死んだ後なんて知ったことじゃない。
_____ねぇ、どうしたら今、そしてわたしを見てくれる?
そんな先の、途方も無い未来ばかりを見ていないで、わたしを見て?わたしのことだけ考えて?
途中で言葉を切ったわたしを、彼がじっと見つめている。
まるで、今まで悩んでいた問題、これから悩むであろう問題の、すべての答えをわたしが知っていると信じているかのように、何かを切望する瞳で、わたしだけを見ている。
わたしは答えを知らない。
だけど、今、伝えよう。
_____わたしが彼に贈れる、唯一のものを。
「一緒に考えよう。きみの問いがすべて消えるまで、ずっときみのそばにいるよ。何も考えることがなくなれば、さっぱりして安心して終わり迎えられる。」
「ずっと?」
「ずっと」
「一緒に?」
「そう、一緒に」
全部解けるまで。問いが消えても。
わたしの永遠を君に贈ろう。
照れたようにうつむいて、素直じゃない彼がつぶやいた。
_____それは、悪くないね。