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桜子さんの奥様劇場

鈴蘭忌

作者: 秋の桜子

 ――、卯月のある日。


 所要で八幡様に参っていると、咲き誇る桜の花の下、珍しい光景を目にした。木のたもとに参拝客目当ての、小さな茶屋が店を出しており、大きな唐傘の下、赤い毛氈が掛けられた縁台で、夫婦睦まじく甘酒を飲む幼馴染の姿。


 ……、へえ、珍しい。


 邪魔をしてはいけないと思い、そそくさと用を済ますと場を離れた。幼馴染である彼は虚弱で小さい頃は、ほぼ屋敷内で過ごしていたのだが、大きくなるにつれ、それなりに体力が付き出歩ける様になると……、


 ホロホロ、ほろほろと、花咲く上を舞う蝶の如く気儘に遊び歩く事を覚えたのだ。身体に障るからやめろと何度も言ったのだが。


 馬の耳に念仏。あくせく働かなくても良いのだから……、そう言い浮世を楽しむ幼馴染。昔は元気になったら、家業を手伝うと言っていた、友はすっかり様変わりしていた。





 ――、水無月の近く。


 遊び人と自らのたまう幼馴染が死んだ。仕事から帰ると自宅に訃報が届いていた。


 数珠を手に飛んで行った。




 ……、点てた線香の煙がすぅ……、と縦に昇る。遊びが過ぎたんでしょうな。心臓発作ですよ。身体が弱いのにも関わらず、ほっつき歩くからこんな事に。手広く商売をやっている彼の両親が素っ気なく話す。


「ありがとうございます。生前はお見舞いもよく来ていただき、仲良くしてくださって、主人も喜んでいましたわ」


 テキパキとそう言い、頭を下げる彼女は両親が勝手に選んだと、幼馴染が生前ぼやいていた妻。傍らに座っている、丸い大きな目が友によく似ている幼い娘。ごあいさつをなさい、母親の声に素直に従う。


「こんばんは、佐川のおじちゃま」


 きちんとかしこまり、畳に手をつき頭を下げる姿を、祖父母に当たる彼の両親が、満足そうに目を細めて見ていた。遅くなりました……、ざわつく中で後から声。


「手に終えん放蕩息子だったが……、ああ、こっちに来なさい」


 話す父親が手招きをした。隣に座る男が独り。さり気なく横目で見て驚く。北枕の友が生き返って来たかの様な……、よく似た顔貌、違いは右にひとつある泣き黒子。


「お久しぶりです。義父さん」


 そう言うと畳に手をつき頭を下げた彼。ついて身体を取り回すと、この度は……と頭を下げてくる。慌ててそれに応じた。


「佐川君は初めてだっかの、京一郎の弟だ。母親は違うがな、今迄別宅にいた。裕二朗、こちらは佐川屋の跡取りさんだ、京一郎とは幼馴染でな」


「初めまして、これからよろしくお願い致します」


 これから……、出されていた庶腹の息子を呼び寄せた。しかも親類縁者、取引先が集まるこの場に。それは眼の前の弟が跡取りとのお披露目になる。


「よろしくな、事が片付いたらここに住まう故」


 父親が満足そうにそう言うと、一杯どうかね、と幼い頃からの気軽さで隣の間に誘う。


 散々、悪所通いで家に迷惑をかけていたのを知ってはいたが、あまりの薄情さに何やら友が哀れになった。   


 断ろうとしたのだが、付き合いもあり、そちらに向かうべく立ち上がる。煙が香りと共に昇る枕元に目をやると、奴が愛した庭の鈴蘭が一輪。器で大きな葉に顔を隠し俯き咲いていた。静かに座る彼の母親と妻、娘だけが大きな目に涙を浮かべていた。




 ――、皐月のある日。


 黄色い檸檬と蜂蜜を一瓶持ち友を訪ねた。最近、悪所で具合を悪くし、倒れ家に帰ったと噂で聞いたから。行ってみると案の定、主人は今寝込んでいますわと、玄関先で言われる。


