第25話 魔法
「なるほど、あの蛇か」
モニクにも心当たりがあるようだ。
「確かにあれは、この街のヒュドラ生物の中では頭ひとつ抜けた存在だね。創造主との相性がいいのだろう。今のキミが戦うには厳しい相手でもある」
創造主ね。やっぱヘビの化け物なんだろうか。
「ボクが直接手を下しては意味がないのだろう。なら、助言くらいはしてもいいのかな?」
それは是非お願いします。
俺はコクコクと頷いた。
もっと声を出せ、俺。
「えっと……聞きたいのは。ヒュドラって、水に弱いの?」
頑張って声を出した。
「正確には、まずヒュドラ自身にそのような弱点はない。そしてヒュドラ生物も、水そのものではダメージを負うことはない。水はヒュドラ毒の弱点だ」
ヒュドラ毒……ヒュドラ生物はヒュドラ毒の中でしか生きられない。
ということは。
「ヒュドラ毒は、水の……たくさんあるところでは発生できない?」
「その通り。強すぎる力はときに大きな制約を伴う。この世ならざる猛毒であるヒュドラ毒は、大量の水のそばでは溶けて消えてしまう。たとえ橋の上だろうが、河川の上空では存在できないのだ。雨の中だと五分五分といったところだろう」
水に溶ける。
それはまるで――『混ぜるな危険』でお馴染みの……
「塩素ガスかな?」
間違えて声に出た。今の無しで。
「くっ」
あの……? モニクさん?
今ひょっとして噴き出しそうになるのこらえました?
「コホン……まあ特徴的な部分は似ていなくもないね。でも全然別のものだから肝に銘じておきたまえ」
「はい」
なんか取り繕わせちゃったじゃねえか!
気を付けてしゃべれよな俺……。
「あと、全てのヒュドラ生物がその弱点を持っているわけではない。外部でも活動できる強力な個体もいる。数は少ないから、恐らく各封鎖地域に一体ずつくらいしかいないだろう」
ヒュドラという化け物だけで、世界全ての封鎖地域を造り出して支配するというのは想像も付かなかった。しかし、そういう中ボスみたいな奴らがいるわけか。
数は少ないったって、封鎖地域と同じ数なら日本だけでも数十体は居ることになる。
だんだん全体像が見えてきたな。
「この街に、最初はヒュドラ生物が居なかったように思うんだけど」
「ヒュドラ毒は地下にあるヒュドラの巣から大地を侵食し、しかる後に大気を汚染する。地下の巣は封鎖地域全域に渡っているが、出入り口は西の隣街にしかなかった」
ヒュドラ生物は巣から出てくるのか?
橋を渡れないから西の隣街にしか居なかったということだな。
でも今は。
「もしかして、駅の北には」
「そう、巣の新たな出入り口がある」
やはりそうか。五月十五日の地震は駅の北側で地面に穴を開けたから起きたんだな。
そしてこの街にもヒュドラ生物が出入りするようになった。
俺は推測を声に出して整理する。
「奴らは雨に弱いから、巣の出入り口からあまり離れない個体がいる……? ネズミは建物に入り込めるし鳥は移動が早い……だけどあの蛇は」
「まさにキミの言う通り、あの蛇がここまで攻めてこない理由はそれだ。地下の巣だって普通は水が流れ込むのだがね。巣の主によって浸水を防ぐ結界が張られている」
こちらから討って出るしか、奴を倒す方法はないわけか。
あれ? もしかして近付かずにスルーしてればいいのでは?
……いや駄目だ。地下への出入り口が今後も増える可能性がある。
それに。
「生物の種類は増えるのかな? 遠距離移動と強さを兼ね備えたような……」
「ヒュドラ生物は地元の捕食された生物を素に造られてはいる。でも在来種を模倣するのは初期段階だけだと思う。記憶の中から強い生物を再現し創造できる――眷属召喚。それがヒュドラの本来の魔法だ」
「魔法?」
「そう、魔法だよ。人間の異能持ちは、超越者や自分たちが使う超常の力を魔法と呼称している。代表的な異能が《魔女》だから、というのも理由のひとつかな」
そういや魔女狩りとか言ってたもんな。
え? 居るの魔女?
見てみたいような関わりたくないような……。
それじゃあ今言ってたケンゾクショウカンってのは眷属、召喚か。
フィクションっぽいというか、まさに人間が考えた呼称って感じだな。
捕食からの再生という正体不明のおぞましい行為。それが名前を与えられた途端に、形を定められたひとつの技術に成り下がってしまったような感覚がある。
これも人間が超越者に対抗するための知恵の一環なのだろうか。
なるほど、異能持ちとかいう連中に少し興味が湧いてきた。
だがそれより重要なのは、今後はもっと強いヒュドラ生物が現れるかもしれないってことだよな。記憶をもとに創造できるってんなら在来種だけじゃなくて、それこそ虎とかが出てきてもおかしくないのか。
どうすれば奴らに対抗できる……?
