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4.穏やかな嵐(3)

 そのまま一人で食事を続ける気にもなれず、しかしせっかく用意してもらったものを残すことも申し訳なく、結菜はスプーンを手にしたままぼんやりと座り続けていた。

 しばらくして戻ってきた陽菜乃は、そんな結菜を見て「ちゃんと食べて」と優しく微笑む。しかし、自分はそれ以上食べる気はないようだった。

 腰を下ろした彼女は無言でテレビをつける。ニュース番組では相変わらず台風情報を流していた。

 陽菜乃は無表情に台風情報を見ていたが、やがて興味を失ったように音楽番組にチャンネルを変えた。そしてテレビへ顔を向けたまま「ねえ、結菜」と静かに口を開く。


「次の土曜日さ、晴れてたらピクニックしようよ」


 唐突な話に反応ができず、結菜は陽菜乃の横顔を見つめる。すると彼女は結菜に顔を向けて「もちろん夜、あの砂浜で」と笑みを浮かべた。


「わたし、お弁当作って持って行くから。シートも持って行くし。あ、寒いだろうから暖かいスープも持って行こうかな。それから防寒着も忘れずに」

「……陽菜乃?」

「結菜、サンドイッチよりもおにぎり派だってわかったから、いろんな具が入ったおにぎり持って行くよ」

「あ、学校での謎の質問メッセ……」

「うん」


 彼女は頷くと考えるように「あとはウインナーとか卵焼きとか……」と呟いた。


「んー。結菜、お弁当のおかずで他に好きなものある?」


 結菜は戸惑いながら彼女を見返す。陽菜乃は懸命に結菜が好きなおかずを当てようとしているが、どう考えてもお弁当のおかずとは思えないようなものを言ったりして笑う。


 まるで、結菜の気を紛らわせようとしているかのように。


 結菜はおどけては笑う陽菜乃を見つめ、そして目の前の皿に視線を向けてから「シチューとか」と呟く。すると彼女は一瞬驚いたように目を見開き、そして「シチューかぁ」と笑った。


「でも水筒に入れて持って行くのは、ちょっと厳しいかも。スープ用のポットとかあればいいんだけど、うちにはないし……」

「じゃあ、唐揚げ」

「唐揚げ……。なんか普通だね。もっと変なもの言うかと思ったのに」

「変なものって?」

「えびせんとか」

「待って。なんでえびせん? てか、お弁当のおかずでしょ? 普通言わないでしょ。わたしを何だと思ってんの?」


 思わずいつものように言葉を返す。すると陽菜乃は息を吐くように「結菜だよ」と言って嬉しそうに目を細めた。


「え……?」

「やっと、結菜っぽくなった」


 結菜は思わず俯き、そして深く息を吐き出す。嬉しいような恥ずかしいような、そして申し訳ないような気持ちが一気に込み上げてきて、どういう表情をしたらいいのかわからない。


「……ありがとう」


 呟いた結菜の声に応えるようにカチャンと食器の音がした。顔を上げると、優しく微笑んだ陽菜乃がスプーンを手にして結菜を見ていた。


「食べよう? で、食べたらもう寝ちゃおうよ」

「もう寝るの?」


 結菜は思わず時計を探す。しかし、この部屋には時計がないようだった。それでもまだ寝る時間には早すぎることくらいはわかる。この音楽番組の放映時間は十九時から二十時までだったはずだ。


