第二十六話 決着と結末(キャロル視点)
色褪せた空間で自分は蹲っている。
いつからか、どれだけの時間そうしていたのか分からない。
どこかここじゃない場所へ行きたいと思った。
でも、足枷が嵌められていて、その先は鎖で地面に固定されているので自由に動く事が出来ない。
足枷は不気味な形をしていて、まるで絡みつく人の手のようだ。
「……結局、わたくしはこうなる運命ですの」
そもそもが間違いだったのだ。
自分は籠の中の鳥。価値があるからこそ籠の中を動き回れたが、飼い主の気分次第で処分される存在。
虚勢を張って、背伸びをしても自分の出自からは逃れられない。
いつか見た少女に憧れて真似をしたけど、手は届かずに過去の亡霊に幽閉された。
操られている間も、断片的ながら意識はあった。
自分を道具だと言って使い潰そうとしていた姉の姿。
久しぶりに見た姿はあの鳥籠のような屋敷で見た醜悪な笑みのままだった。
社交界に出れば否が応でも彼女と会った。気分は萎えたし、彼女が無意識のうちに近づいた瞬間に自分の心音が早くなるのは知っていた。
怖かった。怖くないわけないじゃないか。
だってあんな目に遭った。古傷が痛む。
操られた時に、彼女の手が肩に触れるだけで奥歯がカタカタと音を立てる。
何かしらの魔法とはいえ、彼女とのパスが繋がっているだけで体に拒絶反応が出る。
『別に憎んだりはしていませんの。むしろお礼を言いたいくらいですの』
最初に喧嘩を売った時に言った言葉は本心だった。
これでもう彼女に会うことは無いし、関わる事も無い。
金で雇われた刺客が自分を殺しにくるんじゃないかという妄想に囚われなくて済む。夜中にぬいぐるみに抱きついて震える事もなくなる。
護身術は気休めにと始めたけど、習っていなかったらもっと不安だった。
不安や恐怖を打ち消すために鍛えた。
強さはそれを誤魔化してくれると信じて。
そうして積み重ねてきた自分の価値は、横入りしてきた彼女にあっさり利用された。
悔しい。でも、痛い事をされるのは嫌だ。
だから従う。抵抗すれば痛みは続くから。
褐色の女を最初にダウンさせた。
次に異国の男を。
最後に一番強いと認める先輩を。
でも、そうはならなかった。
先輩は期待通りに抵抗してくれた。
やっぱりこの人なら自分を倒してくれる。殺してくれる!
楽になりたいと思った。
このまま姉を名乗る飼い主に使い潰されて死ぬくらいなら学園で一番信頼している人に殺されたい。
なのに、体は言う事を聞いてくれない。
男が拳を突き出して砕かれながらも吠えた。
『下の子を守るのに命張るのが姉貴だろうが!!』
強い意志が込められたその言葉で、彼がどういう生活をしていたのかを少し理解した。
きっとこの人は自分なんかと違って、大切にしてくれる姉がいたのだろう。
その人のためなら自分の人生を投げ出すくらいやってやる!と言いそうだ。
羨ましい。こんなにも愛されている人がいるなんて。
でもごめんなさい。今からアナタは死ぬ。
わたくしのこの手が殺してしまう。
流れ込む黒い力の命令で放たれた魔法は、目の前の二人を殺すには十分な威力だった。
でも、そうはならなかった。
先輩はまだ倒れない。
現れた大蛇は神話に出てくる闇の神そのものだった。
前回の喧嘩の時には見なかった力。
全てを傷つけて呪い殺すようなこの力なら自分を楽にしてくれる。
召喚したテディでも勝てないだろう。
伝説上の怪物に殺されるならそれも自分には相応しい終わりだと受け入れた。
なのにまだ体は抵抗する。先輩に勝つためにひっそりと開発した新戦法。
先輩なら「凄いわね!」と褒めてくれると想像していたわたくしの努力の結晶。
それが先輩を殺さんとする。
『ーーーそんな悔しそうに泣いてる貴方を私は見捨ててはおけないわ!!』
魔力不足で体に過剰に負荷をかけながらも、先輩は決して倒れない。
倒れて死んでしまえばわたくしの心が壊れると確信して。
早く。早く誰でもいいからわたくしを殺して!この手を止めて!
折角出来たわたくしの友達を助けて!!
