第90話 ドゥームルーラー
その名前を聞いたとき、俺は事の真相に思い至った。
滅亡の支配者とドゥームルーラーは同一人物。
だが、重要なのはそこではない。
――最上セレネ。
それが……最上さんのフルネームだったのか。
珍しい名前だ。
全国を探せばそれなりには居そうだが、街ひとつならひとり居るか居ないかの。
だからなのか……!
名前は魔術、魔法に多大な影響を及ぼす。
滅亡の支配者――セレーネの素体となるべき人格は、言ってしまえば誰でも良かったのだ。
終わりの街で死んだ人間――
そう、ヒュドラに弓引く理由がある者なら誰でも。
その『役割』は、たまたま似ていた名前の魂を引き寄せた。
それこそが。
最上さんの記憶と人格を持つドゥームフィーンドが、俺の目の前に居る理由。
ドゥームダンジョンは架空の物語。
歴史上にそのモデルとなった、類似した事件があったわけではない。
そうではなく、順番が逆――
ヒュドラに滅ぼされた街。
そして新たな可能性の駒として迷宮に配置された死者の魂。
後から現実に起こった事件のほうが、その物語の構造に似ていたのだ。
滅亡の悪魔――亡国の死者たちにとって、ヒュドラへの復讐は現実の出来事だった。
それらの願いすらも、ヒュドラの思惑通り。
滅亡の迷宮という架空の物語で補強することによって、その恐るべき魔法――《終わりの街》を丸ごと飲み込んだ蠱毒の如き術式は完成に至る。
後は……どちらかの陣営が死に絶えるまで戦うのみ。
「図に乗るなよセレーネ! 迷宮維持に力を割いている今の貴様自身は、たいした実力では――」
レッドライダーの叫びは、大気を切り裂く轟音に掻き消される。
その音は、上から降ってきた。
完全に意識から外れていた。
俺は色々とテンパってたせいかもしれないが、何故誰も気付かなかったんだ。
いや、気付いてはいたのか?
だが……それはいつもそこに居て、自分たちに攻撃を仕掛けるなどとは想像もしていなかったのか?
遥か上空から一瞬で降下してきたワイバーンは、その巨大な両の鉤爪でブラックライダーとペイルライダーを掴むと再び飛び上がった。
ふたりの騎士は必死にもがくが為す術もなく空に攫われる。
ワイバーンはそのまま川向こうへ飛び去ってしまった。
突風で巻き上がる長い髪をなびかせ、セレーネが宣言する。
「これで半分――次はあなたたちです」
「な……!」
「貴様……」
モンスターを操る力……!
俺は傍らに居るコボルドを見た。
そうか……そういうことだったのか。
コボルドはやはり斥候役だ。
ただしその主はセレーネで、目的は俺の手助けをすることだった。
白騎士が弓を番え、赤の騎士が駆ける。
先程も言われていた通り、召喚士は本体が弱点ということか。
俺は障壁から出られないし、セルベールは――
動こうともしていない! というか既に剣すら手に持ってない!
なにしてんのあいつ???
セレーネが三日月の杖を振るう。
水平に展開された対物理障壁が、高速回転しながら赤の騎士へと向かう。
赤の騎士は上段に振り被った大剣を飛来する障壁に叩きつけようとして――
だがその剣は、頭上に現れたもう一枚の障壁に防がれた。
胴体に直撃した障壁は鎧を粉砕し、赤の騎士を横に両断する。
障壁の回転に巻き込まれたレッドライダーの上半身は横回転しながら空中に跳ね上げられ、光の粒子となって砕け散った。
残された白騎士は、苦し紛れに散弾のような矢を放つと、振り返って退却しようとする。
だが。
白騎士の目の前の空間から突然何かが生える。
あれは――エーコのステルスローブと同じ系統の魔法。
そこにあったのは、恐らくセレーネによる隠蔽魔法だ。
その『魔法そのもの』を斬り裂いた首刈り《アギト》が、空中から突如現れたように見えたのだ。
ホワイトライダーは隠蔽魔法もろとも縦に両断され、その生命に終止符を打たれた。
「借りは返させてもらったぞ」
霧散した隠蔽魔法の中から現れたブレードは、そう言って刀を納める。
「ひとまず終わったようですね」
そして、俺の周囲に展開していた障壁魔法も消えていった。
誰と、何から話したものだろうか。
「えっと、とりあえずブレード。無事だったか」
「うむ。おぬしが危険を承知で転移魔法を使わねば、あの場で終わっていたであろう。礼を言う」
「礼には及ばねえよ。……むしろアレのせいで死んでたかもしれないし。それにまあ、色々お互い様だ」
「ドゥームルーラーがおぬしの知己だと分かっていれば、もう少しやりようもあったのだがな」
「セルベールの奴は知ってたみたいだが……」
そのセルベールはセレーネに声をかけている。
「ところでセレーネ殿」
「瀬麗音です。次に間違えたら毟りますよ」
「……セレネ殿」
おいおい、用件はいいのかよセルベール。
顔が引きつってるぞ?
