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2.繋いだ手と花火(4)

 そして土曜日。いつも通りにバイトを終えた結菜は、やはりいつも通りに自転車に乗って海へ来ていた。いつもと同じ場所に止めた自転車に跨がったまま腕を組んで砂浜を見つめる。


「……いるなぁ」


 砂浜には、膝を抱えて座る陽菜乃の姿があった。なぜか彼女の周囲だけぼんやりと明るい。ライトでも持ってきたのだろうか。

 彼女は少し寒そうに肩をすくめている。寒いのなら待たなくてもいいのに。そんなことを思いながら小さく唸る。


「どうしよっかな」


 土日は必ずここへ来ると言ってしまった手前、浜辺まで行くのが道理だろう。しかし、正直なところ陽菜乃と自分との関係が結菜には理解できていなかった。

 学校では陽菜乃と関わることがほとんどないのだ。

 一緒に昼食をとった一昨日以降、会話だってしていない。最後にまともに彼女の顔を見たのは、あの日の帰り際。あの強ばった笑顔だ。


「んー……」


 行こうかどうしようか悩んでいると「あっ!」と浜辺の影が動いた。


「結菜! こっち!」


 結菜が陽菜乃に気づいていないと思ったのだろう。彼女は大きく両手を振ってその場でジャンプした。


「……見つかってしまった」


 となれば、行くしかないだろう。結菜はため息を吐いて自転車を降りると砂浜へ向かった。


「結菜ってば、早く来てよ!」

「あー、はいはい」


 結菜は言いながら彼女の近くまで歩くとその足元に視線を落とした。そこにはレジャーシートが広げられてあった。その上には大きなバッグとキャンプに使うようなランタンが置かれている。


「座って?」


 言いながら彼女はレジャーシートの上に腰を下ろす。


「ランタン、持ってきたの?」


 結菜は彼女の隣に座りながら聞いた。


「うん。だってここ、月がなかったら何も見えないし。それに灯りがあった方が結菜の顔がよく見えると思って」


 そう言って笑う陽菜乃の顔を結菜はじっと見つめる。それに気づいた彼女は不思議そうに首を傾げた。それでも無言で彼女のことを見つめていると、やがて陽菜乃は「やっぱり」と視線を俯かせた。


「何か怒ってる?」

「何かって?」

「それは、わからないけど」


 彼女は言うと上目づかいで結菜の顔を見てくる。


「あの日から、学校では目も合わせてくれなかったし」

「あの日って?」

「……だから、一昨日。一緒に昼食を食べた日。ご飯の途中で結菜、どっか行っちゃったしさ。わたし何か気に入らないことでも言ったかな」


 沈んだ声で彼女は言った。

 結菜は彼女を見つめたまま「そういうわけじゃないけど」と息を吐く。


「ただ、よくわからなくて」

「何が?」

「速川さんのことが」

「……やっぱり、陽菜乃って呼んでくれないんだ?」


 顔を上げた彼女は悲しそうに微笑んだ。


「そっちだって、学校ではわたしのこと松岡さんって呼ぶでしょ」

「今は結菜って呼んでる」

「それがよくわかんないって言ってんだけど。何なの? 二重人格なの?」


 僅かに苛立ちながら結菜は問う。すると彼女は「そう、かもね」と小さく呟くように答えた。


「え、そうなの?」

「違うけど」

「怒るよ?」

「もう怒ってるじゃん」

「別に怒ってない。よくわからないだけ」


 結菜が言うと、彼女は「だって、呼んじゃダメなのかなと思って」と結菜の顔を見つめながら言った。結菜は眉を寄せる。


「何で?」

「学校で結菜のこと名前で呼んでるの、綾音だけでしょ? 一緒に行動してるのも、ご飯も、休憩時間のお喋りだって綾音とだけ」

「何言ってんの。そんなこと――」


 ない、と言いかけて結菜は首を傾げた。


「いや、たしかにそうかも?」


 元々、結菜は自ら他人と関わろうとする性格ではない。

 孤立しているわけではないが、他のクラスメイトたちと話すときは必ず綾音が間に入っているような気がする。挨拶くらいなら誰とでも交わすが、クラスメイトと結菜だけの会話といえばそれくらいだ。


