01 闇の神とエカテリーナですわ!
最終章、開幕。
「ふぁ〜。眠たい」
「【むにゃむにゃ……】」
「私に構わなくてよい。二人共早く寝なさい」
暴乳亭で行われた『ファンクラブ対抗人気ナンバーワン選抜総選挙』に参加した次の日の夜。
私とエカテリーナは寝不足のせいでいつもより早い時間に睡魔に襲われた。
授業も実技があって体を動かしたし、魔力も消費したからお風呂に入ると心地良い疲労感が……。
「お師匠様。ベッドまで運んでください」
「【運んで〜】」
「全く。甘えん坊が二人もいると仕事が捗らないな」
なんて言いながら私とエカテリーナを私の寝室まで運んでくれるお師匠様。
ただし、運び方がお姫様抱っこじゃなくて両脇に抱えるのはいかがなものかと。
身体強化の魔法を使えば造作もない事なんだろうけど、愛が足りないですよパパ!
「ぐうぇ」
「【ママに着地!】」
寝室に入り、先に私をベッドに放り投げたお師匠様は、なんとその上にエカテリーナを投げた。
避ける間も無く子ども特有の実はかなり重い体重がのしかかって呻き声が出た。
ふ、腹筋を鍛えていなかったらヤバかったわ。
「お師匠様のいけず!」
「【いけず!】」
「エカテリーナに余計な言葉を教えるな。子どもというのは親を真似するのだ」
すっかり父親気取りのお師匠様。
これは将来、子煩悩というか、親バカになりそうだわ。
「ささっと寝なさい。……もう時間も無いのだ」
「はーい…」
私とエカテリーナの額に口づけをして、頭を軽く撫ででお師匠様は部屋から出て行った。
私は感触の残る額に手を当てる。
「【ママ、顔真っ赤になってる】」
「不意打ちされたからよ。近頃は益々女たらしになってるんだから」
JOKERを倒して以降、お師匠様の態度がどんどん軟化してきた。
気軽にボディタッチはするし、毎朝笑顔で挨拶してくるし、わざわざ私とエカテリーナが遊んでいる場所で書類仕事をするのだ。
構いたいし、構って欲しそうな絶妙に色気のある美顔がいつも目の前にあるのは目の毒だ。
私の方から視線を逸らしてしまう。
それをキャロレインやアリアに相談すると、二人揃って「「けっ…」」とそっぽ向いたのは記憶に新しい。
なんでよ!恋人や好きな人のいない二人にわざわざ相談したのに!
「【すぴー……】」
「ほら、エカテリーナ。そのままだとお腹冷やして風邪ひくわよ」
横で寝転んでいたエカテリーナが器用に鼻ちょうちんを作っていたので布団をかけてあげる。
背中をトン…トン…とリズミカルに叩いてあげると、すやすやと眠ってしまった。
こんな穏やかな寝顔の子が、私の召喚獣で、闇の神だなんて未だに信じられない。
ずっとこのまま、こんな生活が続いて三人で暮らせたらどんなに幸せだろうか?
私はそんな未来を思い浮かべながら、ゆっくりと重くなった目蓋を閉じるのだった。
『【おい。起きろ】』
「今寝たばかりだから無理ぃ〜」
うるさい声が頭に直接響く。
『【そんな事は知らん。いいからさっさと起きんか!このポンコツ娘!】」
動物の唸り声のような音がする。
それでも私は必死に眠ろうと意識を集中させる。
『【おい。そこの親との約束はあるけど、そろそろ手を出してきてもいいんじゃない?かと期待して発情期を迎えてる淫乱娘】』
「勝手に人の心を読むな!!」
我慢できずに、私は目を開けて声の主へと叫んだ。
『【最初の呼びかけで目覚めぬお前が悪い】』
「だからって乙女の秘め事を口にしないでよ!」
真っ暗な闇の中、三つの瞳が私を見下ろし、一番大きな紫紺の第三の目が妖しく輝く。
「で、何か用?」
『【我に対してそのような態度をとる人間は初めてだ】』
この暗闇の中、私の前に現れたのは巨大な蛇。漆黒の鱗に猛毒の牙、様々な魔眼の力がある第三の目を持つ神話に出てくる闇の神だ。
『【やっと魔力回路が我と対話するに相応しいレベルに達したのでな。こうして声をかけてやったのだ】』
神様のくせに、やってる事が通話のテストなのね。
しかも繋がって嬉しそうだし。
「あっそう。じゃあ、おやすみ」
『【貴様、我と幼体では態度に差があり過ぎるのではないか?】』
器用に目を細めて、闇の神は待遇改善を訴えてくるけど、かわいいエカテリーナと高飛車で好戦的な神様とではそりゃあ、扱いに差が出る。
