第46話 ワーウルフ
狼人間は悠然と歩いてくる。
正攻法で勝てるとはとても思えない。熊人間の時点でもだいぶ厳しかった。
「そんなに爪が長いとメシが食いづらいだろ?」
軽口で煽ってみるものの無反応。
こいつもバジリスク製なら、言葉とかは解さないだろうけどな。
それにあいつが造るヒュドラ生物だと、たとえ喋れてもまともに交渉できるとは思えん。
ところでヒュドラ生物ってメシ食うんだろうか?
未だに謎。水も飲めないような生物だからなあ。
水が飲めないならお酒を飲んだらいいじゃない。
あと目の前のあいつは頭部が狼だし、別にメシ食うのに手は必要ないか……。
とか考えてるうちに、狼人間は水魔法の射程距離に入った。
俺は即座に水魔法を発動させる。
だが、狼の頭部に展開した水は、次の瞬間に掻き消えた。
水魔法が……効かない?
こいつ、水を消失させやがった!
こんな魔法を使うヤツは初めてだ。
もしかして、俺の魔法に対抗するためにこんな力を与えられたのか?
いや、それは自意識過剰か?
今まで戦った相手が俺を想定した能力だったことなんて一度も無い。
俺は敵にとって、取るに足らない存在なのだ。
単に弱点を補うために想定された能力かもしれないな。
狼人間は地を蹴った。
熊人間よりも更に速い!
だがどれだけ速かろうと、離れた場所から突進してくる相手を躱すのはそこまで難しくはない。
俺は斜め前方にダッシュして、すれ違うように突進を避ける。
狼人間は手を伸ばし、俺の頭を目掛けて爪を振るう。
コンバットナイフのような五本の爪が視界を塞ぐ。
倒れ込むように身を低くし、辛うじて躱した。
冗談じゃねえ。
あんな攻撃を頭に受けたら、ゆでたまごスライサーみたいになっちゃうだろうが。
俺は地面に手を突くと前転して更に反転、狼人間を再び視界に捉える。
狼人間も反転して、ドリフトのように地面を滑る。
さっきよりも距離が近くなった。
近付けば近付くほど、突進を避けるのが難しくなる。
いかん、これでは俺が輪切りにされるのも時間の問題だ。
そうだ、さっきと場所が入れ替わったのだから、このまま走って逃げるのはどうだろうか。
バジリスクだって追ってはこなかった――
いや、あんときとは状況が違うな。
バジリスクが追ってこなかったのは、遠距離攻撃が得意で自分が走る必要がなかったからだ。ブレスを当ててしまえばあとは勝手に相手がくたばる。もし逃げられてもその先には門番がいる。
狼人間はどうか。
こいつは接近戦で戦うタイプだ。
だから逃げれば当然本体が追っかけてくる。
明らかに俺よりも足が速い。
それに門番という役割から、通行者を看過するとは思えない。
でも中から外に出る場合は、ほっとかれる可能性もあるな?
門番ってのは、侵入者が中に入るのを防ぐ役割というのが相場だ。
いよいよとなったら逃げるのも選択肢に入れよう。
とにかく、逃げて追っかけてこられると背後から攻撃されることになる。
それは最後の手段だ。
狼人間はゆらゆらと動きながら次の攻撃動作の溜めを作る。
見え見えの動きなのに、簡単に躱せる気が全然しない。
こいつの動きは速すぎる。もし水魔法が有効だとしても、魔法を発現させた場所から即座に逃げてしまうに違いない。
攻撃を当てるための隙……物理的な隙でも精神的な隙でもいい。
それをどうにかして作らなければならない。
地面が爆発するような気配と共に狼人間が動く。
先程と同じように、すれ違うように躱すことを試みる。
すると狼人間は、下からすくい上げるように爪を振るってきた。
やはりワンパターンは通用しないか!
俺は《情報収納》からバックラーを具現化した。
かつてシーフが装備してた円盾だ。
盾の表面に巨大な爪が激突し火花を散らす。
円盾の表面を滑らせるように爪を受け流し、相手の身体の外側に逃げるように動いた。
そのまま相手から距離を取り、再び反転して次の攻撃に備える。
一度目の攻撃は躱し、二度目の攻撃は躱し切れずに防御した。
次はどうなる。
狼人間は再びこちらを向くと、低い唸り声を上げる。
心なしか表情も険しい。怒ってるのか?
