第145話 昔日の地のエトランゼ
新たな衛兵たちが、地下牢の老人――皇帝を引っ立ててきた。
いや、衛兵たちにとってこいつはカダなんだったな。
「ご苦労。後は任せておきたまえ」
セルベールの奴、よく衛兵を手懐けられたもんだ。
ニセの皇帝に疑問を抱く派閥でもあったのかね。
まずは本物のカダの肉体を石化させ、転魂玉によってカダと皇帝の魂を入れ替え元に戻す。
そして本物の皇帝の石化を解き、衛兵たちに引き渡した。
天叢雲剣は魂を封じるコズミック・クラフト。
魂の入れ替え時に、カダの封印を試みたのだが上手くいかなかった。
剣の中に戻った俺は、再び能力の大半が使えなくなっている。
未来ではシュウダ以外の九つ首は健在なのだ。
やはりこの時点では無理ということか。
「その御方は本物の皇帝陛下だ。丁重に扱いたまえ」
獅子の獣人、皇帝ネメアはまだ上手く喋れないようだ。
しばらく絶対安静だな。
兵たちは半信半疑のようではあるものの、目の前で見せられた石化魔法や、皇帝の具合が優れないという事実の前に、大人しくセルベールの指示に従っていた。
カダの手下で原型を留めている石像は地下牢に、砕けた者たちは埋葬するように指示が出された。
牢に入れられた手下たちの石化を解除して回る。こいつらは貴重な証人だ。
カダについては少し迷ったが、石化したままだとセルベールみたいに後の世で復活してしまう可能性が残る。
石化解除した後のカダは、ただ虚ろな目で地面を見つめ続けるだけだった。
数日後、俺たちは再び皇城に呼び出された。
通されたのは謁見の間ではなく、狭い会議室。
皇帝の配下は僅かな側近を残すのみ。
席に着いているのも皇帝、シュウダ、セルベールだけである。
「その剣の中に居るのが、悪神オロチであると?」
皇帝にはもう俺の声は聴こえず、ウィスプも見えないらしい。
あのときはカダの肉体だったからだろうか?
魂への交信も、心身共にほぼ無防備な相手にしか通用しない。
今はもう無理だ。
だが、もう必要ない。
「あの地下牢でそなたに会ったことは覚えておる。此度は大儀であった。我が一族の祖である百頭竜ネメアは……オロチは敵ではあるが、同胞の未来を救う可能性がある者と伝えてもいる。そのお言葉は真実であった」
それは……カオスがそうであるように、血族の未来に保険をかけまくった上での発言、行動なんだよな。
ヒュドラが敗れても、ドゥームフィーンドやネメアの民が生き残れるように。
ネメア人の一部で悪神を肯定するような言い伝えがあるのも、その一環なのだろう。
なんとも強かなことだ……。
まあいい。
最初の思惑がどうあれ、この皇帝が憎めない人物であることに変わりはない。
会議はセルベールとシュウダに任せ、俺は黙って話を聞いていた。
コズミック・クラフト――この席では六合器とされているが、その危険性についての再確認。
皇帝はその権力で、シュウダは各地を旅してそれを集め、封印するという方向に話が進んだ。
時系列はやや異なるが、大筋は後世に伝えられている通りだな。
この時代に来た頃、三人の《九つ首》が誰も見つからなかったことを思い出す。
一介の武人であるシュウダに皇帝とのつながりがあることは、後世では疑問視されている向きもある。
そりゃそうだ。
そのため六合器についての密談は、シュウダが有名になった晩年の頃の話と伝えられているのだ。
しかしそれだと今の皇帝は寿命で死んでいることになる。
だから辻褄合わせとして、シュウダの活躍した時代は事実よりも少し昔のことだと、未来ではそう解釈されているのである。
史実と事実は違う。歴史書とは、かくもいい加減なものであったか。
まあシュウダは歴史書というよりも、物語の登場人物ではあるのだが。
南東にある《始まりの神殿》に向けて、俺たちは旅立った。
ひと月程度の旅だったが、道中様々な揉め事に巻き込まれた。