「あ。じゃぁこれを」


 茶色の紙袋を手渡そうとすると、上がるように言われた。彼女の後ろをついて歩く。進む縁側の窓は薫風が入る様、開け放たれていた。手入れの行き届いた見事な庭がある。


 子供の頃、友が元気な時はそこでよく遊んだ。もいで遊んだ梅の緑の葉が濃い。その下には、確か鈴蘭があったはず、俯き咲くよな白い可憐な花を思い出す。


「ああ、君か……、見舞いなら、女の方がいいのに」


 部屋に入ると素っ気ない言い方をされた。おいおい、と布団の傍らに座り込む。


「奥さんの前で言うなよな、わざわざ重いのを運んできたのにその言い草かよ。ほらコレ持ってきた、何時もの……」


「ああ……、ありがとう、お前だけだな。女みたいなの好きなの知ってるの。全く……、小さい頃から薬ばっかり、飽きたよもう……ゴホゴホ!」


 咳き込む彼。慌てて薬の用意をする妻。起き上がるのを手助けした。彼女が枕元の硝子の水差しから、水をコップに注いだ。激しく咳き込む彼、苦労して薬を飲みこむ


「……、ふう。ちっとも……効きやしない」


「ホロホロ遊び歩いているからだ!」


 ヒュウヒュウ鳴らす奴の背を擦る。手のひらに背骨がこつり……、相変わらず細いな、食ってるか?と声をかけた。苦味で顔をしかめた夫に、硝子の器の蓋を開け、蜂蜜に漬け込んでいる檸檬と、染み出したエキスで甘酸っぱく出来上がっているシロップを使い水で割り、レモネードを作り差し出す妻。


「さあ……」


 それをこくんと一口。飲み終えると、そろりと横になる友。布団を着せかける彼女。枕元には青い切子にタンポポが活けられている。


「そうですわ、大人しく寝てて下さい、鈴子も心配してますのよ、こうしてお花を持ってきたり、お元気になられたら旦那様とお散歩に行くそうですよ」


「鈴子だけだな……、心配してくれるのは」


 頭を動かし花を見る。


「そういや桃の節句や、端午の節句にこれを飲めと、運んできたなぁ……」


「ええ、桃の花や菖蒲の水でしたわね」


 水?そこに引っかかる。


「酒の間違いじゃぁ……」


 夫婦の会話にそろりとツッコミを入れた。


「ふ、ククク、この家じゃ、僕に酒を出してくれる者は居ない」


「当たり前でしてよ。酒は百薬の長と申しますが、旦那様には当てはまりませんもの」


 ……、空気が軋む。堅苦しいのは嫌いだ。そう呟く幼馴染。その時、奥様、と呼びに来た小僧の声。隣接している表の店で何かあったらしい。


「行って、大人しく寝てるから」


 そう言うとそっぽを向いた。では、誰かに来てもらいますと、彼女が水差しを持ち、しとやかに部屋を出ていく。雪見障子が閉められ足音が遠のく。不貞腐れている彼に声をかけた。


「夜遊びばかりするからだ、自業自得だな!弱っちい癖に……、いい加減、大人しく家に居たらどうだ?」


「家?どうでもいいよ。そう……、僕の役目は終わってるよ、終わってるから遊ぶんだ……、代わりはいるし、な。クク。身代潰そうかな」


 ヤケな事を話す。


「うーん。身代潰すのはどうかと思う、代わりって番頭とかだろ、それじゃぁ奥さんや子供はどうなる。お前の役目は大人しく長生きだろ?そういやこの前、元気そうだったのに、何やらかしたらこうなるんだ?」


「そこは、元気になって働けと言うところだ!お前、それでも幼馴染か?この前って、何処かで会ったか?お前は真面目だから出会う事はない筈」


「長い付き合いだからなぁ……、今更元気になれとは言えない、ああ、八幡様で夫婦仲良くいただろ?」


 先の月で見たことを話す。目を閉じ何かを考える幼馴染。気分でも悪くなったかと心配し始めていると。


「忘れたよ、うん、良いんだ、そうかなとは思ってた」


 目を開け淋しげに笑いながら、自分に言い聞かすように呟いた。


「疲れた……、寝てばかりなのに、駄目だ」


 ポツリという友。


「鈴子位の年だったかな。もっと元気だった気がする、お前と庭で遊んで……、今はそう、鈴蘭が尖った芽出してる?」


「いや、もうそろそろ花が咲いてるだろ」


「そういや庭に降りたこと最近無いな、鈴子からは誘われるけど……」


「元気になってそれ位してやれ、父親なんだから……」


 軽く咳き込む幼馴染。喋りすぎた、寝るから帰れよ、と布団を引き上げる。じゃぁ、帰るけど……、コレ置いとくか?持ってきた紙袋に手をかけた。


「ああ、台所に持って行ってくれ、ああ……、早く気楽になりたいな。空に流れる雲みたく……」


 そう言うと目を閉じた。しばらくそのままで過ごし、眠ったのを見届けると、紙袋を持ち立ち上がり静かに障子を開け廊下に出た。





「あの……」


 偶然だろうか。向かった台所で彼女が居た。寝たので帰ります。そう言うと紙袋を差し出した。ありがとうございます。受け取る幼馴染の妻。その時、パタパタと軽い足音が近づいて来た。