感情があるのなら、付け入る隙もあるかもな。
だがこいつは、今度は突進の構えを取らずにじりじりと近付いてきた。
あ、ヤバい。これは俺が苦手とするパターンだ。
動きの速い相手に挑まれる超接近戦ほど難しいものはない。
バックラーを前方に構えて待ち受ける。
手が少し痺れている。そう何度も直撃を受けられるものではない。
手斧を盾の裏側に隠した。
攻撃の軌道を読まれないための小細工。そう、小細工だ。
こんなことをしている時点で、如何に俺の勝ちの目が薄いのかが分かろうというもの。
この状態では、大振りの強力な一撃を出すことが出来ない。
しかし当てられる気がしないし、当たっても果たしてどれだけのダメージを与えられるのか。
狼人間が腕を引く。間合いに入るまでもうあと一歩程度しかない。
そして、踏み込みと同時に攻撃が放たれた。
その攻撃は突きだった。
五本の爪を、正中線に向けて真っ直ぐに突き込んでくる。
バックラーは攻撃を受け流す盾だ。
これでは盾の表面を滑らせ逸らせたとしても、体のどこかに攻撃を受けてしまう。
咄嗟に盾を前方へと突き出した。
インパクトの位置をできるだけ身体から遠ざける。
攻撃の場所を誘導するため、盾の中央ではなく上半分で受ける。
そして滑り出るように出現した爪に向けて――
迎え撃つように手斧を押し当てに行った。
手斧の刃が怪しげな光を放つ。
刃は狼人間の小指と薬指の間にすっぽりと嵌まった。
そのまま指の股に食い込むと掌を斬り裂き、爪の先端は俺の顔の直前で一時停止した。
狼人間の目が驚愕に見開かれる。
正直俺もびっくりしました。こんなに斬れるとは思わなんだ。
俺は慌てて後ろに飛び退いた。
手斧はスルリと狼人間の掌から抜ける。
そして狼人間も同時に後ろに飛び退いていた。
予想外の反撃に慎重になったのか。
これは……普通に斬り合っても勝てる可能性が出てきたか?
いや、こいつの対応力は高い。こちらの動きのパターンをどんどん学習している。
たとえ攻撃力が充分だとしても、やはり接近戦での勝ち目は薄い。
狼人間は手の甲をこちらに向けて斬られた掌を持ち上げる。
小指は斬り裂かれた掌ごとダラリと垂れ下がり、落ちてしまいそうですらあった。
だが、信じ難いことが起こった。
斬られた掌が徐々に持ち上がり、根本から再生してつながっていく。
おいおい、マジかよ!
こいつには再生能力まであるってのか。
これでは半端な傷では端から再生されて倒すことが出来ない。
いくら切れ味が良くとも、手斧でこいつを一撃で倒すのは困難だ。
狼人間の顔が凶悪な表情に歪んだように見えた。
やはり感情があるのかもしれない。
圧倒的な差を見せつけられて、俺は「詰んだ」と思っている。
そう考えているのかもしれない。
しかし――
再生中の今、こいつは動きを止めてしまっている。
距離も少し離れている。
初めて見せたな……明確な『隙』を!
アレを使うなら今しかない。
俺は狼人間の周囲に向けて、収納に入れておいた『武器』を出現させた。
白い霧のようなものが辺りに立ち込める。
狼人間は突如発現したそれを消し去ろうと、消失魔法を発動させた。
だが、消えない――
当然だ。
お前はそれを消せるように造られてはいない。
お前の創造主にとって、それは都合が悪いことなんだ。
発現と同時に範囲外に逃げていれば、致命傷は避けられたかもしれない。
しかし動きを止めていたせいで、消失魔法に頼ってしまったのがお前の敗因だ。
狼人間の動きに焦りのようなものが見え始める。
攻撃動作に移るが、手足がぶるぶると震え始めた。
俺を攻撃しようにも、もうまともに動くことは出来ない。
「そいつは効くだろ? ヒュドラ生物の息の根すら止める、バジリスクの《石化毒》だ!」
そう、俺がバジリスクの攻撃を受けたときに試みた石化ブレスの防御とは、ブレスそのものを《収納》することだ。
流石に無理があって全然防御しきれなかったが、それなりの量のブレスが収納されたままとなっていた。
それを収納から引き出し、狼人間の周りにブチ撒けたのだ。
バジリスクは自分で倒せないような部下など造るまい。
あるいは石化毒に耐えるヒュドラ生物など、百頭竜には造れないのかもしれないが。
かつて俺は、通常のヒュドラ毒も試しに収納してみたことがある。
そのときは、対ヒュドラ生物の役に立たないだろうからとすぐに捨てた。
だがこの石化毒なら話は別。
雑魚戦では今のところ最強の武器といってもいい。
ただし使うと俺も危険。それに今ので使い切ってしまった。
……ちょっともったいない。
狼人間はやがて色を失い、そのまま石となって動きを止めた。
 