「だから、学校ではあまり気安く話しかけられたくないのかなと思って」

「それはそっちでしょ」

「え……」


 陽菜乃は少しだけ目を見開いた。


「学校でのあんたは、なんていうか、こう」

「こう?」

「こう……」


 なんと言っていいのかわからない。良い言葉が見つからない。あの笑顔の違和感を言葉にするなら何だろう。しばらく考えてから結菜は「胡散臭い」と言った。


「え、なにそれ」


 陽菜乃は困惑したように眉を寄せた。やはり伝わらなかったようだ。結菜は「えーと」と言葉を探す。


「だから、学校でのあんたはここにいるときよりも不自然っていうか」

「不自然?」

「うん」


 結菜は頷いた。


「笑ってるのに笑ってない感じがする。距離があるというか……。ああ、そうだ! 壁だよ。見えないけど分厚い壁がある気がする」

「そう……」


 陽菜乃は頷くと「結菜にはわかっちゃうんだ?」と笑った。

 その笑顔は学校で見るような不自然なものではなく、本当の彼女の笑顔。心から嬉しそうな、そんな笑顔だった。今度は結菜が困惑する番である。


「なんで嬉しそうなの」

「んー。結菜はわたしのことわかってくれてるんだなぁと思って」

「いや、わかんないって言ってんのに」


 それでも陽菜乃は嬉しそうに笑った。しかしすぐにその笑みは沈んでいく。彼女は膝を抱えるようにしながら「わたしね」と呟くように言った。


「引越が多くてさ」

「転勤族? 親」

「んー、そうとも言えるし、違うとも言える」

「どっちだよ」


 結菜が言うと、彼女はフフッと笑う。そして穏やかな真っ暗な海へ視線を向けた。


「早くて数ヶ月。長くて数年。物心つく前からそんな感じで引越を繰り返して、人と関わりたくなくなったの」


 結菜は海を見つめる陽菜乃の横顔を見つめた。


「……ちょっと、よくわからなかった。引越が多いから人間が嫌になったってこと?」


 陽菜乃は横目で結菜を見ると「すぐお別れするでしょ」と言った。そして再び海へと視線を戻す。


「仲良くなっても、お互いのことを良く知ろうとしてもすぐにお別れ。それきりサヨナラ。しかも、いつだってわたしが誰かに――」


 ザッと波の音が一際大きく響いて彼女の声は掻き消されてしまった。


「ごめん。最後のとこ、よく聞こえなかった」


 陽菜乃は結菜に視線を向けると薄く微笑んだ。

 弱い月明かりとランタンの明かりに照らされたその笑みは、なんだかとても儚くて悲しそうで、そして辛そうだった。


「気にしないで」


 彼女はそう言うと、長く息を吐き出して続ける。


「別れが辛いなら最初から仲良くならなければいいっていう考えに至ったっていうだけの話。子供っぽい考えだってのはわかってるんだけどね」

「ふうん」


 だから自ら壁を作っている、というわけか。

 しかしそれでは今、ここにいる彼女はどういうつもりなのだろう。こうして結菜と一緒の時間を過ごすのが楽しいと言っている彼女は、結菜と仲良くなる気はないということなのだろうか。