「おかあさま、おとうさまがよんでる」


「お客様の前ですよ」


 幼い娘を嗜める彼女。こんにちわ。ぴょこんと頭を下げる幼馴染によく似た子供。こんにちわ、と返事を返すと、また顔見に来ます。そう言い台所を後にした。


「あのね、おとうさま、すずらんみたいって」


「ああ、もう咲いていたわね。お父様は鈴蘭が大好きなの、あなたの名前もそこからもらったのよ」


「うん、まえに、なまえだけは、おとうさまのものって、いってた」 


 母子の会話に送られ、その日はおいとまをした。




 幼馴染とはそれが最後。




 ――、水無月の近く。


 遅くまで勧められるままに酒を呑んだ。伽をしてもよいかと聞けば、そうしてやってくれと言われた。酔いを冷ましに縁側で座る。


 梅雨が近いのか、水気の多い夜気が、庭に生茂る緑の呼気を吸い込み染まっている。そのままゴロリと横になる。目の前には梅の木、夜の闇に溶けて足元は見えない。


 酔いが回ったのか、眠くなる。幼馴染と遊んだ庭を眺めながら、眠るのもいいかもしれない。座敷では、弔問客がヒソヒソと囁いていたから。


 ……、良い跡取り息子さんがいて……、こう言っちゃ何ですがお兄様は……、それよりご存知?あの奥様と弟さんとは……、まあ!本当ですの?



 知らぬ顔をしようと思う。



「おじちゃま……」


 ひそりとした声に起こされた。


「おとうさまも ここで よくねてた」


 ペタンと座る娘。遅いのに寝れないの?と聞く。


「ううん、おべんじょ かえり」


 おかっぱ頭をサリサリとふった。後の部屋から流れる線香の香り、伽の為に起きてる者の静かなざわめき。


「おとうさま おはなのおみずのんだの」


 ポツリと話す幼子。


「すずらん」


「……、間違えたんだな。きっと」


 ……、鈴蘭を活けていた水を誤って飲み込み、幼い子供が死んだ話を何処かで聞いたことがある。友は心臓も丈夫ではなかった。


 友によく似ている大きな丸い目が見てくる。

 弟だという男と同じ場所に泣き黒子ひとつ。


 まいったな。気が付かなくても良いことを気付いてしまった。


「こんなところに、すみません」


 探しに来た母親。いらっしゃい、と抱き上げる。頭を下げると、そのまま離れて行った。ぼんやりと庭を見る。声が聴こえる。



「忘れたよ、うん、良いんだ、そうかなとは思ってた」



 そうだよ、な。お前が子供を授かるなんて、あちこち女遊びを繰り返してたのは……、


 もしかして、だったのか。外に出来たとはついぞ聴かなかったよ。悔やむ気持ちが膨らみ胸をキリキリと突く。暗い庭を眺めていたからか、夜目が利く様になっている。靴脱ぎ石の上に幼馴染の草履がある。


 それを履き、庭に降り立つ。梅の木に向かうとしゃがみ込む。目を凝らす。薄らと鈴蘭の様な姿が幾つか。


 ……、いらぬ事を喋った。そうかな……。お前は、知っていたのか。知ってたんだな。変に敏い奴だったし……。



 ホロホロと涙があふれ溢れる

 ポロポロと涙が頬伝い流れる。

 パタパタと涙が続いて落ちる。



「空に流れる雲みたくなりたいな」



 うん、今は空を見ても星しかない。夜だから当たり前だけど……、明日は晴れるよ、満天の星空だ。青空になるよ。きっと……、



 スイ、と星が流れた。



 それを見た後、首を下ろすとそこは闇、所々に影のように浮かぶ花。



 幼馴染が好きだった鈴蘭の白い花、くっきりと鮮やかに見えたらいいのに。



 終。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 一つ一つの情景が浮かび上がってくるような素敵な小説でした。 こういう時代物を書くと秋の桜子さんの右に出るものはいませんねえ。 桜子さんの悲しい話も、楽しい話も、少し毒がある話もみんな好…
[良い点] 敢えて部外者である佐川の視点で描かれることで、京一郎の言外の気持ちに対して想像が掻き立てられるような、切なくも印象に残る素敵な作品でした。 佐川が八幡様で偶然目撃した出来事を話したことが決…
[良い点] おぉ……悲しいけれど心に染み入るお話ですね。描写も美しい…… 幼馴染みの思いの丈が明言されてない所が想像力を掻き立てられて切なかったです。 最初「なまえだけは、おとうさまのもの」に「ん?…
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