そうだな、俺もセレーネ……いや、最上さんと話をしないと。
青い髪を眺めていたら、彼女はこちらに振り返った。
その目で見つめられると、話しかけようにもなんかちょっと緊張する。
なんでだ? この初めて味わうような感情は一体……?
「最上さん、助けてくれてありがとう。コボルドのことも」
「……はい」
中身は最上さんといっても外見は全然知らない人だ。
いや、知らん人というか。
ゲームでも現実でもボコった記憶しかない顔なので……。
あっ。この感情の正体――――罪悪感だなこれ?
「それにしても最上さんの下の名前、初めて知ったよ」
「……………………え? 先輩は私の名前、覚えてなかったんですか?」
「えっ? いや普通知らないのでは……?」
名札もシフトも、苗字しか書いてなかったぞ?
「私一度名乗りましたよ。苗字が普通だって言われたときに」
「そうだっけ?」
「……………………」
「最上さん?」
「瀬麗音」
「はい?」
「私を呼ぶときは瀬麗音です。二度と忘れないように」
「……セレネ」
間違えたら毟られるの?
無表情なのに凄まじい圧だ。これが裏ボスの力……!
セルベールがニヤニヤとこちらを見ている。はっ倒すぞテメー。
次にセレネはブレードに視線を向けたが、自分は関係ないとばかりにブレードは明後日の方角を向いていた。かしこい。
「そういえばブレード」
「なんだ? ドゥームルーラー」
「私の分身体を刀の錆にしてくれたみたいですが?」
「オロチを見るなり仕掛けてきたのは向こうのほうだぞ」
「……それなら仕方ありませんね」
分身体……?
あー、亡国の王女のことね。
あれはセレネのコピーモンスターだったのか。
多分ゲーム中でも似たような設定なんだろう。王女の影武者的な。
それともあれは――
夢幻の街と同じく、本物の王女が見ている夢の一部だったのか。
「それでセレネ殿。《亡国の王女》と《復讐の騎士》は……」
「無理。再召喚できませんでした。そこまでの権限は与えられていないようです。つまりあなたもブレードも、一度死んだらそれまでだと思います」
「やはりそうか。四騎士を始末してしまった以上、ここは戦場になる。もう引き払ったほうが良いであろうな」
ちょっと気になるところがあったので質問してみる。
「セレネ、その権限ってのは」
「私は創造主の力を一部代行しているだけなので、ドゥームフィーンドを創造する力は無いんです」
確かに、ダンマスというにはセレネの力は中途半端だ。
「死んだフィーンドは再召喚できますが、使役できる数と強さには上限があります。私が使役できないレベルのフィーンドだと、再召喚も無理だと今回判明しました」
強い奴は復活できないのね。なるほど。
亡国の王女と復讐の騎士が駄目なら、セルベールとブレードは無理だろうな。
なら――
「街の人たちは?」
「あれは不完全なドゥームフィーンドなので私の管轄外なんです。なので何も出来ません。すみません……」
具体的なことを何も言ってないのに謝られてしまった。
元より、復活が無理なら小木さんのことは黙っているつもりだったが。
でも、知ってるのかもな。
というか、知ってて当然か……。
「迷宮に初期配置されていたフィーンドの数は、私のキャパを超えていました。でも今は数も減って、セルベールとブレード以外は私の指揮下に入っています。もう先輩を襲うこともないかと」
ということは、ワイバーンも最初は制御不能だったのか。
だから四騎士も警戒していなかったんだな。
「私は……これからどうしたらいいでしょうか」
セレネの表情は変わらないが、困ったような感情は伝わってくる。
それはそうだ。
人間としての記憶と人格を持ったまま、ずっとこの迷宮の奥に居たのだから。
いくら頑強な身体と精神の器があったとしても、その不安は如何許りか。
「地上に来ないか? モニク――今地上に居る超越者は敵対しなければ襲ってくることはないし、他のヒュドラ生物も近付いてこない」
「分かりました。少し準備してきますので待っててください」
そしてセレネは近くの建物の中に引っ込んでいった。
荷物でも置いてあるんだろうか?
「流石はオロチ殿。冥王殿とは既に話を付けてくれたのだな」
「メイオウ?」
「《死の超越者》の尊称だよ」
「ふーん? モニクならお前らの好きにすればって言ってたぜ。機嫌を損ねたら秒でスライスされるから気を付けろよ?」
「…………覚えておこう」
ハイドラやブレードへの対応を見た感じ、モニクは無意味な戦いはしない。
だからセレネは大丈夫だろうが、こいつは危なっかしい……。
せいぜいヒラキにされないようにするんだな。
あと、腹に穴を開けられたことは不問にしといてやる。
こっちも殺る気だったしお互い様だろう。
ひとつ分かったこと。『復讐の王女』とはヒュドラやセルベールやウィリアムが、セレネに勝手に期待している『役割』であって、本人は全く気乗りしていないってことだな。
だから彼女は今までこの街から出てこなかったし、セレーネと呼ばれることを好まないのだろう。