『まだ死なせるかよ!』
傷だらけの男が立ちはだかってくれた。
纏う魔力は自分とは比べ物にならないくらい強大で、努力や鍛練で超えられる壁じゃない力だ。
その一撃はわたくしの今ある最強の魔法を打ち砕いた。
そこで魔力も精神力も限界を迎えてわたくしは倒れた。
そしてこの場所にいる。
もうきっとこの場所から出る事はない。
外の世界は恐ろしい事ばかり待ち受けている。
思い出す貧民街と侯爵家の屋敷。
自分は愛されていない。
愛なんてまやかしで、幻想で、都合の良い妄想だ。
そう思い込みたい。
なのに蹲って目を閉じると、奉仕活動で森を開拓したり、嬉しくもないのに誘われたお茶会、寮の客室で義兄から抱き寄せられた事が浮かび上がる。
思い出の数は暗い事の方が圧倒的に多いのだけれど、温かい思い出はそれに劣らないくらい輝かしい。
「……なんて未練がましいですの」
自分に嫌気がさして呟くと、色褪せた空間に突然影が現れた。
色素の薄い空間には異質な存在。全てを塗りつぶすような真っ黒な影だ。
影はわたくしに近づくと、手を差し出した。
「なんですの?」
口がないから言葉は聞こえないが、立ち上がるのに手を貸してやるぜ!という意味のようだ。
「無駄ですの。立ち上がっても、この足枷があるから」
影はわたくしの足に気付いて、足枷と地面に繋がれた鎖を取ろうとします。
しかし、これはわたくしの呪いであり罪。
そう簡単に外せるものではなく、影も悪戦苦闘しましたが、無理だと気づいて手を離しました。
そして悔しそうに地団駄を踏む影。
表情が無いわりには感情豊かですの。
影は腕を組んで何かを考えると、ポンと手を叩きました。良い策でも思いついたのでしょうか?
「ちょっと、わたくしの体に抱きついて何をするつもりですの?」
影はわたくしをしっかりとホールドすると、そのまま全力で引っ張り出しました。
「ちょ!?痛い!痛いですの!!」
無理やり引っ張られたせいで足に激痛が走る。
わたくしはあまりの痛みに涙目になって影を叩きました。
「馬鹿じゃないんですの!?引っ張るにしても鎖の部分だけでしょうが!わたくしの足を引き千切るつもりですの!?」
ビシバシと影を叩くと、影は申し訳なさそうに頭を下げました。
正体は分からないけど酷く人間臭い存在です。
影はどうしてもわたくしをどこかへ連れて行きたいようで、あーでもないこーでもないと動き回ります。
「もういいでしょう。わたくしはここから動けませんし、動くつもりはありませんの」
そう言うと、影はどういう意味なのか分からないという様子で首を傾げました。
そんな影にわたくしは告げる。
「外は恐ろしい事ばかりですの。今までもこれからも。所詮、この色褪せた籠の中がわたくしにはお似合いですの」
操られていたとはいえ、傷つけた人がいる。
自分を妬ましく思い、嫌う人達がいる。
どこにも居場所は無くて、常に周囲を警戒して威嚇しないと安心出来ない。
だったらもう目覚めない方がマシだ。
影は話を聞くと、わたくしの顔に手を伸ばしました。
そして頬を摘んで引っ張った。
「なんれふ……痛いれすの……」
不機嫌そうな影に引っ張られた頬が伸びて上手く喋れない。
引き剥がそうにも、今の影はとても力が強くて離してくれない。
「……怒ってるんれすの?」
影は頷いた。
関係ない他人?なのにどうして怒られないといけないのか。
影はじっとわたくしの顔を見ている。目がなくとも視線を感じた。
これでもかと頬を引き伸ばして、影は手を離した。
じんじん痛む頬をわたくしは摩った。
「身勝手ですの。勝手にやってきて心配して、怒って機嫌を悪くして、……余計なお世話ですの」
なんとなく影の正体がわかった気がした。
既視感を感じたのだ。
影は怒られているのに、何故が自慢げに胸を張った。
褒めているんじゃありませんの!
「そんな性格だといつか破滅しますわよ?」
嫌味を言ってやると、影は突然蹲って落ち込み始めた。
ただの冗談でそこまで気にするんじゃありませんの!なんですの?わたくしを慰めにきたんじゃなくって!?面倒くさいですの!
あぁ、もう本当にこの人は………。
「顔を上げなさい。わたくしの負けですの。外にでもどこへでも連れて行きなさいですの」
そう言ってやると影は両手を挙げてバンザイした。
機嫌治るの早すぎですの。
「でも、この足枷がある限り動けませんの」
結局元の問題点に戻って、繋がれた足を見ると、そこには足枷なんて無かった。
「え?ついさっきまで……」
幻覚なんかじゃなく、わたくしをこの場から離さない、逃がさないとしていた縛りが消えた。
『もう大丈夫よ。悪い奴はやっつけたんだから。』
影から声がした。
口はないのにハッキリと聞こえて、わたくしの頭を優しく撫でる。
運命に怯えていたわたくしに話しかける声に既視感があった。
それはそう、魔法学園じゃないもっと昔。
あの日、馬車の中で。
「待ってくださいですの。アナタはあの時のーーー」
わたくしの憧れでしたの?