 考えてから「ああ、なるほど」と呟いて結菜は納得する。

 結菜が最初に言ったのだ。ここで起きたことは全て忘れる、と。だから彼女はここで結菜と一緒の時間を過ごしたがっている。

 きっと彼女は好き好んで壁を作っているわけではない。本当は心から笑い合える相手が欲しいのだ。


 それが、この夜の海なら叶えられる。


 だって、結菜はここで起きたことを忘れると約束しているのだから。そしてきっと彼女も同じ。


「なにがなるほど?」


 陽菜乃は不思議そうな顔を結菜に向ける。


「陽菜乃はめんどくさい奴なんだなと納得したところ」


 苦笑しながら結菜は言う。すると陽菜乃は子供のように無邪気な笑みを浮かべて「そうかも」と頷いた。


 ――やっぱり、綺麗だな。


 彼女の笑顔を見ながら結菜は思う。


「そういう笑顔も、ここだけでしか見られないってことか。もったいない。男子たちが見たらさぞ喜ぶだろうに。女子も喜ぶかもだけど」


 結菜が真剣な口調で言うと、陽菜乃はキョトンとした表情を浮かべてからニヤリと笑った。


「そう。結菜にだけト・ク・ベ・ツだよ」


そんなからかうような口調に結菜は「うわー」と思いきり顔をしかめた。


「殴りたいほどイラッとする。ね、殴っていい? 一発バシンと」

「やめて」


 陽菜乃は笑ってから「でも」と続けた。


「今、ここでこうしているのが特別なのは本当だよ。ここは、唯一わたしがわたしでいられる場所だから。誤魔化したり、気を遣ったりする必要も無いし」

「いや、わたしには気を遣えよ。てか、家は?」


 しかし彼女は答えずに「ね、それより良い物持ってきたんだけど」とレジャーシートの隅に置いていた大きなバッグを引き寄せた。そしてファスナーを開けると、中から何か袋の束を取り出す。


「これ! やろうよ」


 嬉しそうに言いながら彼女が取り出したそれは手持ち花火のセットだった。しかも三袋分。


「多いな。てか、なんで花火。もう秋も深まって肌寒い時期ですが」

「だからでしょ。安売りしてたんだよね、昼に行ったスーパーで」


 売れ残りの処分セールか何かだったのだろう。もしかすると、もう火薬が湿気ているかもしれない。


「点かないかもよ? ていうか、バケツもいるでしょ。そもそもここって花火大丈夫だったっけ」

「え、ダメなの? バケツなら持ってきたんだけど」

「持って来てんの?」

「うん。ほら」


 言って陽菜乃はランタンを手に持つと前方に向けた。砂浜の上には確かにバケツが一つ置かれている。


「……やる気がすごい」

「当然だよ。結菜とやりたかったんだもん。もう水も入れてるよ。でも、ダメなの? ここ」


 心から残念そうに陽菜乃は眉を下げる。結菜は「んー」と唸ってから微笑んだ。


「まあ、パッと済ませてゴミとか全部綺麗に持ち帰れば大丈夫だよ。人もいないし」

「そっか。そうだよね。ここにはわたしたちしかいないわけだし」

「見つかったら陽菜乃が謝ってね」

「えー、二人で謝ろうよ」


 陽菜乃は笑いながら立ち上がると、レジャーシートの上に袋から出した花火を置いた。そしてバッグの中から太いロウソクを取り出す。あまり見慣れないサイズのロウソクである。


「……それ、非常時用じゃないの」

「うん。一緒に売ってたから。ほら、専用のトレイも。細いロウソクだと海風で消えるかもしれないでしょ?」

「えっと、うん」


 果たして消えにくさが太さと比例するのかは不明だが、結菜はとりあえず頷く。陽菜乃はそんな結菜の反応には目もくれず、砂浜の上にロウソク用のトレイを置くとそこにロウソクを立てた。そしてマッチで火をつける。