「その魔法ってのは人間の異能持ちでも使えるみたいだけど、異能が《魔女》とかじゃないと駄目なのかな?」
「魔法ならキミは既に使えているよ」
ふーん……ってどれだよ!?
あ、異能自体がもう魔法にカテゴライズされてるとかそういう?
「封鎖地域内で死んだ生物はヒュドラに捕食される。それはヒュドラ生物になったものが再び死ぬときでも例外ではない。でもキミは自分で殺したヒュドラ生物に限り、それを横取りしているよね」
……え?
俺がなんかヒュドラ生物を駆除する度に強くなる、あの謎現象のことか?
「人間が魔法を使うには、異能持ちのように超常の領域に片足を突っ込んでいる者という前提条件がある。その他の条件はふたつ。望むことと疑わないことだ。他にもなくはないが、当面はそれだけ覚えておけばいい」
最初の条件はクリアしている。あとは望むこと、疑わないこと……。
「望むこと。例えば人間を殺しその命を喰らい使役すること。それはヒュドラには出来てもキミには出来ない。ならキミが望むこととは?」
俺が望むこと? あの蛇をブッ倒す以外に? いや、蛇を倒す手段が欲しいとか倒した後どうするとか、そう考えると色々あるか。
「疑わないこと。実現不可能だと思ったらその時点で魔法は成立しない。キミが実現可能だと思うことはなんだい?」
魔法とか以前なら絶対信じなかったけど、この目で実際に見てしまったものは……。あまりに色々ありすぎたからな。
望むこと……疑わないこと……。
ふと、停電したコンビニで目覚めたときのことを思い出す。
忘れもしない五月十六日。
あの不安に満ちた絶望の状況の中で、俺の中に浮かび上がった思考……。
「仇――」
仇は討ってやるからな――
「俺は……俺はヒュドラ生物にされてしまった奴らの、無念を晴らしたかったのか……? そんなことは誰にも望まれちゃいない。そもそもあの日、ヒュドラに殺されたことを誰も認識していない。動物たちに至っては、そんな知性さえないというのに――」
「そう。生者が死者に出来ることなんてない。死者を弔うのは生者のための行いなんだ。それがキミの望み――死者を弔い、死者の力を我がものとして敵を討つ。それがキミが無自覚に発動していた魔法だ。そしてキミはその一点において、超越者ヒュドラをも出し抜くことが出来ている」
「俺はやっぱり、ヒュドラと同じ捕食を?」
「結果が同じでも過程が違う。それにキミではヒュドラ生物以外の命を喰らうことは出来ないよ。望まないのだから。封鎖地域の外でも無理だ。ヒュドラの捕食に乗っかった能力だからね。つまりキミの捕食……いや、継承とでもいうべきか。その魔法は対ヒュドラ生物に特化したものなんだ。対ヒュドラ毒に特化した破毒の影響でもあるのだろう」
継承……命を喰らうのではなく受け継ぐ的な。
ものは言い様だ。
ヒュドラも俺も、死者を材料に争っているだけじゃないのか。
それは冒涜では……。
いや、冒涜というのも生者のための言葉なのか――
だが、もう後戻りは出来ない。
死んだものは戻ってはこない。
なら俺は、ヒュドラ生物を利用してでも俺の望むようにする。
俺は無言でモニクに頷いた。
モニクも頷き返す。
「補足するならば……。疑わないこと。これはキミが直接ヒュドラの魔法を目の当たりにしているからだな。だからヒュドラのそれに酷似した魔法を使うことが出来る。皮肉なことだが、キミの魔法の最初の師匠はヒュドラであるともいえる。これはキミが魔法の能力を伸ばそうとするに当たって、大きなヒントになるだろう」
「……覚えておくよ」
嫌悪感なんてものは捨て置くまでだ。
利用できるのならば、ヒュドラ本体をも利用してみせる。
「ヒュドラの巣についても気になるんだけど。放っておいたらどれくらいヤバい?」
「それはボクにも分かりかねるな。ヒュドラの力の底が見えない。今の状態が限界なのか。これからもっと被害範囲を広げるつもりなのか。悪いほうを想定して動くべきだとは思うけどね」
そうだな。それに異論はない。
いずれは巣も調べる必要があるだろうか。
「地下の巣ってどんな場所なんだろう……洞穴的な、あるいは地下道?」
「いや、もっと規模が大きくて複雑だ。地下迷宮と言ったほうが分かりやすいかな」
地下迷宮……どっかでそんな話を聞いたような。
それは確か。
「ダンジョン?」
「ん? ……ああ、人間は地下迷宮をそう呼ぶこともあるのだったね」
ダンジョン。そうだダンジョンだ。
封鎖地域の中にはダンジョンがあるって話だった。
いや、そんな噂はどこにもなかった。
そんなことを言っていたのは、俺の知る限りひとりしかいない。
あいつ、何者だ……?
 




