クローバー伯爵領での日々。その3
また同じ夢を見ている。
通り過ぎる人の群れ。
誰にも相手にされず、誰からも必要とされない日々。
人と違う。
人じゃない。
化け物だ。
誰かがそう言って後ろ指を指す。
もう慣れた事だ。
その後は決まって一人になる。
孤独が好きなフリをする。
一人の方が幸せだと言い聞かせる。
伸ばされた手を振り解いて、用意された道から外れる。
終わりの無い旅に出て、その途中で死ぬのも悪くない。
どうせ死ぬならひっそりと、誰にも関わらずに静かに死にたい。
与えられた天命を言い訳にして縋るように生きてきた。
だからその旅路の途中で人生の終わりが来ても仕方ない。
そう思っていた筈なのにーーー。
「おはようございます」
「シル……ヴィア…?」
「申し訳ございません。お嬢様ではなくて」
カーテンが開かれ、日の光を浴びたおかげで意識が覚醒する。
いつも彼女が立っている場所には違う少女がいた。
「ソフィア君か。すまない、寝ぼけていた」
「お疲れのようですね。ベッドメイクは済んでいますのでお休みになられますか?」
「いや、いい。……睡眠時間は十分のようだ」
窓の外は太陽が高い位置まで登っていた。
時間的にはもうすぐ昼といった所だろうか。
書斎の机で寝てしまっていたせいで、体の関節があちこちでポキポキと鳴る。
書類の束と睨めっこをしている内に寝てしまうとは情け無い。
「珍しいな。シルヴィアではなく、君が起こしに来るなんて」
「お嬢様は本日、アリアさんと魔法の修行のために朝から出かけられています。朝食の時にマーリン様がいらっしゃらなかったので、疲れて眠っているだろうから適当な時間に起こしてあげてと頼まれました」
「シルヴィアの想定通りか…」
学園の理事の仕事を舐めていた。
これは書類整理や手紙の返信を代筆してくれる文官を雇わなくてはならないな。
少し背伸びをして体をほぐす。
そういえば、この家に来てから本来やるべき魔法の研究や長期休暇中のシルヴィアやアリア君への指導も出来ていないな。
魔力は腐る事は無いが、腕は鈍りそうか。
「軽い食事をご用意しますね」
「あぁ、すまないが頼む」
机の上を整理して、空いたスペースを作る。
ソフィア君が持って来たのはサンドイッチとコーヒーだった。
具材はハム、レタス、トマト、……そしてチーズ。
「チーズの量が多いな」
「お嬢様がマーリン様はチーズがお好きなので多目に挟むようにと」
「……料理人への指示も済んでいるのか」
普段は考えなしで危なっかしい所があるのに、変な所で気が利いたりする子だ。
先日のバレンタインデーの時もチョコレートドリンクの件も似た様なものか。
「お嬢様はマーリン様についてアレコレを使用人に指示されていますから」
とはいえ、あまり気遣いも過ぎると申し訳ない。
私はここに居させてもらっている身なので、最低限で良いのにと思ってしまう。
そんな風に思いながら朝食を済ませた。
思いのほか腹が減っていたのか、寝起きだというのに軽く平らげてしまった。
温かいコーヒーを飲み干すと、体に満足感が出てきたので、残りの書類仕事でも……。
「マーリン様、少しお話しを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
テキパキと食器類を片付けたソフィア君が話をそう切り出した。
「……君から私に話とは珍しいな。了承しよう」
途中で眠ってしまったとはいえ、残りの書類は目を通してサインするだけの物が多いので多少時間を割いても大丈夫だろうと私は考えた。
「立ち話もなんだ、椅子を持って来て座るといい」
「お気遣いありがとうございます」
室内にあった木製の丸い椅子を用意し、向かい合う形でソフィア君が座る。
「こうして話す機会は今まで無かったな」
「基本的に私はお嬢様達が住む寮に居ましたから」
クローバー家を一時的に退職し、わざわざ学園の職員として採用試験を受ける。
Aクラスの寮は貴族出身の生徒が多いので、彼女が如何に有能で仕事が出来るのかが分かる。
先程の朝食の用意も無駄なくスムーズに行っていた。
「そうだな。研究室にもアリア君やエリス君はよく来ていたが、君は殆ど居なかったな」
「誘拐された後に何度か訪ねたくらいですね」
トムリドルの配下、ピーター・クィレルが起こした事件。
あの件についてはピーターは不運だった。
何せ学園トップクラスの生徒達からまとめて追われる事になったのだから。
野盗と共に港から海の向こうへと逃げる算段を立てていたが、連中はまとめてシルヴィア達が潰した。
そして口封じにピーター自身は殺されてしまった。
ーー改めて考えるとトムリドルの手際の良さが恐ろしいな。
この事件が終わった際に私も一件落着したのでは?と安堵してしまった。
だからこそ気の緩みが生まれて、まんまと薬を盛られてしまったからな。
「人生で二度も誘拐されて、お嬢様とマーリン様に助けていただきました。本当にありがとうございました」
「三度目が無いように気をつけないといけないな」
「流石にもう勘弁して欲しいですよ」
軽いジョークを投げるとソフィア君は苦笑した。
自分で言ってなんだが、シルヴィアの周囲の人間は良く騒動に巻き込まれる傾向がある。
特にソフィア君は抵抗する手段を持たないので標的にされやすいのかもしれない。
となると、対抗策を用意するか。