未来の歴史書や英雄物語が厚くなるな。
その間セルベールは三回裏切り、うち一回はキレたシュウダに本気で追いかけ回されていた。
雷光歩から逃げ切るとか、あいつはやっぱり侮れんな。
――未来で魔王城が建つ東の森。その海岸にて。
砂浜の上は切り立った崖になっており、未来の森でもわざわざ海辺に降りる者は居ない。
そこには、小さな洞窟があった。
「つまり反動を小出しにしていけば、いずれ宇宙の歪みは収束し、滅びは避けられるという道理なわけだね。途方も無い時間がかかろうが」
コズミック・クラフトも使い方次第でその役に立つわけか。
でも、そのコズミック・クラフトがそもそもの元凶なんだよな。
宇宙レベルのマッチポンプだわ。
「しかしコズミック・ディザスターの本体である『ヴリトラ』は、既に目覚め動き出している。これを凌がねばこの星に未来はねえってことだな」
それが簡単に出来れば苦労は無い。
事態は既に手遅れだからこそ、あのアネモネをして「不可能」と言わしめているのだ。
転魂玉を取り出しセルベールは言う。
「本当にいいのかね? 今ならまだ間に合う。シュウダ殿の魂を天叢雲剣に封じ、コズミック・ヒュドラの妨害をすることは可能であろう」
シュウダは何も言い返さず、黙って俺の返事を待っていた。
『いらねえよ』
――それは、俺の戦い方じゃないからだ。
「オロチ殿は今まで、己の戦い方を貫き通してここまできた」
セルベールは転魂玉を放り、シュウダがそれを受け止める。
「ならば吾輩も、それを信じない道理はない」
東の森の海岸。
そこにある小さな洞窟から出てきた人影はひとつのみ。
その人影はシュウダだ。
セルベールはもういない。
「良かったのか? あれで」
『あいつの戦場は、この時代じゃないからな』
「なあ、オロチ……」
立ち止まって、シュウダは言った。
「コズミック・ヒュドラの完成を妨害するための策がある」
このネメア帝国の歴史に於いて、お前以上に物事を暴力で解決できる人間はいないと思うんだが、その脳筋のお前が思い付く策……?
「やはり、オレがこの剣の魂となろう」
でたよ、自己犠牲。
やっぱ脳筋が思い付く策なんて――
「遥か未来で、今度はオレがお前の剣になってやる」
……………………。
『……お前はこの時代の人間に必要とされてるんだぞ。英雄シュウダの伝説はまだまだこれからだ。それに、未来ではお前の魂は――』
「ならば、このような案はどうだ?」
そして、シュウダはその策を語る。
魔法ではなく道術、道士というよりは剣士。
そのはずのシュウダが語った策は、意外なほどに魔法の核心を突いていた。
呼び名が違うだけで、やはり道術にも魔法と同じような原則があるのだろう。
「どうだ? その方向で何かいい手はないか? 本当のお前――悪神オロチの魔法はすげえんだろ?」
『その方法は……。人によっては――考えようによっては、死ぬよりも辛いことなんじゃないか?』
「考えようによっては、だ。オレにとって、そんなものはそこまで大事なわけではない」
その言葉はシュウダの本心のように思える。
ならば、その策に乗るのもアリだろうか。
――それは重要だけれども、重要ではない。
如何にしてそれを実行するか、思考を重ねる。
そして、全ての考察、模索、作戦が頭の中でひとつにつながった瞬間。
俺は、自分が過去世界における使命を果たしたという確信を得た。
『見えた、勝機が…………シュウダ、俺は――』
「見つけたのか? 方法を!」
最後に、剣の中に情報を残す。
俺の記憶の中から、それを刻み込む。
シュウダに伝えることは、これで全てだ……。
『元の時代に……帰れる時が……来た』
「え? おい! もう行っちまうのか? オロチ――――」
どうやったら帰れるんだっけか。
……………………。
ああ、そうか。思い出した。
そろそろ、モニクに会いたいかな……。