その言葉より先に、わたくしの意識は現実へと浮上する。
「どこ……ですの?」
瞼を開くと知らない天井でした。
寮の部屋でもないし、学園内の保健室でもありません。
どこかの貴族の屋敷というような造りの天井でした。
体が酷く重く、倦怠感がします。
体の感覚も鈍くて右手以外はまだ動かせませんの。
熱を感じている右手は痛いくらいに握り締められていました。
わたくしの右手を両手で包み込んでぎゅっと離さない人物に声をかけました。
「義兄様?」
「キ、キャロ!」
祈るように目を閉じていた義兄は、わたくしの声を聞くと見たことないくらい狼狽しました。
「大丈夫かい?痛む所や苦しい所は無いかい!?」
「まぁ、全体的に倦怠感はありますが、じきに治ると思いますの。……それよりここは?」
「あぁ、良かった。ここはマーリンの屋敷だよ。状況が状況だけに君は意識を失っていて運び込まれたんだ。」
安堵の息を吐く義兄様。その目にはうっすらと隈が出来ているので、目覚めるまでにしばらく時間がかかったのだと感じた。
魔法刻印とあの女は言っていた。聞いた事もない魔法なので、天才と言われるマーリン先生の元へ運び込まれたのは当然ですの。
普通の医者よりも頼りになりますし、義兄様の信頼している人物でもあるから。
「それで、何故ここに義兄様が?公爵領に戻られたんじゃ……」
「そうしようとしたけどあの時のキャロの様子が心配で、怖がらせたし、もう一度謝ろうと思って宿に泊まっていたんだ」
それでわたくしが運び込まれたと聞いてここにいるんですのね。
律儀なのか心配性なのか。
「マーリンが意識が戻るかは不明だとか言うから不安になって、三日間ずっと付きっきりでここにいたんだ。……本当に助かって良かった……」
そう言いながらポロポロと泣き出す義兄様。
大の大人が感情的になって泣くなんて。しかも、普段は飄々としていてカッコいいと評判の人が顔をぐしゃぐしゃにしている。
こんな顔、社交界で笑い者にされるでしょうね。
義兄様は泣きながらわたくしの手を握っている事に気づくと、慌てて両手を手放しました。
「ごめん。これは少しでもキャロが早く目覚めるようにってつもりで、」
「大丈夫ですの」
義兄様はわたくしに抱きついて拒絶されたのを思い出したのか、しまった!という顔をしましたが、わたくしは気にしていません。
「むしろ今は感覚が鈍いので、しっかり掴んでもらう方が生きてるって感じがして安心出来ますの」
力が入らない手を無理矢理持ち上げると、義兄様はその手を優しく包み込んでくれた。
「そんなのいくらでも掴んであげるよ。むしろ、もうこの手は二度と離したくない。君というたった一人の妹を失ってたまるもんか」
「大袈裟ですの……嫌いじゃありませんけど」
こうやって気分が晴れた状態で人の体温を感じると、同じ人間でも温かさが違う。
生みの母は冷たくて。腹違いの姉は痛くて。
クローゼットの中から見ていた母に覆い被さる男性は気持ちが悪かったけど、同性でも義兄様は違う。
比べる事自体が間違いなのだけど、ちょっと前のわたくしにはその違いが理解出来なかった。
「ねぇ、義兄様」
「なんだいキャロ?」
怖いけど、恐ろしいけど聞いてみよう。
多分、その結果はわたくしが望むものだから。
「義兄様はわたくしを愛していますか?わたくしは要らない子じゃありませんか?わたくしは義兄様の妹でいていいんですか?」
弱っているのもあって声が小さいけど、わたくしは義兄様に問いかけた。
それに義兄様はいつもみたいに笑みを浮かべて答えた。
「僕は君を愛しているよ。だって兄妹なんだから当たり前だろう?」
母の顔、姉の顔が消える。
地下で見た皇子の顔が、シルヴィア・クローバーの顔が出てくる。
ーーー家族ってこういうものですわよね?
義兄様の手が慣れない手つきでわたくしの頭を撫でる。
あの地下でされたように、色褪せた空間で影がしてくれたように。
「あの、義兄様。一つ甘えてよろしいでしょうか?」
「勿論。一つと言わずにいくらでも言ってくれ」
流石にそれは遠慮したい。
まだ甘える加減を知らないんですの。
「眠たいのでまた手を握っていてください。サンダース……ぬいぐるみもないので」
「うん。分かったよ」
体からゆっくりと力が抜ける。
この倦怠感はもう少し続きそうだし、早く治すには寝て回復するのが一番の近道ですの。
瞼を閉じると暗い世界が広がる。
でも、大丈夫。
きっとこれは人生で一番安心して眠れるだろうから。
ーーー楽しい夢が見られると良いですの。
この後、穏やかに眠っている兄妹の姿があったとかなんとか。