「良い子は寝なくちゃ育たないよ?」

「いやだから、わたしを何だと思ってんの?」


 陽菜乃はフフッと笑うと食事を再開した。そしてシチューを口に入れて残念そうに眉を寄せる。


「冷めちゃったね」


 結菜も一口、シチューを食べる。そして「でも」と陽菜乃に向かって笑みを向ける。


「美味しいよ。あったかい味がする」

「なにそれ?」


 そう言いながらも、陽菜乃は嬉しそうにシチューを口に運んでいた。

 それからも陽菜乃はとりとめもない話題を続けた。週末にするのだと譲らないピクニックの話や、学校での綾音やミチたちのこと、音楽番組に出ている歌手のこと。

 結菜に何かを聞いてくることはない。

 自分の話だけを静かに、そして和やかに話し続ける。

 その声はとても心地良くて、温かかった。





「よーし。じゃ、寝よっか」

「え、本気だったんだ?」


 食事を終え、洗い終わった皿を拭きながら結菜は少し目を見開く。陽菜乃は「うん」と頷いた。


「さっさと寝ちゃえば、台風だってすぐにどっか行っちゃうでしょ?」


 陽菜乃はそう言うと微笑みながら「ちなみに」と続けた。


「うち、ベッドじゃないから。布団も新品じゃないし、寝心地悪くても文句言わないでよ?」

「言わないよ。それに畳の部屋で寝るのって修学旅行みたいだし、新鮮でいいかも」


 結菜が言うと陽菜乃は「なんかバカにされてる感じする」と笑う。


「そんなことないよ。本心」

「ほんとかなぁ」

「ほんと、ほんと」

「ふうん。ま、いいけど。じゃ、行こっか」


 陽菜乃は言いながら皿を全て片付け終えると、キッチンの電気を消した。

 寝支度を整え、寝室だと案内されたのは十二畳ほどの広い和室だった。

 陽菜乃の自室なのだろう。ハンガーラックには制服とジャケットが掛けられている。部屋の隅にはテーブルがあり、その上にはノートパソコンと鞄が置かれてあった。


「布団。結菜はそっちね」

「うん。てか、布団近くない?」


 並べられた二組の布団は、ほとんど隙間がないほどピッタリとくっついている。


「え、そうかな。あんまり並べて布団敷いたことないから。普通、どんな感じ?」

「普通? いや、よくわかんないけど」

「えー。じゃあ、このままでもいい?」

「まあ、いいけど」


 頷きながら結菜は部屋を見回す。制服以外の衣類は押入に入っているのだろう。しかし、それにしても物が少ない。

 まるで人が住んでいないような、そんな寂しい感じのする部屋だった。


「……結菜、あんまりジロジロ見られると恥ずかしいんだけど」

「あ、ごめん。でも、なんていうか、すごくスッキリしてるから」


 結菜は布団の上に座りながら笑みを浮かべた。


「わたしの部屋とは大違いだなって」


 すると陽菜乃は複雑そうに「あー」とテーブルの方に視線を向ける。


「必要最低限の物だけにしてるから」

「へえ。なんで?」

「……楽だから」

「そっか。たしかに掃除とかすごく楽そう」

「まあね。さ、電気消すよー」


 陽菜乃は早口でそう言うと電気のリモコンを手に取った。


「ほんとに寝るんだ……」


 結菜は布団に入りながら呟く。


「あ、枕投げしとく?」

「いや、なんでだよ」

「結菜が修学旅行みたいっていうから」


 陽菜乃は軽く笑うと、息を吐くようにして俯いた。


「陽菜乃?」

「――わたしね、さっき布団敷きながら考えてたんだけど」


 彼女は手に持ったリモコンを見つめながら呟く。


「嫌なことからは逃げればいいんじゃないかな」

「え……?」

「世の中的にはさ、嫌なことには立ち向かわないと成長できないとか、そんな感じに言われてるけど。逃げる道があるのなら、そのまま逃げちゃえばいいってわたしは思うんだよね」


 結菜は隣の布団の上に座ってリモコンを握りしめた陽菜乃の横顔を見つめる。彼女は「たぶん」と結菜に視線を向ける。


「結菜にとって、この台風はすごく嫌なことなんだと思うから……。だから逃げてもいいよ。逃げ道なら、わたしがなってあげる。結菜の力にはなれないかもしれない。でも、逃げ道にだったらわたしでもなれるんじゃないかって」

「陽菜乃……」


 彼女は「だって」と続ける。


「わたしがいれば大丈夫なんでしょ?」

「……うん」


 下校時の会話を思い出し、結菜は素直に頷く。陽菜乃はそんな結菜に微笑みかけると「じゃ、消すね」と部屋の電気を消した。


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