第四十六話 伯爵令嬢、絶体絶命ですわ!
少し残酷な描写や流血表現があります。苦手な方はご注意ください。
「さぁ、闇の神の召喚を」
JOKERが私に微笑みかける。
あの……待ってる所悪いんだけど、もういますよ?
私の背後からじーっと睨むように見ている。
『【アイツ嫌い】』
私にだけ聞こえる言葉には普段希薄なエカテリーナこと闇の神の感情がこれでもかと籠もっていた。
そう、例えるなら台所に現れたゴギブリに対するレベルの嫌悪感だ。
きっと私の知らない時代と知らない場所で何かしらの確執があったのだろう。エカテリーナは従う気は無いみたいだ。
だったら私はママとしてこの子を守ってあげなくちゃ。
「残念だけど、今の私には召喚出来ないわよ。だって魔力が無いんだもの」
わざと惚けた顔をする。
こうやって時間を稼げばきっとお師匠様が助けに来てくれる。
それまでなんとかしなきゃ。
「そうらしいデスね。以前会った時に感じた圧倒的な魔力を感じない。そこにいる彼らに魔法刻印をしたとしても貴方を誘拐できるか怪しかったデスが、それなら納得デス」
「そうよ。だから諦めなさい」
「……では、別のアプローチをするのデス」
え、退いてくれないの?
「魔力が無いだけで魔力を流す回路は無事なはず。刻印魔法を植え付ければ召喚できるのデス」
キャロレインにしたように無理矢理魔法を使わせるつもりね。
私はその刻印を引き受けたからこそここまでのダメージを負った。どれだけ危険なものかは身をもって知っているわ。
「その刻印魔法。何かしらのデメリットがあるんでしょ?お断りよ」
「えぇ。適合出来るかどうかは運任せデスが、貴方くらい自我が強ければ大丈夫でしょう。そうじゃないと体の一部が壊れてしまいますからね。それから後は、」
パチンとJOKERが指を鳴らす。
するとベヨネッタと手下の男達が糸の切れた操り人形みたいに地面に倒れた。
「生命活動なんかが私の命令一つで思うがままになるくらいデス」
もう一度指を鳴らすと、何事も無かったかのように起き上がった。
ただ、自分の身に何が起きたのか不思議そうにしている所を見ると説明を受けていないみたいね。
胸糞悪いわ。
「人の命を何だと思っているのよ」
「平等な資源デス。貴方のような優秀な人は最後まで丁寧に使い潰してあげるのデス」
狂気に染まった瞳で私を縛る縄を引っ張って連れて行こうとする。
『【ママを離せ!】』
「目障りなうるさい子どもデス」
私を助けようとしたエカテリーナに向けて杖を構えるJOKER。
彼らの目的はこの子なのに全く気づいていない。
今なら逃げ出すチャンスを作れるかも?
「消え失せるのデス」
私がエカテリーナに指示をするより先に魔法が発動する。
直後、私の目の前からエカテリーナの姿が消えた。
JOKERから伸びた影に飲み込まれるように。
「何をしたの!?」
「転移デス。安心してください。すぐに死ぬような場所ではないのデス。ただ、誰も助けに行かなければいずれは死ぬでしょうが」
並大抵の魔法ならエカテリーナには効かない。それこそ攻撃系なら大した傷をつける事すら不可能だ。
それなのによりにもよって転移の魔法!?
特に害のない対象を移動させるだけの魔法はエカテリーナの耐性をすり抜けた。
心の奥深く、魂で繋がりを感じているから殺されたり消滅したわけでは無いのは理解出来るけど、完全な誤算だった。
自分を囮にして敵を捕まえるぞ大作戦が早くも破綻した。
ーーーこれじゃあただ捕まってピンチなだけじゃん!