「教え子の中に武術の心得がある者がいるのだが、護身術程度でいいから学んでみないか?」
「よろしいんですか?是非お願いします」
「次年度が始まったら開始出来るように取り次ごう」
ジャックと一緒に大立ち回りを繰り広げたFクラスの彼なら問題はないだろう。
シルヴィアを尊敬しているようだし、その力になれるなら喜んで協力してくれると思う。
「それで、君からの話とは?」
「はい。私がマーリン様にお聞きしたいのはお嬢様が学園を卒業なされてからの事です」
シルヴィアの卒業。
猶予まで後二年あるが、今からでも考えるべき事は山程ある。
「マーリン様はクローバー家に婿入りされる訳では無いのですよね?」
「その予定は無いな。一介の教師ならともかく、理事になったらどこかの貴族の一員になるのは難しいだろう。学園都市だけでも大変なのに貴族社会の勢力争いは遠慮したい」
そもそも権力なんて私は求めていない。
ただゆっくりと邪魔される事なく魔法の研究をしてシルヴィアと共に過ごせるなら場所はどこでも良い。
とはいえ、彼女を守るためにはそれなりの地位が必要なので理事をエリザベス先生から引き受けたまでだ。
「クローバー伯爵家はクラブが継ぐのだろう?末の妹もいるし問題あるまい」
「はい。旦那様も奥様も次期当主にはクラブ様を選ぶおつもりです。リーフ様はなるべく自由に育て、ゆくゆくは何処かの家に嫁いで欲しいとお考えでした」
7年前のあのシルヴィアの後ろをついて来ていた少年が義弟になる。
飛び級をするだけあって頭脳明晰であるし、ジャックがエースと張り合えているのも彼のサポートがあってのものだ。
いずれはクローバー家も爵位が上がるのでは無いだろか?
「順当な判断だな」
「えぇ。それでお話ししたいのはお嬢様が卒業した後の私についてです」
「シルヴィアについて来るのでは無いのか?」
シルヴィアに幼い頃から仕えているメイド。
この七年間で立派に成長し、今やクローバー家の使用人達を仕切る立場に近い。
学園内でも評判は良く、ソフィア君が望むなら私は学園の屋敷で雇うつもりだったが、
「私は……クローバー家に戻ろうと思っています」
「シルヴィアには話したのか?」
首を横に振るソフィア君。
「まだです。お嬢様とクラブ様には卒業する時に話すつもりです」
「どうしてそのタイミングで?早い方が気持ちの整理もつくだろう」
私の予想……経験則だが、間違いなくシルヴィアは泣く。
親しい者との別れが一番嫌いだからな。
旅の途中も何度も泣いていた。慰め方には困ったものだ。
「屋敷に戻るのは決めているのですが、その……どう言えば良いのか……」
急に歯切れが悪くなるソフィア君。
何か言いづらい事でもあるようなので、ここは質問を変えよう。
「では、シルヴィアではなくクローバー家に戻ると決めた理由を教えてくれ」
「それでしたら問題ありません。私はお嬢様に選んでいただいたおかげで孤児院を出てこのお屋敷で働ける事になったのですが、」
ソフィア君の過去の話。
この辺はシルヴィア聞いた話だし、この世界で第二の人生に目覚めたシルヴィアに初めて出来た同年代の友人がソフィア君だ。
私の知らない方のシルヴィアはそんなつもりは無かったのだろうが、今愛している彼女はソフィア君をメイドという立場ながら家族のように接していた。
寮でも随分と甘えて身の周りの世話を任せているくらいだしな。
「実際に私の面倒を見てお賃金まで支払っていただいたのは旦那様夫妻です。お嬢様が旅に出てからはクラブ様にお仕えして支えて参りました。学園に行きたいという我儘も後押しをしていただいたので、その恩返しを私はしたいのです」
きっかけはシルヴィア。
その主人にもう一度会って仕えたい。それが彼女が学園にやって来た理由。
「お嬢様はもう、私がいなくてもご自分で身の周りの事が出来ます。昔は全然駄目でしたのに」
「旅の途中はシルヴィアが率先して世話を焼いていたからな」
年端のいかない幼女に世話される私。
この世界の常識が無かったのは彼女だが、生活の知識や心得が足りなかったのは私か。
金銭の管理に無頓着だったのを叱られ、味気ない食事に口を出されて料理を任せた。
あの頃の私は周囲からどのような目で見られていたのだろうか?
ーーお師匠様ってロリコンですね!
そう言ったシルヴィアの頬をつねった事があるが、否定出来ないような。
「ですからお嬢様はマーリン様がいれば大丈夫だと私は思うのです」
「責任重大だな」
「えぇ。当家の大切な方をお任せしますから」
改めてシルヴィアは愛されているな。
「なら、君はクラブを支えてあげるといい」
「あー……えーと、」
「クラブの事が好きなんじゃないのか?」
「っ!?ーーいつからお気づきに?」
驚いた様子で私を見つけるソフィア君。
「屋敷内での視線や振る舞いから推測したまでだ。クラブの前だと身嗜みを良く気にするからな」
「お嬢様にも知られていないのに、まさかマーリン様が……」
確かに私は恋愛や男女の仲については無頓着だった。
露骨なアピールや肌を露出して近づいて来る女が苦手だった。
「生憎と、似たような行動を最近までしていた人物に心当たりがあったのでな」
「あー、なるほど」
ただまぁ、そういったアピールも相手が彼女なら喜んで受け入れてしまうのだろうな。
「愛されてますねお嬢様」
「愛しているさ」
そういえば、いつも見ていた悪夢を今日は久々に見た気がする。