『【どちらも等しく我であるというのに】』
「それについてなんだけど、貴方とエカテリーナってどういう状況なの?」
トムリドルとの戦いで不完全ながらも儀式は成功し、膨大な魔力を私は授かった。
その後、エカテリーナの姿に変化があって、いつしか声が聞こえるようになった。
召喚獣との意思の疎通はある程度鍛えれば出来るけど、言葉を交わして通じ合うなんて聞いた事無い。
それに人間に変身するなんて以っての外だ。
『【それについては過去の出来事を話す……いや、見せた方が早いか】』
再び紫紺の瞳が光る。
すると真っ暗な世界にプロジェクターのように映像が映し出された。
『シャ〜』
そこには一匹の小さな黒い蛇がいた。
黒い蛇はある日、偶々開いていた世界の歪みを飛び越えて人間の世界に落ちてしまった。
神と人間は別々の世界に暮らしているのに、この時世界は変わってしまった。
未知の恐怖を人々は忌み嫌い、排除しようとした。
まだ幼かった蛇は向かい来る脅威を必死に追い払った。
いつしか蛇は巨大な化け物へと姿を変えて人々から恐れられ、世間から隔離されていた。
寂しさはあったけど、蛇はそれで良いと思った。
このままずっと、移り変わる世界を眺めていられればそれだけで退屈を紛らわせられる。
そんなある日、一人の男の魔法使いが大蛇の噂を聞きつけてやって来た。
男は闇の神に対して、世界に爪弾きにされた者達の楽園を作りたいので協力して欲しいと頼み込んで来た。
人間の言う事なんて……。
そう思っていた蛇だったけど、男は今まで会った誰よりも執念深く、根気強く蛇を説得した。
蛇の力があればこんな僻地で寂しく縮こまる必要なんて無い、堂々と進むだけで誰もが跪き、敬うだろうと。
誰からも嫌われていた自分を必要としてくれる者がいる。
独りぼっちの蛇はとうとう根負けして男に手を貸す事にした。
蛇は初めて人間の仲間を手に入れたと思った。
男は強大な力を手に入れたと自惚れた。
それが決定的な認識の違いだった。
『【これが昔の出来事だ。この先は知っているな】』
「えぇ。……知っているわ」
魔法使いの名はJOKER。
こうして闇の神を引き連れ、加護を与えて闇の軍勢を作り出し、自分の私利私欲のために世界を恐怖に陥れた。
それに対抗すべく、初代国王やクローバー家のご先祖様達が立ち上がった。
光の神も介入して、JOKER達は打ち破られるのよね。
『【JOKERは敗北後、別の体へと意識を移しながら生き永らえた。我は最後に光の者達に力の殆どを封印されてしまった】』
神様を殺す事は不可能だったようで封印という手段が取られた。
遺跡を用意し、巨大な封印の魔法陣を作り出す事で闇の神を半永久的に封じ込めた。
『【だが、我もそう簡単には封印されぬ。力の殆どと記憶を引き換えに、僅かな力を持った分身体を用意して逃げ出したのだ】』
JOKERが魂を別の肉体へと乗り移らせたのと同じように、魂の欠けらを込めた幼体を生み出した。
いつか完全復活を果たすために。
「それを私が召喚獣として引き当てた」
『【そうだ。何も覚えていない幼体は成長し、闇の宝玉から記憶と本来の力を取り戻した。それから時間をかけて馴染ませ、あの水中神殿での戦いで半覚醒状態になり、つい先日に完全復活をした】』
見た目が変わった。
声が聞こえるようになった。
そして遂には神としての力を取り戻した。
『【我と幼体は同じ肉体を持つ一つの存在だ。本来の我が休眠状態の時は幼体が肉体の支配権を持つ】』
「記憶や意識は共通じゃないの?」
『【共通なのだが、幼体の自我が我の想定以上に強くてな。この主人格である我に逆らって独立している。何があったかは共通認識しているが、普段の子どものような振る舞いは幼体のわがままだ】」
複雑な状態ね。
まぁ、エカテリーナとしての意識が別ってだけで安心したわ。
無邪気な子どものフリをこの闇の神としての意識がしてるわけじゃ無いって。
『【いずれは統合されるだろうが、二つの意識が混ざり合ったようになるな】』
「貴方はそれでいいの?」
『【構わん。どちらも我であり、闇の神だ】』
幼体であるエカテリーナも同じ考え方だと、闇の神は続けて言う。
『【尤も、貴様も感づいてはいるだろうが、迷宮の最深部に向かえば我とも幼体とも別れる事になる】』