魔力無し、召喚獣無し、大した魔道具も無い。
今まで鍛えてきたこの身体があっても、外道な手段でドーピングされた連中には勝てない。
シルヴィア・クローバー、絶体絶命になりました。
「おや、先程までの余裕と威勢はどちらへ?」
「こんな事して、お師匠様が助けに来たらどうなるか覚えていなさいよね!」
精一杯の強がりを言うけど、多分今までで一番危険な状態になった。
これまでは誰かが必ず近くにいたし、危険な目に遭っても私が守ってあげなくちゃって思っていた。
それがどうして、こんな風になったのか。
「マーリン…デスか。トムリドルだった頃なら兎も角、JOKERである今の私は負けないのデス。我が闇魔法の力は圧倒的。刻印魔法による強化は凡人を強者へと引き上げる。元から強者の私がその力を解放すればマーリンどころかマグノリアすら凌ぐのデス!!」
感情が昂り、制御が甘くなったのか目の前の男から魔力が漏れる。
こ、これは確かに冗談じゃないわね。普段のお師匠様と同等かそれ以上のプレッシャー。
暴力的な魔力に当てられて気分が悪くなってしまう。
鳥肌が立って、胃から酸っぱいものがこみ上げてくる。
「おやおや。申し訳ないデス。刻印を植え付ける前に殺してしまう所でした」
垂れ流された魔力が消えると、プレッシャーも消えて呼吸が楽になる。
「では貴方達。人が近づかないように周囲を見張っていてください。ちょっとうるさくなるので」
「やっとかよ。邪魔者はもう殺していいんだろう?」
「お好きにどうぞ。これで目的は達成デスし、学園は用済みになりますから」
えずく私をよそに、チンピラ三人は倉庫の外へ出る。
残されたのは私とベヨネッタとJOKER。
「あらあら。苦しそうねシルヴィア・クローバー」
「アンタ、トムリドルは父親の仇じゃないの?」
「そうよ。でも、パパなんかよりもずっとこの人の方が強いし、わたくしを高みへと導いてくださるわ。こうして復讐の機会も作っていただいたものねっ!」
私はベヨネッタに蹴り飛ばされて地面を転がる。
途中で噛んでしまったせいか、唇から血が流れ落ちた。
「水中神殿の時と比べてなんと弱いのかしら」
高笑いするベヨネッタ。
とりあえず私を甚振ってご満悦みたいだ。
「あまり怪我をさせないでほしいのデス。それにベヨネッタさん。貴方は前回の失敗を忘れてはいませんか?」
「も、申し訳ありませんわ」
「魔法刻印の実験と水の秘宝の奪取。両方とも失敗しているのデス。次はありませんよ?」
「は、はい……」
JOKERに忠告を受けると借りてきた猫みたいに縮こまる。
生死を握られているし、逆らう気は無いようだ。
仲間割れでもしてくれたら嬉しかったけどそうはいかないようね。
「では、始めるのデス」
JOKERは地面に転がった私の縄を解いた。
体が自由になると同時に逃げようとしたけど、何故か体が動かない。
「影縛り。闇魔法の一種デスよ。自分と相手の影をつなぎ合わせて動きを封じるのデス。何も闇魔法は相手を呪い殺すだけじゃないのデス」
手足が自由になったのに動けないまま地面に寝かされる私。
ベヨネッタは懐からハサミを取り出すと私の服を切り出した。
「何するのよ!離しなさいよ!!」
「魔法刻印はその身に刻むものデス。これから貴方の肌は灼熱の痛みを味わい、私の手の中に堕ちるのデス」
うつ伏せとはいえ、上半身を下着まで剥ぎ取られて背中が剥き出しになる。
嫁入り前だっていうのにお師匠様以外にこんな姿を見られるなんて屈辱的だ。
恥ずかしいし、悔しいし、怖い。
「やめなさいよ……やめて……」
去年、ソフィアが拐われた時の事を思い出した。
彼女も今の私と同じような思いをしたのだろうか。
「泣き叫びなさい」
「……ではでは、」
早く助けに来てよお師匠様!!
そう願いながら私はこの苦痛に耐えようとした。
「ぎゃっ!?」
針を刺すような痛みが背中を走る。
自分の中に悪い物が流し込まれるようなそんな不快感。
言葉にならない声が漏れる。歯を強く噛みすぎて歯茎から血が流れる。
ただの骨折や擦り傷の方が何倍もマシだった。
「これがあのシルヴィア・クローバーの姿かしら?なんて惨めなんでしょう」
「……あっ……あぁあああああっ!!……っ!」
ベヨネッタの声が頭に入って来ない。
痛みで意識を失いそうになるのに、また新しい痛みで意識が覚醒する。
ジュクジュクと肉が焼ける音がする。
鋭利な刃物で滅多刺しにされるようなイメージすら湧いてくる。
まだ数分しか経たないのに何度絶叫しただろうか。
「これは中々。成功すれば最高傑作間違いなしデス」
「ご冗談を。役目が終わればこの女はわたくしが殺しますわ」
「勿体ない……デスが、闇の神さえ手に入れば用済みデスね」
涙が止まらず、指先が痺れる。
体中が熱くなって呼吸も乱れて、意識が蕩ける。
私の体が別の物へと改造されるのがたまらなく嫌で仕方ないのに、どうする事も出来ない。
無抵抗なまま実験台にされて、身も心も侵されていく。
忠告を無視して首を突っ込んだのは自業自得だけど、ここまで罰が重いなんて聞いてない。
ーーー助けて。
ーーーお願いだから早く来て。
ーーーねぇ、お師匠様……。
『シルヴィア!体を丸めて伏せろ!!』
絶望の最中、指輪が輝きを放ち、一番望んでいた声が聞こえた。