 幸いにも今は風も強くない。ロウソクの火は苦労することなく点いたようだった。


「さて。じゃあ、はい。結菜はまずこれからね」

「ああ、うん。て、いや多いな?」


 陽菜乃が差し出した花火は五本。一本ずつやれということなのか思ったが、陽菜乃がロウソクに向けた花火を見て違うと悟る。彼女は花火を五、六本まとめて持っていたのだ。


「ねえ、陽菜乃」

「ん?」

「それ、一気にやる気?」


 ジジッと音が聞こえるが、まだ花火には引火していないようだ。陽菜乃は真剣な様子で頷く。


「だってパッと終わらせなきゃなんでしょ? こんなにあるんだから、まとめてやらないと終わらないじゃん」

「いや、別日にするとかさ。てか、ストップ。それはダメ。危ない」


 結菜が陽菜乃の腕を掴む。陽菜乃は不満そうに「えー」と頬を膨らませた。


「結菜がパッと済ませようって言ったのに」

「言ったけど、それやったらロウソク消えるかもしれないし」

「え、そうなの?」

「着火の勢いで火が消えるかもでしょ。まとめてやるならまずは一本に付けて、それを種火にして他の花火に点けるの。こうやって――」


 言いながら結菜は実際にやってみせる。やはり火薬が湿気ているのかなかなか火は点かない。それでも地道に待っているとようやく鮮やかな色の火が飛び出した。

 結菜はそれをロウソクから離れた場所に持って行くと、残りの花火の火薬部分に近づける。すると連鎖するように次々と真っ暗だった砂浜に色とりどりの花火が点っていった。


「おお、すごい」


 感嘆の声に振り向くと、陽菜乃が食い入るように結菜の手元を見ていた。特に驚かれるようなことではない。ただ火を移しただけだ。しかし陽菜乃は真剣な面持ちで結菜と同じように花火に火を点け始めた。


「最初に一本……」


 ボッと火の花が開く。


「で、これに他の花火を」


 呟きながら彼女は残りの花火に火を移していく。そしてフワッと明るくなっていく砂浜。


「できた!」


 陽菜乃が嬉しそうに結菜を振り向いた。


「結菜、見て! できた! ほら、すごい!」


 初めて花火をした子供のように陽菜乃は何度も結菜に「できた!」と繰り返す。結菜は苦笑しながら「もしかして」と首を傾げる。


「あんまり花火したことない?」


 瞬間、陽菜乃は我に返ったのか「あー、ごめん」と笑った。


「そうなの。たぶん、一回くらいしかやったことなくて」

「マジで……?」


 陽菜乃は「マジで」と笑うと手元の色鮮やかな花火を見つめながら「だから」と続けた。


「やりたかったんだぁ。結菜とここで」

「わたしと?」

「うん。結菜と」


 言って嬉しそうに笑う陽菜乃の顔は花火の色に照らされてキラキラしている。


 ――なんで、わたしなんだろう。


 彼女の綺麗な笑顔に見惚れながら結菜は思う。

 彼女ならきっと望めば誰だって友達になってくれる。

 ここで会ってくれと言えば、きっとそうしてくれる。

 彼女はきっと誰からも拒まれたりはしない。

 なのに、どうして自分なのだろう。


 ――たまたま、最初にここで会ったから?


 きっとそうなのだろう。ここにいたのが結菜じゃなくても、彼女はきっとこうして楽しそうにその誰かと花火をしていたに違いない。きっと、あの満月の夜にはその誰かにキスをしていた。

 彼女が結菜のことを綺麗だと言ったのは満月の光のせいで、結菜自身が魅力的だったわけじゃない。

 きっと、彼女は相手が結菜ではなかったとしてもキラキラした笑顔を向けて「会いたい」と言ったのだろう。


 彼女にとって大切なのは、この時間にこの場所で誰かと過ごすことであって結菜ではないのだ。


 ズキッとした痛みを感じて結菜は胸に片手を当てる。


「結菜? 花火、終わってるよ」


 陽菜乃の声に結菜は「ああ、うん」と頷きながら次の束を手に取る。


 ――なんだろう。なんか、変な感じがする。


 痛いのは胸だが、しかし心臓ではない。


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