「……でしょうね」
光の神がアリアの体に降臨した時に感じた哀愁と寂寥。
あれは私と別れる事を悟ったエカテリーナの感情だったのだろう。
『【結局は元のあるべき場所へ帰るだけである。人の世にいる方が間違っていたのだ】』
人間の世界に完全な形で神様は存在しちゃいけない。
隣り合わせで交わらずに、ただお互いを認識するだけの形が望ましいのだ。
「エカテリーナもそう思っているのよね?」
『【アレは幼いながらに貴様やその他の人間の立場や想いを知っている。これが最善の選択だときちんと理解している】』
「それならいいわ」
もしもエカテリーナが拒んでいて、闇の神としての意識が強制しているのならこの場で噛み付いてやろうと思ったけど、エカテリーナ自身の選択なら私はそれを尊重するだけ。
例え別れが悲しくても、いつか子離れは来るものだから。
『【闇の巫女に選ばれ、力を狙われて襲われもしたというのにこの真っ直ぐな愛情か……。つくづく変な奴だ貴様は】』
くくっ、っと闇の神は笑った。
その悪そうな顔つきで笑う姿は、私やお師匠様に似ているエカテリーナそっくりだった。
『【あの時代に、最初に貴様のような人間に出会っていれば、我は……】』
「昔の事なんて後悔しても無駄よ。今は楽しいんでしょ?だったらそれで良いのよ」
『【ふんっ。短い寿命の生き物のくせに偉そうだな。……残り少ない時間を悔いなく楽しめ。それが我らにとって一番の望みだ】』
そっぽを向いて、ボソリと言う闇の神。
音量は小さいけど、何て言ったからしっかりと聞こえたわ。
もう一週間も無いけど、そうさせてもらうわね。
「ねぇ、エカテリーナじゃなくて貴方にお願いがあるんだけど」
『【なんだと?】』
「この真っ暗な場所、どうにかならない?」
私と闇の神が会話している空間。
そこには風も、波も、音も無い。
ただひたすらに底冷えするような真っ暗闇が広がっている。
殺風景で、こんな場所の真ん中に大きな蛇が佇んでいるだけ。
寂しくなって当然の場所よ。
「例えば、この前にJOKERの逃げ場を封じた結界みたいにしてよ」
『【あぁ、あれか】』
闇の神が空に向かって吠え立てる。
すると、紫紺の瞳から一条の光が伸びて、宇宙が弾けた。
『【こんなものか】』
「うわぁーっ!前回も思ったけどやっぱこっちの方が良いわよ」
頭上に広がるのは満点の星空。
日本で見たどの夜空よりも綺麗で美しい光景。
この世界でも星は見えるけど、純粋で歪みの一つもない完全なる闇だからこそ光が際立っている。
光だけではこんな幻想的な景色はありえない。
闇があるからこそ光はより鮮明に輝く。
『【この空は幼体と貴様の頭の中にあるものを再現しただけだ。まったく、あんな光の輝きになんの意味があるのか】』
「あるわよ。私の知っている星空と同じなら、あれは
蛇つかい座で、こっちはこいぬ座。こっちには獅子座にいっかくじゅう座もあるわ。それからーーーー」
闇の魔法ならではの星空を私は一つずつ解説していく。
オタクをやっていると変に星座に詳しくなっちゃうから。
あわよくばこの説明を、闇の神が、エカテリーナが覚えてくれて離れ離れになった後に星を見上げて思い出してくれたら良いなぁ。
そしたら、寂しさもきっと小さくなってくれるから。
私も忘れない。
こうして大切な、半身のような存在と見上げた宇宙を。
「【ママー!朝だよ】」
カーテンが開かれて、朝陽が顔に当たる。
その眩しさで私は目覚めた。
「あれ?もう朝なの」
ついさっき寝たような気がしたんだけど、時間が経つのはあっという間ね。
寝惚けたまま目を擦る私にエカテリーナが小さな体で精一杯抱きついてくる。
「【ねぇ、今日は何するの?】」
「そうね。今日は……今日も元気に楽しく遊びましょうか」
「【うわぁーい!やったー!】」
「でも、遊ぶのは学校が終わってからよ。まずは授業を受けなきゃね。私は朝食の用意をするから、エカテリーナはパパを起こしてきて」
「【うん!起こしてくる!】」
騒がしく、廊下を走って行くエカテリーナ。
きっと寝ているお師匠様にダイビングボディプレスをするわね。
昨晩に私が受けた苦しみをお裾分けしてあげるわよお師匠様。
「さて、今日の朝食は何にしようかしらね」